8万打記念

グリーングリーン




side mikami




「どうした?疲れちゃったか?」
「ううん、ぼくより先輩の方が疲れたでしょう?」
自分は平気だと笑顔を見せおれを気遣うものの、すぐに表情を曇らせてしまう。
それに気づいたのは動物園を出るころだ。
今日は最初から少し気乗りのしない素振りを見せていた優だったが、それはおれにわかる程度のことで、成瀬たちの前ではそれなりに楽しそうに振舞っていた。
成瀬に半ば無理やり押し付けられたコドモたちのおかげで、今日一日優とゆっくりする時間を持てないどころか、構ってやることもできなかった。
だからといって、それに対して優が文句をいうことは断じてない。
優もおれも動物好きだが、いい年をした男ふたりで動物園に出かけることなんてなく、だからきっかけはどうであれ楽しみにしていたのだ。
結局のところ、団体行動のルールというのか、勝手な行動をとることもできず、コドモたちと大半を過ごすことになったが、キャアキャアと楽しそうにはしゃぐコドモたちを見ているのは思ったほど苦じゃなかったし、自分にはこんな一面があったのかと知らない部分を見出せたようで楽しかった。
もちろん優のことが気にならないわけはない。
だが、優だってコドモじゃない。成瀬たちだっているわけだし、おれがいなくてもそれなりに楽しくのんびり過ごしてくれるだろうと思っていた。
それなのに、この浮かない顔は何なんだろう。
帰りの電車の中。
中途半端な時間だからか車内は比較的空いていて、みんな席に着いた途端、はしゃぎすぎて疲れたのだろう、ぐっすり寝込んでしまった。ずっとまとわりついて離れなかったまりかたちも然りだ。
やれやれと少し離れた場所で車窓を眺めていた優のとなりに腰掛けたものの、肝心の優が黙り込んだままなのだ。
こちらの問いかけには答えてくれるものの、おれに話しかけることもなく、流れる景色を眺めてばかり。
ボックス席にふたりっきり。隣にいるのになぜだか遠い。
ここのところそんな風に思うことがなかったものだから、おれも戸惑いを隠せなかった。



何か嫌なことでもあったのだろうか。
もしかして成瀬たちに何か言われたとか・・・?
もし優を傷つけたなら、それが親友の成瀬だって許さない。



そんなことをひとしきり考えていると、間近に視線を感じた。
「先輩、今日は楽しかったですか?」
「まあな」
「そう・・・ですよね」
相槌を打ってそのまま黙り込んでしまった優に、おれは思い切って聞いてみることにした。
「優は楽し・・・くなかった・・・んだよな?」
楽しかったかなんて聞けない。どう見たってそうは思えないから。
「そ、んなこと―――」
「いいよ。おれにまで無理することないだろ?無理に連れてきちゃって悪かったな」
成瀬に頼まれたのはおれだったのだから、おれだけ来ればよかったんだ。
そんな気持ちで口にした謝罪の言葉に、優はさらに表情を曇らせてしまった。
「先輩のせいじゃないから。ぼくこそごめんなさい、気を遣わせちゃって」
無理に作る笑顔が痛々しい。
その笑顔におれは思う。
このままじゃだめだ。
優が何を考え何に対して憂いの表情を見せるのか、悲しいかな今のおれにはわからない。
おそらく優は今日の出来事を何もなかったように考え、感情を押し殺し、次の瞬間からは笑顔を見せるのだろう。
おれを困らせないように。おれを心配させないように。
今までだってそうだったのだから。
それが優の長所だろうし、無条件に人を気遣うことができるその性格は尊敬に値する。
だけど我慢させてばかりじゃいけないんだ。
だって、おれたちは恋人同士なのだから。
これからもずっとともに生きていく、唯一無二の相手なのだから。
「何かあったのか?って言ったら優は何もないって言うだろう?だけどそれならどうしてそんな冴えない顔をしてるんだ?」
「先輩・・・」
「優、おれは責めてるわけじゃないんだ。今日は一緒にいる時間も少なかったし、もしおれのいない間に何かあったのなら教えてくれないか?」
優は黙ったまま、考え込むように俯いてしまった。
「成瀬たちに・・・何か言われたのか?」
「ち、違います!成瀬さんたちは関係ないです!」
慌てて否定するが、何だか怪しい。
しばらくしてようやく優は口を開いた。
「片岡先生が―――」
「片岡先生〜〜〜?ヤツに言われたのか?何言われたんだ?イヤなこと言われたか?」
片岡のヤツめ!
おれはどうも片岡が苦手だ。大人の余裕を漂わせながらズバッと確信をついてくる。またそれが微妙にチクリとくるもんだからたまらない。
だけど片岡は優を気に入っているらしく、優には異様に優しい。おれを挑発してるのかと思うくらいに。
それに、おれには面白くないことなのだが、優も片岡を慕っているようだったから口出ししなかった。
それなのに片岡のヤツ!
それともおれとのことで何か言われたのだろうか。
矢継ぎ早に問いかけると、優はブルンブルンと首を横に振った。
「先輩は楽しそうなのに、ぼくはコドモたちのノリについてけなくて。それが寂しくて・・・・・・」
語尾は電車の音にかき消されそうなくらい小さな声だった。
「で、片岡先生に・・・?」
「先生はぼくと先輩の関係を知ってて。しかも成瀬さんと先生のことも正直に話してくれて。おまけに先生も成瀬さんをコドモたちに取られてひとりだったから。あ〜ぼくと同じなのかなって」
優は人の心を察するのが得意だが、自分の心を晒すのが苦手だ。だからいつも我慢する。
自分さえ我慢すればすべて上手くいくと思い込んでる節がある。
そしてそんな優の心を開いて思いを吐露させるのは、おれでもなかなか難しいことなのだ。
動物園で優はおれに寂しいなんて一言も言わなかったし、そんな素振りも見せなかった。
見せなかったけど・・・・・・
突然おれの頭の中にあるシーンがフラッシュバックした。
まりかたちに乞われ、ゾウのスペースへ行くことになった時、おれは優に問いかけたのだ。
『優はどうする?』と。
あれはおれの優に対する思いやりだったし、そのつもりだった。
優がコドモたちと馴染んでいないとわかっていたから、強引に誘うことができなかった。だが、優がおれと一緒に行くというのなら拒む理由はない。その判断を優に委ねたのだ。
おまえの好きにしていいよと。
あの時の優の、形容しがたい笑顔。
悲しいような安堵したような、突き放すような縋るような・・・・・・
その笑顔の意味が今やっとわかった。
優は寂しかったのだ。おれに傍にいて欲しかったのだ。
そんな優の心を、おれはまたしても見抜くことができず、しかも片岡なんかに先に悟られるなんて!
「ごめん、優。寂しい思いさせてゴメン」
そっと小さな肩を抱き寄せ、髪に小さなキスを落とす。
「おれさ、優のこと一番理解してわかってるつもりなんだけど・・・まだまだだよな」
「そんなこと・・・・・・」
「だからお願いだ。できるだけ言葉にしてくれないか?優が寂しいと思ってるときに傍にいられないなんてイヤなんだ。おれはいつだって優のいちばんでいたいからさ」
優はコクリと頷いてくれた。
おれの中に少しだけ安堵感が生まれた。










戻る 次へ ノベルズ TOP TOP