Aqua Noise







その16






「あれ?凛さんじゃない?」
呼ばれて顔を上げると、制服姿の男の子が立っていた。
「希くん・・・」
希の着ていた制服は街でも有名な伝統のある進学校のものだった。
「凛さんひとり?だよね、もちろん」
了解を得るまでもなく、希は凛の前の席に腰を下ろした。
可愛らしい顔立ちは上品なデザインの制服がとても似合っていて、いかにもいいところ育ちのお坊ちゃまに見えた。
希を前にして、凛は少し戸惑いながらも声をかける。
「希くんは?学校?」
「今日は学校行事で午前中で終わり。夕方から予備校だし、ここでメシ食いながら時間つぶそうと思ってさ」
トレーの上には小柄な希らしからぬ量のジャンクフードでいっぱいだ。
「そうなんだ・・・・・・」
希を前に何を話していいのか全くわからなくて、言葉が出てこない。
すっかり希に対して苦手意識が出来上がっているようだ。
(隆弘さんのためにも、希くんとは上手くやりたいのに)
希には少しキツイことも言われたけれども、それも隆弘のことを思ってのことなんだと思えば納得できた。
隆弘が希のことを可愛がっていることも凛はわかっている。
だからこそ、凛は希を受け入れようと思ったのだ。
「希くん予備校通ってるんだ。大変だね」
「学校の授業だけじゃ大学に合格なんて無理だし。別に大変なんかじゃないよ」
「そ・・・か・・・・・・」
やはり言葉に棘を感じでしまうのは、凛の気にしすぎだろうか。
希は全く凛に遠慮など見せず、自分のペースでバクバクと目の前の食べ物を消化してゆく。
凛もホットドッグに口をつけるけれど上手く喉を通っていかない。
ほとんどドリンクで流し込んでいる状態だ。
「ね、その紙袋の中身、タカさんへのプレゼント?」
四人がけの、隣のイスに置いていた紙袋に、希が視線を向けた。
「だよね。ブランドなんて興味ないだろうし」
ごちそうさま、と手を合わせると、希はトレイを横に押しやり、凛の方に身を乗り出す。
そして、凛の返事を待たずに希は続けた。
「凛さん、親兄弟いないんだってね。天涯孤独ってやつ?んでもってタカさんの同情誘ったの?」
「・・・同情?」
思わず凛はその言葉を繰り返していた。
隆弘を出会ったころ、幾度となく凛の頭の中に浮かんだ言葉。
「だってタカさん優しいじゃん。それに凛さんちょっと儚い雰囲気だし。でないと、タカさんが男を相手にするわけないだろ?そんなこともわかんないの?あ、わかんないから恋人きどってんだよね。タカさん家に手作りっぽいパン置いてったのもアンタだよな。知らないの?タカさん、昔から朝は和食派なんだよ。恋人ってワリに、何にも知らないのな」
「そんなことっ・・・」
知っている、と凛は言いたかった。
隆弘が久しぶりにパンが食べたいと言ったから用意したのだ。
何度も一緒に朝を迎えているから、隆弘の好みくらいわかっている、と言いたかった。
だが、そうしなかったのは、恋人だと認めるわけにはいかないからだ。
希はすっかり凛が隆弘の恋人だと決め付けているが、凛は一度も肯定したことはない。
隆弘のあずかり知らぬところで、勝手なことを言いたくなかったから。
凛が押し黙ると、希はフンと鼻をならして、残りのドリンクをズズズっと飲み干した。
「自分がタカさんに似合わないっていい加減わかれば?いくらブランドのショップバッグ持ってたってさ、その格好じゃ逆におかしいっつうの。つかさ、人にプレゼントするくらいなら、そのサイフ買い換えろっつうの」
希の視線がテーブルに置いていた財布に流れ、凛は慌ててサイフを掴んで、テーブルの下で握り締めた。
それを見て希がクスリと笑う。
「アンタがどんな生活してようが、おれには関係ないし興味もないけど、タカさんに恥かかすのだけはやめろよな。それと・・・」
カバンを肩に掛け立ち上がった希の視線が、凛を上から突き刺す。
「残念だけど、そのブランド、タカさんの趣味じゃないから。ブランド丸出しのロゴが入ってるのが下品ぽくて嫌だってさ。わかる?わかんないよね、そういう感覚。仕方ないっか。じゃあね、凛さん」
最後に『アンタ』じゃなくて『凛さん』と呼ぶところに、希の敵意を感じ、希の方を見ることができなかった。
言いたいことだけ言うと、希は食べ散らかしたトレイを置いたままさっさと店を後にした。
希の後姿が見えなくなると、凛は握り締めていた財布をカバンの中にしまった。
使い古したカバンに小さな黒ずみを見つけて、持っていたミニタオルでゴシゴシ擦る。
汚れが取れるわけないのに、凛は一生懸命擦った。
酷いことを言われたのだという自覚はある。
凛の生き方を否定され、バカにされた。
だが、腹が立たないのはなぜだろう。
視界が滲みそうになるのと懸命にこらえ、凛は食べかけのホットドッグをじっと見つめていた。
どれくらいそうしていただろう。
ざわつきはじめた店内に気付き、目の前のトレイをふたつ重ねると、凛は店を出た。
手にしている紙袋が、とてつもなく重く感じた。













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