Aqua Noise







その1






「はじめまして」
にこやかな笑顔の裏に値踏みするような視線を感じるのは凛の気のせいだろうか。
「凛、こいつがおれの兄貴の息子、おれの甥にあたる希だ。たしか・・・高1だったよな」
隆弘に紹介されたのは久々に休みが重なって映画を見ようと待ち合わせした駅前でのことだった。
「だったよなって酷いよ。ちゃんと高校入学のお祝いくれたじゃないか」
少し甘えを含んだ口調に苦笑いする隆弘に、凛も曖昧な笑顔を浮かべる。
「映画のチケット、こいつから譲り受ける予定だったんだが、いざ受け取りに行くと3枚あるから一緒に観たいってごねやがってな」
「別にごねてないんかないじゃん。ただ余ったチケットでひとりで見るのもつまんないし、タカさんが友達とだっていうから。おれだって相手が彼女だったら遠慮するに決まってる」
「こんな調子でここまでついてきやがったんだ。凛、悪いけどこいつも一緒でいいか?」
ため息をつきながらも、口調ほど嫌そうでない隆弘に、凛は頷くしかなかった。





*** *** *** *** ***





飲み物を買いに行ったふたりを見送ると、座席にひとり残された凛は小さなため息をついた。
待ち合わせの時間に5分遅れてきた隆弘が見知らぬ若い男と一緒だったから最初は驚いた。
隆弘の甥だと紹介されて安心したのも束の間、楽しそうな二人の会話についていけなくて愛想笑いを浮かべるのが精一杯だった。
高校1年だという希はは、いかにもいい家庭で育ちましたという雰囲気の天真爛漫さを持っていた。
可愛らしい顔立ちは少年ぽさを残しつつも、青年へと変わりゆく危うさを兼ねていて、それがまた魅力的となっている。
初対面の凛に対しても物怖じすることもなく、時折話を振ってくる。
だが、そのほとんどが自分や隆弘の家族のことで、凛は戸惑いながらも相槌をうつしかない。
そして、自分は隆弘のことを何も知らないことに愕然としながらも、それを顔に出すことなく笑顔をつくる。
いつもならそんな凛の雰囲気に気づくだろう隆弘も、今日ばかりは希に振り回されている。
(何か理由をつけて帰ればよかったかな)
ざわめく館内で、凛はひとりそう思い始めていた。





*** *** *** *** ***





「最後の大どんでん返し。マジびっくりだったよ」
希の希望で入ったダイニングレストランで、食事をすることになった。
映画終了後、雑誌でみたという話題のダイニングに行きたいと希が言い出したとき、凛は理由をつけてそこで別れようとした。
しかし言い出す前に隆弘に「悪い。もう少しだけ付き合ってくれるか」と言われて言い出せなくなったのだ。
夜には列ができるというが、まだ少し早い時間のせいか、すんなり席に案内された。
店内はさすがに行列のできる店だけあり、お洒落にデザインされている。
個室感覚に区切られた空間には、重厚で大きなテーブル。
全体的に落とし気味の照明も、テーブルに儲けられたアンティークな燭台がカバーしている。
案内されたテーブルに、希は迷うことなく隆弘の隣りに腰を下ろすから、必然的に凛は向かいにひとりで座ることとなった。
料理のほとんどを希が決め、隆弘だけがアルコールをオーダーした。
雰囲気だけでも味わいたいとノンアルコールドリンクをオーダーしたがる希に隆弘は無理やりソフトドリンクを、凛は希が少しだけ味見したいと言ったノンアルコールをオーダーする。
大きなテーブルが皿でいっぱいになると、希は誰に遠慮することもなく、どんどん箸をつけた。
「凛もどんどん食べろよ」
あまり箸の進まない凛に気づいた隆弘が優しい言葉をかけてくれたのが嬉しくて、凛は笑って頷いた。
ふと視線を感じその先を見やると、希が凛をじっと見ている。
視線が合った瞬間逸らされた。
「ね、ね、タカさんは気づいてた?アイツが犯人だって」
映画は大ヒット中のハリウッド映画で、最後の最後に想像をはるかにこえる展開が待っていると話題のサスペンスものだった。
その映画を凛は結局ひとりで見ることになった。
ひとりで、というか、性格にはふたりの後ろの席で、だけれども。
さすがに映画館は超満員だったが、希が運よく3人並んだ空席を見つけた。
隆弘・希・凛の並びで座っていたのだが、凛の隣りの席がひとつだけ空いていた。
上映間近になって席を探している親子連れが凛の隣りの空席を見つけ、近づいてきた。
小学生らしき男の子に、父親がそこに座るように言っているのだが、男の子はなかなか動かない。
小学生には少し難しいと思われる映画を見に来ているのだから、それなりに大人びた感性を持つ男の子なのかもしれないが、その表情は不安げだ。
当たりを見回すと、2列ほど後ろにもひとつだけ空席がある。
凛は父親らしき男性に声をかけ、席を譲り、後ろに移動した。
隆弘は何か言いたげだったが、ちょうど上映を知らせるアナウンスに遮られる。
どうせ隆弘と並んでみることができないのなら、どこの席でも一緒だ。
暗くなり、映画が始まると、館内の意識が大画面に集中する。
しかし凛は全く集中できなかった。
後で何か聞かれたときに困るだろうと、何度も画面に集中しようとするのだけれどダメだった。
実は凛はもともと映画にはあまり興味がない。
小さい頃から映画なんてみる習慣はなかったし、娯楽にお金をかけることができるほどの余裕もない。
今日だって映画じゃなくてもよかったのだ。
隆弘と一緒の時間を過ごすことができるのなら、何でもよかった。
2列前のふたりが視界に入る。
時折希が隆弘の袖を引き、耳元でこそこそ話をしていた。
希は隆弘の甥だ。隆弘は希の叔父だ。
仲の良い叔父と甥。それだけだ。
それでも。
顔を寄せ合うふたりを見ると心が曇ってしまう。。
そしてそんな仲の良い姿を、後ろから眺めるしかない自分の存在がちっぽけすぎて、凛は俯いて目を閉じた。
「ね、凛さんも驚いた?あの展開はズルイよね。そう思わない?」
突然希に映画の話をふられて、凛は今日何度目かの曖昧な笑みを浮かべる。
「もしかして、凛さん、見てなかったの?まさか寝てたとか?」
「そんなことないよ」
せっかく隆弘が誘ってくれたのに、眠っていたなんて思われたくなくて、凛は強く否定した。
「だよね。あんな面白いストーリーで眠るなんてつまんない人間のすることだよ」
そう言い捨てた後は、凛に話を振ることもなく、希はひたすら隆弘と話し、凛は邪魔しないように、少しずつ料理に箸を伸ばした。
「凛さん」
再び希に話しかけられたのは、隆弘が手洗いに立ったときだった。
「なに?」
今度は何を言われるのだろうかと、凛は身構えてしまう。
「おれ、回りくどいの嫌いだから単刀直入に聞くけどさ、タカさんとどういう関係?」
「どういう関係って・・・」
「友達なんて答えは期待してないから。友達にしては歳が離れすぎてるし。それに、おれが映画のチケットを譲ることになったとき誰と行くのか聞いたら、タカさん『恋人と』ってはっきり言ったし」
希の言葉に凛は息を飲んだ。








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