祈 り



<31>






『ユウ、お願いがあるんだが・・・・・・』
お願い?ハリーパパがぼくにお願いだなんて珍しい。








海を渡り、この地にやってきて早いもので一年という歳月が経とうとしている。
ぼくも、今年、19歳になった。
高校一年生の秋から冬にかけて、ほんの短い期間だったけれど、ぼくはこの街で過ごしたことがある。
それは、家族の事故死という、突然の出来事で中断されてしまったのだけれど。








それから二年後、高校卒業と同時に、ぼくは再びこの地にやってきた。
ぼくという存在を日本という生まれ育った国に残さないように、ありったけの思い出をトランクに詰め込んで・・・・・・
家族が残してくれた家は、友樹のおじさんにお願いして管理してもらっている。
今は、貸家になっているらしい。
どうしても売ることだけはできなかった。家族が残してくれた唯一のものだから。
だけど、ぼくはもうその家に住むことはない。そして、帰ることもないだろう。
昨年一年間、この街の大学で英語を学んだ。
やはり肌で感じる英語は違う。もちろん授業は全て英語で行われるし、耳に入るのは英語ばかり。こちらからも積極的に話さないと、コミュニケーションも取れない。ぼくは、日本でも有名な英会話学校にも通い、ただひたすら英語漬けの毎日を送った。
ただでさえ、日本人の少ない街。知り合った同じ日本人留学生ともなるべく英語で話すようにし、ホストファミリーのジェミーママとハリーパパ(彼らは少し日本語ができる)にも、極力英語で話してもらうようにした。
おかげでめきめき上達し、今では日常の英語に何の不自由も感じない。と言っても、専門用語はまだまだ理解しがたいのだけれど。
ここでの生活はそれなりに楽しい。自然に囲まれた街、せちがらい日本とは違い、時間がゆっくりと流れている。
学校での授業も、教室での一斉授業だけでなく、美術館を見てまわったり、映画を見たり、ランチを共にするなんていう日本では考えられない授業もある。
人見知りするぼくだけれど、何かとフレンドリーな友人に囲まれて、充実した毎日を送っていた。
そして今年、一年間のカリキュラムを終え、今後の道を考えていたぼくに、ハリーパパは、もし優がいいのなら、ここでずっと暮らさないか、ぼくたちは本当の息子のように優のことを思っているんだと、もったいない言葉をくれた。
二人は、ぼくが日本に帰る気がないことに気づいている。ぼくは彼らに何も話していないけれど、一年前、ここにやってきたぼくの中に、思いつめた何かを感じたようだった。だって、ぼくは家族の位牌までこちらに持ってきたのだから。
それ以来、彼らはぼくに日本に帰らないのかなんて一言もいわない。
ぼくが送るメールに、頻繁に登場していた、あの人のことも・・・・・・
何も聞かない・・・・・・









そしてぼくは、この春から、こちらではちょっとした名士のハリーパパの仕事のサポートをすることになった。
内容は主に通訳。日本贔屓のパパは、街の観光協会のお偉方で、ぼくのような留学生の世話もしている。
ぼくはこの街が大好きだし、もっとたくさんの人にここを知って欲しい。それに、夢を抱いてやってくる留学生にも、快適な生活を送って欲しい。それがぼくを救ってくれたこの街への、ぼくに出来る恩返しだ。








そして、毎日たくさんの人に会って、より英語を使う機会も増え、忙しくも充実した日々を送っていた4月の終わりに、パパがぼくにお願いを切り出したんだ。
『5月の最初、日本ではゴールデンウィークと言うんだっけ?その期間、通訳を頼まれて欲しいんだ。場所はニューヨーク』
通訳?ニューヨーク?わざわざぼくが?
『いやぁ、日本からの旅行客が多くてね。いい通訳が見つからないんらしいんだ。で、知り合いから頼まれてね。きみのところに、英語のできるかわいい日本人がいるだろってさ』
かわいいって言うのは少し余計だと思うんだけど。
『で、おれはいってやったさ。かわいい息子をニューヨークなんて危ない街にひとりでやれないとな。おまけに5日間も知らないやつにべったりだなんて、なお危なくて貸せないってさ』
パイプをくわえてハハハと笑うパパ。
ママがお茶を運んでくる。甘いかおりのアップルティー。
『そんなこといっても、ユウにお願いするってことは、引き受けちゃったってことでしょ?』
くすくす笑いながら口を挟むママ。
『そうなんだよ、ユウ。事後承諾で悪いんだけど、お願いできるかい?』
パパのお願いじゃ断れない。ぼくはOKした。
『ありがとうユウ。相手はひとり旅の男性らしい。身元のしっかりした人らしいから安心して』
パパはぼくに感謝のキスをした。








*************************************








ニューヨークはいつも自由と活気にあふれている。
自由を求めてヨーロッパからの移民によって開拓された土地には、様々な人種の人々が共に暮らしている。
聳え立つ摩天楼、街の喧騒、危険な香り、ステイツの中心、世界を動かす街。
カオスの街―――ニューヨーク―――
ぼくは何度かここを訪れている。住む街からはいちばん近い大都市。広大なアメリカ大陸の中では、ほんの数百キロの距離なのに、まったく違う二つの都市。
もちろんあの街の静けさは大好きだけれど、ここの混沌とした時間の動きも嫌いではない。
ぼくは、マンハッタンにある、パパの知人の事務所を訪ねた。
場所はすぐにわかった。パパによく似た恰幅のいい優しそうな人だった。
彼から、ぼくが今日から5日間案内することになる日本人の資料を受け取る。





「山上直樹  22歳  東京在住  目的:NYを肌で感じる」





そう記されていた。
思ったより、歳が近い男性だということにびっくりした。この年代の人が通訳を雇うなんて。
ぼくは勝手に、老夫婦か、はたまた家族連れか、そう思っていたから。
それに、5日間滞在するのはアパートメントホテル。部屋がいくつかあるため同居になるらしい。
通訳というより、ガイドとして、ニューヨークの素晴らしさを伝えてあげればいいと言われ、少し安心した。それなら、歳も近いし、楽しくやっていけそうだ。
アパートメントまでの地図を渡され、荷物を置いて、空港に迎えに行くようにと指示された。
アパートメントは、セントラルパークに程近い、ウェストサイドに立つ、見た目にもびっくりするような老朽化したおんぼろアパートだった。
ドアを開けると、小さいカウンター。管理人らしき黒人男性がギロリと顔をあげる。
身をすくめながらも挨拶をかわすと、意外に愛想がいい。そういえば、アラン(パパの知人)の管理しているアパートだと言っていたっけ。ぼくのことを聞いているのかもしれない。
案内された部屋は結構広くて、外見とは裏腹になかなか手入れがいき届いていた。
映画にでてきそうな古めかしいアパート。歩くたびに、ギィっと床が鳴いた。
リビングには小さなキッチンがついていて、食器も一通り揃っていた。
ベッドルームは二つ。シンプルなカバーがかけられたベッドに、小さなライティングデスク。木製のクローゼット。最低限の家具しかないすっきりした造りが、ぼくはとても気に入った。
とりあえず、リビングに荷物を置くと、約束の時間が迫っていた。ぼくは慌てて空港に向かった。
そういえば、資料に写真がなかったな・・・・・・
途中、雑貨店で、スケッチブックとマジックを購入。空港で名前を書いた。それを掲げてひたすら待つ。向こうから声をかけてくれることを祈りつつ・・・・・・
しばらく待っていると、向こうからやけに人目を引く男性がこちらに向かってきた。
長身で、細身で、少し長めの髪がきれいな・・・・・・まさか・・・・・・
ありえない、絶対にありえない!そんなことあるわけない!
否定する思考とは反対に、ぞろりと何かがぼくの背中を這い上がる。足が棒のように動かない。
ばさりと床に落ちるスケッチブック。その音につられて男性がこちらを見た。
サングラス越しで、視線はわからないはずなのに、絡み合ってもつれてほどけない。
男性がサングラスをはずした。





「―――優?優なのか・・・・・?」





――先輩・・・・・・どうして・・・・どうしてここに・・・・・・・・





声を失ったかのように、言葉がでない。
近づいてくる先輩。
会いたくて会いたくて・・・・・・でももう絶対に会えなくて・・・・・何度も夢に見た先輩。
あの時と変わらず、人をひきつける魅力いっぱいの先輩。
ぼくの足元にスケッチブックを見つけた先輩はこう言った。





「―――まさか、優が・・・・・おれの通訳・・・・・?」





先輩と離れてくらした一年間
ただただ先輩の幸せを祈り続けていました。
毎週日曜日には教会であなたに祈りをささげました。
それなのに
まだあなたには足りないのでしょうか?
ぼくの償いは・・・・・・まだまだ・・・・・・











back next novels top top