autumn breeze



<5>



「そろそろパドックに行こうぜ」
先輩の声で、パドックに向かった。
すごく込んでいたけれど、先輩に引かれて人の間をすり抜けると、前方は比較的余裕がある。
みんなパドックで馬を見てすぐに馬券を買いにいけるようにだろう、後方に人が集中してるみたいだ。



「優、じゃ〜ん」
先輩はカバンの中から銀色の手のひらサイズの四角いものを取り出した。
「何ですか?」
「デジカメ!デジタルカメラじゃないぞ?デジタルビデオカメラ!」
ふふ〜んと得意げな顔をして、カチャカチャと操作しはじめた。
「これで、ゴッチャン撮ろうと思ってさ。ダービーの日にエライ儲けたから、この旅行代差し引いてもまだまだカネあるし、買ってしまった。これならいつだって見れるだろ?今日はゴッチャンの晴れ姿を撮ってやっから」
先輩は、どうしてこんなにぼくを喜ばせる天才なんだろう!
「すご〜い!先輩、ぼくにもさわらせて!」
その優しさにジ〜ンと来てしまって、涙が出そうになったから、誤魔化すように明るい声を出す。
「だ〜め!おれが最初に撮るの!優、撮ってやるから、何かしゃべれ〜」
そう言って、ぼくにレンズを向けるけど、何しゃべっていいかわからない。
「こ、こんにちは・・・」
「今日は楽しいですか〜?」
「―――はい・・・」
先輩は、カメラを下ろして、「優〜もっと楽しそうにしゃべってくれよ〜」なんて言う。
「そんな簡単に言うけど、緊張するんですから!」
ぼくは、先輩からカメラを奪った。
「先輩こそ、カメラ慣れしとかないとね。ここ押せばいいんでしょ?じゃあ、何かしゃべってください〜」
「ヨオ・・・」
「今日は、ゴッチャン勝つと思いますか〜?」
「―――ああ・・・」
ぼくは、カメラを下ろして言ってやった。
「ほら、先輩だって、ぼくと一緒じゃないですか〜」
先輩は、ムスッとして、ぼくの手からカメラを奪いとった。
「いいんだ!ゴッチャンを撮るために持ってきたんだから!」
すねたような口調と、照れたような表情がかわいくて、その場に腰を下ろした先輩の隣りにくっついて腰を下ろした。
真っ青な秋空の下、先輩の隣りにいられる幸せをかみしめる。
このままずっと一緒にいられるとは思っていないけれど、この一瞬を大切にしたいと、忘れないように心に刻んでおきたいと、天を仰いだ。





人々がざわざわし始め、ぼくたちは立ち上がった。
「優、出てきた出てきた」
菊花賞に出走する18頭が順番にパドックに入ってくる。
ゴッチャン・・・
3番のゼッケンをつけたゴッチャンは、ダービーで見たときよりひとまわり大きくなった気がした。
そういえば、成長した分だけ体重が増えたって、厩務員さんが言ってたっけ・・・
デビューした頃から、何かと贈りつけるぼくに、いつも丁寧な返事をくれる。
一度、電話をいただいてお話したこともある。
厩舎に遊びに来てもいいとまで言ってくれたけど、それは遠慮した。
ぼくは、ゴッチャンが好きで応援しているファンだけれど、関係者にとっては、仕事であり、ゴッチャンはとても高価な商売道具なのだ。
もちろん関係者もゴッチャンのことはかわいいと思っているだろうけど、お金を稼ぐ手段であることには変わりはない。
ぼくは、そんな仕事の場にまで足を踏み入れたくなかった。

その優しい言葉だけで、十分だった。
ゴッチャンは二人引きで、ぐいぐい二人を引っ張るように歩いている。
元気いっぱいだ。

おそらく、一人がいつもぼくに返事をくれる厩務員の山下さん、もう一人が調教助手の野中さんだ。
今日も、青と白のわたりでたてがみを編んでもらっている。
毛ヅヤもピカピカで、栗毛の馬体が金色に輝いている。
ぼくは、ライバルにも目をやった。
10番のブラックジョーカーは、いつも通り、恐い目をして周回している。
父親譲りの漆黒の馬体もギラギラ光っていて、一段とその不気味さを漂わせていた。
現在、一番人気。
そして、いつもパドック周回後にさらに人気を上げる。
こんな馬体を見せつけられたら、買わずにはいられないのだろう。
とにかく、いつだって、強そうに見えるし、その通りの競馬をするんだ。
15番のダイナミックビート。
ぼくはこの馬を初めて見るけれど、こちらもジョーカーと同じくサンデー産駒なのに、全く違う雰囲気だった。
栗毛の馬体、顔には一筋の流星。
おだやかで上品。

三頭の中でいちばんオトナって感じがする。
さすが、古馬を蹴散らして勝利しただけのことはある。
現在、二番人気。

「三頭とも、すっげーいいよな。どいつが勝ってもおかしくない」
カメラを構えながら、先輩は言った。
だけど、今日は、ゴッチャンが勝つ気がした。
ダービーの時は、あの長い直線を見て、いつ抜かれるのだろうかなんて不安でいっぱいだったけれど、今日は、ゴッチャンは勝つ、そういう気がした。
ぼくと先輩、そして成田さんに、喜びをプレゼントしてくれるはず、そんな確信があった。
ゴッチャンが前を通りすぎるたびに繰り返す。



ゴッチャンは、普通に走れば勝てるよ。
だから気負わないで。
走ることを楽しんできて。



最初に出会ったとき、ゴッチャンは言った。



『走るために生まれてきたから走る』



だから、走ればいい。
長い3000メートル。
楽しんでくればいい。





「優、本場馬入場に間に合うように、席に戻ろ」
最後にゴッチャンに話しかけた。
もう一回、表彰式で会おうねって。

                                                                       




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