紫陽花の咲く頃
      片岡&成瀬


        第五話




浴衣に着がえて、下駄を鳴らしてまだ明るい道を歩いていく。
どうせならいちばん遠い温泉まで行こうという成瀬の希望で、土産物店をひやかしながら、成瀬の後ろを片岡はついていく。
この鬱陶しい梅雨の季節に、観光客も少ないのだろうか、行き交う人はほとんどいない。
いつもは、片岡の後を成瀬がついてくるってパターンなのだけれど、今日は何だか成瀬の背中が見ていたかった。




そういえば、一日一緒にいるのに、あまりふれてもいないな……



べっちん坂と呼ばれる細い歩道に入ると、店も旅館もなくなった。
片岡は早足で成瀬に近づき、手をとり、指を組んだ。
「おいっ、やめろって。まだ明るいし、ここは外だぞ?」
手をほどこうとする成瀬の手を離すまいと握り返す。
「照れんなって!いいじゃん見られても。おれたちのこと知ってるやつなんて誰もいない。それとも、イヤなのか?」
こういう言い方をすれば、成瀬が黙ってしまうのも知っている。
片岡は、コドモの遠足のように手をぶんぶん振って、成瀬を引っ張りながら、坂を登っていった。

手を繋いで歩くのなんて、何時ぶりなのだろう。
住み慣れた街では決して出来ない行為。
夜中であってもなかなかデートもままならず、ただ隠し続ける自分たちの恋愛。
同性同士の恋愛なんて、背徳行為なのかもしれない。
もし神が、子孫繁栄のために人間に恋愛感情を与えたのならば、全くの不毛な行為だ。
でも、終わりにすることなんてできない。
たとえ陽の目を見なくても、世間に祝福されなくても、
この手を離すことなんてもう出来やしない。

汗ばむ手をギュッと握ると、成瀬もギュッと握り返す。
「たまには、こうやって歩くのも…いいよな」
珍しく素直な成瀬に、愛しさと申しわけなさがつのる。
「いつも我慢させてばっかだからな……」
もし、片岡が教師でなかったら、教育者でなかったら、もう少しオープンに付き合えただろう。
大学で成瀬と三上がウワサになるくらいのこのご時世、仲の良すぎる知り合いくらいの関係に認知されたかもしれない。

教師という立場は何かとやっかいだ。
普通の人なら許される行為も、教師というだけで社会人失格の烙印を押される。
それを成瀬はわかりすぎるほどわかっているから、わがままを言わない。
むしろ、片岡のほうが、教師という立場を忘れて暴走してしまうことがある。
教師なんてやっかいな職を捨てれば、もっと成瀬を楽しませてやれるかもしれないとさえ思っている。

「おれ、我慢なんてしてないから……」
少し後ろを歩く成瀬が呟いた。本当に小さな声で…
振り返ろうとした片岡の背中をバンと叩いて、成瀬は片岡の肩を組んだ。
「つうか、浮かない顔すんな!せっかくの旅行なんだからさっ。ほら、あれあれ」
成瀬が指差した先には、古めかしい茅葺屋根の大きな通り門。
門をくぐって、案内通り温泉に向かった。

受付で手形を見せると、シールを貼がされ、スタンプを押された。
貴重品を預け、脱衣所へと向かう。

「あれ?誰もいない。ラッキー、貸切じゃん!」
はしゃぐ成瀬は、浴衣を脱ぎ捨てて浴場へと向かっていった。
几帳面な性格の片岡が、散らかした浴衣をたたんで脱衣かごに入れなおしていると、「早くこいよ〜」と声がかかる。

『奥のせせらぎ』と名づけられたこの露天風呂は、その名の通り、自然の中に造られた温泉のようだった。
鬱蒼とした木々に囲まれ、むき出しの岩で造られた風呂には、灰濁色の湯。
それなのに清潔感が漂うのは、自然に茂っているように剪定された緑と、光るくらいに磨かれた岩のせいだろうか。

先に湯船につかりほっこりしている成瀬の向かいに腰を下ろした。
「暑くても、やっぱ温泉っていいよなぁ〜」
両手両足を存分に伸ばし、気持ちよさげにくつろぐ成瀬を見ているだけで、片岡は満足感でいっぱいになる。
学費を捻出するために、講義のない時間をバイト漬けで過ごす成瀬を、大学入学と同時にマンションに同居させるようになって一年。
成瀬の母親は結構サバけた性格のようで承諾を得るのは簡単だった。
ふたりの関係を知っていたら、許しはしなかっただろうが。
もちろん、ふたりが教師と生徒という関係だったと知る人に対しては内緒である。
二ノ宮ぐらいであろう、何もかも承知しているのは。

もともとマンションは片岡が叔父から譲り受けたものだ。
家賃なんていらないのに、成瀬は毎月食費という名目で決まったお金を片岡に渡す。
成瀬の性格を把握しきっている片岡は、素直にそれを受け取ってはいるが、手をつけず貯金にまわしていた。

成瀬には、まだ弟が三人いる。
成瀬がその弟たちをとても愛しているのを知っている。
おそらく、弟たちの希望を叶えるためならば、成瀬はなんだってするだろう。
そんな時、そのお金を使えばいいと思っていた。
自分のためには決して手をつけないであろうが、家族のためならば、成瀬は受け取るに違いない。

一緒に生活するようになっても、成瀬は片岡に対して弱音を見せないし、甘えも見せない。
いつだって自分の足で踏ん張っている。
そんな成瀬が、最初はもどかしかった。
もっと頼って欲しい、そう思っていた。

しかし、今はそうは思っていない。
いろんなものを背負って生きている、そんなところが成瀬の魅力の一つだから。
だから、こうやって成瀬の楽しそうな顔を見られるだけで、片岡は満足できるのだ。
甘えたりしないからこそ、時々ひょっこり顔を出す、わがままやすねた姿が際立ち、愛しくてたまらない。

「なに、じっと見てんだよ」
声をかけられて、片岡は我にかえった。
「どうだ?今回の旅行は…他人と一緒だなんて初めてだけど」
「三上はもともと気を使わなくていいヤツだし、優くんはかわいいし素直だし、すっげえ楽しい。あんたはどうなの?」
「おれも楽しいよ。まぁおれはおまえと一緒だったらそれでいいから」
片岡が愛しげに成瀬を見つめると、照れを振り払うかのように成瀬は立ち上がった。
「あっちに打たれ湯があるぜ?あっち行こう!」
目も合わさずに、奥のほうへと向かう成瀬を追って、片岡も腰を上げた。

 





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