愛するキモチ



<2>



「すっげぇ〜」
おれが連れて行かれたその旅館は、緑の山々に囲まれた、おれが一生泊まらないような、でかい旅館だった。
女将と仲居の歓迎っぷりで、片岡が何回か泊まったことがあるのがわかった。
一旦外に出て、石畳づたいに案内され、行きついたのは、数寄屋造りの離れ。
部屋に入ると、でかい和室が二部屋もある。
開け放たれた広縁の向こうには、日本庭園。

片岡は、仲居に夕食の時間やメニューを伝えているようだった。
部屋をぐるりと見渡してみるけれど、広いのに余計なものが置いてなくて、すっきりしている。
どこに座っていいやらわからなくて、広縁から庭を眺めた。
手入れのいきとどいた緑に小さな池と灯篭が、絶妙に配置されていて、真夏なのに涼しさを感じる。

「どうだ、気に入ったか?」
後ろから抱きすくめられて、びっくりした。
「あ、暑いから離れろよ!」
肘で片岡の腹あたりをつつくが、離す気配はない。
「やだね!気に入ったかって聞いてるんだ。答えろよ」
「―――あんた、ここの常連か?女将の態度が明らかに違ったぞ?」
こんな宿の常連って・・・もしそうなら片岡ってどんな暮らししてんだ?
「何回か利用したことあるだけだ」
誰と来たんだよ・・・そのセリフを飲み込んだ。ヤキモチを焼いてると思われるとしゃくだから。
「とりあえず、離れてよ。これじゃゆっくりできないだろ?」
そう言うと、やっと腕をほどいた。
座椅子にもたれかかって、煙草をくわえる片岡の正面にすわったはいいものの、いつもと勝手が違ってぎこちない。
座椅子の横には脇息まである。時代劇の殿様みたいじゃんか。

隅っこの棚らしきものに置かれていたこの旅館の案内を見つけて手に取った。
そういえば、看板だってかかってなかったから、名前だって知らない。

3600坪の敷地に12の数寄屋造りの離れ。それだけでおれはビビっていた。
高校生がこんなところに泊まってもいいのか?

「ここ、高えんじゃないの?」
「んなこと気にすんなよ。おれは独りモノだから、あんまカネ使わねえの。コガネ持ってんだ」
「けど―――」
「好きだろ?こんなの・・・」
なんでそんなこと知ってんだ?
ジジくさいかも知れないけど、おれは洋より和なんだ。こういうまったりした和室が好きなんだけれど・・・
「どっかいくか?」
片岡が煙草を揉み消しておれに尋ねた。
「・・・いいよ。部屋でゆっくりしてるほうがいい」
おれは再び広縁に出て腰を下ろした。
夏の影が庭の半分に落ち、どこからともなく流れてくる風が心地よく肌を刺激する。
冷房なんかなくったって、とてもさわやかな気分。
すうっと自然におれの隣りに腰を下ろす片岡。
ふれていないのに、右半身が、もわっと温かい。
「今日は何て言ってきたんだ?」
「えっ、ああ、学費免除生対象の勉強合宿」
いくら何でも、弟たちにこの旅行のことは言えない。
恋人と行くっつったって、オトコだし教師だし。

「そっか・・・じゃあ、帰りにバレないような土産買って帰ってやろうな。けっこう気にしてるだろ?」
そう、おれは気になってた。
この夏休み、普通の家庭だったら家族で旅行にでも行くんだろうが、おれが連れて行ってやれるのは海水浴くらいで、しかも日帰りで。
なのに、おれひとり、こんなりっぱな旅館で、ゆっくり過ごして・・・嘘までついて・・・

それがどうしてこいつにはわかるんだろう?
いつだってそうだ。こいつはいつの間にかおれの考えていることを理解している。
そして、恩に着せることなく、ごく自然に、おれの心に入り込んでくるんだ。

「バイトはどうなんだ?やりすぎてないか?」
「それは大丈夫。半分趣味みたいなもんだからさ」
「だけど、普通の受験生は夏期講習に行ってるんだぜ?」
「おれ、要領いいから。短時間でぱぱっとやっちゃうってやつ?でも、もう少し真剣にしないとな。おれ、国立一本だしさ」
うちの経済状況から考えても、私立なんて滅相もない。だけど、バイトもやめられない。
そうなれば、何とか時間を有効に使って効率よくやっていくしかない。

「おれが、見てやるよ、受験勉強」
「教師がひとりの生徒にそんなことしていいのかよ」
優しい言葉がうれしいくせに、やっぱり口をつくのは憎まれ口。
「成瀬は特別じゃんか、おれの。だからいいんだ。それにそしたらおまえと一緒にいる時間も長くなるし、おまえは勉強になるし、一石二鳥だろ?」
特別・・・か〜なんかいい言葉だなぁ。今まで特別なんてなかったもんな、おれ。
片岡は後ろに寝転がって、おれの腕を引いた。
おれは、片岡の傍らにくっつくように抱き寄せられた。

「んだよっ」
起き上がろうとするおれの身体をギュッと抱いて離してくれない。
「ここ、涼しいしさ。ちょっと昼寝しようぜ。疲れを癒しにきたんだから・・・」
そう言って、目を閉じてしまった。
片岡の腕に抱かれて仰ぐ夏空は、真っ青で、とても奇麗だった。
いつまでも仰いでいたかったけれど、静寂と夏涼と片岡のぬくもりに包まれて、うとうとと浮遊感に襲われた。






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