Aqua Noise







その17






またこの季節がやってきた。
街のどこかしもきらびやかに彩られ、街行く人もなぜか笑顔だ。
定番のメロディがどこからともなく聞こえ、ふと気がつくと口ずさんでしまう。
誰もが浮かれてしまう、クリスマスの季節。
(今年はどうすっかな〜)
小洒落たレストランで食事をしてホテルで一泊。
そんなイブは幾度となく過ごしたことがあるけれど、今の隆弘にはそんな考えは毛頭ない。
(今年のイブは部屋でまったりだな。凛とふたりで)
最近ふたりでゆっくり過ごす時間が減っていることを実感していた。
飾らない場所でリラックスして過ごしたい。
今年のイブは平日だから隆弘も仕事ある。もちろん定時退社するつもりだが。
凛よりも早く帰宅できそうだから、デパートでオードブルを買ってくればいい。
(ケーキは凛の担当だしな)
どこで過ごすことになっても、毎年凛はケーキを用意する。
イブの夜であったり翌日のクリスマス本番の夜だったりするけれど、今まで欠かしたことはない。
凛は贅沢を好まず、質素な暮らしを心掛けている。
スーパーのチラシとにらめっこし、どんなに疲れていても自炊している。
だが、勉強のためにと、評判のブーランジェやパティスリーをのぞいてみたりするのは欠かさないようにしているらしい。
(どれを買おうと、一生懸命考えるんだよな〜)
嬉々と目を輝かせて珍しいフルーツで作られたジャムの瓶を手に取っていた凛を思い出すと頬が緩む。
付き合い始めたころ、少し遠出をして、避暑地へドライブデートした時のことだ。
そのはしゃぎっぷりには隆弘も驚いた。
いつもどこか遠慮がちで、慕われている自信はあったが一線を引かれているような凛の態度が少し気になっていたところだったのだ。
新たな凛の素顔を見ることができ、とても嬉しかったのを覚えている。
それから何度か足を運び、評判のブーランジェやパン工房を巡り、そのたびに凛は悩みながらも何かしら買い求めていた。
パンだけではなく、パンにあうジャムやチーズ、ドライフルーツや茶葉など、凛の好奇心は底をつきることはなかった。
ちょっとした高級食材といっても、隆弘にしてみればかわいらしいものだ。
隆弘が買ってやろうかと言っても、凛は絶対にうんとは言わない。
デート中、食事の会計などは恐縮しつつも隆弘に任せるけれども、どうやら凛の中ではきちんと線引きがあるようだった。
隆弘の好意を素直に受け取りつつも、決して依存はしない。
隆弘はますます凛のことを好きになった。
時を経ても慎ましやかな日常を送る凛のスタンスは決して変わることはない。
たまには贅沢をさせてやりたいと、出会った当初は頻繁に食事に誘っていたが、凛が恐縮してしまうので回数も減っていった。
その分一緒に料理をして食べることが多くなった。
いわゆる「ウチゴハン」ってやつだ。
その方が気楽だし、二人だけの時間を過ごすことができる。
凛は特価の食材ばかりで恥ずかしいと言うけれど、一度も気にしたことはない。
何よりも凛の手料理は隆弘の口に合う。
金銭感覚のズレを感じることは多々あるけれど、隆弘はそれもまた楽しんでいた。
そんな凛の贅沢のうちのひとつが、クリスマスケーキなのだ。
近隣の街にはここのところパティスリーが増えており、凛は毎年違うケーキを持参してくる。
食べるのはふたりなのに、必ず1ホール。
思い切って一番高価なラインのケーキをオーダーするらしい。
嬉しそうに箱からそれを取り出す凛が可愛くてたまらず引き寄せてキスしてしまうのも毎年のことだ。
(凛のくちびるはケーキより甘いし)
くちづけるとクッタリ身体をあずけてくれるのもたまらない。
くちびるだけではない。
凛の身体からは甘い香りがする。
隆弘がそう告げると、気のせいだよと顔を真っ赤にするのだが。
(特に首筋のあたりが好きなんだよな〜)
ハッと気が付くと、ガラスの向こうに座っている女性と目が合った。
顔を顰めて怪訝そうな顔で隆弘を見ている。
どうやらひとりでニヤニヤしていたようだ。
隆弘はそそくさとその場を離れ駅へと向かう。
どうやらかなりの凛欠乏症らしい。
ちょうどホームに入ってきた電車に乗り込み吊革につかまった。
ローストチキンとワインは必須だ。
おいしいものを食べながら、DVDを観るのもいい。
隆弘の部屋で一緒にゴハンを食べて、DVDを観るなんて、特別なことではないけれど、高級レストランで食事なんていう特別よりも、凛は喜んでくれるだろう。
ここのところ、ずっと凛の様子が気がかりで仕方がない。
お互い忙しく、頻繁に会っているわけではないが、元気がないように思えるのだ。
隆弘と向き合っているときには笑顔を見せているけれど、ふとした瞬間に心がどこかへ行ってしまっている気がする。
隆弘が呼ぶと、すぐにいつもの凛に戻るのだけれど。
『少し仕事が忙しくて』
そう言うと、コツンと隆弘の肩に頭を凭せ掛けて寄りかかる凛は、本当に疲れているようで、そうなると隆弘も凛に大してセクシャルな仕掛けをすることもできずにいて、ここのところずっと肌を合わせてはいなかった。
時折甘い雰囲気になりかけることはあっても、そういう時に限って希からケータイに着信が入るのだ。
部屋に盗聴器でも仕掛けられているんじゃないかと疑うくらいに、絶妙のタイミングで。
一度ケータイの電源を落としておいたら、家の電話が鳴った。
それでも放っておいたら、留守電に切り替わり、希の唸り声が聞こえたのだ。
『タカさ〜ん、いるのわかってるんだからね。居留守使ってもダメだよ!お〜いタカさぁん・・・』
希の親である隆弘の兄と希との関係は相変わらずの膠着状態らしい。
昔から、希は家で問題が起きるといつも隆弘にまとわりついた。
要するに逃げ込む場所にしているのだ。
それがわかっていながら希に対して強く出られないのは、隆弘が甥に相当甘い証拠だ。
腹は立つけれど突き放すことはできず、結局は受け入れてしまう。
「今晩にでも電話してみっかな・・・・・・」
親子の問題に口出すのは本意ではないが、これ以上希に付きまとわれるほうが隆弘にとっては問題だ。
兄が希に厳しく当たるのは愛情からだと隆弘は知っている。
散々揉めた後、結局折れるのはいつも兄のほうだ。
それなら無駄に長引かせる必要はないだろう。
このままだと大事なクリスマスまで希に邪魔されそうだ。
「よし、今晩じゃなく今だ」
隆弘はケータイを取り出すと、兄の番号を呼び出した。













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