祈 り



<4>






授業なんて頭に入らなかった。
一度、先生に当てられた時もうわの空で返事もできずにいて、先生には怒られるしみんなに笑われた。
友樹にいたっては、ふふんと鼻を鳴らしてぼくを見る。

四時間目終了のチャイムとともに、ぼくは教室を飛び出し、屋上への階段を駆け上がった。
扉を開けると、強い風がぼくを押し戻す。
ぼくはその風を押し返すように、屋上へ一歩を踏み出した。

ぐるっと見回すと、貯水タンクの横の、小さな倉庫の壁にもたれて座っている先輩を見つけた。
膝を立て、空を見上げて、煙草を吸っている先輩。
その横顔がとてもかっこよくて、ぼくは立ち竦んでしまった。
ぼくの気配に気付くと先輩は立ち上がり、吸殻をコーヒーの空き缶に落とし、制服のズボンをパンパンと叩く。

「お、おまたせしちゃってごめんなさい」
ぼくは意を決して先輩に近づいていった。緊張でぎこちない歩き方になってる。
一体何の話なんだろう?友樹の言葉が頭を掠める。





―――まんざらでもないかもよ、優―――





そんなことあるはずがない!絶対あるはずがない!
先輩がぼくのことを好き・・・だなんて絶対・・・・・・

そんな考えを振り払おうと、ブンブンと頭を左右に振ってみた。
「何やってんだ?」
先輩の声。
見上げると、不思議そうにぼくを見る先輩。
あっ、先輩の前だったんだ!

自分の失態にかぁーっとなり、うつむいてしまった。きっとまた真っ赤になっているに違いない。
恥ずかしくて顔を上げられない。沈黙が恐い。





早く先輩何か言って!
ぼくは心の中で叫んでいた。





「麻野、おまえ、姉貴いるよな?」
姉貴?不意を突かれた質問にぼくは顔を上げた。
なんで先輩がぼくのお姉ちゃんを知ってるの?





嫌な予感・・・だってお姉ちゃんは、明るくてきれいでいつもモテモテで・・・・・・





「おいっ、聞いてんのかよ!」
少しいらつき気味の、先輩の声にびくっとした。
「いますけど・・・・・・」
「桜女の三年だよな?」
「―――はい・・・」
お姉ちゃんはきれいなだけじゃなく、頭もいい。塾にもいかず、難関の桜女に合格してしまった。
ぼくなんか、塾に通わせてもらったにもかかわらず、本命の私立に落ちたのに・・・・・・
こんな時に限って、ぼくの頭は冴えている。先に先に思考が働く。
嫌だ嫌だ!
もうこの先は聞きたくない!
質問にも答えたくないよ!

だけど、足が地面に張りついているようで、ぼくはそこから逃げることもできなかった。





「じゃあさ、姉貴、付き合ってるオトコいるか知ってるか?」





一番聞きたくなかった言葉が、とうとう先輩の口から発せられた。
何でそんなことぼくに聞くの?
ぼくは先輩をじっと見つめた。
見つめたというより、きついまなざしだったかも知れない。





だってぼくは・・・ぼくは先輩のことが・・・・・・





そんなぼくの目に飛び込んできたのは、照れたような先輩の表情。
いつもクールで、あまり自分を表に出さない先輩の、そんな表情をはじめて見た。

そう、ぼくが勝手に先輩を好きになって、友樹の口車に乗せられて、勝手にバカみたいな想像をしてただけなんだ・・・
何も先輩は悪くない。
好きになった人の弟が同じ学校だったから、探りを入れただけ。
ただそれだけのこと・・・
照れ隠しなのか、視線を泳がせて、ぼくの返事を待っている先輩。
そんな先輩でさえも、ぼくにはとてもかっこよく見えた。

「―――たぶんいないと思います・・・」
今度は、先輩から目をそらすことなくぼくは答えた。
「マジで?」
先輩の顔がぱっと輝く。その笑顔が、胸にぐさりと突き刺さった。
「サンキュー。それ聞きたかったんだ。呼び出して悪かったな。あ、それと、このこと姉貴には絶対に言うなよ。約束。なっ?」
そう言って、出されたのは、右手の小指。
もしかして指きりげんまん?

クールな先輩にそんなの似合わないよ・・・・・・
でも、あまりにうれしそうな先輩の表情を壊したくなくて、もう少し見ていたくて、ぼくも右手の小指をさしだした。
先輩が、指を絡める。

「絶対内緒、なっ?」
三回腕を振って、指が離れた。
「おまえ、昼メシ、まだだろ?お礼におごる。学食でいいよな?」
いつものクールでかっこいい三上先輩に戻っていたけど、その心うちははずむような口調でわかる。
先輩の誘い、もっと早く聞きたかったな・・・・・・
「いえ、ぼくはお弁当持ってきてるんで・・・・・・」
こんな話を聞いた後、一緒にいる勇気も余裕もぼくにはない。平静を装うのにも限界がきていた。
「なんで?おまえ、いつも学食使ってんじゃん!」
なんでそんなこと・・・・・・しつこく誘う先輩にぼくは大声を張り上げていた。
「ほんとにいいんですっ!ほっといてください!」
ぼく自身もびっくりするようなとげとげしい口調だった。唖然とする先輩に、ぼくは抑え切れなかった自分を恥じた。
「ごっごめんなさい・・・・・今日は母が久しぶりにお弁当を詰めてくれたんで・・・・・・先輩こそ、早く学食いかないと、売り切れちゃいます。時間もそんなにないし・・・・・心配しないでください。お礼なんてしていただかなくても、ぼく姉には絶対言いませんから」
自分の失態をごまかすため、先輩を安心させるため、ぼくは精一杯の笑みを浮かべてそう言った。





先輩、早く行ってください。でないと、ぼくはっ―――





「そうか?じゃあ」
何を思ったのか、先輩はぼくの頭をくしゃっとなでて、ぼくに背を向けた。
先輩のそんな優しさ、ぼくは知りたくなかった。それにそんなもの、ぼくはもういらないのに・・・・・・
先輩の姿が消え、やっとひとりになって、ぼくは崩れるようにその場にすわりこんだ。








ぼくのお姉ちゃん。
頭がよくって、陽気ではきはきしていて、いつも周りを明るく楽しい雰囲気にしてくれる、まるで太陽のようなお姉ちゃん。
それでいて、綺麗で、いつも注目の的で、特に高校に入学してからは、コクられること頻繁で。
なのに特定の彼氏をつくらないお姉ちゃん。
一度聞いたことがある。どうして彼氏作らないのって。
そしたら、私の理想は天より高いの、だからそうたやすく理想の人に出会えないのよって笑って言ってた。
だけど・・・・・だけど三上先輩なら、お姉ちゃんの理想にかなうはず。
だってオトコのぼくが好きになるくらい、素敵な人だから・・・・・・
そして、お姉ちゃんなら、三上先輩の隣りにきっと似合うはず。ぼくと全く正反対のお姉ちゃんなら・・・・・・

さっき先輩と絡めた小指を見つめる。
もう一生ふれることのないと思っていた、先輩の綺麗な指にふれるのが、こんな約束のためだなんて。

こらえていた熱いものが溢れてくる。頬を伝ってどんどん溢れてくる。






これは罰なのでしょうか? 
同性を好きになってしまったぼくへの、神様からの罰なんでしょうか?






最初からわかっていたはずなのに。
何も求めちゃいけないってことは。わかっていたのに、ぼくはほんの一瞬、先輩との夢を見てしまった。
だから、ぼくはこの罪を償わないといけないんだ。

昼休み終了のチャイムが鳴った。
ぼくは、涙をぬぐい、屋上を後にした。










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