autumn breeze



<6>



席に戻って、入場を待つ。
大歓声が沸いて、18頭が入場してきた。
クラシックレース最後の菊花賞。
このコースを1周半走る。

スピード・スタミナ・運、全てを兼ね備えたいちばん強い馬が勝つレース。
今までの実績からしても、菊花賞馬は、古馬になってからも活躍するケースが多い。
「あの三頭で決まりそうだな」
「その中でもゴッチャンが一着ですけどね」
「お〜っ、いやに自信満々じゃんか!」
「だって、応援してる側が不安だと、ゴッチャンにも移っちゃいそうで。ダービーの出遅れだって・・・」
「おれも、ゴッチャンが勝つと思うよ。だからこんなビデオ買ったんだから」
自信はあるけど、ドキドキはする。
そのドキドキが伝わったのだろうか。
先輩がぼくの左手に自分の右手を組むように重ねた。

「おれたち二人分のパワーをゴッチャンに送らなきゃな。ハンドパワー全開っ」
その言い方がおかしくて笑ってしまった。
「ねえ、先輩。成田さんもこの建物のどこかにいるんだね」
「焦って馬券買い足してたりしてな」
「成田さんもドキドキしてるだろうね」
「あいつには、このドキドキを共に分かち合うやつがいなくて可哀想だな。おれには優がいるもんね」
「ぼくにも先輩がいるもんね」
ふたりで顔を見合わせて笑った。
大きな歓声が上がり、スターターが台に向かう場面が映し出され、ファンファーレが鳴り響く。
ターフビジョンには、ゲートに誘導される馬たちの姿。
ゴッチャンは3番だから、すでにおとなしくゲートにおさまっている。
一体、どうするだろう。
何番手を走るのだろう。

「優、しっかり見ておこうなっ」
先輩に言われ、握っていた手に強く力を込めた。





ゲートが開いた。
一頭、出遅れている。
逃げると思われていたヤツだ!

場内もざわめく。
だって、この馬、逃げ宣言していたのだから!

すると、押し出されるようにして、好スタートを切っていたゴッチャンが先頭に出た。
これにまた場内がざわめく。

「先輩、ゴッチャン、逃げるハメになっちゃったよ」
「内枠に好スタートだったからな・・・」
ライバル二頭は、中段よりやや後ろをゆったり走っている。
一周目の正面スタンド前。
大きな歓声に包まれて、18頭が通り過ぎていく。

先頭を走るゴッチャン。
だけど、すごく気持ちよさそうだった。
長手綱をしぼられることもなく、他の馬の五馬身ほど前を、悠々と走るゴッチャン。
ダービーでは出遅れて、最後スゴイ脚を使って新境地を見せたかのようだったけれど、とても苦しそうだった。
やっぱり、ゴッチャンは、先頭を走っていたいのかも知れない。
小さい頃、牧場でも、気の強さが表れて、いつだって先頭にいたらしいから。
「すごくゴッチャン、気分よさそうですね〜」
「自分のペースに持ち込んでるからな。3000メートル逃げ切るかもしんないぞ?」
第3コーナーの坂を登って下る。
まだ、余裕を持って先頭をひた走るゴッチャン。

ぼくは、すごく冷静だった。
第四コーナーから直線に入って、大歓声が沸き起こっても、ぼくはいたって冷静だった。
2500メートル以上走ってきたのに、まだまだゴッチャンは走りたそうだったから。
「先輩、ゴッチャン、勝つね」
「間違いないな」
直線半ばで、ライバルたちが、いい脚を使っても、ゴッチャンは抜かれなかった。
秋の柔らかな陽射しに照らされ、金色に光る馬体を優雅にしならせて、ゴッチャンは先頭でゴールを駆け抜けた。
ターフビジョンに大写しにされたゴッチャンの瞳は「どんなもんだいっ」て言ってるようだった。
2着に3馬身差。
どんなに走っても、追いつかない差だった。
最後は脚色が同じだったから。

結局、ゴッチャン、ブラックジョーカー、ダイナミックビートという着順で、三強での決着となった。





「先輩、ゴッチャン、すっごく楽しそうだった。それに、すごく強かった」
表彰式を見るため、エスカレーターに乗りながら先輩と話す。
「やっぱ、自分自身が楽しまないとだめなんじゃないのかな?人のためだと思うと、プレッシャーになるからさ」
「自分も楽しめて、人も楽しますことができる。すごく素敵なことですね」
「そんな人生いいよなあ〜」
「先輩は、できますよ。音楽を通して、人を楽しますことができる。ゴッチャンみたいに」
先輩は、「そうか?」とそっけなく答えたけど、とてもうれしそうだった。
この楽しい時間が終わったら、先輩は東京へと帰っていく。
ぼくは、また確信のない、待つだけの日々をひとりで送らなければならない。

人ごみの中、先輩の腕にぎゅっとしがみついた。
「どうした?」
滅多に人前でくっつかないぼくに驚いたようだったけれど、声ははずんでいた。
「ゴッチャンが勝って、すごくうれしいな〜て思って・・・」
「きっと、杉本さんも泣いて喜んでるんじゃないの?」
こんな会話もしばらくできないんだ・・・
「先輩、今度はいつ帰ってこれますか・・・?」
「そうだな〜明日からまたいろいろあるから・・・来週・・・かな?」
「来週・・・」
「なに?やっぱ淋しい・・・?」
しがみついたままのぼくを覗き込もうとする。
ぼくは、いつから素直じゃなくなったんだろう?
「平気ですよ!春になったらずっと一緒ですからね!」
先輩は、ぼくが嘘をつくときに、目を伏せるくせがあると言った。
と言うことは、いままでのぼくの強がりは全部バレていたのだろうか?

ぼくは、笑顔で先輩を見上げた。
目をそらさないように・・・

じーっと瞳の奥を探るかのようにぼくを見た先輩は「そうだな〜もう少しのガマンだもんな〜」て言って笑った。
「先輩、ちゃんとゴッチャンの晴れ姿、撮ってくださいね」
先輩から離れて、手を引っ張った。
念願の菊花賞のレイをかけられて、観客から祝福されるゴッチャンは、今までのなかでいちばん誇らしげだった。
厩務員の山下さんは、目を滲ませていた。
相当な苦労があったのだろう。

「優、今度は、春の天皇賞だな・・・また来れるといいな・・・・・・」
ダービーが終わった時、先輩は、菊花賞に行こうと言ってくれた。
だけど、今は、行こうとは言わない。
希望と願望を込めた言いまわしをする。

おそらく、先輩もわかっているのだ。
もう来れないって。

来年の春、先輩はデビューするから。
こんな風に自由な時間がなくなるってわかっているから。

「そうですね・・・」
ぼくもわかっている。
こんな風に、先輩と楽しい時間を過ごせるのはあとわずかだって。

もし共に東京で暮らすことになっても、大っぴらに外出したり出来ないだろうし、そんな時間さえないかもしれない。



ぼくは、これでいいのだろうか・・・?
先輩をただ待っているだけの人生でいいのだろうか・・・?

そして、先輩を待っているぼくは・・・先輩の負担にならないのだろうか・・・?
ぼくは・・・先輩を待っていていいのだろうか・・・?
だけど、この大好きな人を、ぼくは手放すことができるだろうか・・・?
そんな勇気が、ぼくにあるだろうか・・・?



記念撮影のカメラにおさまっているゴッチャンを見た。
ぼくにも、決断するときがやってくるだろう。
今日ゴッチャンが、自らの決断で逃げをうち、勝利を掴んだように。

そして、その日は、すぐやってくるに違いない。
ぼくには、そんな予感がした。

                                                                       おわり


 おしらせ 

こまでお付き合いありがとうございます。
さて、このお話には続きがあります。
ふたりが離れてしまうほんの少し前、このお話の5ヶ月後になります。
あまりに苦いストーリーなので隠しました。
興味ある方は探してみてくださいね。
ヒント:このページ内にあります。


back next novels top top