ふたつのこころ


<2>



付き合い始めて約2ヶ月。おれはここで晩メシを食ったことがない。
いつも弟たちがいるからと9時前には帰っていたから。

キッチンに入ったときに、全くの自炊のあとがないのには驚いた。
料理は苦手らしい。だから、おれのバイト先の弁当屋に現れるんだろうけど。

「一応、鍋とか調理道具一式はあるんだな」
けっこう立派なこのマンションのキッチンは、これまた立派なもので、使いがいがありそうだ。
「まあな。オンナが―――」
しまったと言わんばかりに口を閉じた片岡の言葉が聞こえなかったように振る舞う。
こいつに自分の手料理を食べさせたいオンナなんて星の数ほどいそうだもんな・・・
冷蔵庫を開けたって、食材なんて見つからない。アルコールとつまみの類で埋まっている。
「買い物いかなきゃな・・・」
「一緒に行くか?」
おれの機嫌を伺うかのように優しい口調に、頷きたいのは山々だが、誰に見られるとも限らない。
おれは、世間の興味本位な感情でこの関係を壊されたくない。
自分たちに意志に関係なく。

「いいよ。おれ行ってくる」
片岡を残し、部屋をでた。





学生時代からずっと住んでいるらしいあのマンションに、一体何人のオンナを招きいれたのだろう。
二ノ宮の話では、片岡はとんでもない性欲マシーンだったらしい。
来るもの拒まず、据え膳は食うタイプだそうだ。

明倫館で教鞭を執りはじめ、おれに出会ってからは、全く別人のようになったとは聞いたけれど、やっぱり過去のことが気になった。
おれに、恋愛の過去がないからだろうか?
おれにとって、片岡が初めてのコイビトってやつだからだろうか?
二ノ宮に片岡の過去を聞いた当時は、びっくりしたけれど嫌悪感はなかった。
おそらく、「それだけおまえのことを愛しちゃってるんだ」っていう言葉のほうが大きくて、そのほかのことは吹っ飛んでしまった。

だけど、その当時とはおれの気持ちが違う。
今は・・・片岡のことが好きだとはっきり言える。
教師を、しかも同性のオトコを、こんなに好きになってしまっていいのかと、恐いくらいに・・・
いつだって片岡のことで頭が一杯だったりする。

だから、あいつが今おれを好きなのはわかるけれど・・・気になってしまうんだ。
こういうところが、コドモじみているのかもしれないけれど。
近くのスーパーでさくさくっと買い物を済ませ、部屋に戻ると、片岡はソファで眠っていた。
「カギもかけず、寝るなっつうの」
しかも部屋内は冷房でひんやりしている。
こんなんじゃ風邪をひいてしまうけど、あまりに無邪気顔で気持ちよさそうに寝ているものを起こしたくなかった。

おれは、タオルケットを求めて、まだ足を踏み入れたことのない片岡の寝室へと向かった。
本人の了解なしに部屋に入るのは躊躇われたけれど、少し興味もあったから、おれはドアを開けた。
開けてびっくり。そこは寝室以外の何者でもなく、デーンとでっかいベッドが部屋の大部分を占めていた。
アイボリーのベッドカバーが掛けられたそれは、清潔感いっぱいで、まるでホテルみたいだった。

これってダブルより大きいよな?あいつがベッドメイキングするのか?すっげー几帳面じゃん。
なにか掛けるものと思ったが、タオルケットの一枚も見つからない。かといって、勝手にクローゼットを開けるのはイヤだ。
ふと、部屋の角に目をやると、イスに少し厚手のカーディガンがかかっていた。
おれは、それを手に取り部屋を出ると、しばらく起きなさそうな片岡にかけてやった。
起きたらすぐに食べることが出来るように、調理をはじめる。
中学の頃から家事をこなしてきたおれは、かなり料理は得意だし、味にも自信がある。
そんなおれが簡単なカレーにしたのは、旬の夏野菜が使えることと、残ったものを冷凍にすればチンしていつだって食べてもらえるから。それに、夏のカレーはにおいだけで食欲をそそる。
手早く、カレーとサラダ、冷奴、買いすぎたナスで和え物を作った。
すっかり外も暗くなり、時計を見ると8時。
リビングに戻り、起こそうか迷っていると、片岡と目が合った。

「何だよ。起きてたのかよ」
「結構前からな・・・ふうっと目が覚めたら、キッチンから音がするのって・・・なんかうれしいな。おれのために作ってくれてるんだって思うだけで・・・すっげー幸せを感じた・・・・・・」
そんなこと・・・照れるじゃんかよ!
「じゃあ、さっさと食おうぜ。ほら、あっちへ移動移動!」
片岡を起こし、ダイニングテーブルへとすわらせた。
「あんた、ビール飲むだろ?」
「いや・・・」
「なんで?いっつも飲むんだろ?」
「おまえを送っていかなくちゃならねえから、今日はいい。こんなに料理もあるし・・・」
こいつ、まだそんなこと言ってるのか?やっぱおれが言うしかないのか?
おれは、冷蔵庫からバドワイザーの缶とグラスを持ってきて、ふたりぶん注いだ。
「だからだめだっ―――」
「いいって!おれも飲むからさぁ」
「だめだって!」
「おれが言いっつってんだからいいの!おれ、泊まってくるって言ってきたから!」
押し問答の末に飛び出た言葉に、片岡が絶句したのがわかった。
「―――今日は友達んとこで夜通し勉強会だって言ってきたから・・・」
なんだよ!なんか言えよ!
「おまえ・・・いいのか?」
もう聞き返すなってんだ!
片岡の視線を感じてはいたけれど、自分から泊まるなんて言い出したことで、キス以上のことを求めてると思われるのが恥ずかしくて、カーテンが開け放たれたままの窓に目をやった。
大きな窓ガラスに、おれに視線を送っている片岡の姿が映っているが、表情までは読み取れない。

「家族にウソなんてついたことないだろ?」
そう言われるとズキリとする。
おれは、今までウソなんてついたことなかった。
初めてのウソが、この間の旅行。弟たちを騙すのは苦痛だったけれど、おれは片岡との旅行を選んだ。

片岡は、おれとの関係に後ろめたさを感じているらしい。
自分は教師でおれは生徒。
旅行の時に零れた片岡の弱々しい言葉が甦った。

さらに、おれの家族にもそんな思いを持っていたのだろうか?
おれには、片岡との付き合いに、なんでオトコを好きなんだろうと疑問がありこそすれ、後ろめたさはない。
「おれはあんたと付き合うと決めた時に、覚悟を決めたんだ。おれはウソは嫌いだ。けど、誰にも迷惑かけないウソならいいじゃん。おれとあんたの関係が長く続くウソなら・・・いいじゃん」
すると窓ガラスの中の片岡がくすっと笑った。
「なんで、笑うんだよ!」
片岡を睨みつけると、さらにくくっと笑った。
「おれ、やっぱ成瀬のこと好きだわ。おまえはほんっとすげーな」
すげーだけじゃわからない。何で笑うのかもわからない。
「意味不明なんだけど?」
口をとがらせるおれに片岡はいつものヤツに戻って言った。
「じゃあ、今日はヤリまくりだな」
結局、こいつのペース・・・なんだよな・・・・・・





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