紫陽花の咲く頃
      片岡&成瀬


        第三話




九州にはたくさんの有名な温泉があるが、
ここ黒川温泉は交通の便が悪いためか、あまり知られていない温泉郷である。
しかし、ここ最近、旅行雑誌にとりあげられ、知る人ぞ知る隠れた名湯として人気を博していた。
そのなかでも、今回宿をとる『黒川荘』は、人気の宿のひとつである。
特に離れはなかなか予約もとれないらしい。

トンネルを抜け、小さな川に架けられた橋を渡ると、片岡は車を停めた。
竹などの緑に囲まれた石畳を歩いていくと、白いのれんのかかった母屋が現れた。
片岡がチェックインを済ますと、奥の離れに案内される。
その生命力を誇示するかのように青々と茂った草木に囲まれた小道を奥へ奥へと進んでいくと、今では見ることも珍しい土塀に茅葺屋根の建物が見えてきた。

「修善寺の温泉もすごいけど、ここはまた違う風情があるよな!」
和を好む成瀬はうれしそうに片岡に話しかけながら、持ってきたカメラでなにやら写している。
「どうぞ」
通された離れには、土間があり、そこには手水が置かれていた。
「何だこれ?」
「そこで手洗うんだ。神社にあるのと一緒!」
成瀬の質問に答えた片岡は、奥の和室へと向かった。
手前には囲炉裏のある板間がある。
成瀬と優は土間で騒いでいるが、片岡と三上は和室に腰を下ろした。

「この手形で、黒川温泉のどの御風呂でも利用していただけます。ただし三ヶ所に限りますのでお気をつけくださいね」
「他の旅館のでも入れるんですか?」
三上が、仲居に問いかけた。
「こちらに記載されております温泉にはどれでも入れますよ。それと…お食事は何時にいたしましょうか?」
「腹減ったか?」
三上に問いかけると「お菓子しか食ってないですからね」とくたびれたように答えた。
「じゃあ、早いけど…5時半で」
片岡の返事に、仲居は「かしこまりました」と告げて部屋を出て行った。
「片岡さんは…お酒好きですか?」
三上の突然の質問に片岡は驚いた。
「まあ、好きなほうだけど?」
「じゃあ、今日飲んでください。明日、おれが運転しますから。おれ、あんま飲まないし」
「でもなぁ―――」
「ほんと、気使わないでください。こんなところに連れてきてもらっただけで感謝してるんです」
「先輩っ、こっちこっち!」
優の呼びかけに、三上は片岡にぺこりと頭を下げて腰を上げた。
「なあ、あんた、運転し続けで疲れてない?」
囲炉裏端に座っていた成瀬が片岡の隣りに移動してきた。

「何?心配してくれんの?」
どんな表情で労いの言葉をかけたのか知りたくて、片岡はひょいと成瀬の顔を覗き込んだ。
突然のアップに成瀬は驚いて顔を背け、すくっと立ち上がった。

「お、温泉行こうぜ!三上と優くんにも声かけてくるわ!」
声がするほうへと、せかせかと歩いていく成瀬の背中を追って、片岡は溜息をついた。

 





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