祈 り



<18>






もちろんその夜は眠れなかった。
舞い上がりすぎて、どんな風に家に帰ったのかも覚えていない。
気がつくとベッドの中。
朝、先輩にどんな顔で会えばいい?
そればかり考えていた。









ぼくの心配をよそに、先輩はまるで何もなかったかのようにいつもと変わらなかった。
それはそれでほっとしたんだけれど、同時に落胆もあった。
ぼくにとっては、眠れないほどの出来事も、先輩にとってはなんでもないことだったんだ。
ダイニングテーブルで朝食をとる先輩と顔をあわせているのがつらくて、リビングのソファに膝を抱えてすわる。
考え事をするときのぼくのくせ。
だって、よく考えてみれば、キスされた、抱きしめられた、ただそれだけだった。
先輩の気持ちがまったくわからない。





なぜ、キスしたの?なぜ、抱きしめてくれたの?





答えを知りたい。
でも聞けない。聞くのがこわい。





ただ何となく。





そんな答えが返ってきそうで。

クリスマスイブのロマンチックな雰囲気に何となく流されたから・・・・・・そんな答えが返ってきそうで。
だって、先輩がぼくのことを思ってくれているなんて、そんなことあるはずがない。絶対に!
事実、先輩は何も言わなかった・・・・・キスしたときも、何も・・・・・・
それに、忘れてはいけないこと。
ぼくは先輩の大好きな人の弟なだけ・・・・・・








イブにバイトが休みだったぼくは、その日は一日バイトだった。
先輩も、一日バイトらしく、帰りは遅くなるからといって、先に出かけていった。
その夜、帰ってきた先輩はなぜかおかしかった。
帰りを待っていたぼくを見て「遅くなるって言ったんだから先に寝てろよ」とだけ言ってさっさと部屋へこもってしまった。一見優しく気を使ってくれているようだけれど、今までそんなこと言われたことなかったし、「ただいま」の一言もなかった。
それに・・・・・・一度もぼくと目を合わさなかった。
それでも、先輩も疲れてるんだと解釈し、ぼくも自室にひきとった。
でも、それは気のせいでも、先輩が疲れているからでもなかった。
以来、明らかにぼくを避けている。
家で食事を取ることもなくなった。
朝早く家を出て、夜遅く帰ってくる。
ぼくが無理やり時間を合わせて、起きていたり待っていたりしても、先輩はぼくを見ない。
ぼくが話しかけると、ほんの短い単語で質問に答えるだけで。
数日その状態が続いた。








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大晦日の日、早起きしたぼくは、玄関に座り込んで先輩を待っていた。
案の定、早朝に家を出ようとした先輩は、玄関にぼくを見つけて驚いたようだった。
「―――こんなとこで何してる?そんなかっこうじゃ風邪ひくだろうが!」
何日ぶりかのぼくへ向けられた言葉。
そこには優しさの欠片も感じられない。
「先輩、今日も遅いですか?」
上目遣いに見上げるぼくに「そうだな」と一言だけ返す。投げやりな言い方にズキリとくる。
「今日で、一年が終わります。いろんなことがあった一年が・・・・・・今日だけ、今日だけは早く帰ってきて・・・・・帰ってきてください。お願い!ぼく、待ってますから!」
立ち上がったぼくの脇を、目もくれず出て行く先輩。翻るコートに先輩の冷たさが表れている。
ドアを押し開く先輩の背中に「待ってますから!」最後の願いを込めて浴びせかける。
その日、先輩は帰ってこなかった。
ぼくはひとり、ソファで膝を抱えながら、除夜の鐘を聞いた・・・・・・





ぼくは先輩に何かしましたか?
ぼくに悪いところがあるなら教えてください。

もし、先輩がぼくに会いたくないというなら。
ぼくは先輩と顔をあわせないようにします。

もし、先輩がぼくの声を聞きたくないというなら。
ぼくは先輩の前で口を開きません。
もう何も望みません。

先輩を見ているだけでいいのです。
だから・・・・・ぼくから離れていかないでください。
ぼくをひとりにしないでください。
そんな、些細な願いも聞き入れていただけないのでしょうか?
神様・・・・・・・・・・






先輩からもらったクロスを握りしめて、ぼくは祈り続けた。










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