christmas serenade






<side TAKAHIRO>
その3








自分の感情を持て余しつつ、自問自答を繰り返しながら数ヶ月が過ぎ、暖冬とはいえそろそろコートが必要になる季節を向かえたある日、隆弘の家で夕食を摂り食後のコーヒーを飲んでいるときだった。
テーブルの上に無造作に置かれていた雑誌に凛が手を伸ばした。
それは、クリスマスの特集を組んでいる情報誌で、書店でふと目につき隆弘が買ってきたものだった。
「そっか・・・もうすぐクリスマスなんですね」
凛のいつになく少し寂しげな口調に隆弘は引っかかった。
「凛くんはクリスマスが楽しみじゃないのか?」
手に持っていたカップをコトリと置き、向かいに座り雑誌に視線を落としている凛を探り見ると、僅かに睫毛が震えていた。
「凛くん・・・?」
「あ、あのっ」
視線を上げると、思いつめたように隆弘を真正面からじっと見据えて、何か言いたげに唇を動かすけれど、どうしても思い切れないのか言葉にならないようだった。
隆弘はだまって凛を見つめた。
悪戯をして叱られる前の子犬のようなおびえた視線を優しく受け止め、続きを待った。

テレビもつけていない、音楽も流れない部屋は静かで、隣のキッチンから聞こえる冷蔵庫のモーター音がやけに大きく聞こえていた。
凛は両手でカップを包み込むように持ち、コーヒー色の液体に語りかけるように話し始めた。





「おれ、ほんとは、この春まで施設で育って・・・」
「施設・・・?」
「小学生の時に母親に捨てられて、もともと父親はいなかったんですけど・・・だから、児童福祉施設にいたんです。おれのいた施設はほんとは中学卒業と同時に出なくちゃならないのに、成績がよかったことと高校卒業の学歴を持っていても損はしないという園長先生の計らいで、学園の雑用を手伝うことを前提にこの春まで置いてもらっていたんです」
思いがけない告白に、隆弘は言葉を失った。
そんな過去を微塵も感じさせなかったから、小説やドラマのような凛の生い立ちに驚かされた。
いまどき独り暮らしの若者は少なくないし、パン屋になりたいという夢があるから大学進学はしなかったのだろうと勝手に思い込んでいた。話の流れで家族のことに話題が及んだ時も、思い起こせばうまくかわされていたように思う。
「隠すつもりはなかったんです・・・」
凛はそこで言葉を切ると、少し考えてから続けた。
「ううん、本当は川上さんには知られたくなかったんです。親に捨てられた子なんだって思われたくなかったんです。でも、おれの話を真剣に聞いてくれたり、いろんなことを話してくれたり、知り合って間もないのにちゃんと真っ直ぐ向き合ってくれたり、川上さんが真摯な態度を示してくれるたびに隠し事してちゃいけない、ちゃんと話しておかなくちゃって、でもなかなかいい出せなくて・・・」
今にも泣き出しそうに声が震えているのに、凛は決して涙をこぼさず、ごめんなさいと頭を下げた。
「凛くんが謝る必要ないだろ?」
隆弘の声を聞いても凛は頭を上げない。
「おれは、そんなこと気にしないし、凛くんは凛くんだろ?」
「でもっ・・・」
やっと顔を上げた凛は、隆弘の顔を見るとまた口ごもった。
「でも・・・何?」
隆弘は先を促す。
「もう、この際全部言っちゃいな」
隆弘が優しく問いかけると、凛は驚いたように目を見開いた後、覚悟を決めたように話し始めた。
「中学でも高校でも、おれが施設から通ってると知ったら離れていく友達がいたんです。全員が全員そうじゃないけど、露骨に嫌がる人もいました。おれ、それならそれでいいと思ってました。学園の先生も友達もみんないい人だったし、おれが施設にいることは事実だし。大人になっても一生つきまとうことだろうと覚悟もできてました。偏見の目で見る人は見ればいい。でもおれは、そんなことで傷ついたりしない、ずっとそう思ってたんです」
凛がすうっと息を吸い込んだ。
「だけど、川上さんが離れていくのだけは・・・もし川上さんに疎まれたら、おれはきっと立ち直れないくらい傷ついてしまう。だって・・・だっておれ、川上さんが好きだから」
見つめられて、好きと言われて、ドキリとした後、鼓動が高鳴った。
凛に好意を持たれていることは承知していたが、改めて口にされると高鳴りを抑えることができない。
それでも隆弘は、無理にそれを押し込め、冷静さを保とうとした。
「おれも、離れていくと思った?おれがそういう心無いヤツらと一緒だと―――」
「ち、違います!」
凛が慌てて否定する。
その表情はとんでもなく歪んでいて、隆弘は慌てて謝った。

「ごめん、ちょっと意地悪な言い方になって。凛くんは、おれにそばにいて欲しかったんだ?」
隆弘が問いかけると、凛は顔を真っ赤にして目を伏せた。
凛の言う『好き』は、どの『好き』なんだろうと、隆弘は目の前で俯く凛のつむじを愛しげに眺めながら考えた。





年上の友人として頼ってくれていると考えるのが妥当だろう。
父親は最初からいなかったと言っていた。話からすると兄弟もいなかったらしい。
とすれば、凛の隆弘に対しての好意が、父親や兄に向ける感情であることも否定できない。
もし万が一それら全てが違っていても、凛が同性に対して恋愛感情を持てる性癖であるのか確信がなかった。
それでも隆弘は満足感に満ち溢れていた。
凛が感情をさらけ出してくれたことが嬉しかった。





隆弘が立ち上がると、凛が身を竦めた。
気付かぬふりでテーブルのカップを2つ手に取ると、キッチンで温かいコーヒーを淹れ直し、凛の前にはミルクが多めのカフェオレもどきを置いた。

どうぞとすすめると、凛は素直にカップを手に取り口をつける。
「凛くんは、どうして突然おれに告白したの?」
今日もいつもと変わりのない雰囲気だった。
それがいつの間にやら告白大会になっていたのだ。
「クリスマス・・・」
凛の口からポロリとこぼれたのは、そんな言葉だった。
「あ、あぁ、クリスマスの話をしてたんだったね」
隆弘はその会話を思い起こしていた。
でも・・・わからない。

「母親と一緒に住んでいたころは夜の仕事に出ていたから、おれはいっつもひとりだったんです。施設では毎年クリスマスパーティーが催されました。先生たちとツリーの飾り付けをして、歌を歌ったり、無邪気な頃はよかった。だけど、大人に近づくに連れて、寄付で集められたプレゼントを貰ったり、ボランティアの大学生に優しくされることに悲しみを覚えるようになったんです。どんなに親切にされても、しょせん親に捨てられた可哀想な子供への憐れみに過ぎないんだと。一度そう思ってしまったら、すべてが偽善に思えてしまって、素直に喜べなくなってしまったんです。施設の運営が滞らないのもすべてそういった慈善活動の賜物なのに」
「凛くん・・・・・・」
「今じゃすべて理解してるし、おれもひとりで生活できるようになったから、そんな卑屈な気持ちは持ってないですよ。大人に囲まれて暮らしていたから生意気な思考ばかりが先に立っていたんでしょうね」
多感な少年期を過ごしました、と、凛はあっけらかんと笑った。
「というわけで、クリスマスにはあまりいい思い出がないんです。でも、今年は独り立ちして初めてのクリスマスだし、今まで素直に楽しめなかった分、世間に流されて楽しんでみようかなって思ってるんです」
たくさん話をして疲れたのか、カフェオレをおいしそうに飲む凛を見て、隆弘は胸をぐいと掴まれる思いだった。





隆弘は両親と兄という、ごく普通の構成の一般家庭に育った。
だから、幼少時代はケーキを食べ、眠ると枕元にプレゼントが置いてあるという、何のことはないクリスマスを過ごしてきた。
家族と過ごすより友人と過ごすことが楽しくなった時期には、誰かの家に泊まりこみクリスマスパーティーを称して朝まで騒いだし、付き合っている女性がいた時には、女性が喜ぶようなクリスマスを演出した。
そんな、誰もが知っているクリスマスを、凛は知らないと言う。
そして、今年は楽しく過ごしたいと願っていると言う。
隆弘は、カフェオレを飲み干して、さっきとは打って変わってすっきりした表情で情報誌を捲っている凛を見つめた。
愛しくてたまらない、抱きしめたい感情に囚われる。
凛の楽しそうな笑顔が見たい。
凛を心から喜ばせたい。
凛にとびっきり最高のクリスマスを過ごさせてやりたい。
凛と一緒にクリスマスを過ごしたい。
隆弘は認めた。
こんな感情、今まで誰に対しても湧かなかった。
どんなに着飾った綺麗な女性にも、人の感情を無視して好意ばかりを押し付ける女性にも。
自分の、凛に対する思いが、友情でなく、恋愛感情であることを・・・






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