Aqua Noise |
その11
隣りの部屋から聞こえる掃除機の音で凛は目を覚ました。
一番に時計を確認すると、10時前だった。
(隆弘さん・・・?)
たたんだはずの布団に寝ているのは凛ひとりだけ。
脇に寄せられた小さなテーブルの上にはメモが残してあった。
『確認したところ今日は昼出というころだから先に行きます。
無茶をして悪かった。また連絡する』
(無茶をしたのはおれのほうなのに・・・)
まさか隆弘が訪ねてきてくれるとは思わなかった。
あれ以来、凛は隆弘を避けていた。
わざと、というより、そう仕向けていたというほうが正しい。
意識的に忙しく働き、隆弘を避ける気持ちを肯定していた。
会いたいのに会いたくない。
そんな気持ちになったのは初めてで、どう処理していいのかわからなかったのだ。
それなのに、会ってしまえば心は素直だ。
どれほど自分が隆弘を求めていたのかを自覚する前に、身体が動いたのだ。
布団を出ようとすると、身体が痛む。
この痛みは、凛が無茶をした表れであり、隆弘に愛された証だ。
何とか起き上がると、膝に擦り傷を見つけ、顔を赤くした。
(隆弘さん、呆れてないかな・・・)
これほど積極的に動いたのは初めてだ。
求められてもいなのに、隆弘に触れ、愛撫し、繋がりを求め、自ら腰を振り乱した。
最初は恥ずかしかったけれども、途中からは何もわからなくなった。
久しぶりに触れる隆弘の肌、匂いは凛を酩酊させた。
変わりないぬくもりは、凛を安心させてくれた。
凛の仕事を配慮してくれた隆弘を気持ちを無視してさえも、激しく欲したのだ。
ゆっくりした動作で布団から出ると、窓を開けて空気を入れ替える。
隆弘の残していったぬくもりがスーッと逃げていくことに寂しさを感じながら、凛は仕事に出かける準備を始めた。
*** *** ***
「大丈夫?」
昼休憩におにぎりを食べながら少し意識が飛んでいたようだ。
「だ、大丈夫です!」
「本当に?顔色がよくないみたいだけど・・・」
店の奥にある小さな小部屋が休憩室になっていて、凛はそこで1時間の休憩をもらう。
最初は決められた時間きっかり休むのは気がひけて、休憩を切り上げて店に戻ったりしたけれども、正社員として雇用しているのだから当たり前だとオーナーに怒られた。
その分勤務時間内はきっちり働いてもらうし、残業して欲しいときには遠慮なく頼むからと言われ、凛も割り切ることにした。
本当に忙しい時には休憩を早めに切り上げることもあるが、それに関してはオーナーは何も言わなかった。
「ちょっと考え事してただけです」
「それならいんだけど・・・ほら、凛くんの作るチーズケーキ評判いいから少し数も増やしたでしょ?それに加えて最近パン製造も方も始めたじゃない?あの人、パンに関しては厳しいから・・・ちゃんと休めてる?凛くん、真面目だから、帰っても研究とかしてるんじゃない?」
オーナー夫人が仕切り皿にかわいく盛り付けたお惣菜を凛の前に置いてくれた。
最近オーナー夫人はお惣菜作りに凝っているらしく、お昼にこうやって出してくれたり、帰り際に持たせてくれたりする。
恵まれていると思う。
正規の従業員として雇用してもらって、休憩も休暇もきっちりもらえる。
こういう職種にしては非常にに珍しいことであると凛もわかっていた。
オーナーは仕事に対しては厳しく妥協は許さないけれど、心優しく男気のある人だ。
兄弟のいない凛は歳の離れた兄のように思っていた。
オーナー夫人はふんわりした優しさを持つ素敵な女性だ。
もちろんふたりとも凛の境遇を知ってはいるが、決して同情心や親切心を押し付けたりはしない。
「それにパートの向井さんが休んじゃって、その分も凛くんに負担がいっちゃって」
「それは当たり前のことですから気になさらないでください。それに仕事を任せてもらえるってことはオーナーも少しはぼくのことを認めてくださってるのかなって、とても嬉しいんです」
凛は、いただきます、と手を合わせて、お惣菜に箸を伸ばした。
「沙絵子さん、このカボチャのサラダ、すごくおいしいんですけど、レシピ教えてもらってもいいですか?」
「でしょ〜〜〜?なのにあの人ってばカボチャ嫌いなのよね。カボチャ使ったパンは作るくせにおっかしいでしょ?」
楽しそうに笑う夫人につられて凛も笑う。
その明るさに少し救われた気がして、午後からも頑張ろうと凛は気合をいれた。
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