祈 り



<33>






それ以来、先輩はぼくに一線をおいて、接するようになった。
初日は、ただの知人のようだった。
二日目からは、ただの観光客とガイド兼通訳になった。
朝食の時間に、先輩の希望を聞く。そしてぼくは、その希望を満たすように手配をする。
SOHOのキャナル・ジーンズに、ビンテージジーンズを見に行った。
ブロードウェイのJazz Clubに本場のJazzを聞きにいった。
アポロシアターに、話題の「Halem Song」というミュージカルを見に行った。
特にこのアポロシアターは雰囲気も格別だった。
『黒人音楽の聖地』
かつてはベン・E・キングがそのステージに立ち、マイケル・ジャクソンやスティービー・ワンダーがここから巣立っていった。
先輩の感動も伝わってきた。やはりこの人は音楽をいちばん愛しているんだと実感した。
地下鉄に乗って、街をぶらぶら歩いた。
先輩がぼくに話しかけるのは、ぼくにガイドとしての用事があるときだけ。
それでも先輩は、ニューヨークの街がとても気に入ったらしく、楽しげに見えた。
夜になると、早々とベッドルームに引き上げる。使われることのないリビングのソファ。先輩の部屋からは、ギターの音だけが聞こえた。
そして、四日目の朝、先輩はセントラルパークに行こうとぼくを誘った。
ニューヨークには他にもっと観光すべき場所があると言うぼくに、今日は思いっきり歌いたいからと、ギターを片手にさっさと部屋を出る。ぼくも仕方なく後にしたがった。
アパートから歩いて数分の距離。正直ぼくは困っていた。
観光なら先輩と会話しなくても済んだ。だけど、ふたり並んで、公園で過ごすなんて息がつまりそうだ。
でも、そう感じるのはぼくだけ・・・・先輩のことが忘れられないぼくだけ・・・・・・
芝生の上の、大きな木の木陰、絶好のポイントを見つけた先輩は腰をおろし、ギターを取り出す。
懐かしいチューニングする先輩の横顔・・・・・・今でも大好き・・・・・・
傍らに腰をおろす。
ぼくたちのこの距離、このシチュエーションに、楽しかった時間がよみがえる。
毎週毎週、駅前広場で、ぼくはこんなふうに傍らに座り込んで先輩の歌を聞いていた。
耳に自然に溶け込む先輩の声・・・・・・それは今も変わらない。
広大な緑のじゅうたんの上、気持ちよさそうに大声で歌う先輩に、あぁやはりこの人は、歌が、音楽がなければ生きていけない人だと改めて感じる。
ぼくの選択は間違ってなかったんだと、悲しい再確認をさせられる。
日本語で歌っているにもかかわらず、人が集まってくる。
言葉じゃなく、音楽自体で、世の人々を惹きつけてやまない先輩。
「優、ここにはストロベリーフィールズがあるんだよな。そこ連れてって」
気がつくと、もう太陽が真上に輝いていた。
途中、スタンドでホットドックを購入し、食べながら移動する。
セントラルパークの西に位置するストロベリーフィールズ。ビートルズのジョンレノンの同名の詩が刻まれたメモリアルストーンに、たくさんの花が捧げられている。
先輩、ビートルズの曲、大好きだったね。路上でもよく歌ってた。「Hey Jude」を「Hey ユウ」って替え歌にして、楽しそうに歌ってた。ぼくが、恥ずかしいからやめてっていったら、面白がってよけいに大声で歌ったりして・・・・・・
そばにいるといろんなことを思い出してしまう。それが少しつらい。
「げっやっぱ花持ってくりゃよかったかな〜」
ひとり言につぶやいて、メモリアルストーンの前で感慨深げに物思いに浸っている。
そして、再びギターを取り出す先輩。
今日二度目の先輩の歌。





Why she had to go I don’t know, she would’t say
(どうして行ってしまったのかわからない。何も言わずに)
I said something wrong, now I long for yesterday
何か悪いことを言ってしまったのか。昨日に戻りたい)





ねぇ、先輩、どうしてこの歌を選んだの?
今のぼくは英語を理解することが出来るのがわかってて、この曲を選んだ?
ぼくがいなくなったあとの、あなたの苦しみをぼくに伝えるために?
再会したのをいい機会に?
だからぼくをここへ誘ったの?








先輩は明日日本へ帰国する。
それで終わり―――いや、もうとっくに終わってたんだ。
ぼくが日本を去った時に・・・・・・
先輩の中では、ぼくはすでに過去の人。過去のわずらわしい人でしかないんだ。
ベッドルームの窓を開ける。ギィッと木の軋む音とともに、5月の心地よい風が部屋中を満たす。
窓の向こうには隣接するビルの壁。古めかしいレンガが世界一進んだ街とはミスマッチだと思う反面、ニューヨークらしいとも思えるのだから不思議だ。





今日もぼくはオルゴールを取り出す。
いすにすわり、オルゴールの小さな引き出しを開ける。
クロスとリングをオルゴールの前に並べ、いつものようにゼンマイをギリギリまで巻く。
少しでも長く、メロディが続くように・・・・・・少しでも長く、先輩のことを考えていられるように・・・・・・
奏でられるカノンの調べ。長調の軽快なメロディなのに、悲しみを背負っているように聞こえるのは、カノンが「キリスト教の条規を書いた聖典」という意味も持っているから?
そして、ぼくは祈る。謝罪する。





先輩、ごめんなさい。
突然現れてごめんなさい。
せっかくのお休みを不快な旅行にしてごめんなさい。
明日で終わりですから。二度とあなたの前に現れませんから。
遠くからただあなたの幸せを祈っていますから・・・・・・だから・・・・・・





「何で、おまえ、そんなの持ってるんだ?」





明らかに怒りを含んだその声に、背筋が凍った。びっくりして立ち上がった拍子にデスクが揺れて、クロスが床に落ちた。










back next novels top top