Aqua Noise







その12






「お〜い、ビール補充しといてくれ」
少し客足が途切れたから休憩に入れと言われて、裏口の階段で一息ついていたら、すぐに声がかかった。
「はい、わかりました」
聞こえるように大きな返事をすると凛はすぐに腰を上げる。
この店で働くようになってから数週間。
ド短期のアルバイトだからあと少しで契約は終了する。
ベーカリー勤務が終わって、帰宅して、少し仮眠を取って、出勤する。
朝方まで働いて、帰宅して少し仮眠。
さすがに身体がきつくなってきたけれども、それももう少しだからと自分を励ます。
数少ない友人から連絡があったのは数週間前。
施設で一緒に育ったふたつ上の男は、中学を卒業すると進学せず、働き始めた。
親に養育を放棄され、心に何か闇を抱えた子どもが多い中、その男は珍しく真面目で面倒見がよく、凛も慕っていた。
男が先に施設を出ることになったときはすごく悲しかったことを覚えている。
中卒で社会に出た男は生きてゆくのに必死だったのだろう、連絡がくることも少なくなり、まだ施設の世話になっていた凛から連絡をとることもできず、すぐに音信不通になった。
凛も施設を出て、一人暮らしをはじめたころ、凛の勤めるパン屋に現れたときには本当にびっくりした。
向こうもびっくりしたようで、あまりの劇的な再会に凛は夢じゃないかとさえ思った。
連絡先を交換し、それから数ヶ月に一度程度の割合で連絡を取り合っていた。
せっかくの再会なのにそれほど頻繁に連絡を取り合わないのは、お互いの心に施設で出会ったということがひっかかっているのかもしれない。
当時はそうするしか方法がなかったし、誰かに頼らないと生きていけない年齢だったから仕方なかったのだと割り切っているつもりでも、やはり大きな声でいえる生い立ちではない。
悪い思い出ばかりではないけれども、当時をいい思い出だと思うこともできない、複雑な心境がそうさせるのだろうと思う。
友人のような、同士のような、そんな関係の男は、現在ダイニングバーの店長をしていた。
施設を出るときに、確か住み込みの仕事についたと記憶していた。
彼の話によると、そりが合わなくて飛び出し、そのまま水商売の世界に入ったということだった。
根が真面目な男だから、おそらく一所懸命働いたのだろう。
夜の世界のことはわからないが、店をひとつ任されるなんて本当にスゴイと凛は彼のことを尊敬していた。
そんな男から電話があったのが数週間前。
食事をすることになり、その場でいつもの近況報告となった。
男は久しぶりの休みだといい、アルバイトが怪我をして店が大変なのだとぼやいていた。
『おれ、手伝おうか?』
ふと出た言葉だった。
無職であるならともかく、きちんと仕事を持っている凛にとんでもないと、男は大きく首を横に振ったが、ほぼ強引にアルバイトを取り付けた。
男を助けたいという気持ちがなきしにもあらずだったが、それよりも凛は短期間でお金が稼ぎたかった。
アルバイトは深夜の時間帯だし、自分が頑張れば差し支えはない。
不景気の中でも男の店はそれなりに繁盛しているらしく、時給もよかった。
メインの仕事は汚れた食器の片付けと雑用ということで、厨房の中だけというのもありがたかった。
施設にいるころからずっと規則正しい生活を送っていた凛にとって、最初の頃は不規則な生活が体力的にかなりきつかった。
それでも少しは慣れてきた。
隆弘と会う時間はめっきり減ったけれども、希が現れてから自分の心に上手く折り合いがつけられない凛にとってはそれも都合がよかった。
もちろん隆弘にはアルバイトのことは内緒だ。
「おい、鈴村、盛り付け手伝ってくれ」
「はい」
厨房のチーフに呼ばれて、凛は皿の並んだカウンターへと向かう。
一度忙しそうなのを見かねて、デザート関係の盛り付けを手伝ったところ、センスがいいと褒められ、それからは調理にも関わらせてもらえることになった。
ジャンルは違えど勉強になる。
そう思うと、あと少しで契約が終わることを少し残念に思うのだった。














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