祈 り



<27>






幸せな時間は流れ行くのも早い。
ぼくは高校生活最後の一年を迎えた。
三年になり、進路別に分けられたクラス。
似たり寄ったりの成績が功を奏し、友樹とはまた同じクラスとなった。
先輩とは、ハウステンボスでお互いの気持ちを確かめ合って以来、驚くほど順調な毎日を送っている。
えっちも、毎週金曜日か土曜日と、学校やバイトのない日の前日にという約束をした。
愛し合うたび、ぼくの中の先輩の存在が大きくなる。
恐いくらいに・・・・・・

この春から、ぼくは先輩が毎週金曜日に駅前で開催している、路上ライブについて行っている。
口コミで評判が広がっているらしく、毎週毎週ギャラリーが増える。
でも、先輩はどんなにお客さんが増えようと、自分のスタイルを変更しなかった。
週決まった時間に、自分の選んだ曲を歌う。延長もしない。

ファンの子に話しかけられれば、相手はするけれど、必要以上に愛想はふりまかない。
ぼくはそんな先輩のそばで、先輩の音楽を聞けるその時間が大好きだった。
素人のぼくでもわかる。先輩の歌は確実に成長している。
二年前、初めて聞いたときも、先輩の歌に引き込まれたけれど、さらに力強さが増した。
もともと、甘く優しい声だったけれど、それに守り包んでくれそうな強さが加わる。
詩の世界も、世相をテーマにしたものから、甘い愛の歌まで幅広くなり、ストレートに心に反響する。
ギャラリーが増え、たくさんの人が先輩を応援している。
先輩の歌が好きだと言う。
それはとてもうれしいことだし、誇らしいことだ。
なのに、わからない不穏な影がぼくの中に沸いてくる。
先輩の喜びはぼくの喜びでもあるはずなのに。








**************************************








三年という学年は、何かとあわただしい。
進路を決めなければならないし、受験に向かってみんな浮き足立つ。
ぼくは、進路を迷っていた。
外国の文化をもっともっと肌で感じたかったのだ。
先輩を忘れるためにと決めた短期留学が思ったより楽しかったせいかもしれない。
志なかばで、あんなことになったんだけれど。
だけど、ぼくはもう先輩から離れられない。
別々に生きていけない。
先輩か自分の志かどちらかを選べと言われたら、迷いなく前者を選ぶ。
ぼくは、通える範囲内での進学を目指すことにした。
毎日が、満たされて過ぎていく。
GWには大きな街までライブを見に行った。
梅雨の季節には、ライブが雨で中止になると、二日連続で抱き合うこともあった。
先輩のお母さんのお墓参りにも連れて行ってもらった。
夏祭りにも、花火大会にも出かけた。
もう望むものがないくらい、幸せなはずなのに、あの得体のしれない不安感が消えない。
そんな不安が、形となって表れたのは、真夏のわりには過ごしやすい、涼しい風が優しい日だった。
いつも通りに、いつもの時間にライブが終わり、先輩に一言二言声をかけた女の子たちが帰った後、いかにも場違いな、すっきりスーツを着こなした男性が先輩に近づいてきた。
「きみ、音楽で食べていく気、ないかい?」
名刺を先輩に手渡す。
「きみのこと、業界ではかなり話題になってるんだ。ルックスに加え、実力もあるってね」
この頃、ギャラリーの数は数百人にのぼっていた。
地元のTV局が映像を撮りにきたり、東京から取材にやってきた音楽ライターもいた。
先輩は勝手に撮ったり、書いたりするのは自由だけれど、取材は受けないと決めているみたいだった。
「その気がないわけじゃないよ、おれ、音楽好きだからね。ほかに取り得もないし」
ギターをケースにしまいながら、その男と話している。
「じゃ、よく考えてみて。悪い話じゃないはずだ。それに、おれはきみのことが気に入った。その音楽性も才能も、その性格もね。気が向いたら連絡して」
男は強引に誘うでもなくあっさりしていた。
ただ、ぼくに一瞥をくれたその目が、ぼくを動揺させた。
そして、おそらく先輩は、話を受けるだろう、ぼくは漠然と確信した。
先輩は、その気がないわけじゃないなんて、曖昧な返事をしたけれど、ぼくは知っている。





先輩は何より音楽を愛していることを。
音楽でメシ食ってけたら、最高だろうなって、話していたことを。
だから、そのために、ここで歌っていることを。





一度だけ見た、先輩のライブ。
スポットライトを浴びる先輩は生き生きと輝いていた。
この人には、このようなキラキラした世界が似合う、そう思った。こういう世界で生きていくべき人であると思った。
そして、脚光を浴びるきらびやかな世界に飛び込むであろう先輩の隣りに、ぼくの居場所はないということもわかっていた。
どうするの?連絡はしてみたの?
そう聞く勇気なんてない。
聞いたときが、この安穏とした生活が終わる時だから。
夏休みも終わり、普段の生活に戻ったある朝、先輩は言った。
「今日から一週間、東京へ行ってくる」
カウントダウンが始まった。








毎週金曜日、先輩について駅前に行って、そこにギャラリーが増えるたびに、大きくなっていた不安。それは、これだったんだ。
先輩が有名になればなるほど、遠くなっていく先輩。
ギャラリーが増えるたび、取材のTVが来るたび、ぼくは先輩すごいね、もう有名人だね、そう繰り返した。
だけど、本心は違ったんだ。
もう来ないで!先輩の歌、聞きにこないで!先輩、もうみんなのために歌わないで!
声にできない想いを心で叫び続けてた。
先輩とキスして、抱き合って、好きだと囁かれ、先輩への気持ちが深くなればなるほど、素直に喜べないぼくの罪悪感がふくらんでゆく。
先輩はぼくに言った。





―――――ずっと一緒に生きていこう―――――





その言葉に、嘘偽りはないと思う。
いや、なかったのかも知れない。だけど、今は・・・・・?
先輩は何でもぼくに話してくれた。
今まで、隠しごとなんて一切なかった。
だけど、今回の東京行き、そんな突然決まった訳はないだろうに、話してくれなかった。
たぶん、先輩も、感じているんだ・・・・・・・
一週間、先輩は電話の一本もかけてこなかった。
このまま、帰ってこないかもしれない・・・・・・・
寂しくて、悲しくて、どうしようもないのに、なぜか涙はでなかった。それは、路上ライブが行われるたびに、ほんの少しずつ大きくなっていく気がした。











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