christmas serenade






<side RIN>
その7








いつもはムースで撫で付けているのだろう髪は下ろされ、いつものスーツではなくジーンズにシャツといういでたちは、少しだけ彼を若くみせた。
ゴールデンウィークということでいつもの学生の姿もなく、店内をぐるりとゆっくりひと回りして、すぐに売切れてしまうオーナー自慢のフランスパンと焼きたてのクロワッサンの乗ったトレイを差し出されたとき、凛は勇気を振り絞って声をかけた。
「いつもありがとうございます」
いつか言おうと思っていた言葉を伝えると、彼は一瞬驚いたようだったが、すぐに表情を弛めた。
「覚えてくれてたんだ」
「はい、今日はお休みですか?あ、ゴールデンウィークですもんね」
凛が慌てて訂正すると、彼は大きく頷いて「休みなのに早起きしてしまったんだ。慣れって怖いな」を笑顔を見せた。
凛はその笑顔にドキリとする。顔が赤らんでしまったのではないかとどぎまぎしながら、少しだけ話をした。
いくら他に客がいないといっても凛は仕事中である。おそらく彼もそれを気遣ってくれたのだろう、長話はしなかった。
「ありがとうございました」
いつものように背中を見送った後も、高鳴る鼓動はおさまらなかった。





数週間後、今度は仕事帰りに寄ったスーパーで偶然出会った。凛がレジに並んでいると、後ろから肩を叩かれたのだ。
親しい知り合いがいない凛が慌てて振り返ると、同じように買い物カゴを手にした彼が立っていた。

そのまま、ファーストフード店に誘われ、お互いの自己紹介をした。
川上隆弘。OA用品の販売会社の営業マンで25歳。
クールな見た目とは全く違って、とても物腰が柔らかで、穏やかな性格らしかった。
コーヒーとオレンジジュースをオーダーすると、スマートに会計を済ませる。そういうことに慣れていない凛はどうしていいのかわからず、とりあえず自分の分を支払おうとすると、やんわり断られた。
隆弘は凛が施設出身で身寄りもなく、慎ましやかな生活を送っていることは全く知らないから、そこに同情や憐れみはなく、ただ自分が誘ったからという明確な理由しか存在しない。
凛はありがたくその好意を受け取った。
たかがファーストフードのオレンジジュースが、酷くおいしく感じられた。
プライベートにつっこんだ話題にはふれず、営業マンらしく話し上手の聞き上手で、人当たりが良さそうに見えるが実は人見知りする凛も、すんなり隆弘のペースに乗せられた。
どうやら家も近所でお互いひとり暮らしであると判明すると、隆弘はケータイのナンバーとメールアドレスを凛に教えた。
凛はケータイを持っていないので、部屋の電話番号を教えて、その日は別れた。





しかし、もらったメモを財布に入れていつも持ち歩いてはいるものの、凛はそれを使わずにいた。
ほぼ毎日顔を見ることはできるし、たいした用事もない。ウソの用事を作れるほど凛は策士でもないしスレてもいない。
あれから隆弘は、ふとした瞬間凛に微笑みかけてくれる。
その度に、凛は羞恥と歓喜の入り混じった、言いようのない気持ちに支配され、微笑みの回数が増すごとに切ない思いでいっぱいになる。
向かい合って話をした楽しかった時間を思い出すたびに、またああいう時間が持てたらいいのにと願いながら、かといって社交辞令かもしれないあのメモの番号に電話することは躊躇われた。
鬱陶しいなんて思われたら・・・そう思われるくらいなら、毎日顔を見れるだけで十分だった。
しかし、驚いたことに、隆弘の方から再び食事に誘われ、社交辞令でないこと、よければ親しく付き合ってほしいことを告げられ、凛は迷いながらも頷いた。
凛は自分で気付いていた。
隆弘に対する想いが、普通じゃないことを。
隆弘のことを思うたびに、何の違和感もなく当たり前のように『好き』という気持ちが付随する。
その『好き』は、学園の仲間や先生、世話になっているオーナー夫妻に対するものとは全く違う。
隆弘のことを考えただけで、ドキドキ胸が高鳴り、身体が燃えるように熱くなる。
そんな感情を抱いていることに気付かれたくないから、凛は隆弘に深入りしたくないと思っていた。
しかし、直接本人にもっと親しくしようと告げられ、凛に断れるはずもない。
それから、ますます隆弘と過ごす時間が増えた。
同じひとり暮らし同士、一緒に食事に出かけたり、隆弘のマンションで自炊したりした。
休みが合えば、街に繰り出したりもした。
隆弘と過ごす時間が増えれば増えるほど思いは募る一方で、凛は自分の気持ちにストップをかけるどころか、隆弘に対する想いが膨らんでいくのを自覚せざるを得なかった。





そして今日のクリスマスイブ。
隆弘は凛に素敵な思い出をくれると言った。

それなのに・・・隆弘は現れない。
もしかして・・・と、凛の心を新たな不安が襲う。
施設で育ったことを告白したから、嫌になったのだろうかと。
もしそうなら、それは隆弘に恋人ができた以上に凛の心を傷つける理由であった。
隆弘に恋人ができたのなら、それは仕方のないことだし、たとえどんなに悲しくても祝福すべきことなのだ。それにただの知り合いとしての付き合いは続けることができる。
しかし、施設育ちであることが原因なら、それは凛の存在自体を否定されたことになる。きっと店に現れることもないし、街のどこかで出会っても言葉を交わすことはないだろう。
告白をしたとき、隆弘は『そんなことは気にしない』と言ってくれた。『過去がどうでも凛は凛だ』と勇気付けてくれた。
そして、クリスマスの思い出がないと言った凛に、自分の時間をくれる約束をしてくれたのだ。
隆弘を信用したいのはやまやまだが、今まで凛が遭遇し傷ついた過去を思えば、そうやすやすと人を信用できないのも事実だった。
少しばかり整った顔立ちらしいその外見は見栄えがいいらしく、何の負の気持ちも持たずに接してくる人たちも、凛が施設育ちだと知るや否やガラリと態度を一変させ、同情や憐れみの視線を投げかけるようになり、時にはあからさまに侮蔑の態度を露わにさせる人も少なくなかった。
一緒に学園で育った仲間が言っていた。
『同情を誘うことも生きていく術だ』と。
わからないでもないが、凛はそういう生き方を否定した。
過剰な親切を嫌い、とにかく平等に扱われたかった。
言わなくてもそういうのが態度に出ていたのか、それを感じているような隆弘のさりげない優しさが凛には心地よかった。
だけど、隆弘も、どこの誰から生まれたのかもわからない、本当は一番大事にされるはずの親からも捨てられた凛が、気持ち悪くなったのかもしれない。
もし隆弘がそういう気持ちを持ったとしても、凛は否定する気もない。
今、ここで待ちぼうけをくっている自分を受け入れるしかないのだ。
自分を捨てた親も、自分を忌み嫌う人も、誰も恨まない。そう決めたのだ。
でないと、世間に負けた気がするから・・・・・・
「うん、仕方ないよな。こればっかりはどうしようもない・・・・・・」
「何がどうしようもないんだ?」
もう聞きなれてしまった声に驚いて振り返ると、ハアハアと肩で息をしながら立っている隆弘が目に飛び込んできた。






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