Aqua Noise







その26






「リン今日はここにいたのね」
「ま、ね」
日本から飛行機で数時間。
日本人が生涯に一度は行きたい国ナンバーワンのこの島国に凛は立っていた。
オーナーの友人から「ワゴンの移動販売をしないか」と持ちかけられたのは半年前。
実は手土産にと凛が焼いたタルトがいたく気に入られ、ぜひにと請われていたのだ。
ちょっと遠くなのだれど、とは言われたけれど、まさか海の向こうだとは思わなかった。
ちょうど街を離れようとしていたところに降ってわいたような話だった。
どうやら様々なことに投資をするのが趣味の、ちょっと変わった道楽者だが、信頼のおける人物だと、オーナーのお墨付きもあり、凛は迷うことはなかった。
(金持ちの考えることってわかんないや)
すぐ受諾の返事をし、渡航準備をしてこちらにやってきたのが半年前。
資金投資だけで一切の口出しはなく、凛に一任されているから、やりがいはある。
カラフルなものが売れるらしいこの土地で、改良に改良を重ね、今ではそこそこの人気だ。
タルトは施設にいるときに、何度か園長が焼いてくれた。
何のトッピングもない平凡なものだったけれど、凛はその味を再現しつつ、売れるように工夫をした。
人生ってわからないなぁと思う。
親に捨てられ、施設で育った。
製パン修業に始まり、スイーツ職人、そして今は異国の地で移動販売。
なかなかの人生だ。
いろんな経験を重ね、ずいぶんと性格も変わった気がする。
一途で真面目で純粋で、だけども社会に対してつまらない敵対意識を抱いていた。
今では流されるままフラリフラリ。
守るべき人もいないから、お気楽な人生。
身寄りのないことを恨んだときもあったけれど、今じゃこれでよかったかなと思う。
「自由だもんなぁ」
このまま移動販売をしながら世界中を回るっていうのはどうだろう?
だてにひとりで生きてきたわけじゃない。
それなりに強い心と身体を備えている。
「このチェリーと、チーズと、チョコと、二個ずつね」
「いつもアリガトね。サンキュー」
「それと・・・あ、これカワイイ」
南国独特の鮮やかなフルーツと白い生クリームをトッピングしたものだ。
「今日はクリスマスイブだからね」
「じゃあこれもお願い」
「オッケー」
片言の英語と日本語。客の8割が日本人。現地在住日本人に観光客さまざまな人がやってくる。
どこかの雑誌に載ったのも功を奏したようだ。
イケメンのワゴン販売と書かれたのには驚いたが、それも宣伝の一つだと割り切った。
最近では観光客の記念撮影に一緒にカメラに収まることもある。
さらにその観光客がブログで紹介したりするものだから、今では隠れた観光スポット的な扱いになっていた。
売切れ次第終了。
そして今日も完売。
単価がそう高くないから一日の売上は多くはないが、凛に不満はない。
隆弘に近づきたい、追いつきたいと思っていた頃は、必死で働いて、節約して、お金を貯めた。
少し意地になっていたのかもしれない。
誰にも同情されることなく、生活レベルを上げることが、独り立ちすることだと思っていた。
沙絵子のカフェを手伝うようになってからは、店舗の運営に関しても勉強し、いつか自分の役に立てたいと思っていた。
それも今では凛にとってさほど重要なことではない。
少し早い時間だったので、島一番のショッピングセンターに立ち寄る。
何が売れているのか、どんなものが流行っているのか、リサーチするのも仕事である。
(今度はカップケーキ、作ってみようかな)
このシーズン、この島はさらに観光客でいっぱいになる。
人生初の、常夏のクリスマス。





*** *** ***





しばらく歩き回り、少し休憩しようとドリンクをテイクアウトしてベンチに腰掛ける。
たくさんの行きかう人々たち。
Tシャツに短パンの人もいればブランドで身を固めた人。
白人黒人アジア人。
様々な人がここにいる。本当に不思議だ。
ストローをかじりながら眺めていると、遠くで不審な行動を取っている日本人らしき男に、凛は驚きのあまり目を見開いた。
(た、隆弘さん・・・・・・?)
少し派出目のアロハシャツに短パン姿の男は、まぎれもなく隆弘だった。
キョロキョロと誰かを探し回っているようだ。
10年間全く出会わなかったのに、この1年で2回も遭遇するなんてどうかしている。
(って1回目の遭遇は明らかに向こうは意図的だったけどな)
昔の恋人に婚約者を見せつけにくるなんて全く酷い仕打ちだと、普通の人ならそう思うのだろうが、凛はそうは思わない。
(曖昧な別れ方だったからケリをつけたかったんだろうな)
隆弘は何も言わなかったけれど、女性と同伴することで、凛にわからせようとしたに違いない。
もう凛にこれっぽっちも気持ちを残してはいないということを。
凛のことはやはり希から聞かされていたらしい。
そりゃそうだろう。
隆弘と会わなかった10年間、希とはかなり頻繁に会っていたのだから。
凛がどこで何をしているのか知っていても会いにこなかったことが、隆弘の答えだ。
おかげさまでこちらもようやくすっかり諦める決心がついたのだ。
諦めがついたと言ってはみたものの、隆弘とほのかといつ出会うかわからない街にいるのは辛くて、結局のところこんな場所に逃げてきたのだけれど。
神様は意地悪だ。意地悪なんてもんじゃない。
隆弘はおそらく新婚旅行に来ているのだろう。
なんといってもここはハネムーンのメッカ。
あの綺麗な新妻とはぐれてしまったといったところか。
さすがにここまできて幸せな新婚カップルを見たくはない。
隆弘の幸せを心から願ってはいるけれど、どんなに強がってみても凛の心にはまだキツイ。
(バイバイ、隆弘さん)
凛は足早にワゴンに戻ると、コンドミニアムに引き返した。
















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