I wonder which horse Victory
will smile on





<5>


〜side



ぞろぞろと同じ方向に向かう人並みの中を、先輩と手をつないで歩く。
もう一生会わない人たちばっかなんだから、いいだろ?と、半ば強引に手をとられたけど、周りの人たちの無関心さには驚いた。
これが、東京なのだろうか?
堂々と手をつないで並んで歩くなんて、もう一生ないかも知れないな・・・・・・
そう思うと、この瞬間もとても大事に思えて、先輩の手を強く握った。
「あっ、見えてきた」
「すご〜い、大きいっ」
それは、小倉競馬場とは比べものにならない、立派な競馬場だった。
入口でハガキと交換に、座席の書かれたバッジをもらい、ハンドスタンプを押された。
「先輩っ、馬場を見にいきましょう!」
手を引っ張って、スタンドの下を通り抜けると、視界が広がった。
「す、すご〜〜い!」
鳥肌が立った。長い長い直線。
ゴール盤の前から第四コーナーが全然見えない。
後ろを振り返ると、巨大なスタンド。圧倒されてしまう。
「あそこのガラス張りのところが、指定席なんだって!」
「え〜?すごいね先輩!あんな上からじゃきっと全体が見渡せる!」
ぼくは、馬場の方に向き直った。
「ゴッチャンは、ここを走るんだね。たくさんの人の声援を受けて、ここを走るんだね・・・」
「そうだな。どいつにも抜かれないで、ゴールに入るといいな」
「ゴッチャン、きっと頑張るよ!」
「優の送ったニンジンやリンゴ食ってるんだから、走らないわけないって!」
「そうですね!」
先輩に言われると、とても自信が持てる。
ゴッチャン、頑張れ!
「優、席に行って見ようぜ」
今度は先輩に引っ張られて、指定席へと向かった。
途中、バッジとハンドスタンプをチェックされ、どんどん階上へ進んでいく。
自動ドアの向こうは、階下とは別の世界だった。
じゅうたん張りだし、人も少ない。
いたるところにソファや長いすが設置されていて、座るところに困らない。
そして、下から見たガラス張りの中は、馬場に向かって机とペアシートがずらりと並んでいた。
「優、ここここ」
ぼくたちの席は、前から5列目の直線真ん中あたり。
「すご〜い!」
「優は、今日そればっかだな」
先輩に笑われたけど、それしか言葉が見つからないんだ。
上から見下ろすと、さらにその広さがわかる。
大きな緑の楕円形。一周約2000メートルのコース。そして直線500メートル。
何だか、ダービーまでまだまだなのに、緊張してきた。
「先輩、連れてきてくれてありがとう」
お礼を言わずにいられなかった。
先輩は、照れたように笑っていた。





「優、馬グッズのお店があるんだって。行ってみる?」
「だけど、先輩、もうすぐ1レース始まりますよ?」
「いいのっ。今日はゴッチャンの応援オンリー。他のことに力を入れないの」
ゴッチャンには、ぼくだけじゃなくて、先輩もついてるんだ。
「じゃあ、行きます」
スタンドの端のほうに、そのお店はあった。馬のグッズがところ狭しと並んでいる。
ぼくは友樹へのお土産を探すことにした。
友樹までぼくたちの影響で、競馬好きになったのだ。

「先輩、ほらっ、テレカがあるっ」ぼくはそのテレカをじっと見つめた。
そうだ、彼はここで死んじゃったんだ・・・
それはレース中に故障して死んでしまった一頭のサラブレッド。

彼の走っている姿を見たことはないけれど、先輩と一緒に見たビデオで彼のことを知った。
さっき見た緑の芝生と、後続馬をぶっちぎって気分よく楽しそうに走る彼の姿がオーバーラップする。
あの大欅を過ぎたあたりでバランスを崩して・・・・・・
先輩を見上げると、黙ってじっとテレカと見つめていた。きっと同じこと思ってるんだね。
「優、友樹への土産はこれにしよう」
友樹は、先輩に彼のビデオを見せられて以来、ファンになってしまっている。
口を開けば、走っているところが見たかったと、愚痴をこぼしていた。
ぼくたちは、二種類のテレカを購入した。
「先輩、やっぱり競馬場に来てるんだから、競馬をしましょうよ」
ぼくの誘いに、うれしそうな先輩。やっぱしたかったんだね。
「今度は、菊花賞のために貯金しないとな」
取ってつけた理由に、ぼくは笑ってしまった。こういうときの先輩はこども見たいでかわいい。
そうだ。ぼくには昨日から気になっていた馬がいたんだ。
「先輩、3レースにカノンて馬がでますよね?」
新聞をぱらぱらとめくる先輩。
「―――ほんとだな。だけど、無印・・・」
先輩の目がきらりと光った。
「ぼくたちが今日ここに来てるのって、やっぱ運命ですよ?普通なら買えないのに」
「―――だよな。変に馬連なんかにせずに、単勝をドカンと・・・いくか?」
ぼくの同意に、先輩は馬券を買いに走った。
戻ってきた先輩の馬券を見て驚いた。
「い、一万円〜〜?」
「おうっ!ドカンといってきたぞ!オッズは単勝25倍」
「当たると・・・25万?」
そして、カノンは・・・府中の直線をスゴイ脚で差しきった・・・・・・
ぼくたちは明らかに浮いてしまった。
静かな指定席で、大声で叫んでしまったから!

「優、優、スゲー。でも帰りに換金しような。持ち歩くのは物騒だ」
「お昼はおいしいもの食べましょうね!帰りの飛行機もスーパーシートにしましょうね!」
幸先のいいスタートに、とてもいい気分だった。





一瞬にしてお金持ちになったぼくたちは、午前中のレースはそれで止めて、お昼は奮発してお寿司を食べた。
しかも、メニューの中でいちばん高いのを選んで!
「優、昼からどうする?パドックでゴッチャン見たいだろ?じゃあ、8レースくらいからパドックに行っとかなきゃ」
「実は、もう一頭気になってたのがいるんです」
ぼくの言葉に即座に反応して、新聞をめくりだす。
「何レース?」
「7レース」
7レースの出馬表とにらめっこした後、「わかった〜」と楽しそうにぼくに新聞を見せた。
「これだろ?優の好きそうな名前だもんな。ピアノソナタ」
「かわいいでしょ?でもそれだけじゃないんです。母はオトメノイノリ。すっごくいい名前じゃないですか!」
馬主さんのセンスには感服する。素敵すぎる。
「こいつの兄弟姉妹もこんな名前なんだろうな。ノクターンとかポロネーズとか・・・スケルツォとかかっこよくない?」
「でも、バイエルってのは何か嫌ですね。弱そう・・・」
確かに、そう言って笑い出す先輩。
「名前だけじゃないですよ?父はトニービン。府中得意のトニービン産駒だし、母父はサンデーですよ」
「おお〜今日本で考えられる、超ハイレベルの配合のひとつだな」
「でも、けっこう人気してるんですよ。だから大穴ってわけにはいかないけど・・・」
「じゃあ、堅く単勝で、また一万円いっとく?」
「ですね!」
言うまでもなくまたまた勝ってしまった。単勝7.6倍。それでも76000円になった。
「やっぱトニービン産駒の府中得意はホンモノだな」
ホクホク顔の先輩。すでに30万以上儲けてしまった。
「いい脚を長く使えるからですね。ゴッチャンも勝つといいな〜」
そうなんだ、いくら儲かったって、ゴッチャンが勝たないと何の意味もないんだから。
パドックはすでに人でいっぱいだった。
「優、行くぞ」
先輩はぼくの手を引っ張って、強引に前に進んで行く。
かなり前まで割り込んで、スペースを確保した。

「先輩はっ強引なんだから」
「いいんだ。おれたちはゴッチャンを応援しないといけないんだから」
まだ、ダービー出走の馬が出てくるまで、一時間以上もある。
並んでその場に腰を下ろした。

「この前ね、皐月賞が終わった後に、リンゴ送ったんです。そしたら、ダービーに向かいますってお返事をいただいてね、この写真が同封してあったんです」
手帳に大事に挟んでいる、ゴッチャンの厩舎での写真。
馬房から顔を出して、ちゃんとカメラ目線。

「ゴッチャンでさ、いつもカメラ目線じゃね?」
「賢いからわかるんですよ。自分が撮られてるって」
「何?ナルシストってやつか!」
「男の子だから、自分をかっこよく見せたいんですよ!」
馬を擬人化して話してるって何かおかしい。
なんだかんだと話しているうちに、9レースの始まりを告げるファンファーレが鳴り響き、パドックがざわめきだす。
「そろそろ出てくんじゃない?」
立ち上がって、そのときを待つ。
ゴッチャンとの付き合いは長いけれど、間近で見るのは今日で二回目。
初めて見たのはデビュー戦だった。

どんななってるかな?大きくなってるかな?
「あっ、来た来た、ほらほら」
先輩、はしゃぎすぎだよ!
ぼくたちからいちばん遠い場所から現れたゴッチャン。
約一年ぶりのゴッチャン。どんどんぼくに近づいてくる。

さんさんと降り注ぐ太陽の陽に照らされて輝く栗色の馬体は、初めて見たときと同じようにキラキラときれいだけど、何だかオトナになったみたいだ。
―――ゴッチャン、久しぶり―――
前を通り過ぎた時、声をかけた。
「ゴッチャン、貫禄が出てきたな。あれからいろんな経験したんだもんな」
しょせん動物なんて畜生だっていう人もいるけれど、ぼくはそうは思わない。
彼らには彼らなりの思考があって、いろんなことを考えながら生きてるんだと思う。

ゴッチャンだって、勝ったらうれしいだろうし、負けたら悔しいだろう。
それを繰り返して、この日を迎えたんだ。

『走るために生まれてきたから走る』
だから、今日もこんなに堂々と、誇らしげに歩いている。
同じ年に生まれたサラブレッドの頂点を目指して走る。

ぼくがゴッチャンを好きだという欲目を除いても、18頭の中でいちばん輝いていた。
パドックの外、ぎりぎりのところを、首をリズムよく上下に振って、パカパカと歩いている。
今日は、たてがみをわたりに編みこんでぼんぼりをつけていた。
勝負服と同じ、青と白のぼんぼり。

「やっぱりゴッチャンがいちばんですね」
「馬体重も皐月賞と変わりないし、何よりゴッチャン自身が楽しそうだもんな」
パドックに設置された電光掲示板。6番の単勝は5.5倍。2番人気。
「ほら、あの8番が一番人気じゃん」
そいつは、ゴッチャンとは対照的な漆黒の馬体の持ち主だった。
『ブラックジョーカー』
ゴッチャンが重賞戦線を賑わしている頃、彼はまだ条件馬だった。
ダービートライアルの青葉賞で一着となり、優先出走権を得て、ここに駒を進めた。
ここまで土踏まずの四戦全勝。
父は日本史上最高の種牡馬サンデーサイレンス。母父はヌレイエフ。
まだ底を見せていないという調教師のコメント、競馬トラックマンの評価も高く、一番人気に支持されていた。

その真っ黒な馬体は父親のサンデーそっくりで、名前も不気味で、なんだか見ていて身震いした。
「なんか、恐いですね。サラブレッド特有の優しさを感じない・・・」
目だって血走ってるぞ?
「おれもそう思う。何かヤな感じだな」
皐月賞二着の実績を持つゴッチャンを差し置いての一番人気。
それだけあいつが高く評価されている証拠。

うだうだ考えているうちに、騎手が出てきた。本場馬へ向かう。
騎手を背に、ぼくの前を通り過ぎるゴッチャンが、ほんの一瞬視線をこちらに向けた。
本場馬に向かう人や、声をかける人で、ざわざわしていたパドックの、ぼくの周りだけが静かになる。
ぼくにだけ雑音が聞こえない。代わりにゴッチャンの声が聞こえた。

―――絶対負けない―――





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