祈 り



<21>






ぼくは先輩が部屋を出て行くのを、ただ俯いて待っていた。
去ってゆく後姿なんて見たくなかったから。
それなのに一向にそんな気配がない。
すると、ただ、くちびるを噛み、うつむくぼくのあごに、あろうことかふれる手・・・・
すっとあごを持ち上げられたかと思った瞬間、噛みしめたくちびるに降ってくる柔らかな感触。
重ねられて、ちゅっと吸われて、離された後、今度は優しく身体を包み込まれた。
なっ何?何なの?先輩?
ぼくは先輩の胸の中にいる。頭の上からいつもの優しく甘い声が降ってくる。
「ごめん・・・・・不安にさせて・・・・・・ごめん・・・・・・・」
ごめんを繰り返しながら、髪を撫でてくれる。とても気持ちいいよ・・・・・
「おれは、麻野が好きだ」





―――――えっ?





「おれは・・・・・・おまえのことが好きだ」
えっ?
先輩の顔が見たくて顔をあげる。

先輩の胸にいるため、真上を見上げる格好になる。
優しい眼差しをぼくに落とす先輩。
そして、今度はぼくの瞳を真っ直ぐに見て言った。
「麻野、おれはおまえが好きだ」
ストレートに告白されて、恥ずかしくて、ぼくは先輩の胸に顔をうずめた。
その行為の方が大胆なんだけれどかまわなかった。
先輩はぎゅっと腕に力をいれ、ぼくの髪に顔をうずめキスをした。
しばらくぼくたちふたりはそのまま抱き合っていた。
先輩の心臓の音と、ぼくの心臓の音が重なり合う。
同じようにドキドキいってる。





とけそうに温かい・・・・いっそのこと本当にとけ合いたいな・・・・・・





「びっくりした?落ち着いた?」
ぼくの手を握って椅子に腰かける。
「・・・・・うん、とってもびっくりした・・・・・」
大好きな先輩の手に指を絡めるぼく。
ちょっと大胆・・・・・かな?
「いつからか、麻野のこと、気になって。だけど、認めたくなかった。麻野ははるかの弟。そう何度も何度も言い聞かせた。だけど気づいてしまった。自分の気持ちに気づいてしまってからは、抑えるのが大変だった。おれはオトコで、おまえもオトコ。絶対、おまえに知られたくなかった。おまえの信用を裏切りたくなかった。気持ち抑えるの、ほんとつらかった。だけど、それでも一緒にいたくて」
絡めた指先から先輩の想いが伝わる。
ドキドキ早まる鼓動。

「クリスマスイブの日。とうとう我慢が効かなくなって、キスしちまった。好きだという想いが溢れるのだけは何とかこらえた。だけど、一旦箍が外れると、再び結びなおすのは難しいんだ。これ以上おまえと一緒にいると、おれはっ・・・・・それに、おまえの親父さんやお袋さん、それに何よりはるかに申し訳なくて。まだ、一年も経ってないのに・・・・・・だから、家を出た。おまえに説明できる理由じゃないし、嘘もつきたくなかった。だから何も言わず家を出た」
先輩も苦しかったんだね・・・・・・ぎゅっと手を握る。
「でも、決めてたんだ。一年たったら、許しを乞おうと。たとえ、想いが成就しなくても、見守っていくことだけは、許してもらおうと。そしたら、あそこで麻野を発見して!」
今度は先輩がぼくの手をぎゅっと握り返す。
「冷たくなってるおまえを抱いて、心臓止まるかと思った!救急車来るまで必死で身体さすって!たぶんバチがあたったんだ!よこしまなおれの気持ちにみんなが怒りを抱いてるんだと思った。だから三人にお願いした。もうおれの気持ちなんてどうでもいいから、麻野を連れて行かないでくれって!何回も何回も!」
先輩の切なる想いがぼくの心を揺らす。
心臓を鷲掴みにされたみたいに・・・・痛い・・・・
「おれの、中途半端な態度が、ずっとおまえを苦しめていたんだな。ほんと、ごめんな。それに、おれは・・・・・・おまえの告白を聞いてやっと自分の思いを告げることができるような、ほんとは弱くてずるい男なんだ。それでも、おれのそばにいてくれるか?」





先輩、そんなに見つめないでください。ぼくはどうにかなりそうです。





「ぼくはずっと先輩が好きでした。たぶん新歓で初めて見たときから。だから、先輩が姉と付き合い始めたとき、つらくてふたりを避けて、嫌な思いをさせました。あんな事故があって、それがきっかけで先輩と同居するようになって、ぼくは幸せでした。ぼくは先輩がぼくを通して姉を見ているんだろうと、たぶん心の奥では気づいていたんだと思います。だけど、認めたくなかった。だから、その不安に鍵をかけて封印した。その封印が先輩の家出で解かれてしまった・・・」
「やっぱりおれが・・・・・・」
「そうじゃないんです。ぼくはもうずっとぼくの存在が疎ましかった。ぼくとは違ってなんでもできる姉がうらやましかった。ふたり並んでいると、十人が十人姉を見ていた。同性でなかったことだけが救いだった。姉は何でも手に入れた。ぼくの大好きな先輩までも手に入れた。先輩がぼくの中に姉を見ているとわかった時、死んでもなお、先輩の心を捉えて離さない姉を――ぼくは憎めなかった。だって、姉はいつもぼくに優しかった。自慢の姉だった。誇らしかった。この世にいらないのはぼくの方。何の存在価値もないのはぼくなんだ!自分を消してしまいたかった。そう願ったら、眠くなって・・・・・・」
いつしか涙がぽろぽろこぼれていた。
ぽたぽたとシーツにしみをつくる。
絡めていた指を離し、先輩はぼくを抱き寄せた。
今日何度目かの先輩のぬくもり。
ぼくは先輩の肩に顔をうずめる。
初めて先輩の背中に腕をまわした。
ぬくもりに刺激されて涙がとまらない。
そっと身体を離した先輩は、ぼくの頬を伝う涙をくちびるでぬぐった。
ぼくは目を閉じる。
瞼にキスした先輩は、ぼくのおでこにコツンとおでこを合わせた。
「もう泣かせない。絶対悲しい思いはさせない・・・・だから・・・・もうおれを置いていかないでくれ・・・・おれをひとりにしないでくれ・・・・」
ゆっくり目を開ける。きれいで端正な顔、ぼくが求めてやまなかった先輩がここにいる。
「先輩も・・・・ぼくを置いていかないで・・・・・もうひとりぼっちはいやです・・・・」
おでこに、頬に、そしてくちびるに、キスの雨が落ちてくる。何度も何度も・・・・・・
とてもやわらかくて、気持ちよくて、そして先輩が愛しくて・・・・・・
最後に、「退院したら、報告に行こうな」という優しい声が耳に届いた。










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