Aqua Noise







その5






遠くの方でインターホンが聞こえる・・・・・・
眠りの中なのか現実なのか曖昧なまま、隆弘はベッドの中にいた。
胸に納まる温もりが心地よくて、なかなか目が覚めない。
誰かが訪ねてきているのはわかっているのに、動きたくないと脳が命令している、そんな感じだ。
それでも鳴り止まない音に、しだいに隆弘の意識も覚醒してくる。
「・・・くそっ」
頭を掻き毟りながら、凛を起こさないようにそっとベッドを抜けると、インターホンの受話器を取り上げた。
「・・・はい・・・・・・」
出来る限り不機嫌な声で応対する。
リビングの時計を確認すると、午前6時。
隆弘は営業先に直接向かうため今日はいつもよりゆっくり出られるし、凛の仕事は休みだと聞いていた。
ベッドの中でもう少し二人の時間を楽しむことが出来たことを考えると不機嫌にもなる。
(こんな朝っぱらから誰だってんだよ!)
心の中で悪態をつくが、さすがに誰だかわからない来訪者を怒鳴りつけるほど隆弘はコドモでもない。
もちろんそうしたいのは山々だったが。
「あ、タカさん?」
聞こえてきた声に隆弘は驚いて受話器を落としそうになる。
「って、おま、希」
「朝早くからゴメンネ。部屋に入れてもらっていいかな?」
『ゴメンネ』なんて殊勝なことを言っているけれども、そこには少しの申し訳なさも含まれていない。
「どうしたんだよ、こんな朝早くに」
「わけは後で説明するから。とりあえずここのロックを外してよ」
隆弘がダメだと言わないとわかっているのか、希の口調が少し強引さを増す。
「いや、ちょっと待て、つうか、わけを言えわけを!」
オートロックのマンションでよかったと隆弘は心底思った。
寝室では凛が眠っている。情事の痕の残るベッドで。
上がりこんだ希がすぐに帰るとは思えない。
たとえ希を寝室に入れなくても、やはりそういった空気はリビングであれ残っているものだ。
それにコトに及んだ翌朝の凛は少し気だるげな妖しい雰囲気を纏っているのだ。
本人にそういう自覚はないようだが。
いつだったかふたりで小さな旅行をしたとき、翌朝ブランチをとろうとレストランを訪れたとき、何人かの客が凛に意味ありげな視線を送ってきた。
隆弘がギロリと睨んでやると慌てて視線を逸らしたが。
だから隆弘の贔屓目でないことは確かだ。
そんな姿をたとえ甥と言えども見せたくはなかった。
希と凛は一度顔を合わせていて、希は凛が隆弘の友人だと思っている。
「昨日は凛を泊めたんだ」と軽く流してしまえばいいのかもしれないが、それも抵抗があった。
なんとかして帰宅させるか、それが無理でも時間を稼ごうと隆弘は希に説明を求めた。
すると希が黙り込んだ。
しばしの沈黙の後、希が少し茶化すように言った。
「なに?彼女でも泊まってるわけ?ちょうどいいじゃん、紹介してよ」
図星をさされて隆弘は焦る。
「ばか、おまえに紹介するいわれはないだろうが」
彼女が泊まったことを否定していないことに隆弘は気付かず「凛が泊まってるだけだ」続けた。
「へぇ〜それならなおさらじゃん。凛さんならおれ気にしないし」
しまったと思ってももう遅い。
隆弘はすっかり希のペースに巻き込まれていた。
昔からこの甥っ子にはめっぽう弱い。
おそらく隆弘が何を言っても希は帰ろうとしないだろう。
「わかった。朝メシを買いに行かないといけないから付き合ってくれ。すぐに降りるからそこで待ってろ」
ため息混じりに隆弘が受話器を置こうとしたら、向こうから声がする。
「え〜〜〜いいよおれは。とにかくここを―――」
「いいからそこで待ってろ!!!」
苛立ちをぶつけて隆弘は受話器を投げ置いた。
その足で寝室に向かう。
気持ちよさそうな寝息をたてて寝ている凛を起こすのはかわいそうだが仕方がない。
「凛」
身体をゆすると、小さく「う〜ん」と唸ってゆっくり目を開ける。
寝起きのよさは素直な性格の表れだというのが隆弘の持論である。
ちなみに隆弘はいたって寝起きが悪い。
「隆弘さん、おはよう」
起き上がって恥ずかしそうにシーツを肩まで引っ張り上げながら、にっこりと笑う凛は殺人的な可愛らしさだ。
(おれの凛は今朝も可愛い)
「おはよう、凛」
先ほどの苛立ちはどこへやら、大満足で隆弘は凛と軽いキスを交わした。
このままベッドに戻って、凛を抱きしめていちゃちゃしたい。
朝っぱらから勝手に押しかけてきた希なんて放っておいてやろうかと悪魔のささやきが聞こえないでもないが、そんなことをしたらどんな仕返しをされるかたまったもんじゃない。
ベッドに戻らない隆弘に凛は不思議そうな眼差しを向けた。
「隆弘さん、どうしたの?」
「凛ごめん。下に希が来てるんだよ」
「希くんが?」
「あぁ。詳しい事情はわからないんだが、部屋に入れろの一点張りでな」
「そう・・・なんだ」
凛の表情が一瞬曇ったように見え、隆弘は困った。
久しぶりの逢瀬だった。
いつもより少しだけ寝坊して、それから朝食を作るんだと、凛は隆弘の大好きなクロワッサンを持参していた。
『隆弘さんはひとりだと野菜食べないから』とサラダを作るためにたくさん瑞々しい野菜も買い込んでいた。
(きっと楽しみにしてくれてたんだろうな)
隆弘だって同じ気持ちだ。
けれどそれをぶち壊そうとしているのは隆弘の身内の希なのだから困ったものだ。
「ごめん」
隆弘が謝ると、凛は曇った表情をさっと消し去り、笑みを浮かべる。
「隆弘さんが謝ることないよ。きっと何か事情があるんだよ。希くんは隆弘さんのことをとっても頼りにしてるから」
「凛・・・・・・」
愛しくてたまらなくなって、隆弘は凛を抱き寄せた。
同時にけたたましくインターホンが鳴る。
「隆弘さん、希くんが待ってる。早く下りてあげて」
凛に促され、隆弘は寝室を後にした。
ベッドを降りて着替えを始める凛を残して。










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