祈 り



<9>






出発の日はすぐにやってきた。
せっかく慣れてきたバイト先に別れを告げ(戻ってきたらまた雇ってもらえることになったけど)、留学の準備に追われた。
ぼくは、バイトで稼いだお金で、小さなノートパソコンを買った。
友樹がいつでもメールできるようにと、うるさく薦めたからだ。
ぼくも、友樹と離れるのは淋しかったから、すぐに購入した。

どうみても、社交的でないぼくが、たったひとりで、外国でやっていけるのか、みんな不安がったし、もちろんぼく自身がいちばん不安だった。
だけど、もうこれ以上、ここでやっていくのは無理だった。
半年という時間はぼくには魅力的だった。
少なくとも学校で先輩に会うことはなくなる。
ぼくの帰国は卒業式後になるはずだから。

それに、もし、ひとりでやっていけたら・・・・・・ぼくの大きな自信になる。
今まで、何も誇れるようなものがなかったぼくの・・・・・・









**********************************








当日、空港まで見送りに行くと言って聞かない両親を説得し、ぼくはひとり空港に向かった。
家を出る時から、ぼくの挑戦は始まっているのだ。
友人たちとも昨日お別れを済ませたから、正真正銘ひとりぼっちの旅立ちだった。

余裕を持って到着しすぎたぼくは、喫茶店に入る勇気もなく、設置された長椅子にすわって、ガイドブックを開いた。
やっぱり、緊張する。だって、恥ずかしながら、初めての海外がひとり旅なのだから。

気持ちを落ち着けるために、目を閉じた。
すると、前に人の気配。不審に思い目を開けると・・・・・・





どうして?・・・・・・三上先輩・・・・・





「よかった、見つかって」
そう言って、先輩は微笑んだ。





先輩、笑わないで。
今のぼくに、その笑顔は・・・・・・






ひとりで旅立つと決めたのに、強くなろうと決めたのに、先輩の笑顔を見て、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「どうした?やっぱ不安か?寂しいか?」
そう言って、ぼくの背中を優しくなでてくれる。







神様、ごめんなさい。本当にこれが最後です。本当に最後です。
先輩の優しさに・・・・甘えていいですか?





ぼくの涙が止まるまで、先輩は肩を抱いていてくれた。
先輩のぬくもりが伝わる・・・かすかににおうフレグランスのにおい・・・・・・
ぼくが落ち着くと、先輩は「学校さぼっちまったよ」といってはははと笑った。
「おまえ、あれ以来、おれと会ってくれないから。あいさつもせずに行くつもりだった?」
ぼくはどう答えていいかわからなかった。先輩に会わずに行くつもりだったのは本当だから。
「おれ、おまえに嫌われてるしなぁ。仕方ないけどな」
自嘲気味にそう言って、からからと笑う先輩。
「そうじゃない!」
ぼくは先輩に向かって叫んだ。
「そうじゃないんです、先輩。ぼくは・・・・ぼくは・・・・・」
言ってしまいそうになった。ぼくの気持ち。先輩の優しさに甘えて真実を告げそうになった。
だけど、言ってしまったら、全部が無駄になる。今までの苦労も、この留学も・・・・・
そして何よりも、先輩を苦しめることになるんだ!
ぼくはこぶしをぎゅっと握った。
「ごめんなさい、先輩。ぼく、先輩のこと嫌ってなんかいません。なんか、お姉ちゃんをとられたような気がして・・・・恥ずかしいヤキモチです。この間は、こんな子どもっぽいぼくを知られたくなくて、言えなかったんです。ほんとうにごめんなさい」
頭を下げるぼくに、先輩はほっとしたような表情を浮かべた。
「なんだ、よかったよ。おれ、マジで嫌われてると思ってた。でも嫌われても仕方ないか。おまえの大事な姉ちゃん奪っちゃったからさ。でも、おまえとはやっぱ仲良くしたいな。はるかの弟なんだから」





ああ神様、あなたはやっぱりぼくをお嫌いなのですか?
最後の最後まで、ぼくに一瞬の幸せもお与えにならないのですか?






そうなんだ、ぼくが先輩を好きであろうとなかろうと、先輩にとっては、愛する人の弟でしかないんだ、ぼくという存在は。
今までに何回も、悟ったこと。わかりきっていたこと。
そう、それを吹っ切るために、留学を決意したんだっけ・・・・・・
「これ」
ぎゅっと握りしめていた手をこじ開け、裏返し、ポケットから取り出したものを手のひらに乗せた。
これは・・・・・
「・・・・・・MD?」
「そう、MD。はるかがMDウォークマン持って行くって言ってたから」
もしかして・・・・・
「そう、おれの曲。ライブでやってる曲がほとんどだけど、まだ未発表のも入ってる。それと・・・・・・たぶん、この世には出ないであろう、おまえのために書いた曲も。最後に入ってる曲だから・・・よかったら聞いてみて」
ぼくのための・・・・・・曲?先輩が、ぼくのことだけを考えて、書いてくれた曲?
その時間だけは、先輩の心、全部ぼくでいっぱいだった?
先輩に聞かなくてもわかる。だって先輩は、いつだって音楽に真剣だった。ぼくのための曲を作ってる時は、ぼくのことだけを思っててくれたに違いない!






神様、あなたは一体ぼくの何なのでしょう?
さっきは苦しみをくださり、今は喜びをくださる。






「おまえさ〜初めてライブ見にきたときのこと覚えてる?」
唐突な話題に「えっ」と問い返した。
「あのライブ中、おれ、おまえのこと気になって仕方なかったんだ」
そう、あの時、先輩はぼくのことじっと見てた。先輩の視線がぼくを捕らえて離さなかった。
「観客は、おれの音楽に酔ってたよ。みんな和やかな顔をしていた。その中で、おまえだけ、悲しそうな顔をしてるんだ」
そうなんだ、みんな、友樹だって、先輩の優しい音楽にうっとりしていた。でも、ぼくには、その音楽がとても悲しく聞こえたんだ。
「あの時の曲目は、ビートのきいたやつだったり、バラードでも優しい曲調のを選んでいた。だから悲しそうな顔をしているおまえが不思議だったんだ。だけど、今思えば、おまえには、おれの中のそういう面が見えるのかも知れないな」
えっ?意味がわかんないんだけど・・・・・
「ほら、もう時間。ゲートくくらなきゃなんねぇだろ」
ほら、行けよ、そういって背中を押す先輩。





先輩、本当にお別れです。
ぼくは、あなたにたくさんの嘘をつきました。
本当の自分を見せたことがありませんでした。
自分を偽ってばかりで、自分を守りたいばっかりに。
あなたに不快な思いをさせました。
そして、今日も・・・・・・
最後まで嘘をついてごめんなさい。
今度会うときには、きっと心から笑えるように・・・・・・
最後に先輩に会えて、本当によかった。





「先輩、ありがとう。さよなら」
ぼくは先輩を真っ直ぐ見つめていった。
そして、一度も振りかえらず、ぼくは搭乗ゲートをくくった。
本当に大好きでした、三上先輩。





神様、今、ぼくはあなたに感謝します。
うらんだこともありました。
なぜぼくだけがこんなつらい目に会うのかと。
ぼくは、もう十分罪をつぐなえたでしょうか?
あなたのお許しを得られたでしょうか?
これで、みんな幸せになれるでしょうか?
もし、ぼくをお許しになったのなら、お願いです。
ぼくを真理へとお導きください。










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