祈 り



<34>






「せっ、先輩、どっどうして・・・・・」
今まで見たことのない先輩のこわばった表情。端正な顔立ちが冷たさをも増幅させる。
「どうして、おまえがそんなもん持ってると聞いてるんだ!」
声を抑えた努めて冷静な口調が、如実に先輩の怒りを表している。
怒りを身体中で感じ、微動だにできないぼくにつかつかと寄ってきた先輩は、ぼくの胸倉をつかんでもう一度言った。
「何回言わせる?どうしておまえが持っているんだ?えぇっ?」
至近距離で見る怒りの顔に、ぼくは先輩を傷つけたことを悟った。涙が滲む。
それを見た先輩は、ぼくから手を離し、床に落ちたクロスを拾い上げ、窓から空中に向かって放り投げた。
その行動を目の当たりにして、やっと身体が動いた。窓に駆けより下方を望むが、そこには闇しかなかった。
「ど・・・・・どうして・・・・・」
涙なんて見せたくないというぼくの意思に反して溢れ出るそれを拭うことも忘れて先輩をキッとにらみつけた。
「はぁ?どうしてだと?それはさっきからおれがおまえに聞いてることだろうが!退けよっ!」
窓辺にすがりつくぼくを突き飛ばして、先輩は、テーブルに残っていたオルゴールとリングまでも、窓から投げ捨てた。





ぼくの・・・・・・ぼくの・・・・・・





呆然とするぼくを、ベッドまで引きずり、上から押さえ込む。シャツを引き裂かれ、腕をまとめて頭上で押さえつけられる。
恐いっ!先輩のこと、恐いなんて思ったことなかったのに、今は恐くてたまらない。心の奥底からわきあがる恐怖感に、身をよじり足をばたつかせ抵抗する。
「やっやだ・・・・・・やめてくださいっ・・・・やだっ」
しかし全体重をかけられ、びくともしない。
「何が嫌なんだよ。言えよ。何が嫌なんだ?今さら何言ってんだ?あんなに何回もセックスした仲じゃんか!おまえ、おれの下でいつもいい声で喘いでたじゃんか!笑わせるんじゃねえよ!」





こんなの三上先輩じゃない!
先輩は、いつも優しかった。ぼくのことだけを考えて・・・・・・

こんなの先輩じゃないよ!
あんなに好きだった先輩の手も、今は嫌悪感しかない。
身体が拒否反応を起こす。

なのに、ぼくの力じゃどうしようもない。
ぼくはひたすら繰り返す「やめて」と―――
その間に、ふと思う。
こんな風に先輩をしたのは・・・・ぼく・・・・・?
再会した日に、何事もなく、先輩を日本に帰すと誓ったのに・・・・・・
普通に接してくれた先輩を不快にさせたのも、今こんなに先輩を追い込んだのもすべて・・・・・・
ぼくのせいだ・・・・・・ぼくの・・・・・・
抵抗していた力を緩めた。ぎゅっと目を閉じる。
と、同時に先輩の動きが止まった。
ぼくの頬をかすめる雫・・・・・・先輩・・・?
ゆっくり目を開けると、ぼくを見下ろす先輩と視線が合う。
先輩、泣いてる・・・・・の?
先輩の涙を見るのは、ぼくの家族のお葬式のあの夜以来。
「―――んな目で見るな・・・・・・・」
「―――えっ?」





「んな目で見るなっつってんだよ!何?おれへの罪滅ぼしのつもり?一回くらい抱かれてやってもいいかって憐れんでるつもり?」
泣き顔が、一瞬自分を卑下するような笑いに変わり、再びゆがむ。
「なぁ、正直に言えよ!おまえは誰でもよかったんだよな?ひとりぼっちの淋しさを埋めてくれるやつなら、おれじゃなくても誰でもよかったんだよな?おまえそう言ったよな?おれに笑いかけたおまえもおれに抱かれてたおまえも、全部嘘だったんだよな?おまえが好きだというおれの言葉さえもずっと疑ってたんだったよな?だから、おれの前から消えたんだよな?」








違うんです・・・・・・ぼくは・・・・・・








「なのに、なぜあんなもの今まで大事に持ってたんだ?おれに愛想を尽かしたのなら、とっくの昔に処分してたはずだよな?」








ぼくは・・・・・あなたが・・・・・・








「――――なぁ、優・・・・・おれの都合のいいように考えちゃだめか?どんな理由があって日本を離れたのかわからないけれど、あのメールの内容は嘘だ、そう思っちゃだめか?おれの愛した麻野優は、そんなに残酷なやつか?なぁ、優・・・・・教えてくれよ・・・・・・・優・・・・・・・」








ぼくは・・・・・ずっと・・・・・・・








溢れてしまいそうなほど、心は先輩への思慕でいっぱいなのに、声にならない。
それに、声に出してはいけない。絶対に・・・・・・
「―――わかった、もういい・・・・・・返事がないのが答えなんだな・・・・・・・」
乱暴に引き裂いたシャツを前で合わせて、先輩はぼくの上から身を引いた。
「―――すまなかった、優・・・・・・」
ぼくの左頬を右手でそっと包みこむ先輩。
やっと感じることができた先輩のぬくもり。大好きな先輩のきれいな手。
「突然現れたもう縁の切れたやつの面倒見てくれてありがとうな。この4日間、優と過ごせて楽しかった。空港で優を見つけて、おれのガイドだと知ってびっくりしたけど、神様に感謝したんだ。優がいなくなって、ずっとうらんでた神様に。おれと優はやっぱり運命の人なんだって思った。バカみたいに浮かれてた。だけど、最初の夜に優にどなられて、おれはもう優にとって何の関係もない過去の人間なんだとわかってからは何となくぎこちなくなっちまったけど」
「そっそれはっ・・・・・」
「いいよ、もうフォローしなくても」
フフフと笑う先輩に、胸がはりさけそうだ。
「だけど、おれはずっと隣りに優を感じてた。何度もキスしたい、抱きしめたい衝動にかられて、もう抑えるのがつらかったよ。それが今日出ちまって・・・・・・さぞかし不快な思いをさせたと思う。だけど、それももう終わりだ」
ぼくは先輩の言わんとしていることがわかった。今度は先輩から通告されるんだ。
「もう一生会わない。優の前に現れない。だから、契約も今日、この瞬間に終わりにする。明日はひとりで空港に行くから」





先輩の手が離れていく・・・・・・・





「優、嫌な思いをさせてほんとうにすまなかった。ありがとう、優。さよなら、優」
先輩が部屋から出て行く。追いかけたい!ふれたい!ぼくの思いを伝えたい!
だけど、金縛りにあったように身体が動かない。








ぼくの心はとうとう壊れてしまった・・・・・・押しつぶされてしまった・・・・・・・
一度目、別れを告げたのはぼく。
何も告げず、先輩のためだと言い聞かせて、世間に受け入れられることのないであろう恋愛から逃げ出した。

しかも、忘れずにずっと好きでいようなんて、ご都合主義もいいところだ。
そして、たぶん、心の片隅では先輩を待っていた。嫌われたわけではない、むしろ最後の最後に心から愛されていることを実感した。だから、いつか、先輩が真実を知って、ぼくを探し出して、迎えにきてくれるんじゃないかと期待していた。
その思いを胸に生きてこれた。

だけど、もうだめだ・・・・・・
先輩に愛想をつかされてしまった。最後通告を渡された。
もう、ぼくに生きている価値は・・・・・・ない・・・・・・・・





では、神様、どうすればよかったのでしょうか?
先輩の言葉に、何度真実を告げようとしたことでしょう!
先輩の思っているとおりです。
ぼくは、今でもあなたが大好き・・・・・・
その一言が言えたならどんなに楽なんでしょう!
だけど、その一言は・・・・・
先輩の未来を奪い、ぼくたちに十字架を背負わせる。
夢を壊してしまったという十字架を・・・・・
やはりこうするしかないんですよね?
神様、おまえは正しかった。
そう言ってください。
その一言でぼくは救われます。





 

なんだろう・・・・・・身体が熱いな・・・・・・頭も重い・・・・・・・
そういえば、最近、だるくて仕方なかったもんな・・・・・
当たり前か、今度こそ終わりなんだから・・・・・・・











back next novels top top