christmas serenade






<side TAKAHIRO>
その9








「ここなんです」
タクシーを降りて凛に案内されたのは、隆弘のマンションから歩いて10分くらいしか離れていない場所だった。
「古くてびっくりしたでしょ?でも、トイレと風呂がついてる割には家賃が安くて」
いまどき珍しい吹きっさらしの鉄の階段をカンカンと音をたてて登った、廊下の一番奥が凛の部屋だった。
ドアを開けるとすぐに小さな板間のキッチン、反対側に風呂とトイレらしきスペースがあった。
そこをすり抜けると、6畳程度の和室がひとつ。
テレビとコタツ、そして小さな本棚がある以外は、目だった家具らしきものはなかった。
大きな押入れがあったから、そこを収納に利用しているのかもしれないが、それにしても18歳の若い男が暮らしているとは思えないほどに、地味で質素だった。
しかし、築30年だというアパートの外観には似つかない、清潔感に溢れた部屋だった。
おそらく土壁であろう壁は、すだれを利用して全て覆い尽くされていて、流行りのアジアンテイストでおしゃれなイメージさえある。
余計なものがなく整理整頓が行き渡っていて、塵ひとつない部屋は居心地がよさそうだった。
本棚に立てかけれたパンやケーキの入門書が、凛の夢に対する思いを象徴しているようで微笑ましい。
「恥ずかしいくらい狭いんですけど、どうぞ座ってください」
隆弘から受け取ったコートをハンガーにかけると自分もコートとマフラーを大事そうにハンガーにつるした。
小さなコタツと今どきどこの家庭にもなさそうな古い型のストーブにスイッチを入れると、凛が恥ずかしそうに隆弘に聞いた。
「大きなお皿とかなくって・・・小さな取り皿だけでもいいですか?」
隆弘がうなずくと、キッチンからカチャカチャと音が聞こえてきたから、隆弘もコタツの上に置いた袋からパックを取り出し適当に並べる。少し待たされたが出来たてを用意してくれたようで、フタを開けると湯気がもあもあと噴き出した。
「これ・・・安物で川上さんのお口に合うかわからないんだけど・・・」
そう言って凛が持ってきたのは、シャンパンだった。
「凛くん、用意しておいてくれたんだ?」
聞くと照れたように頷いた。
もとから隆弘をここに招待するつもりだったのだろうか。隆弘の心が躍る。
実は隆弘の中で、凛が家に呼んでくれないことは気がかりのひとつであった。外食に誘えば断らないし、隆弘の家で一緒に食事をする時も楽しそうなのはわかったが、凛の方から誘われたり何かを要求されたりしたことは一度もない。
凛の好意は手に取るようにわかるのに、そういった凛の頑なな態度が隆弘を不安にさせていたのだ。
並べられた取り皿は使い込んであったけれど、シャンパンと一緒に差し出されたグラスはどう見ても新品で、今日のために購入したとしか思えない。
凛の手取りの給料が隆弘の半分しかないのを知っている。
隆弘も入社3年目でたいした額ではないのだが、家賃待遇や営業の歩合がつくから、同世代のサラリーマンに比べれば高給なほうだと思っている。仕事はなかなかハードだが、その分待遇がいい点が、隆弘の仕事への情熱に反映されていた。

凛のほうは、高校を卒業した1年目で、給料の半分を家賃に持っていかれると聞いていた。本当ならアルバイトくらいの身分のところを、正式な従業員として雇ってもらったのだから、オーナーには感謝しているというのが、凛の口ぐせだ。
実際オーナー夫妻にはよくしてもらっているらしく、夕食のおすそ分けをもらったり、パンをもらったりしているようで、隆弘もそのおこぼれをもらったことがあった。
まだまだ小さな規模だから給料もたくさん出せないと最初に言われているし納得しているとも言っていた。

だから、凛はとても慎ましやかな生活を送っている。無駄遣いはしないし、きちんと計画的に金を使う。
そんな凛に思わぬ出費をさせたのかと思うと、隆弘はここに招待されたことに両手を挙げて喜べない感情に襲われたが、一方でそこまでしてくれた凛に対する愛しい気持ちを再確認し、せっかくなんだから楽しく過ごそうと気持ちを切り替えた。
隆弘がシャンパンの栓を抜くと、凛は大喜びし、その笑顔に隆弘も笑顔で応える。
乾杯してカチンとグラスを合わせると、ここがどんな立派なレストランよりも素敵な場所に思えた。
凛がここで暮らしているんだと思うと、天井のシミさえも褒めたくなるから不思議だ。
待ち合わせに遅れた経緯を面白おかしく語って聞かせると、凛は声を上げて笑った。
寒い中を待たされ、不安な思いをさせられたことなんておくびにも出さず、隆弘を責めるひとこともなく、「川上さんは優しいから」と笑ってくれる。
本当の隆弘は優しくなんてない。仕事に対しては容赦なく厳しいし、打算的で計算高い。やっとひとりで仕事を任されることが多くなり、これで好き放題できるとほくそえんでいたりする。それらをひた隠しにしていい人を演じている。そういう人間なのだ。
それが、凛に対してだけは違う。
凛に対するすべての隆弘の行動には見返りなんて求める気持ちはない、ひたすら純粋な気持ちなのだ。
凛の笑顔が見たい、ただそれだけなのだ。
でも隆弘はそんなことを凛に言わない。
凛が隆弘を『優しい』と思ってくれているならば、わざわざそれを否定する気はさらさらなかった。
それが打算的なんだと言われれば仕方のないことなのだが。
おいしい料理に舌鼓を打ち、凛の用意してくれたシャンパンで喉を潤す。
途切れることのない会話があるから、BGMなんていらない。

「川上さん」
料理もほぼ食べつくし、ふと会話が途切れた瞬間、凛に呼ばれて顔を上げた隆弘の視線からスッと逃れると、凛は立ち上がりキッチンへと消えた。






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