紫陽花の咲く頃
       三上&優


        第四話




結局ふたりは、浴衣に着替え、手形を持って出て行った。
当分は帰ってこないだろう。
「せっかく楽しみにしてたのに…ごめんな」
謝らずにはいられなくて、三上は優に頭を下げる。
昨日さえ我慢すればと後悔ばかりが頭をよぎる。
すると優は、俯く三上を覗き込んだ。
「先輩は…昨日の夜を後悔してる?ぼくはしてませんよ?お互いが欲しかったから抱きあったんですよね?それに幸せな気分だったから。お風呂なんてどこでもいい。だからもう謝らないで?ね?」
優は優しい。名前の通り、優しく心を溶かしてくれる。
「ほんと、後で行こうな?25個も露天風呂あるんだから、空いてるところもあるだろうし」
優がとてもうれしそうに笑ったので、三上は優を引き寄せた。
「今日初めてふたりっきり…ずっとそばにいるのにふれることも出来ないで…つらかった」
ほんの数時間ふれないでいただけなのに、抱きしめた優の身体が懐かしくて仕方がない。
小さくてすっぽりおさまってしまう華奢な身体を抱きしめると、優も頬を肩口にすり寄せてきた。
「あのふたりもそう思ってたりして…ね、先輩」
「仲良く風呂でいちゃついてるかもな」
ふたりはくすくすと笑った。
「ここの露天、入ろっか。ふたりでちょうどいい大きさだったし」
でも、帰ってこないかな…?」
三上の誘いに、優が少し躊躇いをみせる。
「そんなすぐに帰ってこないって。ふたりっきりになれたんだから」
三上がすくっと立ち上がって優の手を引くと、優も意を決して立ち上がり、ふたりは脱衣所に向かった。













服を脱ぎながら、はたと優は気がついた。
同居して一年と少し、想いが通じて数ヶ月。
身体を重ねることは必然的にあるのだが、一緒に入浴したことがないことに。
すると脱衣所に漂う思い雰囲気を振り払うかのように三上が優に声をかける。
「何恥ずかしがってるんだよ!もう見慣れたもんだろ?ハダカなんて。ほら、とっとと脱いで!」
すでに全裸の三上の手が優の服にかかる。
「じ、自分で脱ぎますってば!」
意識しすぎている自分が恥ずかしくて、優はええいと衣服を剥ぎ取った。
ちょうどふたつあったカランで身体を洗う。
隣りに三上がいることが不思議で、優はちろちろ横目で見ていた。
優にはどうしてもしてみたいことがあった。
「先輩?あの……」
「ん?」
いつもの優しい笑顔に後押しされ、優は戸惑った挙句、思い切って口を開いた。
「髪、洗ってみたいんですけど……」
優の申し出に三上は驚いた。もちろん断る理由なんてなにもない。
「洗ってくれる?」
三上からのお願いに、優はうれしそうに腰を上げ、三上の後ろに立った。
三上はいつでも風呂上りの優の髪をわしわしと拭いてくれる。
そしてそれはとんでもなく気持ちがいい。
いつか本で読んだことがあった。
恋人の髪を洗うのは、愛情表現のひとつだと。
シャンプーを掌にとり、すでに濡れた髪に手を入れると、皮膚をマッサージするように、わしわしと動かした。
指の腹を使って、決して爪を立てないように慎重に。
「優、うまいなぁ。すっげー気持ちいいぞ?」
ほめられてうれしくって、鼻歌でも飛び出しそうな勢いだ。
指の間をすべる三上の髪がくすぐったくてどうしようもなかった。
「おかゆいところはないですか〜?」
美容師のように、おどけたマネをしてみせる。
「背中がかゆいですね〜」
冗談で返す三上に、優は声をたてて笑った。
耳の後ろも、うなじの辺りも、洗い残しのないように丹念に指を動かした。
「先輩、流しますから、少し俯いてください」
白い泡がみるみる流れて、綺麗な黒い髪があらわれた。
「はいっ、終わりました」
満足げな優の表情に、三上も大満足だ。
「じゃあ、今度はおれの番だ」
「ぼ、ぼくはいいですよ…」
しり込みする優を座らせて、シャンプーを手にとった三上は優の髪に指を入れた。
両手ですっぽり包んでしまえそうなほど小さな頭を、三上の大きな手がマッサージしていく。
優は三上の指が大好きだ。
ギターを爪弾き、心に響く音色を生み出すあの指が、自分の髪を綺麗にしてくれていると思うだけで、ドキドキが大きくなる。
「かゆいところはないです!」
聞くまでもなく自己申告する優を覗きこむと、目を閉じて瞼を震わせている。
「なに?力入れすぎか?地肌が痛い?」
「ぜ、ぜんぜんキモチいいです」
「ほんとに?」
こくこくと頷く優に、三上は泡を洗い流した。
「終わったよ?」
髪を後ろにかき上げてやりながら声をかけると、優はふ〜っと大きく息をついた。
「ありがとうございます」
笑顔の優に、三上は「ほんとに痛くなかった?」としつこく尋ねた。
「すごく緊張したけど…また洗いっこしましょうね」
うれしそうに笑う優に、三上は安心した。
「今度は、身体の洗いっこでもするか?」
三上がからかうと、優は顔を真っ赤にした。





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