Aqua Noise







その18






「うわ、これはうまそうだな。凛が作ったのか?」
美しい細工が施されたクリスマスケーキを目の前に隆弘が笑う。
「残念だけど違うんだ。おれにはまだまだこんな技術はないよ」
クリスマスイブの夜。凛は隆弘の部屋で過ごしていた。
この日は世界中の人たちがさまざまな形で楽しむ日だけれど、凛にとってはとても特別で大切な日だ。
隆弘の恋人にしてもらえた日。
夢のようなあの夜の出来事を、凛は一生忘れないだろう。
あれからイブの夜を隆弘と過ごすたびに、凛は大好きな人と一緒にいることが出来る幸せをかみしめる。
(今年も隆弘さんと一緒にいられてよかった)
隆弘と会うのは久しぶりだ。
イブに時間をつくるだめ、隆弘が詰めて仕事をするのは毎年のことだ。
クリスマスが終われば数日を置いて年末年始の休暇に突入してしまうため、後回しにすることができないのだ。
会えない日が続くといつもは少し淋しく思うけれど、今年はホッとしている自分がいる。
ファーストフード店での希との一件があって以来、凛は重い気持ちを引きずっていた。
隆弘のことが大好きなのに、隆弘と会うことを恐れている自分がいた。
自分の出生や今の生活について、凛は決して卑屈にはなるまいと心に決めていた。
言いたいやつにはいわせておけばいい。
何をどうしたって過去を変えることはできない。
それなら前を向いて生きていけばいい。
生きていくのが精一杯で余裕なんてないけれど、凛は凛なりに一生懸命生きている。
心無い人にも出会ったけれど、幸いなことに今の凛の周りには応援してくれる人たちがたくさんいる。
だから自分らしく生きていこうと。
だが、希という隆弘の甥の出現が凛のそういう考えに揺さぶりをかけた。
恵まれた環境の中で生活する希は、凛にとっては眩しくて、手のとどかない場所にいた。
そんな手の届かない場所が、隆弘にとっても当たり前の場所なのだと見せつけられた。
出会った時から隆弘との生活レベルの違いを、凛は様々な場面で実感していた。
その差を、淋しく思うこともあったけれど、一緒にいる時間が長くなるにつれて、受け入れることができるようになった。
時間がかかってもいいから、凛のペースで、隆弘と同じレベルの場所に立つ事を目標に頑張ろうと思っていた。
隆弘も頑張る凛を応援してくれた。
(それなのにおれってば・・・)
ふたりと同じ場所に立ちたくて、隠れてアルバイトをして、隆弘の趣味なんてわかりもしないくせに、いっちょまえにブランドものに手を出した。
恥ずかしかった。
ブランドショップの袋を手にして、少しでも隆弘のレベルに近づけたんじゃないかと嬉々としていた自分は、どんな風に希には映ったのだろう。
ズケズケと凛の行動を否定された瞬間はカッとなったけれど、それもほんの一瞬のことだった。
(希くんに教えてもらってよかった・・・)
もし希に出会わなかったら、隆弘が下品だと嫌っているブランドの手帳を自慢げにプレゼントしていただろう。
きっと隆弘は何も言わず、むしろ大げさに喜んでくれただろうが。
「どうした?凛」
「えっ、あ、ごめん。何でもないよ。それより、これ、おいしそう。まさか隆弘さんが?」
さきほどの仕返しとばかりに凛がローストチキンを見ながら隆弘を見ると、「おまえも言うなぁ」と頭を小突かれた。
テーブルの上にはクリスマスらしいオードブルとクリスマスケーキ。
もちろんワインも用意されていた。
「メリークリスマス、イブだけどな」
グラスを合わせて、隆弘がニコリと笑う。
「そんなにじっと見ないでよ」
「だって、凛とこうやってゆっくり過ごすの、本当に久しぶりだろう?」
「仕方ないよ、お互い忙しかったんだから」
「ま、な。我慢したかいがあって、今があるんだもんな」
さ、温かいうちに食べよう、と隆弘が料理を取り分けるのを見て、凛は大きく細く息をした。
(いろいろ考えても仕方ない・・・か)
沈んだ気持ちになるのは気持ちのコントロールがうまくできないからで、隆弘が悪いわけではない。
せっかくのイブの夜なのだから、隆弘と一緒に過ごせるこの瞬間を大切にしないと罰があたる。
「うん、たくさん食べよう。隆弘さんのはおれがサーブするね」
努めて明るい声で、綺麗に彩られた皿に手を伸ばした時だった。
部屋に響くインターホンの音。
ドキリとした後に襲ってきたのは、訪問者が誰かという確信。
「・・・・・・放っておけ」
ムスッと隆弘が言うけれど、連打されるインターホンを、凛はどうしても無視できなかった。
「隆弘さん」
手を止めて隆弘を見やる。
「いいから気にするな!」
「気にするなって、そんなの無理だよ。きっと希くんだよ」
「わかってるよ。わかってるから放っておけと言ってる」
不機嫌さを露わにした隆弘からは、すっかり甘い表情は消えている。
凛だって本当は誰にも邪魔されたくない。
しかしこのまま放っておいても、後の時間を楽しむことはきっとできない。
「隆弘さん!」
凛の咎めるような声音に、隆弘はしぶしぶ席を立った。
こうなると隆弘は希の訪問を断わらないだろうことを凛は理解していた。
なんだかんだ言っても隆弘は希に甘い。
希のことを大切に思っている証拠だ。
「凛さん、こんばんは」
予想通り部屋に上り込んだ希は、ペコリと凛に頭を下げる。
凛に対する敵意めいた感情をみじんも見せずに。
「こんばんは」
「うわぁすごいごちそうじゃん!」
凛の挨拶を無視して、希はテーブルの上に並んだ料理を見て楽しそうな声を上げた。
「おまえのために用意したんじゃないぞ!用事をすませてさっさと帰れ!」
隆弘の態度に「エーッ」と頬を膨らませて抗議しながらも、希は帰るつもりなどないのだろう。
「いいよ、別に。おれ、確かに邪魔物だしね。つうか、タカさん、イブになんて凛さんとこんなところにいるんだよ?デートする彼女とかいないの?」
「おまえには関係ないだろ。ほら、さっさと―――」
「隆弘さん、せっかく希くんが来てくれたんだから。料理たくさんあるんだし、希くんも一緒に食べよう」
思わず凛はそう口走っていた。
「でもなぁ凛―――」
「隆弘さん」
これ以上何も言わないでと目で訴えると、隆弘は言葉を飲み込んで「仕方ないなぁ」とつぶやいた。













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