christmas serenade






<side RIN>
その5








「川上さん、どうしちゃったのかな・・・」
わいわいと騒がしいショッピングモールの広場で凛はひとり呟く。
目の前には大きなクリスマスツリー。
装飾されたホンモノのもみのきは、色とりどりのイルミネーションでキラキラと輝き、家族連れやカップルの目を楽しませている。

イブを楽しく過ごそうと食事に来た人や買い物に来た人、タウン誌でも紹介され毎年恒例となっているこのクリスマスツリーを見ようと集まった人、いろんな人がこの広場にいるけれど、ひとりぼっちなのは凛くらいのものだ。
ここで待ち合わせすることから始まるクリスマスイブを、凛はとても楽しみにしていたのだけど、初っ端から躓いてしまって嫌な予感が頭を掠めた。





待ち合わせからもうすぐ2時間。
ほとんど動かず同じ場所に座り込んでいる凛には、好奇と哀れみの視線が幾たびも浴びせられていた。当の本人が気づいていないのが唯一の救いだ。

凛は人を待つという行為を少しも厭わない。会って別れるまでの時間は楽しいけれど減ってゆくもので、別れ際には寂しい思いをするものだが、人を待っている時間はドキドキ感とワクワク感が心を満たしてくれるからとても楽しい。
会った瞬間の嬉しさと言ったら、言葉で表現できるものではなかった。

「仕事、終われないのかな・・・」
今日はクリスマスイブ。
この人出が物語っているように、賑やかさが平日であることを忘れさせているが、今日は休日でも祝日でもない、平日なのだ。このところの隆弘の残業の量から推測すれば、今日だけ定時退社できるなんてありえないように思えた。

それでも、ケータイを持たない凛にはなす術もなく、ここで隆弘は来るのを待つしかない。
ひゅうっと冷たい風が頬をかすめ、凛は身を竦めた。





昨日の天気予報では、今日は平年より暖かく、残念ながらホワイトクリスマスは望めないと言っていた。
パン屋で働く凛の朝は早いから、格好なんて構ってられずに着膨れするほど重ね着をするけれど、今日は特別な日だから、仕事を終えてから着がえてやってきた。
もともと着る物に無頓着だし贅沢は出来ない身分だから洋服なんてほとんど買ったことはなかったけれど、隆弘と出かけることが多くなってからは、ほんの少し気を使っている。
普通のサラリーマンだからいいものは買えないんだと笑ってはいるが、隆弘の身につけているものは凛にとってはとんでもなくお洒落に見えた。
そんな隆弘と並んで歩いてもそこそは遜色ないようにしたいし、何よりも変な子を連れていると隆弘に恥をかかせるなんてとんでもない。
だが、給料の半分が家賃で消えてしまう凛に贅沢できる余裕はなく、夏はTシャツで過ごせたからよかったものの、この寒い時期には月に1枚セーターかパンツが買えるかどうかというところだ。
隆弘と今日の約束を交わしてから奮発して買ったいつもより値の張るセーターの上には、隆弘からもらったココア色のダッフルコートを羽織っている。
コートを買うまでに至らなかった凛は、高校1年の冬に寄付として送られてきて、高校3年間大事に大事に着ていた黒のダッフルコートをこの冬も着用するつもりだったけれど、一ヶ月ほど前に隆弘から渡された紙袋にこれが入っていた。学生時代に着用していたもので、もう着ることはないから貰って欲しいと言う。
羽織ってみればサイズがぴったりで、いくら学生時代とはいえ凛とは体格が違う隆弘が着ていたものだとは思えなくて、しかも誰かが袖を通していた感じすらなくて、驚いて返そうとした凛を無理やり納得させた。



『だって、凛くんの着ているコートの袖、ほつれかかっているだろ?』



そう言われて、顔から火が出るくらいに恥ずかしかった。
もちろん隆弘に悪気はなく、ただ凛を説き伏せるための言葉に過ぎないとわかっていたけれど。
恐縮して受け取ったものの、本当はとても嬉しかった。
人に何かをもらうという行為は、凛にとっては施しや同情の延長としか考えられず、かといって無下に断ることもできない苦手以上の何者でもない行為だった。複雑な心境にどういう表情をしていいのかもわからなかった。
しかし、隆弘からの思いがけないプレゼントは凛の心を高揚させ、とても幸せな気分にさせた。
『ありがとう』という言葉が自然にこぼれ、そして隆弘も満足げにとても喜んでくれた。
いつもはビニールをかぶせて大事にしているコートを、今日初めて着てきたのはいいのだが、その下は薄いTシャツとこれまたおろしたてのセーターしか着込んでいない。
鏡の前でマフラーを巻いてみたら、少し毛玉ができかかっているそれはこのコートとはあまりに不釣合いで外してしまった。
手袋も毎日しているからか、少し汚れていたから家に置いてきた。
広場はぐるりと建物に囲まれてはいるが、時間が経つほどに冷え込んでくる。
凛は暖を取るようにフードをすっぽりかぶり、膝を抱えて小さく身体を丸めた。





外で待ち合わせしたことは何度かあるけれど、隆弘が遅れてきたことは一度もなかった。
凛はいつも10分前には待ち合わせ場所に着いているが、隆弘は図ったように時間ぴったりに現れる。
そしてその瞬間が凛は大好きだった。
待ち合わせの時間と場所しか知らされておらず、ただ楽しみにしておいてと聞かされていただけだから、なかなか現れない隆弘と過ごす時間について思いをめぐらせ寒さも感じなかったけれど、さすがにもうすぐ2時間が経とうということに気付くと、不安な思いが顔を出す。
隆弘は同性の凛からみても、とてもかっこいい魅力的な男だと思う。
そんな隆弘だから、クリスマスイブを一緒に過ごしたいと思う女性が現れても無理はない。
ここ一週間、連絡を取っていなかったから、その間にでもそういう女性が現れたのかもしれない。
隆弘が何も言わず約束を破るような性格ではないことは、凛も十分わかっている。
だけど、それでも仕方ないと思う。
ただの知り合いの凛と恋人になろうかという女性と、どちらを選ぶかなんて迷うにも値しない。
当日連絡も取れない凛に気を使う必要もない。
それでも優しい隆弘は、おそらく明日にでも連絡を寄越すだろうし、凛は笑ってそれを許すだろう。
やっぱり素敵なクリスマスは夢で終わるのかな・・・・・・
そうそう簡単に願いが叶うはずもないと、凛は額を膝に乗せた。






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