祈 り



<8>






その日、ぼくはバイト先の都合で帰りが遅くなった。
翌日からのキャンペーンの準備に追われていたためだ。
駅につくと、11時を過ぎていた。
家までは、歩いて15分。
改札をでると、柄の悪そうな五人グループが地べたに座り込んでいて、そのうちの一人と目が合ってしまった。
ぼくは逃げるように家路へと急いだ。
背中で数人の立ち上がる気配。
ど、どうしよう・・・・・・走ったら余計に追いかけられそうだ。
家に電話しようか・・・・・・
いろいろ考えていると、突然腕をつかまれた。「ひっ」と声にならない、喉から空気の漏れる音。

「おれだよ、おれ」





この声は・・・・・・三上先輩?





振り返ると、そこにはぼくの腕をつかんでいる先輩がいた。
「ど、どうして・・・・・・」
突然の登場に頭が混乱する。
「さっきまでおまえの家にお邪魔しててさ。家に帰るところ。おまえ見つけたから・・・いつもこんなに遅いのか?」
「いえ・・・・今日は特別です・・・」
「じゃ、送っていくよ」
そう言って、ぼくの腕をつかんだまま歩き出した。
「えっいやっ、いいです、先輩。ぼくひとりで帰れますから。それに先輩、遅くなるし・・・・・」
先輩の手を振りはらおうとするけれど、離してくれない。
「何いってんだよ!おまえ、びびってたじゃん。それに、きれいな子の夜道の一人歩きは危険だ」





きれいな・・・・・子?





「おまえ、はるかに似てきれいなんだから」





そう・・・か。そうだよね。先輩はぼくがお姉ちゃんの弟だから、優しくしてくれるんだ・・・・・・





ぼくは、先輩に引っ張られるまま、家路についた。無言の先輩に無言のぼく。
いつの間にか先輩は、ぼくの手をとっていた。
先々を歩く先輩に、引っ張られるぼく。
先輩のぬくもりが伝わる、幾度かふれたことのある先輩の手。
でもこんなに長い時間、ふれたことはない。
冷たそうに見えるあの細い指先。
それがこんなに温かだったなんて初めて知った。

忘れようと努力していた、先輩への想いが溢れそうになる。
せっかく心の奥に閉じ込めていたあの想い。

つらい思いをして、やっとここまでこれたのに・・・・・・
ぼくが望んだとき、ぼくには優しさをくれなかった先輩。





先輩・・・・今のぼくは、そんな優しさ、いらないんだ。望んでないんだ・・・・・・





「ほら、着いたぞ」
先輩の言葉に我にかえると、そこは自宅の門の前だった。
「なあ麻野・・・・」
先輩に久しぶりに名前を呼ばれドキッとする。
「な、なんでしょうか」
平静を装うつもりが、うまく口がまわらない。
「おまえ、おれのこと嫌いか?」
ぼくの目を真っ直ぐに見据えて先輩はそう言った。
嫌い?嫌いなわけ、ないじゃないですか!そう叫ぶことができればなんて楽だろう!
「おまえ、おれのこと避けてるだろ?最近学食にも来ないし、廊下ですれ違っても目も合わせない」
だって、仕方ないじゃないですか!先輩を見るのはつらいんです!
「なあ、はっきり言ってくれ!おれがはるかと付き合ってるの、そんなに気に入らないのか?」
「気に入らないといったら、どうするんですか?別れるとでも言うんですか?」
ぼくの怒ったような口調に、先輩はたじろいだ。
「じゃあ、別れてください!もう家には来ないでください!」
ぼくは先輩をにらみつけてやった。クールで端正な顔がゆがんでいる。
不意打ちをくらったような、驚いた表情・・・・・・
いつも感情を表さない先輩の、こんな表情を引き出せるなんて・・・・ぼくにもそんな力があるんだ。
そう思うとおかしくて、自然と笑いがこぼれた。
「先輩、嘘です。ほんと嘘です。せっかく送ってもらったのにからかってごめんなさい。学食に行かないのは、最近母がお弁当を詰めてくれるからで、廊下ですれ違っても無視してるのは、たぶん気づいていないだけです。ぼくが先輩を避ける理由なんてどこにもないでしょ?もし、先輩がぼくを見てそんなふうに感じるのなら、それはぼくのせいです。先輩を不快な気分にさせてごめんなさい」
先輩はなにか言いかけたけれど、ぼくは無視して続けた。
「でも、もうすぐ先輩を不快にさせることはなくなります。ぼく、留学するんですよ、先輩。半年の交換留学、後期はぼくに決まったんです。だから、もう先輩と学校であうことはないと思います。だから、もうしばらくだけ我慢してください。今夜はありがとうございました。じゃ」
「麻野っ!」
先輩の声が聞こえたけれど、ぼくは聞こえないふりをして、家に入った。
ドアを後ろ手に閉めて、息を整える。大きく深呼吸する。
「帰ったの?」という母の声に返事だけして、ぼくは自室へと急いだ。
ベッドに倒れこむ。






神様、ぼく、けっこうがんばったと思いませんか?
本当に苦しかったんです。留学が決まるまで。
今日の先輩の優しさは、そんなぼくへのご褒美ですか?
でもね、そのご褒美のおかげで、今までの苦労が水の泡になりそうでした。
封印していた気持ち、溢れ出そうでした。
神様、それはまだぼくの心の弱さ故でしょうか?
いつになったら、先輩はただの「姉の彼氏」になるんでしょうか?





教えてください、神様・・・・・・










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