8万打記念

グリーングリーン




side you




ベンチにひとり座って天を見上げてみた。
木漏れ日が眩しく瞳を突き刺すから、ぼくは背もたれに身を預け目を閉じた。
肩の力を抜いて全身をリラックスさせれば、ほんの少し涼しい風を肌で感じることができた。
「どうした?疲れた?」
びっくりして目を開けると、片岡先生が紙コップを持って立っていた。
「はい、ジュース」
「ありがとうございます」
差し出されるままに紙コップを手にとって、隣のスペースを空けると、片岡先生はゆっくり腰を下ろした。
「成瀬さんは?」
「陸くんたちに呼ばれてスケッチブックと悪戦苦闘してるよ。おれは用なしみたいだから」
「じゃあ、ぼくと一緒ですね」
言ってしまってから拗ねてるようでみっともないかなって思ったけれど、先生はフッと笑みを浮かべ、そのまま黙り込んでしまった。
せっかくふたりの邪魔をしてはいけないと思い、少し離れた場所を見つけたというのに。
見物客でにぎわうスペースから少し離れたこの場所はやけに静かで、まるで動物園じゃないみたいだ。
電車の中でもそうだったのだけど、どうしてだか片岡先生とは会話がなくても全然気詰まりじゃない。
貰ったジュースに口をつけながら、頭に浮かぶのは先輩のこと。
今ごろ先輩はどうしてるかな・・・・・・?
かわいいコたちに囲まれて楽しんでるかな?
邪魔くさそうな態度を取りながらも、きっと女の子たちに真正面から向きあっているのだろう。
電車の中や動物園までの道中、漏れ聞こえてくる会話から、先輩がコドモたちをコドモ扱いしていないことがわかった。
誰に気を使うわけでもなく、誰にでも平等に接するから、コドモたちも嬉しそうだったし楽しそうだった。
特に今日のメンバーの半分を占める女の子たちは、先輩の傍から離れなかった。
やっぱり先輩って女性にモテるんだ、それが小学生でも、そう思うとフッと笑みがこぼれた。
「三上くんのことでも考えてる?」
「エッ・・・」
「ははは、図星だね」
どう返事していいのかわからなくて、ぼくは俯くしかなかった。
「もしかして、朝から元気なかったのはそれが原因?」
「それって?」
「あのコたちにヤキモチ焼いてるのかなって」
ぼくは驚いて顔を上げた。
「え、あ、あの―――」
「ちゃんと知ってるから隠さなくてもいいよ。おれたちのこともキミたちにバレてるんだろ?」
片岡先生は何ら隠すわけでもなく、さらっとそう言ってのけた。
こういうのが大人っていうのかな・・・・・・
そう思ったら、この人にぼくの燻った気持ちを聞いて欲しくなって、たまらずそれを言葉にしていた。
「ヤキモチなんかじゃないんです。ただ先輩が・・・三上先輩があの子たちといることがとても自然に思えてしまって」
別にあの子たちに嫉妬しているわけじゃない。先輩がぼくを好きでいてくれることは身にしみるほどわかってるから。
実のところ、ぼくは先輩ってコドモが苦手なんじゃないかって思っていた。
今となっては先輩がとても気持ちの優しい暖かい人なんだってわかっているけれど、やっぱりどこか冷めているようなクールな雰囲気を持っていることは否めないし、成瀬さんみたいに兄弟姉妹がいるわけでもなく、一人っ子だったと聞いていたから、コドモなんて持て余すんじゃないかって思っていた。
でも、それはぼくの勝手な憶測で、意外にも先輩はきちんとコドモたちと向き合える人だったのである。
ぼくとは違って・・・
ぼくはそれに驚き、そして次の瞬間には、どうにも言えない感情に支配された。



『すごい気持ちよさそうですね、シロクマ!』
『そりゃそうだよ。本来はこんな暑い場所なんて苦手だろうし』



大きな氷を抱きしめたり足で転がしてみたり、嬉しそうに氷とじゃれるシロクマを先輩と一緒に眺めた。
やっと巡ってきた先輩との時間。
隣りに馴染んだ体温を感じれば、気を張っていたぼくもほぅっと安心感で満たされた。
でもその時間も長くは続かなくて。
コドモたちにせがまれた先輩は、ぼくを呼び、そして尋ねた。



『優はどうする?』



先輩は一緒に行こうと言ってくれなかった。いつもなら強引すぎるほどぼくの手を離さないのに。



『少し疲れたから・・・日陰でゆっくりすることにします』



少しばかりホッとしたような先輩の表情が、ぼくをやるせない気持ちにさせた。
もし先輩が当たり前のように『ほら、行くぞ』って言ってくれたのなら、ぼくはどうしただろう。
うまく間合いのとれないコドモたちと時間を過ごすことを選んだだろうか。
ううん、どっちにしてもぼくはひとりでゆっくり過ごすことを選んだかもしれない。
だから先輩は何も間違ってはいない。
先輩はぼくの冴えない表情を汲み取って気を利かせてくれたに違いない。
けど・・・どうにも言いがたい感情がぼくの心に渦巻いたのは事実だった。
ぼくと一緒じゃなくても楽しそうな先輩。
コドモたちと同じ視線で一緒に楽しめる先輩に、ぼくはほんの少し・・・自分とは違う未来を見てしまった。
そしてそのことが、ぼくを少し落ち込ませたのだ。
「優くんはコドモ苦手なんだ?」
「どっちかというとそんな感じです」
先輩にも言ってないことが片岡先生にだと素直に言えた。
「じゃあ、おれと一緒だ」
「えっ、片岡先生も・・・?」
「だからここにいるんじゃないか」
片岡先生はクスリと笑って、成瀬さんたちがいるシロクマスペースの方をちらりと見た。
「優くんのことだから、三上くんもコドモが欲しくなるんじゃないかとか、そんなこと考えちゃったんだろ?」
「え、あっ・・・」
図星を指されてぼくは返事に戸惑った。
そうなんだ。自分が父親になる姿なんて想像もできないけれど、先輩が、三上先輩が父親になってコドモと楽しく遊んでいる姿を、ぼくは今日始めて想像して、それが意外にも自然であることに気づき、衝撃を受けたのだ。
それはまだまだ先のことかも知れないけれど、決して遠い未来でもない。
そしてそんな先輩の姿を想像したとき、ぼくが先輩の傍にいることなんてありえないのだ。
そう思うと寂しくて・・・怖くなったのだ。
「まったく同性同士の恋愛なんて不毛だよね」
「先生・・・?」
「そう思わないか、優くん。子孫を残すことが人間の使命であるならなおさらのことだ。恋愛して結婚して子孫を残す。コドモを育て、ゆくゆくはコドモたちの世話になる。それが幸せだと多くの人たちは思ってるだろうし、もしそうなら、おれたちの恋愛は何なんだろう。結婚もできない、コドモも持てない、祝福もされない、いいことなしじゃないか」
ぼくは驚いた。まさか先生がそんなことを言うなんて思ってもみなかったから。
だって先生だって成瀬さんと・・・・・・
「だけど優くんはシアワセだろ?」
優しい問いかけにぼくは視線を上げた。
「好きな人と一緒に暮らして、同じ時間を共有して、シアワセだろう?」
慌てて頷いた。
ぼくはシアワセだ。
両親が亡くなりこの世でひとりぼっちになったけれど、先輩がいてくれた。
「それならいいじゃないか。未来なんて誰にもわからないんだから。何をどう考えたってなるようにしかならない」
そんなもんだよ、人生は、そう言って先生はぼくの頭をくしゃりと撫でた。








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