祈 り



<19>






お母さんの大好きだったカサブランカ、お姉ちゃんの大好きだったコチョウラン、お父さんは男だからお花に興味ないだろうと思い、好きなんだけど高くてなかなか手が出ないと言っていたとても高価なワイン。
バイト代の半年分くらいのびっくりするほど高価なワインだったけど、喜んでくれるならそれでよかった。
お金なんて持ってたって何の意味もないんだから。
それらを両手に抱え、ぼくは彼らの眠る場所に立っている。







事故から一年、ぼくはまだ生きている。
楽しいこと、悲しいこと、いろんなことがあったけど、ぼくはまだこの世に存在している。





ぼくという人間に何の価値も見い出せないままに。





手いっぱいの愛情の証を彼らに捧げる。
喜んでくれているかな?
去年の大晦日以来、先輩は帰ってこない。
三学期が始まって、ぼくが学校に行っている間に、当座の荷物を持ち出しているようだった。
少しずつ、少しずつ、先輩の存在がぼくの家から消えていく。
だけど、ぼくは先輩を探そうとしなかった。会おうともしなかった。
学校を休んで、家にひっそり隠れていれば、簡単に会えたのだろう。
だけど、そんなことはあえてしなかった。
だって、先輩はぼくに会いたくない。
だから出て行ったんだ。
だからぼくのいない時にしか戻ってこないんだ。
これ以上、先輩に嫌われたくない・・・・・・





なぜ、こんなことになったのだろう?
クリスマスイブまで、あんなに楽しかったのに・・・・・・





今でも思い出す、ふれたくちびるの感触。
抱きしめられたぬくもり。
微かなフレグランスのにおいと交じり合った先輩のにおい・・・・・・ぼくの身体に鮮明に刻み込まれているのに!
家族が眠るその場所にぼくはすわりこむ。
いつのまにか雪がちらついてきた。
ふと、ある考えがぼくの頭をよぎった。





先輩、もしかして、ぼくにお姉ちゃんを重ねて・・・た?





突然沸いて出た疑問・・・どんどん大きくなっていく確信。
そうなんだ。きっとそうなんだ・・・・・・・





お葬式でお姉ちゃんの友達に言われた言葉。
―――ほんとにはるかにそっくりね・・・・・・
友樹に言われた言葉。
―――優ってだんだんはるかさんに似てくるよな〜

そして先輩の言葉。
―――麻野を見てるとはるかを思い出すよ・・・・・・






それは、たった一回、聞こえるか聞こえないかの囁きだったし、お葬式のすぐ後のことで、もうすっかり忘れていたんだけれど・・・・・・確かに先輩はそう言った。
先輩がぼくに優しいのは、お姉ちゃんの弟だから。
それはわかりきっていたし、先輩も何度も口にしていることだった。
それでも、その優しさは、お姉ちゃんの弟としての『麻野優』個人に向けられていると思っていた。
だけど、ぼくの中に、お姉ちゃんを見ていたのなら・・・・・・
今までの先輩の優しさ、先輩の笑顔、歌ってくれた歌、温かいキス、抱きしめてくれた腕、たまに見せる弱さ、ぼくが大好きだった先輩がくれたもの全部、『麻野優』の中に見える『麻野はるか』へのものだったんだ!
先輩はどんな思いでぼくを見ていたんだろう?





お姉ちゃんを思い出させるぼくと一緒に暮らしてつらかった?
それともお姉ちゃんと一緒にいるようで楽しかった?





 

神様、もし、ぼくに、今まで生きてきたご褒美をくださるなら。
ぼくは先輩に少しでも幸せを与えてあげることができたと。
たとえお姉ちゃんの代わりだとしても。
先輩がぼくと過ごした時間は楽しかったんだと。
そう思うことをお許しください。








『では、なぜ、おまえの愛する人は、おまえを残して出ていったんだ?』





天からそんな声が聞こえた。
明らかに先輩の態度が変わったのは、クリスマスイブの夜の後。
ぼくにキスをくれた、ぼくにとってはいちばん大切な聖夜の後。
先輩はきっと後悔したんだ。
くちびるを合わせたことで、ぼくがお姉ちゃんとは違う人間なんだと悟ってしまったに違いない。
イブの夜は、恋人たちのための夜。
街全体がロマンチック一色に染まっていたあの日。
先輩もその甘い雰囲気に飲み込まれて、いつもより強く、ぼくの中にお姉ちゃんを見てしまった。





だから・・・だからキスした。





いつどこでも手が届く『麻野優』ではなく、もう二度とその手に抱くことができない『麻野はるか』に・・・
だけど、ふれてみてやっとわかったんだと思う。
今まで、自分が見ていたのは、『麻野はるか』ではなかったってこと。
自分と同性の『麻野優』という高校二年のれっきとしたオトコだってこと。





ねぇ、先輩、後悔した?
今まで与えた優しさを。
ねぇ、先輩、気持ち悪かった?
ぼくなんかとキスしちゃって。オトコとキスしちゃって。
聞くまでもないよね。
だから、あれ以来ぼくを避け続け、出ていったんだものね・・・・・・





舞い散る雪が頬に落ち、ぼくの体温がそれを溶かしていく。
ぼくの瞳から溢れ出るものと混じりあい、頬を伝い落ちる。





お父さんお母さん、どうしてぼくを一緒に連れていってくれなかったの?
ぼくはたったひとりぼっちになっちゃったよ・・・・・・
お姉ちゃん、どうしてお姉ちゃんが逝ってしまって、ぼくがこの世にいるの?
誰ひとりとして、ぼくの存在を喜んではいないのに!





神様、あなたはぼくに罰を下されました。
ぼくは、その罰を素直に受け入れたつもりでした。
たくさんの苦しいことがありました。
だけど、その罰を下される原因となった先輩への想い・・・・・・
ぼくは断ち切ることができませんでした。
それでも、あなたは見守ってくださった。
時には幸福感までお与えくださった。
あぁ、神様、本当に感謝しています。
そして、ぼくは今度こそ、罰を受け入れなければならないのです。
―――もう先輩のことは忘れます。
この世界へ、先輩への想いは置いてゆきます。
だから・・・・・・だから神様、お願いです!
ぼくを、家族のもとへお連れください。
ぼくを、あなたのもとへお導きください。
もし、ぼくのことを少しでも憐れだと思ってくださるのなら。
―――神様、お願いします・・・・・・





 

イブの夜以来、ずっと身につけている、先輩からもらったクロスを胸から離す。
これは、持っていけないね・・・・・・
降り積もる雪と同化しそうなくらい真っ白な花の間にクロスを落としこむ。
目を閉じて、必死で神様に祈り続ける。おかしいな・・・・・・こんなに雪が降っているのに、身体がぽかぽかあったかい。





気持ちいい・・・・・・
このまま眠ったら、楽になれるかな・・・・・・
もう、苦しいのはいやだもん・・・・・・
そう思った途端、すうっと意識が遠のいていった・・・・・・・・

 










back next novels top top