Aqua Noise







その2






まさか隆弘が希にそんな風に話していたなんて想像もしていなかった。
待ち合わせ場所で初めて会ったとき、隆弘は凛に希を紹介してくれたけれども、その逆はなかった。
希は凛の名前を知っていたし、きっと道すがら適当に説明をしたのだろうと思っていた。
「だからさ、どんな人と付き合ってるんだろうって興味津津でさ。ほんとはチケット2枚しかなかったんだけど1枚追加で買ったんだ。ついていってやろうと思ってね。タカさんはおれに甘いから絶対にダメだって言わないと思ってたし」
そして凛をきっと見据える。
「まさか男だとは思ってなかったけどね。今日の映画の結末以上の驚きだよ」
その口調は隆弘に対する甘えを含んだ口調とは似ても似つかないクールなものだった。
希はこれみよがしに大きなため息をつく。
「で、付き合ってるわけ?」
問いただされて凛は返事もできなかった。
隆弘は希に凛とのことがバレてもいいと思っていたのだろうか。
だから恋人と映画に行くのだと希に行ったのだろうか。
それとも恋人と映画に行くと言ったことをすっかり忘れていて、今日希に凛を紹介したのだろうか。
様々な思考が凛の頭をぐるぐる回る。
同性の恋人がいるなんてそう簡単にカムアウトできることではない。
タレントが活躍し少しずつではあるが市民権を得ているとはいえ、同性愛が異質なものだと認識されていることに変わりはない。
理解があるふりをして好奇の目で見られるか、不快感をあらわにされるか、そんなところだろう。
特に家族や親戚には、絶対に知られたくないことだろうと思う。
凛には家族も親戚もいないけれど、隆弘は違うのだから。
ましてや隆弘はゲイではなく、凛と出会う前は普通に女性と付き合っていた。
それを希は知っているだろうからなおさらだ。
「隆弘さんにはよくしてもらってる」
凛は肯定も否定もしなかった。
「あ、そ」
希は愛想なく返事をして続ける。
「タカさんが今まで付き合ってた女性は綺麗な人ばかりだった。同性でもタカさんの隣りにいてお似合いだったら仕方ないと思う。けどさ」
凛をギロリとにらんで言った。
「タカさんと付き合うのなら、もうちょっと考えたら?そのくたびれたシャツ、首んところ伸びかけてるし。あんたはよくてもタカさんが恥ずかしいだろ?」
冷たく指摘されて凛は真っ赤になって俯くしかなかった。
テーブルの下でシャツの裾をギュッと握り締める。
これは凛にとっては一番新しいシャツだったから。
「悪い。ちょうどケータイが鳴ったんだよ。義姉さんからだったぞ?希、お前何も言わずに出てきたのか?心配してたぞ?」
「あれ?タカさんと出かけるって言ったはずなんだけどなぁ」
そこには凛を冷たく貶めた希はすでにいなかった。
「それよりさ、タカさん、この財布どう?じいちゃんに入学祝いに貰ったんだけど」
「あの人は相変わらずおまえ甘いな」
「じいちゃんとタカさんって趣味似てるよね?さっすが親子!タカさんの財布だってこれと同じブランドでしょ?」
「同じでもなぁ、お前のと一緒にするなよ。おれのはワンランクいやツーランク上のシリーズのだ」
そう言いながら財布を見せ合う二人を凛は複雑な目で見ていた。
生活レベルの違いを改めて思い知らされた。
それでも、こんな卑屈な心を隆弘に知られたくなくて、凛は笑顔の下にすべてをしまいこんだ。
会計を済ませた後、隆弘は希を送っていくことになった。
「こいつを送り届けたら凛の部屋に迎えに行くから。一緒におれの部屋に帰ってゆっくりしよう」
別れ際に囁かれて、気持ちも少しだけ浮上する。
本当なら凛の部屋に隆弘を招くのが一番手っ取り早いのだが、いかんせん凛のアパートは六畳一間のボロアパートで壁も薄い。
「じゃ、待ってる」
微笑む凛の手を一瞬だけキュッと握ると、隆弘は希と一緒に改札へと消えた。
今日はいろんなことがありすぎた。
生まれてまだ20年も経っていないけれど、物心ついたときからたくさんの嫌なことがあった。
特に小さいころは楽しい思い出よりも辛い思い出のほうが多い。
だから強くなるしかなかった。
家族のない自分は死ぬまでひとりなのだからと言い聞かせ、誰にも頼ることなく生きていこうと誓った。
施設で育ったことは消せない事実だから、それを受け入れるようと割り切るまでにかなりの時間を要したが、今では結構うまく心のバランスがとれていると思う。
仕事は楽しいし、隆弘と出会うこともできた。
今が一番幸せだと凛は思う。
だからだろうか。
その幸せに慣れてしまってるんじゃないだろうか。
今が一番幸せなのだったら、これからどうなってしまうのだろうか。
浮上しかけた気持ちがまた下降線を描く。
(ちょっと責められたくらいでなんだよ。頑張れる。まだ頑張れる)
隆弘にギュッと抱きしめてもらったら、きっとどんよりした気分も晴れるに違いない。
凛はアパートで隆弘を待った。
でも、隆弘は来なかった。








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