Aqua Noise







その21






「何がしょうがないんだ?」
やっと見つけた凛に背後から声をかけると、「ひゃっ」と大げさすぎるほどに驚いて振り返った。
「た、隆弘さん」
見上げる凛の頬は寒さのせいで真っ赤で、すぐに温めてやりたい衝動に駆られた。
凛の不安そうな表情は、隆弘のせいなのだから。


飛び出していった凛をすぐにでも追いかけたい隆弘だったが、さすがに怪我をしている希を放っておくことはできない。
隆弘にとって、一番大切なのは凛だけれど、希もまた別の意味で可愛いと思っている。
とりあえずは怪我の手当てだと患部をみると、切った部位のせいか出血が酷い。
タオルをグルグル巻きにして、最寄の救急病院へと車を走らせた。
男は血に弱いというが、希もしかり、最初は驚きで青い顔をしていたが、しばらくすると出血も弱まり、窓の外をじっと眺めていた。
「凛さん、探しに行かなくてもいいの?」
ミラーで確認すると、希はソッポを向いたまま、浮かない顔をしていた。
「おまえの手当てが先だ」
希に落ち着きが戻ってくるのと比例して、隆弘の中でもフツフツと怒りが沸いて来た。
割れた食器と、無残に散らばった料理。
凛が用意してくれたケーキはひしゃげてどうしようもない有様だった。
今日は凛と楽しい時間を過ごす予定だった。
ふたりで会うのは本当に久しぶりで、大人気なくワクワク心待ちにしていたのだ。
いつもより表情が硬い凛に、何か心配事でもあるのかと不安になったけれど、話をしているうちに凛も笑みを浮かべて楽しそうなので安心した。
しかし悪魔がやってきた。
ここ数ヶ月、隆弘と凛の邪魔をする、まさしく悪魔。
来訪を無視しようとした隆弘を止めたのは凛だ。
凛の性格からして、そう言うのはわかっていたが、しぶしぶながら同意した自分を、今はぶん殴ってやりたい。
と言っても、悪魔といいながらも希を可愛がっているのは事実だ。
小さい頃から、希は隆弘に懐いていた。
希の父親である隆弘の兄は、父親に似ていて厳しい人である。
決して優しくないわけではないが、純粋な優しさを求める子供にとっては非常にわかりにくい性格だ。
だからだろう、希は父親に怒られるたびに隆弘の元に逃げ込み、隆弘のほうも懐かれて悪い気もしないことに加え、兄の分も甘やかしすぎた感もあった。
希のほうも隆弘には甘え放題わがまま放題だが、やはり甥は甥。
まだまだ子供なだけで、悪いヤツではない。
凛に会わせたのも隆弘なりの思惑があったからだ。
凛は隆弘には決してわがままを言わない。
それは凛と一緒の時間を過ごせば過ごすほどに気付くこととなった。
たまに見せる拗ねたような仕草も、隆弘にとっては然もないことだ。
希とさほど変わらない年齢なのにと思うと、隆弘は少し憐れに思ってしまった。
凛の生い立ちを聞かされたとき、同情という感情が少しもなかったとは言わない。
凛は両親の愛情を知らないが、周りの大人に関しては恵まれていたと思う。
施設の園長もスタッフもいい人だったようだし、勤務先のオーナー夫妻も凛をとても可愛がっている。
だが、同年代の友達には恵まれていなかったようだ。
それは、現在、凛には友達と呼べる人間がいないことが物語っている。
凛の周りに人が寄ってこないのではなく、凛が遠ざけていたことが原因のようだが。
だから、希と凛がそういう関係になればいいなと隆弘は考えた。
いつでも無邪気な希を見て、凛にも年相応の感覚が芽生えればいいなと思ったし、逆に希にも凛の穏やかな性格は良い影響をもたらすのではないかと思ったのだ。
初対面から誰に気兼ねすることもなく言いたい放題の希に凛も気後れしていたようだったが、過剰な心配はしないことに決めた。
隆弘にはもうひとつ思惑があった。
自分の身内と凛に仲良くなって欲しかったのだ。
隆弘は凛と別れるつもりはない。このまま一緒に年を重ねることができればいいなと考えている。
身寄りのない凛と、確かな絆を得ることも考えている。それが単なる法的手続きだとしても。
おそらくそれは非常に困難を極めるだろうが、覚悟はできている。
そのときに、身内でひとりでも味方になってくれる人物を作っておきたかったのだ。
だが、それらは全部隆弘の勝手な希望だった。
「おまえ、凛が嫌いか?」
単刀直入に聞く。
「嫌い。大嫌い」
履き捨てるように希が言う。
「捨てられて、施設で育ったくせに。いっつもくたびれた服着て、貧乏丸出しのくせに。何言われてもヘラヘラ笑って、バカみたい。タカさんとの時間を邪魔されてムカついてるくせに、平気って顔して。同情買おうとしてんの?知ってる?あの人、タカさんの気を引こうって必死なんだよ?無理してバカ高いブランドもの買ったりしてさ。だからおれ言ってやったんだ。それ、タカさんの趣味じゃないよって。あの人ショック受けてたよな〜リサーチ不足は自分のせいだっつうの。自分の生活レベル考えろって。どんなに頑張っても育ちって出るもんだっつうの」
一気に捲し立てた希に対して、隆弘は冷静だった。
「それを・・・おまえが言うのか・・・?」
この言葉がどんなに希を傷つけるのか、隆弘は知っていた。
希が息を飲んだのがわかった。
それでも隆弘は繰り返した。
「なぁ希、人を傷つけて、お前自身を傷つけて、それでいいのか?」
後部座席で希が蹲ったのをミラーで確認して、隆弘はスピードを上げた。















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