恋するキモチ


<7>


静かな公園に、バタンとドアの閉まるような音が響くと同時に、公園に入ってくる人影が見えた。
きょろきょろと当たりを見回し、はっとおれの姿を捕らえると、ゆっくりおれに向かって足を進めた。

「成瀬、見つけた・・・」
よく響くバリトンの声で、名前を呼ばれ、胸が震えた。
おれの前に立たれても、逆光になっていて、シルエットしか見えない。
だけど、もう誰だかわかっている。

こいつからは、おれの姿がよく見えるのだろう、「そんな悲しい顔をするな」と甘く囁かれた。
おれ・・・そんな顔してんだ・・・・・・
「せんせ、どうして・・・?」
見上げると、片岡は「隣りにすわっていいか」と断ってから、おれの横に腰を下ろした。
「ちょっと今日のおまえが気になってな・・・」
おれ、別に普通にしてたつもりなんだけどな。
「もしかして、いつもおれのこと見てんの?」
好きだといいながらも放って置いたことへの非難を込めて嫌味たらしく、だけどぜってー見てないてわかってるからあくまで冗談ぽく、言ってみた。
「当たり前だろ?おれ、おまえが好きだって言ったろ?」
―――はっ?見てる・・・だって?
「じゃあ、なんであれ以来、一言もおれに話しかけてこないんだよ!弁当だって、なんでおれがいる時に買いにこないんだよ!マジでおれのこと好きなのかよ!」
―――言ってしまった・・・とうとう言ってしまった・・・・・・しかも、これじゃ、おれがこいつに気があるようにしか聞こえないぞ・・・?
「―――成瀬は、おれと話したかったんだ?」
「ち、ちがっ――」
隣りから顔を覗き込まれて、そっぽを向いた。
「だけど、今のセリフからじゃ、そうとしか聞こえないぜ?」
片岡は、ふーっと大きく息を吐き、ポケットから煙草を取り出し、火をつけた。
こいつが、煙草を吸っているのを初めて見たが、見惚れてしまいそうなほど様になっている。
吐き出される白い煙が薄暗い空気中をふわふわと漂うのを、おれはぼーっと眺めていた。

吸い終わると、律儀に携帯灰皿に吸殻をしまいこむ。
「おれが聞いてやるから、話ちまいな?」
沈黙を破った片岡の言葉が、あまりに優しく耳に響いて心が揺れる。
「べ、別に話なんて―――」
「あるだろ?今、おまえの心ん中はもやもやでいっぱいのはずだ。さっきその一端が溢れたけど、もっとあるだろ?成瀬はひとりで抱え込みすぎなんだ。もっと人を頼っていいんだ」
隣りにいる片岡に目をやると、おれをじっと見ていた。
その顔は、いつもの美丈夫な数学教師だけれど、そのメガネの奥の瞳が、真っ直ぐおれを見つめていて、訴えかけていた。



―――おれが、全部聞いてやるから・・・安心しろ・・・―――



こいつなら・・・
「おれ・・・昨日、いちばん下の陸に手をあげちまって・・・たいした理由も聞かず、おれの言うことも聞かないただのわがままだと思って・・・今日、陸がクラスメートとちょっとした諍いを起こしたから、昨日のわがままの理由がわかったんだけど」
ちろっと横目で片岡を見たら、目を閉じて聞いていた。
「おれ、赤ん坊の時から陸の面倒見てきて、父親の味を知らない陸がかわいそうで、おれが父親がわりだなんて、偉そうなツラしてたくせにさ、結局何の役目も果たせてなかったんだ。だいたい陸があんな聞き分けのないこと言うはずないのに・・・」
そう、おれがきちんと父親がわりの役目を果たせていれば、あんなバカなクラスメートに何を言われようと、陸は相手にしなかったに違いない。
たぶん、陸だって父兄参観に来てほしかったんだ、こんな父親ヅラした兄貴じゃなく、本当の父親に。
おれは、陸の父親になりたかったけど、陸はおれみたいな父親はいらなかったんだ。

「おまえは、父親じゃないんだから、それでいいじゃないか」
意外な答えに、俯いていたおれは顔を上げ、片岡のほうに顔を向けた。
「おまえは、陸くんたちの兄貴なんだ。無理に父親にならなくてもいいんだ。おまえは、兄貴として、精一杯の愛情を注いでやればいい」
「兄貴として・・・?」
「そう。兄貴として。父親がいなくたって、こどもは立派に成長するんだよ?おまえが現にそうだろ?」
「おれ・・・?」
「こんな弟思いの、母親思いの、優しいオトコはそうはいない」
その愛情の一滴でもおれに注いでくれたらな〜なんて言って、はははと笑う片岡。
突然、片岡の手が伸びてきて、おれの頭を自分の肩口に抱き寄せた。
片岡のにおい・・・コロンと煙草の混じったにおいが鼻先を掠める。
「おまえは、もっと甘えていいんだよ。片意地張って生きることはないんだ。弟たちがお前に甘えるように、おまえにもそういう場所が必要なんだ」
甘える場所・・・・・・
おれの髪を優しくなでる片岡。それに心地よささえ覚えてしまっているおれ。
「おれが、その場所になってやっから・・・いつだっておいで?」
優しい甘い声が、いつも意固地のおれの心に、すうっと溶け込んでゆくのがわかる。
そして、柔らかいくちびるがふれる。だけど、おれは驚かない。なぜなら、そんな予感がしたから。
それに・・・おれも片岡にふれたかったから・・・・・・
二度、三度と優しく吸われ、とろけるような甘い気持ちでいっぱいになる。
なんで、おれ、気持ちよく感じてるんだ・・・?
そんな疑問が一瞬頭をよぎったが、それ以上に片岡を求めるおれがいる。
くちびるが離れていき、目を開けると、そこにはメガネを外した素顔の片岡の顔があった。
この間は、外してなかったよな・・・?掠めるようなキスだったからか・・・?
おれのせいで濡れてうっすら光ったくちびるが、とても照れくさくて、だけど目が離せなくて。
「せんせの素顔、初めて見た・・・」
甘えるような声に、自分でもびっくりした。
「これからは、おまえにしか見せないよ」
ふっと笑ったその表情がとても柔らかくて、他のヤツには見せてほしくないと思った。
片岡は、立ち上がりおれの手を取った。
「遅いから帰ろう。さっきおまえん家寄ったら、陸くんが、亮兄ちゃんが帰ってこないってべそかいてたぞ?」
「―――陸が・・・?」
陸、おれを許してくれるのか・・・?
おれの表情が曇ったのを察したのか、片岡はおれがいちばんほしかった言葉をくれた。
「おまえは、弟たちにとっては、なくてはならない存在なんだ。早く帰ろう。送ってくから」
家まですぐ近くのため、車は公園脇に停めたまま、人気のない夜道を手をつないで、片岡の後ろを歩く。
このまま手を離したくない・・・ずっと家に着かなければいいのに・・・
しばし、待ってる弟たちのことを忘れて、おれはその手のぬくもりを一心に感じていた。





どうすればいいのだろう?
もうすぐ、お試し期間一ヶ月が終わる。おれは答えを出さなくてはいけない。
あの日、家に帰ると、陸は泣きながらおれに飛びついてきた。
純平は、腹減ってんだから早く帰ってこいよと生意気な口を利いたが、その表情には照れくささが表れていた。
康介は何も言わず、兄ちゃんごはんにしようよと言って笑った。
おれも、片岡のおかげで心の整理ができていたから、すんなり家族の輪に戻ることができた。
片岡はおれのことをいつも見ていると言っていた。
それは嘘ではないようだ。
学校でふとした時に視線が合う。
たまに、おれだけにくれるふっとした笑みに胸がキュンと悲鳴をあげる。

おれ、何かオンナみたいじゃねえか?
そう思わないでもないけれど、片岡を追わずにいられない。
誰かが片岡に話しかけているのを見るとムカつくし、片岡が誰かに話しているのを見てもムカつく。
どうせだったら、おれに話しかけろよ!そう思う。
おれは、やっぱり片岡のことが好きになってしまったんだろうか?
あいつ、オトコなのに・・・おれ、このままホモになってしまうんだろうか?
そんな恋愛、成立するんだろうか?
どう考えても、何考えても、疑問符ばかりで答えがだせないおれ。
その反面、片岡の手のぬくもりやふれたくちびるの感触、優しい囁き、コロンと煙草のにおい・・・・・・
思い出すと、身体が反応してしまうことがある。
おれ・・・ヘンタイか?それともやっぱり、ホモ街道まっしぐらか?
ああ、悩めど悩めど答えが・・・出せない。





そして、とうとうその日がやってきた。




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