祈 り



<32>




「まさかこんな場所で再会するなんてな」
アパートへの移動中、先輩は久しぶりに会ったぼくに話しかけた。
空港で、言葉の出ないぼくに「久しぶり。元気だった?」といたって普通に挨拶をした先輩
「優がおれの通訳だなんて、びっくりなんてもんじゃないな。偶然てマジ恐い」とハハハと笑い飛ばした先輩。
昔の知人に再会したような、ただの懐かしさだけしかないような会話。
かつてともに暮らし、愛を交わした相手だとは思えないほど、いたって普通の。








三上先輩は、今日本で人気絶頂のアーティスト。
デビューわずか一年にして、音楽業界のトップに躍り出た。
すっきりしたルックスと、それにぴったりの優しい音楽に加え、全く逆のハードで骨太な音楽も作り出す、「天は二物を与えた」と大絶賛されているアーティストだ。

ぼくは、それを短期留学中だった知り合いから聞いた。彼女は、三上直人の大ファンで、ぼくが知らないと言うと、絶対いいからとCDをプレゼントしてくれた。
一度も聞いたことはないけれど・・・・・・

ぼくは先輩の成功を願いながらも、歌を聞きたくなかった。
ぼくの知らない先輩の歌を。

それはぼくのささやかな抵抗。
ぼくが聴くのは、先輩にもらったMDだけ。それしか聴かない。
一生それだけ・・・・・・









先輩の話では、デビューして初めての連休らしく、ずっと憧れていたニューヨークを肌で感じてみたかった、ミュージシャンはよくギター片手にひとり旅というけれど、貴重な休みは有意義に使いたい、たくさんの場所をまわりたい、だから英語の話せないおれは通訳兼ガイドを頼んだ、名前はうるさい週刊誌などにバレないように偽名を使った、そういうことだそうだ。
アパートに着くと、おれの夢だったニューヨークでの生活にぴったりだと喜んだ先輩は、「優、今日は疲れたし、もう休むから。明日から、案内、お願いな」と言い残し、さっさとベッドルームに引きこもってしまった。
ぼくはリビングに置いたままの荷物を持ち、もう一方のベッドルームに入った。
まだ理解しきれていない頭を冷やそうと、ベッドに転がる。
あの夜、お台場の観覧車の前で別れてからも、ずっと先輩を思っていた。
もう一生会わないと、そう誓ったから、それならずっと好きでいようと、毎日先輩の幸せを祈った。
いっそ忘れることが出来たら、どんなに楽だろう。そう何度も思った。
ベッドから起き上がり、スーツケースから包みを取り出し、窓際の小さなライティングデスクに置く。
ぼくの大切な宝物・・・・・・唯一ぼくに残されたかけがえのない宝物・・・・・・
先輩に買ってもらったオルゴール。
小さな引き出しには、クリスマスにもらったクロスのペンダントと観覧車の中で誓いを交わしたリング。

備え付けの椅子にこしかけ、オルゴールのゼンマイをギリギリまで巻く。
日本を離れた日から、ベッドに入る前にこのオルゴールの調べを聞くのが日課となった。
慣れない環境と英語、忙しい日常に追い立てられても、異国で生きていくしかないぼくの、心の支え。
オルゴールが『カノン』を奏でる数分間、ぼくはただ先輩のことだけを考える。





ちゃんと食べてるかな?
ちゃんと寝てるかな?
いい曲作れてるかな?
そして、ぼくのことなんか忘れて楽しい毎日を送れてるかな?

神様、どうぞ先輩をお守りください。先輩に幸せを・・・・・・





心を込めて、ぼくのありったけの想いをのせて、祈り続ける。
その祈りは、すぐそばに先輩がいる今日も、繰り返される。
ぼくは、いつもの祈りに、ほんの少し付け加えた。
神様、先輩が日本に帰るまで、どうかぼくの想いを封印してください。
ぼくが、上手に振る舞えるように、どうか力を貸してください。
奏でる調べが徐々にゆっくりとなり、空間が静寂を取り戻す。
ぼくは、オルゴールを丁寧に布で包み、デスクの引き出しにしまいこんだ。








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『――――優、よく平気な顔でおれの前に現れたよなぁ』








・・・・・・だって、まさか先輩だなんて全然知らなくて・・・・・・








『さんざんおれのこと好きだって言っといて、はん、笑わせるんじゃねーよ!』








・・・・・・ごめ、ごめんなさ・・・・・・








『誰でもよかったってか?』








ちっちが・・・・・








『人の心をもてあそぶなんて、人間のすることじゃねーよ!』








『おまえと別れて正解だったよ!もうすっかり忘れてたのに思い出させてくれて礼を言うよ』








・・・ごめ・・・・ごめ・・・・・ん・・・・・・








「―――優・・・・・優・・・・・」



身体を揺さぶられ、はっと目が覚めた。
間近にぼくをのぞきこむ先輩に、過去も現在もわからなくなり、腕を伸ばしすがりつく。



―――先輩だ・・・・・・先輩がここに・・・・・・・・



「どうした?恐い夢でも見たのか?優」
その優しい声が耳から脳を刺激した瞬間、ぼくは我にかえった。
先輩の身体を押し返し、身体を離す。バクバクとうなりをあげるぼくの心臓。
「すっすみません・・・・・・先輩、どうしてここに・・・・・・」
冷静に、努めて冷静にこの場をしのがなければ。
「なんか優、すごいうなされてた。おれの部屋まで聞こえたもん。それが尋常じゃない感じでさ。心配になって、勝手に入って来ちまった。悪かったな」
先輩の顔が見たい。少しでもぼくのことを気にかけてくれている先輩を。
だけど、ぼくは、先輩の優しい顔を見てしまったら、平静でいる自信がない。
「先輩、もう大丈夫ですから・・・・・・すみませんでした」
斜め下に目線を落としたまま、口を開く。
「大丈夫って、そんなに汗かいて・・・・・・・」
「ほんとにもう大丈夫ですから!・・・・・・おやすみなさい」
声を荒げたぼくに、先輩はため息をひとつついて、何も言わず部屋から出て行った。
たぶん、きっとあきれたね、先輩・・・・・・
親切にしてもらって、お礼の一つも言えないぼくなんて・・・・・
ほんとに最低・・・・・・










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