過去ログ―2007年6月1日~6月22日

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Re: 新・あつい壁  投稿者:ふーん  投稿日:2007年 6月22日(金)07時01分21秒   返信・引用
  > No.2379[元記事へ]

各療養所で試写会をやってるみたいだけど、
入所者の感想は冷めてまっせ。
こうやってどんどん乖離するんだな。
学校で見せられた子供は何を思うのか。
 
    (リベル) 入所者である志村さんの「志村さんとキャッチボール」というBBSはこちらです。よろしければ、どうぞ、そちらでも、そう仰有ってきてください・・・。(6.22 07:55)  

いろんな方々がいて、もちろん良いのでしょう!?  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月22日(金)06時44分31秒   返信・引用
   文科省の特選に 選出 されたというだけで、「喜び」後押しする方々。

 文科省の特選に 選出 されたというだけでも、「嘆き」今後の運動(活動)を心配される方々。


 「救済の客体から解放の主体へ」という大きなテーマを戴いている私は、このテーマとの逆行?または乖離?を感じずにはいられないのですが・・・。


 つい最近観た映画で、史実にもとづくドラマ化という観点では多少なりと似ている点もあるということからも観賞してきました。
 1950年代のアメリカが舞台(冷戦中のアメリカ国家が共産主義者を根絶していく政策)で報道に携わる使命を持ちえた数人のスタッフが、その虚偽(マッカーシズム)を番組内で暴いていったという、事実にもとづいた作品であることから、この映画制作に携わった方々の真意が読み取れるようです・・・、現ブッシュ政権への警鐘にもなれば良い!若しくは主権者への提唱になることを目的とされた製作者サイドの心根が感じ取れます。


 アメリカの歴史を変えた一人と称される、伝説のニュースキャスター【エド・マロー】を描いた作品です。

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88%26%E3%82%B0%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF

 http://ja.wikipedia.org/wiki/エドワード・R・マロー


 この映画を観て、一番に感じたことはエドを雇っていたCBSテレビの会長の存在が大変気になりました。
 調べてはみたものの、英語であったため、読めないでいる私・・・・・・。

CBS会長のW.ペイリーについて:http://en.wikipedia.org/wiki/William_S._Paley
 

新・あつい壁  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月22日(金)03時00分49秒   返信・引用
  「今入ったニュースです「新・あつい壁」が文科省の特選に選出されたと監督より連絡がありました」

「志村さんとキャッチボール」に書いてあります。
 

余談:ゴミの分別  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月22日(金)02時49分46秒   返信・引用  編集済
  我が町も御多分に洩れず、4月からこれが始まりました。昔、駅などに「燃えるゴミ」、「ビン」、「缶」と三つに分けていたのは、良いことだと思っていました。リサイクル出来るものは、分ければ良いと。

今回のお達しでは、プラスティックと紙は分けろ。「紙」も鼻を嚊んだティッシュと、汚れていないチラシなどは分けろ。ペットボトルに至っては、「本体」、「蓋」、「帯」と三つに分けろと言います。これはもう、私に言わせれば「狂気の沙汰」としか言いようが有りません。

この問題は、「リサイクル」が発想の原点に有る内は良かった。それが、役人が「経費削減」を持ち込んで来てからオカシクなり始めた。更に、机の上で「ああだ、こうだ、一口にプラスティックと言っても」と理屈を言い始めてから、一層おかしくなって来た。本来の趣旨がどこかへすっ飛んで、本末転倒になってしまった。細かく細かく、細分化するほど、お国の役に立つなどという、勘違いが蔓延ってしまった。

要はごみ焼却炉の、燃焼能力の問題でしょう。昔から、「ごみはごみ」、「汚物は汚物」、まとめて捨てるものと相場が決まっているはずです。阿蘇かどこかの噴火口へ、でかいヘリでブルブルブルと運んで、ドーンと捨てる。冷蔵庫からティッシュまでまとめてドーン!。これでいいはずです。

恐いのは、このまま分別社会が進んで行くと、人間の排出する汚物(早く言えば糞尿です、ご免なさい)まで、「動物質」、「植物繊維」と分けろという話になりかねません。極論ではなく、私は、今の「分別」はそういう方向性を抱懐していると思うのです。


「分別」は「リサイクル」という本来の趣旨を見失った時、分別(ふんべつ)も見境も失ったのでしょう。


そこへ落とすに違いないと、初めから分かっていた? 恐れ入りました・・・〆(。。 )メモメモ
 

清新、厚生労働省!  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月22日(金)01時25分49秒   返信・引用  編集済
  昨日、「ハンセン病に関する情報ページ」に3つの更新がありました。「更新」は定期的に見られることですが、いつもと違ったのは、その内容です。これまで、「平成17年○月」のままだったのが、「平成19年6月」に更新。2年間のブランク部分を埋めました。

就中、「ハンセン病対策等について」では、これまで、聖域のごとく遠ざけていた部分に、堂々と言及を始めたことです。勿論、自分に都合の良いことだけですが。「ソロクト」、「ロードマップ委員会」にまで触れれば、申し分なかったのでしょうけど。

これは、かなり注目すべき「動き」だと思います。「何か」有るのではないか?

という、いつものネガティブな眼差しは、今回は止めておきます。
 

リベル様  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 6月21日(木)08時14分2秒   返信・引用  編集済
  新・あつい壁でしたか。

 失礼しました。前もあついでしたかね。厚いと熱いと暑いをかけて言ったのでしょうか。監督にききましょうか。BBSですね。詳しい区別をつけずに書いていました。

 各県で、このようにやるのでしょうかね。知りませんでした。
 

新・厚い壁熊本鑑賞予定  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 6月21日(木)02時15分15秒   返信・引用
  熊本県における 新・厚い壁 上映スケジュールを入手しましたので 小生のブログに書きました。購入した券が役に立ちます。

 http://9105.teacup.com/ichiro/bbs
 
    (リベル) Ichiroさん、映画の題名は「新・あつい壁」ですよ。上映スケジュール、有り難うございました。

あ、Ichiroさんのサイトは、「BBS」又は「掲示板」と言います。もし「ブログ」がお持ちになりたいのなら、手ほどきして差し上げますから、遠慮無く仰有ってください。

茂木健一郎さんの「ブログ」です。この6月20日の項の一番下に「コメント」という文字があります。ここにコメントを入れる形を取るので、対話性は、「BBS」より落ちますが、それで宜しければ、どうぞ。(6.21 06:16)
 

便利がいいですね  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 6月20日(水)08時50分11秒   返信・引用
  リベル様ありがとうございました。

 リンクしていますね。日本の南静園のサイトもつながっていました。

 Ichiro
 

ILA Global Project on the History of Leprosy  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月20日(水)07時58分34秒   返信・引用  編集済
  「ILA Global Project on the History of Leprosy」というサイトが、検索に便利なのですが、今度「World map」というのが出来ました。

真ん中の地図をクリックすると、療養所、研究機関、博物館などのMAPがでます。ドン・キショットさんが仰有っていた、南米のこと、これで見ると、ハッキリ分かりますね。
 

ん???  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月20日(水)07時11分26秒   返信・引用
  「志村さんとキャッチボール」に志村さんの書き込み。

映画「新あつい壁」上映の障害になりそうな出来事があり試写会を続けておりましたが、上映に当たっては何も制約が無くなりました、自由に何処でも上映ができることになりましたので、皆さんの力で上映運動を進めていただきたいと思います。

ん???「上映の障害になりそうな出来事」。ご存じの方は、お教え下さい。よろしくお願いします・・・m(_ _)m
 

余談:北風さんのせい?  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月20日(水)00時00分9秒   返信・引用
  「中流の復興」からの一文を読んで、この本買おうかな?と迷いました。連れ合いが、図書館へ行く用があるというので、有れば借りてきて貰おうと、「中流の復興・小田実」とメモを取って、渡そうとして、待てよ、宝塚図書館もオンラインの検索が出来るからと、検索しましたが、発行されたばかりだからでしょう、有りませんでした。

そこまでは、良かった。

「じゃあ、行ってくるわね」

「うん。あ、じゃあこれ有ったら借りて来て」

と、何と私は、さっきのメモを差し出したのです。

「何言ってるのよ、今、検索して、無かったじゃないの」

で、またまた出ました「認知症」。とばかりに、顔を見合わせて大笑いとなりました。

この程度のことなので、笑っていられますが。笑い事でなくなる日がいつか来る。それが怖いです。ははは(虚ろな笑)
 

法制局とは  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 6月19日(火)12時57分31秒   返信・引用  編集済
  法制局とは

 戦後できたとばかり思っていたが、戦前からですね。北風様 情報ありがとうございました。

 昔は、内閣が出来るとき、必ず法制局長官が、写真に写っていましたが、今は写っていませんね。内閣の法的なことは、ここが責任なのです。(今はどうかな)

 戦後らい予防法が出来た時は、もちろん、違憲審査はここがするので、私はらい予防法は当時は、憲法違反でないと何回か主張しました。

 学問的裏付けもあるし(当時としては、内閣からみればそうでしょうね)憲法違反でないとしたものだと思います。その後のなり行きまでは、当時の法制局長官は責任もてませんね。追求する声もありませんが。
 

「Egyptian Mummies」  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月19日(火)00時21分53秒   返信・引用  編集済
  先月の25日に『「聖書のらい」と「聖書の中の『らい』」、どちらが正しいのか?』と題して投稿しました。

今日「Egyptian Mummies」で確かめました。やはり間違いでした。しかもお二人とも、です。「重箱の隅を・・・」と言われようと、学術書にこんな間違いが有ってはいけません。Elliot Smith(その上、ブラウンさんは"Eliot"、犀川さんは"Eliott"と誤植があります)と出典を明示しながら、これは戴けません(下の本の写真参照)。

正しくは「前五世紀」でも「五世紀」でもなく「六世紀」でした。

"HANDS OF A MUMMY OF A COPTIC CHRISTIAN AFFLICTED WITH LEPROSY(6th century A.D.,NUBIA),AND FEET OF THE SAME MUMMY"

と書いてあります。


まあ、どっちでも良いですが・・・。

いや、良くはありません。クリステンセンの調査では、600年まではハンセン病特有の骨変化のある「頭蓋骨」は無かったのですから(聖書の中の「らい」p.31)。
 

「中流の復興」と「Egyptian Mummies」  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月18日(月)23時40分1秒   返信・引用  編集済
  この二冊が、今日我が家の敷居を跨ぎました。

私の癖で、先ず帯などを良く読み、前書き、目次、後書きと読みます。「中流の復興」は『「あとがき」にかえて』とあって、これが凄くて、参りました。

私より3歳上の、末期ガンであと3ヶ月とか6ヶ月とか宣告されている小田さんの、これが遺作になるかもしれない、だからではないですが、全身が炎に包まれた仏像が有りますが、そういう姿の小田実さんが、わあっと迫ってくるような、そういう感覚を覚えて、参りました。

これは、腹を据えて、対決しなければと思って。


「Egyptian Mummies」については、項を改めます。
 

議員立法の現実  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月18日(月)08時53分53秒   返信・引用
  『中流の復興』小田実 2007年6月 NHK生活人新書

  「市民=議員立法連動」 のなかで、実際にやってみると知らないことばかりでした。われわれはまず「市民立法」案をつくって、次に議員といっしょに練り上げて、国会に提出しなければならない。すると、そこで日本という国がいかに役人天国かがわかります。参議院や衆議院に法制局というものがあって、ここに提出しなければなりません。ここは役人のナワばり。役人がウンと言わない限り法案はでき上がらない。政党の機関紙に「議員立法をわが党がしました」と書いてあるのは、インチキです。あれは、その政党が勝手に言っているだけで、要するに役人たちがその法案づくりにいっしょに入らないと議員立法は成立しないんです。

  とにかく役人優先です。私が自民党員として自民党だけの法案をつくってもっていっても、法制局の手が入っていないと拒否されます。そういう現実を初めて知りました。われわれのときは、衆議院より参議院法制局のほうがまだよかった。被災者や議員に説得されたのか、「感動した、いっしょにやろう」ということになって、いっしょにやりました。好意的でした。それで、野党が多いし参議院に出したんです。

  さて、正式な手続きを経て上程したのだから、これは討議しなければいけないはずです。しかし、日本はしないんです。地方議会は上程したら討議しますが、国会はしない。嫌な法案は放っておく。そして、会期が済んだら自然消滅してしまうんです。

 日本の国会は討議しない。嫌な法案を勝手に消してしまう。法案を放っておくことを、「つるしにかける」というんだと初めて知りました。私たちは、二回「つるし」にかかりました。これが権力というものです。このことは、政治学の先生たちも、みんな知らないようです。政治学の講座で、実際のやり方を教えていないのでしょう。上程したらみんな討議するものだと思っている。政治部の記者も知りません。私は否応なしに、日本の民主主義がいかにインチキか・具体的に思い知らされました。

 この法案は、参議院の災害対策特別委員会で提案者と議員たちが、平場にみんなで集まって、質疑応答したんですけれど、これは後にも先にもこれっきりでした。神戸市からは誰も来なかった。当時、熊本選出の自民党のおっさんが委員長でしたが、このおっさんは一度きりで辞めてしまった。これがつづいていたら歴史に残ることだったのに。

 共産党も社会党もこうしたことの改革をして来なかったから、いまだに議会は戦前そのままです。戦後の民主政治のもとで改革していくのが本当だったのに、それをしなかった。国会で「○○君」と呼ぶのも、明治以来の慣行で、変わっていません。国会にはアホみたいなことが山とあるけれど、日本人にはそれを変える勇気がないんですね。
 
    (リベル) 驚きました。仰天しました。「政治学の先生たちも」「政治部の記者も知りません。」小田さん以外の人は、何故何も言わず書かなかったのでしょう。

>日本人にはそれを変える勇気がないんですね。

それもあるでしょうが、先ず「変える勇気」の前に、「知らない」。それがいけない、ですね。良いことを教えて頂きました。「基本法」もこれは大変です。前途多難です。その上、議員にも官僚にもなんの利益も、利権も齎らさないのですから。うーむ。(6.18 12:46)
 

ハンセン病はいつからあったか?  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月18日(月)02時46分9秒   返信・引用
  前から騒いでいる「歴史」のページの、「いつからあったのか?」の部分が、一応完成しました。クリステンセンの”Bone Changes in Leprosy”と”Egyptian Mummies”の二冊は、取り寄せのため、来月になる可能性があるので、独断をまじえました。あとで直せばよいことですし。

皆様の、厳しいチェックをお願いしたいと、性懲りもなく、繰り返しています。なあに、爺さんのやっていることにつき、取りこぼしやミスが、あちらこちらに有るに決まっています。何卒、宜しくお願いします。
 

Re: 月見草の仲間  投稿者:イチロ  投稿日:2007年 6月18日(月)00時44分16秒   返信・引用
  > No.2364[元記事へ]

リベルさんへのお返事です。

画像ありがとうございました(^^)

でも、この花はアレチマツヨイグサでも、メマツヨイグダでも、オオマツヨイグサでもないんですよ(^^)

栽培種の品種だと思います。

お礼のお花です(^^)

※ハンセン病のお話しお続けください。
 
    (リベル) あ、そうなのですか。色々有るのですね、勉強になります。散歩しながら、いつもは目にとめなかった花に目を奪われたり、お陰様で、世界が少し広くなりました、オーバーでなく。(6.18 02:50)  

月見草の仲間  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月17日(日)12時10分56秒   返信・引用  編集済
  「荒地待宵草」とか「待宵草」とか仲間が沢山います。綺麗な花です。


これが似ている気もしますが、確証無し・・・「荒地待宵草」です。
 

議論の合間にお花でもどうぞ(^^)  投稿者:イチロ  投稿日:2007年 6月16日(土)16時36分13秒   返信・引用
  ちょっと一休みしてみますか(^^)

※月見草の仲間(種名は不明)
 
    (リベル) あ、有り難うございます。綺麗な花を、有り難うございました。Ichroさんの所へアップしておかれたら、黙って頂戴して来ますのに・・・(笑)(6.16 17:20)  

この数日を、大事にしておきたいです!  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月16日(土)07時50分17秒   返信・引用
   素通りできない、多くの「提起」がここ数日続いています、ネ!

 【法制局】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E5%88%B6%E5%B1%80 という存在は、まさに感傷主義では流すことの出来ない、具現性・・・その深化が求められていることを示唆してくださいました。
 時間を要することなのでしょうが、しっかり学ぶ必要性を感じています。特に「内閣法制局」の実態に触れることで、三権内の司法における・・・
【判検交流】 http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0102/sinrai/n4.html
 が、私には髣髴されます。

 「起点」は感情なのでしょうが、その「感性」の深化、磨く行為が「考える葦」とされる所以であるということは、壮年の域に達しようとしている、お・や・じでもこのBBSに参画している諸先輩方を見習い・・・、大切に出来るものなら大切にしていきたいという気持ちが昂ぶってきます。


 「主体は当事者以外の何ものでもない!ものなのか?」が、多くの「被差別化」問題に触れるたびに私を悩ませてきました。
 「解放同盟」に参画(入りたかった)したかった私にとっては、「あなたはブラクンモンでない!」「第一、条件に当事者であることが必要だ!」ということで断わられ続けた事実があります。私の友人である同盟員(私の住む行政区内の被差別化された地域の方々)は参画することを認め応援してくれているのに、役員が認めてくれないという ネジレ現象 が「主体とは何なのか?」を、考える起点になってきたようです。

 リベルさんが導き出そうとしている、「支援者」という言葉・・・の捉え方!、私は関心を越えた思いを持ち合わせていました・・・

その前に、「通りすがり」さんも指摘くださった・・・、リベルさん発言の

>「基本法」の議員立法は、江田五月氏や津島雄二氏などのベテラン議員の知恵を借りるのですから、そう心配しなくても良いのでは・・・?(6.14 00:09)

と、

>私は、「回復者自身の意識変化」を求めることは、もう、したくありません。するべきではない、と思っています。ベクトルは、自分にだけ向けておこう、と思っています。

このリベルさんの発信が、なにやら大きな「問題提起」であるように思えてなりません!

 そして、リベルさんの心の声と思える、「雲を作るために。」内からの学習・・・学びが出来るような気がしています。

 因みに、リベルさんがご自身で否定された、「支援者ではない」からの「支援者である」とは逆に、私は

「支援者であったのかも知れない!だが、今はきっぱりと支援者ではない!」を、自身に根付かせようとしているようです・・・。

 リベルさんが語ってくださった、「自分のためにやっているだけだ」まさに、私の導き出そうとしているものと同じだった様な気がしています。
 そのことが良い事なのかどうなのか?は、今の私には判りません・・・、

 ですが、「藤本事件冤罪闘争史」に、拘れば、かかわるほど「運動のあり方」が現世に投げ掛けている運動論(組合運動の実態や、解放同盟の現在の闘争倫理・・・、そしてハンセン病市民学会の存在)への示唆に?がり、「支援者意識がもたらす弊害」といったものが頭の片隅を過ぎっています。
 

雲を作るために。  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月16日(土)01時04分40秒   返信・引用  編集済
  「将来まで安定した療養所生活」と「正しい人権感覚」という雲を作るのは、安直な方法では梅酒の瓶(2007年 6月15日(金)00時02分7秒 参照)が割れてしまいます。(「新・あついガラス」で作った瓶はどうなるのでしょう)

しかし、蒸気を送り続けるためには、アルコールランプにキャップを嵌めてはならない、と思います。

回復者の傍での介護、市民団体、学者、弁護士、医師、個人などなど、「支援者」はいろいろな形態をしているのでしょう。

私は、ひねくれて、或いはヒステリーを起こして、「支援者」ではない、と申し上げたのではありません。自分が動き始めた動機は単純で、加賀田一氏の本を読み、言語を絶する悲惨な人生に涙し、そうさせた国に怒りを発したからでした。

しかし、今は「歴史」とやらに入れ込んで、やれ「B.C.6000年でなくB.C.600年では」とか「ケルヌスではなくケルススでは」などと、重箱の隅をつつくような「オタク」に化しています。

それだけではありません。正直に言わなければなりません。タケシがこう書いていました。

「今、自分が死んだら、きっと何も残らない。北野武という人間が生きていたなんてことは、地面に落ちた雨粒の一滴が、後から後から降ってくる大雨の中であっさり消されてしまうみたいに、すぐに忘れられる。忘れられることが怖かったんじゃなくて、そうやってあっさりと忘れられてしまうくらい、自分の人生が空っぽだということが、無性に恐ろしかった。」

「光陰矢の如し」とか「蝸牛角上何事をか争わん」とか、人生のはかなさ、小ささをいう言葉は他にも有りますが、これは、グサッと来ました。私は「ハンセン病のリンク集」を「ライフワーク」として、この世に残そうとしている。忘れられないように。それだけだ。自分のためにやっているだけだ。そのことに気付きました。


だから、私は「支援者」ではない、と本気で申し上げました。


しかし、今は、そうは言いません。アルコールランプを灯し続け、蒸気を送り込み続けている人は、全て「支援者」なのだと、数時間前に寝床の中で気付きました。それでようやく、このことを書くことが出来ました。
 

Re: 誤解を恐れずにいえば  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月16日(土)00時31分21秒   返信・引用  編集済
  > No.2358[元記事へ]

> 笹川記念保健協力財団2007年発行の冊子『世界のハンセン病』によれば・・・(後略)

これは知りませんでした。有り難うございました。取り寄せの手配をしました。それと「世界のハンセン病」のページに、新しい数字を加えさせて貰いました。ただし、「感染症センター」の数字と、少し違うので、取り敢えず、そちらを・・・。


>閑話休題:先日,「Kushita」を検索したときにちらっと眺めた論文(ほとんど読めなかったのだ,グスン)では,2003年におけるブラジル住民10,000人当たり有病者数3.8人,マットグロッソ州南部のDourados(人口約20万人ぐらいらしい)住民10,000人当たり有病者数5.1人とあったことからも,同国内でも罹患者の分布密度にかなりの地域差があることがわかる。
>  地域差といえば,2006年6月時点でのWHOの制圧目標未達成国がアジア,アフリカ,南アメリカに局在しているのにも,それなりの要因があるだろうこと――貧困,偏見・差別などの,社会的不平等――が垣間見えてくる。松本馨さんの将来構想のなかに,アジア・アフリカの貧困に対する祈りのような思いが述べられていたが,わたしたちはこれにいまひとつ,南アメリカも加えて考えなければならないだろう。


その通りですね。

(中略)
> ◇日本におけるハンセン病の終焉?
> 有効な治療アルゴリズムが確立されて以降の“ハンセン病問題”の重点は,疾患の治療の問題から疾患を取り巻く社会的諸問題のほうに移行している。こうした変化に,回復者自身の意識変化が追いついていないという現象が起きているのではないだろうか。かつてのハンセン病患者は救済の対象であったかもしれない。しかし,すでに治癒した者が「元患者」とか「回復者」という括弧つきの呼称に馴れ甘んじているのも(そのほうが都合がいい場合もあるには違いないだろうが,しかし),何か変である。もし「ハンセン病回復者」とか「ハンセン病元患者」と自らを呼びつづけたいという人がいたとしたら,それはいつまでも被救済者でいたいという甘えではないかとも思えてくる。本当に治ったというためには,すでに治った疾患の名を冠して「元患者」などといわず,一人ひとりが一市民であるという意識に立っていなくてはならない。でなければ,例えば,いま話題になっている将来構想にしても,他の障害者や高齢者や健康な市民と,本当の“共生”を考えることも,それを達成することも不可能なように思えるのだが……。


「誤解を恐れずにいえば」と仰有っているのは、この部分だと、配察します。

私は、「回復者自身の意識変化」を求めることは、もう、したくありません。するべきではない、と思っています。ベクトルは、自分にだけ向けておこう、と思っています。
 

ドン・キショットさんへ   投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月15日(金)18時13分35秒   返信・引用  編集済
  もう、眠いので、一部についてのみレスさせていただきます。

一方,現在,インドにおけるハンセン病診断では“誤診断”が許されないほどの慎重さが要求されるとも聞く。“臨床症状だけで診断可能な”感染症の診断になぜそのような過剰とも思える慎重さが要求されるのか。それについては,ハンセン病に対する偏見・差別など,ハンセン病という疾患に特異的な社会的な要因が絡んでいるのだろう。しかし,それではunderestimate, underdiagnosis, undertreatmentになりはしないかと,ちょっと心配したくなってくる。

市民学会の発信塔に、和泉眞蔵さんが書いて居られます。

「これは私の推測ですが、現在のインドのハンセン病対策の現場では、疑わしい症状を持った早期の患者を、ハンセン病と診断しづらい圧力がかかっているのではないかと思います。インドを管轄するWHOの南東アジア地域事務所の責任者は、「ハンセン病でない人をハンセン病と誤診するのは犯罪だ」と私たちに語ったことがあります。もしこのような圧力が今後も続けば、近い将来予想される結果は恐ろしいものです。」


いつぞやの日本に似た発想です。国辱は”始末”しようとの、官僚の意図が見え見えです。官僚の腐敗を嘆いたのはゴルバチョフですが、これは古今東西を問わず、普遍的なことのようですね。

ではまた、深夜に、良く読ませて頂きます。お休みなさい、これは本当なので悪しからず。


またまた、イチロさんのしゃしんですが。
シャクヤクです。
 

誤解を恐れずにいえば  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 6月15日(金)17時36分22秒   返信・引用  編集済
  ◇WHOのハンセン病制圧プログラムの目標は:
 笹川記念保健協力財団2007年発行の冊子『世界のハンセン病』によれば,1991年に設定されたWHOのハンセン病制圧目標は,「人口1万人当たり患者数が1人以下になること」。つまり,有病率≦1/10,000人という設定である。この設定は,換言すれば,例えば人口1億人の国においてハンセン病罹患者数を10,000人までに抑制できれば,とりあえず国レベルでの公衆衛生上の問題としてのハンセン病は“制圧された”とみなされる,ということになる。
 有病率(=蔓延率)には,ある集団内のある調査時点(一時点)での有病者数の当該集団人口に占める率として算出する「時点有病率」と,ある一定期間内に新たに発症した有病者数を含めて算出する「期間有病率」がある。単に「有病率」といえば,前者の「時点有病率」を指すらしいのだが。
 2006年6月時点における,WHOのハンセン病制圧目標未達成国は,ブラジル,コンゴ民主共和国,モザンビーク,ネパール,タンザニアの5カ国。世界のハンセン病患者数の約70%を占めるといわれるインドは,2005年12月末にWHOの設定目標≦1/10,000人を達成しているが,2006年1年間で144,633人が新たにハンセン病と診断されているという。一方,現在,インドにおけるハンセン病診断では“誤診断”が許されないほどの慎重さが要求されるとも聞く。“臨床症状だけで診断可能な”感染症の診断になぜそのような過剰とも思える慎重さが要求されるのか。それについては,ハンセン病に対する偏見・差別など,ハンセン病という疾患に特異的な社会的な要因が絡んでいるのだろう。しかし,それではunderestimate, underdiagnosis, undertreatmentになりはしないかと,ちょっと心配したくなってくる。
 因みに,WHOの制圧目標未達成国の2006年6月時点における登録患者数と母集団人口10,000人当たりの患者数をみると,
  ブラジル27,313人(1.5/10,000人)
  コンゴ民主共和国9,785人(1.7/10,000人)
  モザンビーク4,889人(2.5/10,000人)
  ネパール4,921人(1.8/10,000人)
  タンザニア4,190人(1.1/10,000人)
となっていて,これら5カ国もここ1,2年のうちに目標を達成するものと見込まれている。

 閑話休題:先日,「Kushita」を検索したときにちらっと眺めた論文(ほとんど読めなかったのだ,グスン)では,2003年におけるブラジル住民10,000人当たり有病者数3.8人,マットグロッソ州南部のDourados(人口約20万人ぐらいらしい)住民10,000人当たり有病者数5.1人とあったことからも,同国内でも罹患者の分布密度にかなりの地域差があることがわかる。
 地域差といえば,2006年6月時点でのWHOの制圧目標未達成国がアジア,アフリカ,南アメリカに局在しているのにも,それなりの要因があるだろうこと――貧困,偏見・差別などの,社会的不平等――が垣間見えてくる。松本馨さんの将来構想のなかに,アジア・アフリカの貧困に対する祈りのような思いが述べられていたが,わたしたちはこれにいまひとつ,南アメリカも加えて考えなければならないだろう。

 話を元へ:1985年(目標未達成国122カ国)から2007年初(目標未達成国5カ国)まで右下がりの急カーブを描く蔓延国数減少の推移をみると,確かにWHOの制圧目標はまもなく全世界で達成されるものと思われる。しかし,WHOの目標設定が「公衆衛生上の問題としてのハンセン病制圧」であって,ハンセン病の根絶でも,ハンセン病を取り巻く社会的な諸問題の解決でもない点に留意すべきだろう。世界で最も罹患者数が多いといわれるインドがWHOの制圧目標達成国となっているのも,こういった目標設定によっている。
 各国レベルでの「公衆衛生上の問題としてのハンセン病制圧」という,WHOの制圧目標がたとえ数値上では全世界で達成されたとしても,ハンセン病を取り巻く社会的諸問題が解決されないかぎりは,“問題”は常に現在と今後の問題として残されるだろう。前掲冊子では,1985年から2005年初までの間にMDTで治療された治癒者(回復者)数は1,500万人と報告している。しかし,その1,500万人の回復者たちの暮らしは,どう変わったのか,あるいは変わらなかったのか,変わりつつあるのか。冊子は,インドの,あるいはエチオピアの定着村に住む回復者たちが生きるために物乞いをしていると伝える写真や,自信回復ワークショップの写真などを掲載し,「おわりに」に,P.K. ゴパールの次のような言葉を挙げている。
 「医学的に治ったとしても,回復者の多くは病気にかかる前の生活には戻れません。尊厳ある生活を送ることができるための社会的・経済的な地位が再び確立されてこそ,ようやく本当にこの病気が治ったといえるのです」

◇日本におけるハンセン病の終焉?
 有効な治療アルゴリズムが確立されて以降の“ハンセン病問題”の重点は,疾患の治療の問題から疾患を取り巻く社会的諸問題のほうに移行している。こうした変化に,回復者自身の意識変化が追いついていないという現象が起きているのではないだろうか。かつてのハンセン病患者は救済の対象であったかもしれない。しかし,すでに治癒した者が「元患者」とか「回復者」という括弧つきの呼称に馴れ甘んじているのも(そのほうが都合がいい場合もあるには違いないだろうが,しかし),何か変である。もし「ハンセン病回復者」とか「ハンセン病元患者」と自らを呼びつづけたいという人がいたとしたら,それはいつまでも被救済者でいたいという甘えではないかとも思えてくる。本当に治ったというためには,すでに治った疾患の名を冠して「元患者」などといわず,一人ひとりが一市民であるという意識に立っていなくてはならない。でなければ,例えば,いま話題になっている将来構想にしても,他の障害者や高齢者や健康な市民と,本当の“共生”を考えることも,それを達成することも不可能なように思えるのだが……。
 

リベル様へ  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 6月15日(金)12時21分43秒   返信・引用
  リベル様へ

 スミマセン。トンチンカンな書き込みでした。画像が昔の療養所の大部屋が出てきて、中に人がいて、ちょっと、意味がよくわからず、あのような書き込みになりました。これは、新しい資料館の中の作り物と思いました......
 

もう一度転載  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月15日(金)01時37分8秒   返信・引用  編集済
  [48427] 「ぼろ雑巾」のルーツ 投稿者:tommy 投稿日:2007/06/14(Thu) 01:09

当初から違和感が言われていた「ぼろ雑巾」。


ずっと思っていたのだが、これって、もとは、裁判所(一審、熊本地裁)の元事務官が、裁判長に言われて血痕がついた証拠物の手ぬぐいを持って行くのに、病気がうつりそうでいやだったからか、「ぼろ雑巾をつまむみたいに長箸でつまんで持って行った」と坂本さんに打ち明けた話じゃなかったのか。


坂本さんの検証会議での証言では、元事務官から聞いたというこのエピソード(?)とあわせて、楽泉園入所者が作った川柳、
「ぞうきんは皆異なった過去を持ち」
というのを引っぱり出して、患者をぼろ雑巾に例えて、
藤本松夫さんは、裁判でさえぼろ雑巾のように扱われ、捨てられた、という話に出来上がっている。


今、下の書き込みのために「全患協運動史」を開いたら、「藤本事件」の項目の最後のページが空いた部分(p.68です)

に、楽泉園の山本良吉さんの川柳が10遍、囲みで掲載されているじゃないっすか。
その中のひとつが「ぞうきんは皆異なった過去を持ち」。

そうか、坂本さんは、「全患協運動史」で「ぞうきん」の川柳を見つけたわけか。
下の、ひばりヶ丘教会の記念誌の原稿を書くためだったかどうだったかはわからないけれど。

「ぞうきん」の文字を見たとたんに、坂本さんの頭の中で、元事務官の打ち明け話と、この川柳がピーンと合体してしまったんじゃないのか。

ちなみにそこに載っている山本さんの川柳は、他に
「ニコチンの害が政府のもうけ話」
というのも。他は概ね病気や療養生活を題材にしていると思われ、そういう意味では患者の作品をもってくればどれも藤本事件が象徴するものと全く結び付かないわけではないかもしれないが、「ぞうきん」の川柳がこのページに載ったのはたまたまでしょう。


とにかくいい加減すぎるよ。

「あらゆる悲劇とともにすべてのハンセン氏病患者の心にいつまでも生き、患者や患者であったものたちや家族の苦難の絶えない限り、全患協は決して、たたかいの旗を巻くことはないであろう」という藤本事件を「題材」(だかモチーフだか何だか知らないけど)にした映画が、こんないい加減な話を撒き散らしながらお金を集めてできあがったというのもすごいものだな。


「全国展開するにはマーケティング資金がまだ十分ではないようです。藤本さんへの供養と思ってご協力ください。」


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[48426] 「やりたい」人たち 投稿者:tommy 投稿日:2007/06/14(Thu) 01:03


週刊金曜日6月1日号読んだ。
「松本事件」って??
映画の中ではそう呼んでましたっけ?
「松本有吉」?


手元に、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団ひばりヶ丘教会の創立30周年記念誌に掲載された<<付記>>『藤本事件について』というののコピーがある。筆者は坂本克明さん。
菊池恵楓園の入江信さんが持っておられたもののコピーをある方からいただいた。発行年は不明だが、「昨年らい予防法が廃止された」とあるので1997年か。
「敬虔な祈りの姿」(金曜日)ってのは出てこない。鮮明に覚えているという割には。教会関係の出版物なのに。
「何か澄みきったものをもっておりました」(これは検証会議の証言(p.12)にもありましたっけか)とだけ。

『全患協運動史』から藤本事件の部分を全文にわたって転載してある。
獄中の松夫さんのことはよく覚えてなくても、
草の根でこつこつ事件のことを訴えて来られたのは確かですね。

死後再審を、「やりたい」と言ってまわっておられたようなのだけど、
「私はこの事情をしぶしぶ認め、再審申し立てを断念したのです。」

???
(ここで言っている「事情」というのは、ご家族のことを周囲から言われたということ)
坂本さんが事情を認めて「再審申し立てを断念した」って言ったって、ねぇ・・・。

これとおんなじような困ったチャンな思い込みのカラクリは、なぜだか脈々と続いていると思う。


弁護士が再審を「やりたい」⇒再審請求の代理人弁護士になりたい

恵楓園の入所者とか坂本さんが再審を「やりたい」⇒ご遺族に再審請求してほしい、請求しようという気持ちになってほしい

というのが正しい。でしょう?

第三者が「やる」方法がみつかったとかなんとかいう話も洩れ聞こえてきたけれど、
それって誰かきちんと確かめたのかな。
冤罪の疑いがありながら本人が再審を望まない「サカキバラセイト」の件を検討してるらしい弁護士に聞いてみたら、弁護士法違反とかそういうことでしかできないだろう、っていう見解だったけど。
少なくても、藤本松夫さんの冤を雪ぐための「再審請求」とは別物じゃないのんか?


再審請求を出せば再審が始まるわけではなくて、判決を覆すに足ると思われる新たな証拠を出して、それでも扉は固く閉ざされていて滅多なことでは受理されない。日本で闘われている冤罪事件のほとんどが、「再審への闘い」「再審請求を受理させて再審を開始させるための闘い」の途上にある。だべ?だから関原弁護士は、日本の裁判制度を含めて、訴え続けている。
一度は再審開始が決まった名張毒ぶどう酒事件の再審請求が差し戻されたニュースは見てなかったのかよ?それは話題にもせずに、横浜事件のほうだけ運動展開のキーパースンに吹き込む弁護士っていったいどうなのよ? そこんとこはもう終わった話?

もう終わった話?



(注)一部手を加えさせて頂きました。「全患協運動史」と「検証会議」のページ数。最後の一言。
 

季節の花・・・  投稿者:イチロ  投稿日:2007年 6月15日(金)00時29分31秒   返信・引用
  リベルさん。

こんな花は、お好きですか?

※アヤメ(綾目) 105kは大きすぎたらカットしてくださいね(^^;)
 
    (リベル) はい、大好きです。これは、何というか、とても好きな一枚です。なかなか、無いのです。これは良いという「アヤメ」や「カキツバタ」の類の写真。本当に。有り難うございました。(6.15 01:00)  

Ichiroさんへ Re: リベル様へ  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月15日(金)00時16分36秒   返信・引用  編集済
  > No.2351[元記事へ]

> 写真で思い出しましたが、真ん中の人は入ったのでしょうか。
>
>  Ichiroです。
>
>  以前の資料館は、何回も訪問したので、以前の作りものはよく覚えています。今回も行きましたが。全生園のを作ったものですが、各園各様であったようで、確か全生園では、一室8人だったか、恵楓園では、20人とかあったと記憶しています。
>
>  牢名主のような人が、真ん中で威張っていたようですね。作りものですが迫力がありましたね。タッソーの美術館ではないですが、昔の印象を伝える重要なものと考えています。


これは、「ハンセン病回復者とふるさとをむすぶ」HPからです。こちらは復元ではなく、本物です。「鬼気迫る」というか・・・、泣かされた一枚です。加賀田一氏の「島が動いた」と、この写真が、私の背中を押し、尻に火をつけたのです。7年前。
 

余談:続・雲を掴むような話  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月15日(金)00時02分7秒   返信・引用  編集済
  2007年 6月 8日(金)23時55分32秒 の「雲を掴むような話」を再録して、結末を書きます。


梅酒のシーズンになると決まって思い出す体験なのです。小学6年のとき、5人、1グループで「自由実験」をすることになりました。テーマは自由。工作室(今で言う理科室)の道具類を自由に使って良し。計画立案・準備・実験に各一時間で三日がかり。のような余裕のあるスケジュールだったと記憶しています。

私達の研究課題は「雲を作る」という、終戦直後の萎縮した時代にしては、何とも気宇壮大なものでした。

暖かい空気が気圧や地形(山沿い俄雨のように)によって、上昇し上空で気温の低下に伴って水蒸気が凝固を始め、それが集まって「雲」が出来る。のでしょう?だから、水蒸気を集めて冷却すれば、雲が出来るわけです。

実験装置は極めて簡単です。アルコールランプで湯を沸かす。出てくる水蒸気を集める。一気に冷やす。雲が出来る。と言う理屈です。まあ、結構苦労をして、「装置」を作ったは良いが、どこへ蒸気を集めるか。そこで登場するのが、梅酒の瓶です。外から雲が見えなければなりませんから、当然です。

梅酒の瓶を逆さにして、水蒸気を入れ始めた途端にトラブルです。当たり前ですが瓶が熱くなる。もう雑巾を重ねて支えるしかない。そのことを予定して瓶を支える装置を作るという所まで、知恵は回っていませんでしたから。

さあ、結構溜まってきたぞ。しかし瓶が曇ってきてよく見えない。「よし、さあ、一気に冷やせ!」と用意していた水をザンブとばかりに掛けました。

ご想像通り、悲鳴だか、歓声だかが湧き起こりました。見事、「雲」が・・・(明日に続く)

明日どころか、もう一週間経ちます。遅くなりました。ご免なさい。

答えは、想像できましたでしょうか?

”あったりめえだ。簡単だよ。持てねえほど瓶が熱くなってるところへ、水掛けりゃあ、割れちまうに決まってらあな”

はい。正解でした。お粗末でした。


もう一つ、お待たせしてるかなあ、全然!かなあ、「支援者ではない」話。雲散霧消させてしまうか、それも良いかなあ。ジャブ、ジャブ!(オノマトペでなく、ボクシング用語です)。
 

リベル様へ  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 6月14日(木)21時13分37秒   返信・引用
  写真で思い出しましたが、真ん中の人は入ったのでしょうか。

 Ichiroです。

 以前の資料館は、何回も訪問したので、以前の作りものはよく覚えています。今回も行きましたが。全生園のを作ったものですが、各園各様であったようで、確か全生園では、一室8人だったか、恵楓園では、20人とかあったと記憶しています。

 牢名主のような人が、真ん中で威張っていたようですね。作りものですが迫力がありましたね。タッソーの美術館ではないですが、昔の印象を伝える重要なものと考えています。
 

ひょんなことから  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月14日(木)17時36分4秒   返信・引用
  「人権ふらっと」こんなのが有りました。ご紹介まで。  

転載  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月14日(木)14時57分32秒   返信・引用  編集済
  [48427] 「ぼろ雑巾」のルーツ 投稿者:tommy 投稿日:2007/06/14(Thu) 01:09


当初から違和感が言われていた「ぼろ雑巾」。


ずっと思っていたのだが、これって、もとは、裁判所(一審、熊本地裁)の元事務官が、裁判長に言われて血痕がついた証拠物の手ぬぐいを持って行くのに、病気がうつりそうでいやだったからか、「ぼろ雑巾をつまむみたいに長箸でつまんで持って行った」と坂本さんに打ち明けた話じゃなかったのか。


坂本さんの検証会議での証言では、元事務官から聞いたというこのエピソード(?)とあわせて、楽泉園入所者が作った川柳、
「ぞうきんは皆異なった過去を持ち」
というのを引っぱり出して、患者をぼろ雑巾に例えて、
藤本松夫さんは、裁判でさえぼろ雑巾のように扱われ、捨てられた、という話に出来上がっている。


今、下の書き込みのために「全患協運動史」を開いたら、「藤本事件」の項目の最後のページが空いた部分

に、楽泉園の山本良吉さんの川柳が10遍、囲みで掲載されているじゃないっすか。
その中のひとつが「ぞうきんは皆異なった過去を持ち」。

そうか、坂本さんは、「全患協運動史」で「ぞうきん」の川柳を見つけたわけか。
下の、ひばりヶ丘教会の記念誌の原稿を書くためだったかどうだったかはわからないけれど。

「ぞうきん」の文字を見たとたんに、坂本さんの頭の中で、元事務官の打ち明け話と、この川柳がピーンと合体してしまったんじゃないのか。

ちなみにそこに載っている山本さんの川柳は、他に
「ニコチンの害が政府のもうけ話」
というのも。他は概ね病気や療養生活を題材にしていると思われ、そういう意味では患者の作品をもってくればどれも藤本事件が象徴するものと全く結び付かないわけではないかもしれないが、「ぞうきん」の川柳がこのページに載ったのはたまたまでしょう。


とにかくいい加減すぎるよ。

「あらゆる悲劇とともにすべてのハンセン氏病患者の心にいつまでも生き、患者や患者であったものたちや家族の苦難の絶えない限り、全患協は決して、たたかいの旗を巻くことはないであろう」という藤本事件を「題材」(だかモチーフだか何だか知らないけど)にした映画が、
こんないい加減な話を撒き散らしながらお金を集めてできあがったというのもすごいものだな。


「全国展開するにはマーケティング資金がまだ十分ではないようです。藤本さんへの供養と思ってご協力ください。」





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[48426] 「やりたい」人たち 投稿者:tommy 投稿日:2007/06/14(Thu) 01:03


週刊金曜日6月1日号読んだ。
「松本事件」って??
映画の中ではそう呼んでましたっけ?
「松本有吉」?


手元に、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団ひばりヶ丘教会の創立30周年記念誌に掲載された<<付記>>『藤本事件について』というののコピーがある。筆者は坂本克明さん。
菊池恵楓園の入江信さんが持っておられたもののコピーをある方からいただいた。発行年は不明だが、「昨年らい予防法が廃止された」とあるので1997年か。
「敬虔な祈りの姿」(金曜日)ってのは出てこない。鮮明に覚えているという割には。教会関係の出版物なのに。
「何か澄みきったものをもっておりました」(これは検証会議の証言にもありましたっけか)とだけ。

『全患協運動史』から藤本事件の部分を全文にわたって転載してある。
獄中の松夫さんのことはよく覚えてなくても、
草の根でこつこつ事件のことを訴えて来られたのは確かですね。

死後再審を、「やりたい」と言ってまわっておられたようなのだけど、
「私はこの事情をしぶしぶ認め、再審申し立てを断念したのです。」

???
(ここで言っている「事情」というのは、ご家族のことを周囲から言われたということ)
坂本さんが事情を認めて「再審申し立てを断念した」って言ったって、ねぇ・・・。

これとおんなじような困ったチャンな思い込みのカラクリは、なぜだか脈々と続いていると思う。


弁護士が再審を「やりたい」⇒再審請求の代理人弁護士になりたい

恵楓園の入所者とか坂本さんが再審を「やりたい」⇒ご遺族に再審請求してほしい、請求しようという気持ちになってほしい

というのが正しい。でしょう?

第三者が「やる」方法がみつかったとかなんとかいう話も洩れ聞こえてきたけれど、
それって誰かきちんと確かめたのかな。
冤罪の疑いがありながら本人が再審を望まない「サカキバラセイト」の件を検討してるらしい弁護士に聞いてみたら、弁護士法違反とかそういうことでしかできないだろう、っていう見解だったけど。
少なくても、藤本松夫さんの冤を雪ぐための「再審請求」とは別物じゃないのんか?


再審請求を出せば再審が始まるわけではなくて、判決を覆すに足ると思われる新たな証拠を出して、それでも扉は固く閉ざされていて滅多なことでは受理されない。日本で闘われている冤罪事件のほとんどが、「再審への闘い」「再審請求を受理させて再審を開始させるための闘い」の途上にある。だべ?だから関原弁護士は、日本の裁判制度を含めて、訴え続けている。
一度は再審開始が決まった名張毒ぶどう酒事件の再審請求が差し戻されたニュースは見てなかったのかよ?それは話題にもせずに、横浜事件のほうだけ運動展開のキーパースンに吹き込む弁護士っていったいどうなのよ? そこんとこはもう終わった話?


もう終わった話?
 
    (リベル) 以上はこちらのBBSのものです。(6.14 15:04)  

Re: いや、どっちにしても、「市民」は。  投稿者:通りがかり  投稿日:2007年 6月14日(木)11時38分11秒   返信・引用
  > No.2347[元記事へ]

> 〉「基本法」の議員立法は、江田五月氏や津島雄二氏などのベテラン議員の知恵を借りるのですから、そう心配しなくても良いのでは・・・?(6.14 00:09)
>
> 裏に一定のシナリオ、根回しがあって「成立の見込み」がついている上での「国民運動」の提起だというなら、どう考えたらいいのか?
>
> そうした現実認識なしの提起なら、どう考えたらいいのか?
>
> 「主体的」に考える必要の有る所以ですね。



主体的に考える必要・・・・

成立するのかしないのかって議論ではなくて、
基本法に何を盛り込んでくれるのか、っていう議論でもなくて、
誰が どうしたい のか。
出すならこれだけは譲れないというものを(全療協なら全療協が)きちんと出す、
その根幹がゆるぐことのないようわれわれはしっかり共有する、
というようなことが必要・・・・?
 
    (リベル) 4月19日に開かれた第五回ロードマップ委員会についての、「全療協ニュース」の報道と、6月1日の支部長会議についての新聞報道です。ご参考までに。(6.14 12:23)  

いや、どっちにしても、「市民」は。  投稿者:通りすがり  投稿日:2007年 6月14日(木)09時35分20秒   返信・引用  編集済
  〉「基本法」の議員立法は、江田五月氏や津島雄二氏などのベテラン議員の知恵を借りるのですから、そう心配しなくても良いのでは・・・?(6.14 00:09)

裏に一定のシナリオ、根回しがあって「成立の見込み」がついている上での「国民運動」の提起だというなら、どう考えたらいいのか?

そうした現実認識なしの提起なら、どう考えたらいいのか?

「主体的」に考える必要の有る所以ですね。

http://www.annex-net.jp/cgi-bin/libro/light/light.cgi

 

Re: つまり  投稿者:通りがかり  投稿日:2007年 6月14日(木)09時04分48秒   返信・引用
  > No.2344[元記事へ]

>「基本法」の議員立法は、江田五月氏や津島雄二氏などのベテラン議員の知恵を借りるのですから、そう心配しなくても良いのでは・・・?(6.14 00:09)


どんなのを作って議員に出させても、どっちにしろ法律は役人が好きに作文するものと考えていていいくらいの仕組みになっている、ということなのでは?

ここはものすごく重要だと思いますが。
 

大分【おおいた】の雄・・・  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月14日(木)06時10分22秒   返信・引用
   一昨日届いた【「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟を支援する市民の会】からの「市民の会ニュース」・・・。

 驚き、というより「驚愕」の域に達していました・・・・・・

 「檜(ひ)の山のうたびと(抄)」(筑摩書房)1974年 松下 竜一
 この中に「藤本事件」、藤本松夫さんに関する文責がしたためられていたからです。

 三年半前に、松下さん発行の月刊ミニコミ誌「草の根通信」を、私に数冊贈って下さった方がいました。
 その草の根通信が切っ掛けで、彼の存在の大きさを身に沁みていた矢先の訃報、ご逝去でした・・・2004年6月17日・・・。何かの縁だと今度の日曜は予定を変更し、中津に赴いてみるつもりです。

 ただ気がかりは・・・、私に作家・松下竜一の世界を示唆してくださった元養護教員の病魔との闘いです。彼女をはじめ、「竜一イズム」の感化を受けた多くの志士と現世で紡ぐその縁は、なんと表現してよいやら・・・、その言葉を今は持ち合わせていないようです。
 今、病魔と闘う彼女の多くを知るには、この「草の根通信」に寄稿された彼女の数ある文責から垣間見ることが出来ます。
 彼女に現実に触れたくなって、彼女が一回目の病魔を抑え職場復帰している頃、「あなたの授業が受けたいのですが、受けさせてもらえませんか?」に、「どうぞお出でください」との垣根を感じさせない応答にたじろぎながらも、2時間半かけてその中学校に出向きました。
 授業は彼女が保健室に集った7名の子ども達と、いつもやっていると思われる手話の反復勉強と、突然「今日は天気が良いから課外授業へ行くぞ~ぉ!」と、子ども達と外へ出るや、彼女から「今、君たちのやってみたいこと教えて?」に、一人の少女が「あの乗れそうなフンワカした雲に乗ってみたい!」と即座に応えたのには、驚かされてしまいました。
 中学校周辺を、およそ50分、足で歩き語らいだその時空のそ・れ・ぞ・れを、なぜか今でも鮮明に、そして微笑ましく思い出すことが出来ることに驚きです。

 彼女の闘いを、見守ることしか出来ない現実が、言葉を失います・・・!!

 彼女には、私なりの恩があります! ですから、たとえ、現段階での藤本松夫さんをモチーフにしたとされる啓発映画の「評」仕方が、もし、違っているにせよ、私は私で責任を持ってこれまでと同じ論で、考えていくことが彼女からいただいた思想!、「竜一イズム」に少しでも触れられるのでは?と、感じています。

 何にせよ、33年前に松下氏が、この「藤本事件」が政府のライ施策が元凶であることの示唆をしてくださっていることは、その文責からの「心強さ」が、今後も私を後押ししてくださる様に思います。
 

つまり  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月13日(水)19時18分4秒   返信・引用  編集済
  どんな立派な法案を「書いて」持ち込んでも、「アイデア」としかみなさず、議院法制局が「起草」すると言うことかなあ。

まず、議案を起草する前に、あるいは教科書上の手続きを調べる前に、一体現実には、如何なる仕組みになっているのかを、調べる必要なないのかな。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%86%E8%AD%B0%E9%99%A2%E6%B3%95%E5%88%B6%E5%B1%80
議院法制局の所掌事務には、次のようなものがある。

議員立法の法案起草
法案の各議院における修正案の起草
議員からの法律問題に関する照会に対する回答
法制関係資料の収集、整理

また、衆議院法制局のみ、衆議院に導入された予備的調査制度に基づいて、議院の各委員会から命ぜられた法制に関する予備的調査を所掌事務としている。

国会における議院法制局は、内閣における法制局である内閣法制局と対になる組織であるが、その事務の実態は様々な相違がみられる。

立法についてみると、議院法制局は、各議員から持ち込まれた法律のアイデア(いわゆる議員立法の素案)を要綱から法案の形にまとめるところまですべて行っており、この点、内閣法制局は各府省庁から持ち込まれた半ば完成した法令案を審査するのみであるのと大きく異なる。

また、法律問題に対する意見事務も、内閣法制局の意見が内閣の法令解釈に決定的な影響力をもち、国会の議場における内閣法制局長官等の意見が政府の法律に関する意見を代弁するものとなるのと比べて、議院法制局の法制局長等の意見は、国会という機関を構成する個々の議員の参考に資するために法律専門職としてアドバイスをしたという以上の意味を持たない。
 
    (リベル) なるほど、「内閣法制局」と「議員法制局」は名前は似ていますが、全く異種の仕事をしているのですね。

「基本法」の議員立法は、江田五月氏や津島雄二氏などのベテラン議員の知恵を借りるのですから、そう心配しなくても良いのでは・・・?(6.14 00:09)
 

小田の本は読んでいませんが。  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月13日(水)19時00分16秒   返信・引用  編集済
  こういう(一番下、赤で表示)現実認識はあるのでしょうか?

1958年の予防法闘争のときも、社会党の長谷川保議員などと議員立法で「ハンゼン氏病法案」を進めていたのに、官僚に言いくるめられて「閣法」に持っていかれ、似ても似つかぬ「らい予防法」になった苦い歴史もあるはず。





32488 【New】 へんな民主主義 [2007/06/13 17:11Wed] □上野朝夫

今週の本棚・新刊:『中流の復興』(小田実・NHK生活人新書)
 毎日新聞 2007年6月10日 東京朝刊

 著者が自ら本書で明かしているように、「末期--またはそれに近いガン」と闘うなかで書きあげた執念の一冊である。7章から成り、すべて話し言葉なので、小田節を聞いているようで、ひしひしと胸にしみいり、圧倒される。

 格差社会を打破し、世界中にほどほどの豊かさと自由を築くカギは日本の平和憲法を活用し、中流の復興を目指すことだと説く。「友人、知己への手紙」は、居ずまいを正して読んだ。体調の悪化にもかかわらず、オランダで開かれた「恒久民族民衆法廷」に参加し、その判決文を本書に全文掲載するように主張したのは、いかにも著者らしい。作家であり続け、市民運動をリードしてきた「小田実の信念のメッセージ」がちりばめられている。(広)

●とりあえず 第六章 「刀を差さない心」をもつ日本人として生きるを読んだ。
「つるし」が示すインチキな民主主義 のところを読むと、議員立法とはいうが、実際には役人がウンと言わない限り法案はでき上らない、ようだ!
 
    (リベル) 「1958年」は、「1953(昭和28)年」のことです。

参考:年表 日本のハンセン病、「全患協運動史」p.200 (6.14 00:03)
 

今一度!  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月13日(水)07時10分14秒   返信・引用
   「何のための、『ハンセン病市民学会』だったのですか!?」  

説明責任が持つ意義を・・・  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月13日(水)07時06分49秒   返信・引用
   情報開示・・・このことが社会生活の基盤である 家計 を保つためにも、大小の組織運営していくその媒体にも「必要不可欠である!」は、学ばされてきたものと思っていました。

 この必要とされる情報を開示していくという行為と、説明責任を果たしていくという行為が、住みやすい地域・自治体・国・国際連帯国家を目指していく者の基本中の基本であるのかもしれません!

 先駆者・・・先人の長文を読ませていただき、今ある組織を、「形骸化などされてなるものか!?」という、熱い思いも湧いてきました。

 組織内会員が、客体からの迎合で終始するなら、多くの課題は「難解」という答えしか導かれないものなのかも知れません・・・

 あらためて、『藤本事件』が内包している事の大きさを、大分の雄・・・【松下竜一】氏より、伝えられていく予感をしています。

 鬼籍の人であっても、生きている様に感じられる 今 に感謝しています。

 もし、話題性からの映画づくりであったとするなら、我々もその話題性からの示唆(説明責任の追及)で、藤本事件を更に深めて、民主主義国家をまずは本気で目指していきませんか?

 多くの不条理・不合理が、うごめくという現実に怒りを忘れては、「上手く使う」という思想を持っている方々の・・・思う壺です!
 

北風さん、ルリカケスさんへ Re: 横レスです。  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月13日(水)02時58分8秒   返信・引用  編集済
  > No.2337[元記事へ]

> 朝潮太郎さん(しかし、懐かしい名前ですね)のいう「支援者」がリベルさんを指し、またはリベルさんを含めているかといえば、朝潮さんとしては全く思いもよらないと思います。

> 今提起されている「将来構想」は、過去幾たびも提起された「将来構想」の歴史と断絶しています。また、過去の「将来構想」がなぜ具体化されず、しぼんでしまったのかの検討もなされていません。もっと率直に言えば、もっともっと早い時期に療養所の終末を見越して提起された「将来構想」をまともに運動にしえなかった反省も耳にしません。(これは全患協の取り組みについてではなく、念頭にあるのは松本馨さん、国本さんなどの「私案」ですが)
>
> また、障害者や高齢者施設との併設など提案されていますが、それらの人々と共闘・連帯の動きも管見では、あまり視野に入っていないような気がします。
>
> そうした検討もなしに、忽然と問題が提起され、〈どこからともなく〉「100万人署名」「国民運動」というかけ声がきこえてきます。そうした動きに「何の疑いもなく支持してしまう「支援者」」の姿勢を問うているわけで、そうした支援者はまた離れて行くのも早く、
> 同じ「結論」に到ったとしても、リベルさんを指しているのではないことは、小生から見れば自明のことだと思います。
>
> *また。今提起されている「ハンセン病基本法」は、リベルさんのおっしゃる「人権法規」と別物と理解しています。


朝潮太郎さんについて何も知らず、「将来構想」の長く深い歴史も知らない、ハンセン病の存在を知って、未だ7年目の若造(おや、今度は「若造」に衣替えですか?まあまあ抑えて抑えて。)が、ヒステリーを暴発させた、という、誠にお恥ずかしい構図ですね。

それにしても、北風さんもルリカケスサンも、人がシャドウボクシングで探りを入れている時には、ニコニコしながら一言も発しないで居て、たまりかねて思いっきりサンドバッグを殴りつけるや否や、間髪を入れずやんわりと窘めるなんぞは、流石鮮やかな身のこなしでいらっしゃると、改めて尊敬の念を深めることになりました。

今後とも、何卒お手柔らかに、お願い申し上げます・・・m(_ _)m


*私は「ハンセン病問題基本法」に検証会議の提言に有る「人権擁護法」をも、盛り込むべきだと言っているのです。(参考:ここの下の方の「編者注」)勘違いをしているのではありません、念の為。


(注)「ルリカケスサンへ」と書いています。これは、ルリカケスさんがご自分のBBSにお書きになったものに対するレスをも兼ねているからです。申し訳ないですが「手抜き」です、ご免なさい、ルリカケスさん。
 

すみません。  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月12日(火)17時29分54秒   返信・引用  編集済
  少し長すぎて流れを乱しています。

しかし、今から40年前(!)にこうした論考が書かれていたことを是非知ってほしいと思います。
 
    (リベル) いやはや、驚きました。とても、40年前の話とは、感じられませんでした。(6.13 02:39)  

世界医療センター -療養所の終末-  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月12日(火)17時16分20秒   返信・引用
  世界医療センター -療養所の終末-

「多磨」 1967年12月号     松本 馨(多磨全生園)

いつの頃、何で知ったか記憶にないが、確か昭和四十年の統計と思うが、次のような数字が私の脳裡に焼きついて離れない。

「全国入所患者一万の平均年令、五十。一年間に発生した患者百。死亡、百。退園、二五〇」

記憶のために、多少の違いがあるかも知れないが、今後の療養所を知る上に、この数字は極めて重要である。恐らく四十一年の統計も、大体、同じような結果が出ているのではないだろうか。この数字が示そうとしているものは何か。

多磨全生園園長矢嶋良一先生は、本年六月二十五日の「貞明皇后のお徳をたたえ、らいを正しく理解する集い」で講演し(日比谷公会堂)二十年後の我が国のらい患者は、五千人に減少することを明らかにした。上記の数字から推して、門外漢の私にも理解できる数字であるが、入所患者の大部分が長期療養の肢体不自由者であることと、平均年令五十を併せ考える時、不側の事態が起らない限り、実際はそれより下廻らないであろうか。

いずれにしても国内にある十一の国立らい療養所と三つの宗教病院は二十一世紀を待たずして大方は消えて無くなるであろう、或いは決定的な特効薬が現われて、全部姿を没するかもわからない。療養所は終末なのである。現代の混乱と混迷は、その印しなのである。

私は今後のらい療養所は如何にあるべきかを考える時、この事実を無視することは出来ない。療養所の終末を無視して論じることは如何に美辞麗句を連ねても空しい砂丘のまぼろしに過ぎない。この評論も、終末的観点に立つていることは云うまでもない。その終末的観点に立って現実を直視する時、現代の療養所が如何に危機的状況にあるか理解されるのであろう。

危機とは、療養者のモラルの低下を云うのではない。また労務外出、その他による所得の格差によって起っている混乱を指すのでもない。これらは、終末につきまとう現象なのである。私の云う危機とは療養所の根元的な機能がマヒしつつあること、そしてその結果、自潰作用を起していることである。もっとはっきり云えば、医師不在の療養所になりつつあることである。医者が居ない療養所は、荒廃した不毛の地であり、オアシスの無い砂漠である。

以下は昭和四十二年七月一日現在の、各療養所の現状である。
療養所名 医師定員  現在人員   患者定員
多磨全生園 21    21(出張1)    1170
松丘保養園 7     5         720
東北新生園 8     8         590
栗生楽泉園 9     9(出張1)     970
駿河療養所 6         5                400
長島愛生園 14       13(出張1)        1600
邑久光明園 11       10                980
大島青松園 8         8                670
菊池恵楓園 17       17               1670
星塚敬愛園 11       17               1150
奄美和光園 3         3                330

医師の定員は、厚生省が当初、必要と認めた数―恐らく多磨全生園の定員が基準だと思うが―とは違っている。各園は割当てられた定員を満すことができなかったので、厚生省は予算編成の際、欠員を凍結したと聞いている。その結果が表記の定員となったのであるが、それは各園の限界を示したものである。実際に必要な定員の半数以下が、現実なのである。しかも、その限界をも守ることのできない事態が起りつつあるのである。表からでは、頭で分っても、ピンとこない。実例を挙げよう。

この春、昔、私が寮父をしていた頃の子供が、草津の栗生楽生園から見えた。彼の言葉だと、楽生園では、今年は例年になく春までに多くの療友が亡くなった。その原因が、内科の先生が居ないためであろうと、患者達が話し合っていると云うのである。

病人にとって絶望的なのは病気が悪疾だと云うのではない。それを治療する医者が居ないことが絶望的なのである。ライは絶望そのものではない。治す医者が居なかったことが絶望的だったのである。もし、らいが絶望そのものであったら患者は今でも絶望しているであろう。けれども患者は、も早絶望してはいない。癌もまた絶望そのものではない。その前に、医学が無力であることが絶望的なのである。将来、医学が癌を克服する時、その治療の恩恵を受ける癌患者は、も早絶望しないであろう。如何なる病気も、病気そのものが絶望的なのではない。医学の恩恵に浴し得ないことが絶望的なのである。

表では楽泉園では定員と現在人員が九になっている。それにも関わらず、こうした事態が起っている。これは地方療養所に起っている現象なのである。医師不在は将来ではなく現在すでに起っているのである。そしてそのことこそ、まさに絶望的な症状であり、危急なのである。その原因が、療養所の終末であることは云うまでもない。

新しい技術を身につけた若い医師が、やがて消えて無くなるであろう療養所をどうして希むだろうか、それは自殺的行為である。昔はその悲惨性の故に、療養所に来る者が無かった。然し少数ではあったが、日本にもシユワイツアーは居た。暗黒時代の療養所はその人たちによって支えられて来たのである。現代は終末の故に、二代目シュワイツアーを希むことは出来ない。我々はまた患者の老令化と共に、医師の老令化にも注目しなければならない。我々の間から最後の一人の医師を奪いとるものは、老令だからである。

-医療センターとしての全生園-
こうした状況の中で、全生園は医療センターとしての責任を果してきた。政治、経済、文化、あらゆる学問の中心地にある全生園は今後医療センターとして益々重要性をおびてくると共に、療養所の歴史的な役割りを果することになるであろう。

私はここで全生園が医療センターとして、現在果している役割りに就てふれておかねばならない。前に私は楽泉園の実状に少し触れたが、内科医の居ないままに療友は見捨られているわけではない。全生園から内科、外科、歯科の先生方が出張し治療に当っている。この外に駿河療養所、長島愛生園、沖縄の療養所などにも出張している。全生園に一時入院して、整形外科や眼の手術を受ける療友は絶えない。上に記した療養所の外に、東北新生園、私立の神山復生病院、身延の深敬病院の療友も、一時入院して手術を受けに来る。医師不在の療養所が増えるにしたがって、地方療養所の全生園依存度は益々大きくなるのであろう。

だが、医師センターとしての全生園は既に限界に達している。全国療養所を医療傘下に入れるには、医療センターとしての設備がない。全生園はもともと全生園の患者を対象に造られたのである。医師も看護婦も医療設備も病棟も医療センターとしての性格は持っていない。然しそれにも関わらず、医師不在の療養所が増えるに従って医療センターとしての責任を果して行かねばならないであろう。その器がやぶれる迄は、そして地方療友の声が中央に向って高まる時、療養所の再編成即ち整備統合が問題となってくるであろう。

-療養所の整備統合はすべきでない-
私は、療養所の統廃合には反対する。今世紀の内に大方無くなろうとしているのに、患者の反対が予想される統合の根拠がない。それをすれば、患者の中に犠牲が出るであろう。療養所の建物は、だいたい木造である。空床に伴なって療養所を縮少し、整備してゆけばよい。そうすることによって、統合による職員の犠牲も出さないで済むであろう。職員もまた、定年による自然淘汰を待てばよいのである。

入所患者一万人の内の過半数は、終戦前からの長期療養者である。二十五年から三十年、また四十年、五十年の長期療養者である。その多くは家族との音信が絶えている。中には療養中に全部の肉親と死別し、天涯孤独の人もいる。福祉年金受給申請の際、戸籍すら既になくなっている人もあった。半世紀の間、世に隠れ住んでいたのであるから、戸籍が無くなったからとて不思議はない。

私は昭和十年に全生園に入園したものであるが、当時の全生園の予算は微々たるもので、人的にも物的にも欠乏していた。それをおぎなったのが、患者の労力である。病棟、不自由舎の病人を看護したのは、軽症な患者であった。医局の各科にも、看護婦の替りに患者が働いていた。眼科では、洗眼、点眼、投薬はみな患者がした。外科場には数十人の患者が働いていた。医局外科場は医師と看護婦が主体であったが、不自由舎の男子浴場外科場と女子浴場外科場、それに病棟と、不自由舎の出張外科は患者が主体だつた。彼らは傷の手当をするだけでなく、傷口から出てきた小骨ぐらいは処理出来る技術を持っていた。彼等の中には繃帯巻きの名人が何人もいて、名人が巻くと傷に無理をしないように、また指が利くように柔かく巻くが絶対にほぐれないのである。病人の滋養の牛乳と玉子と、炊事で使用する野菜はみな患者が生産した。治療薬もなく、絶望的な状況の中で患者は働いたのである。働かなければ一銭の小使いも貰えないと云う制度であったが、ただそれだけの理由で働いたのではない。暗黒の世界を少しでも明るく、住みよい世界にしようと努力したのである。

現在の長期療養者は、このようにして療養してきたのである。彼らは年をとり、非常に不自由な状態に陥っている。彼らの療養所に対する愛情は、一般の療養所概念では理解できない。農民が土地を愛するように、療養所を愛し、自分の骨をそこに埋めたいと願っている。

若い時は、墓は遠く無縁なものに、感じられるが、年をとるに従つて、墓は近くなり愛情さえ感じられるようになるものだ。現世よりもかの世に知人が多くいるからである。妻や夫、親子兄弟、骨肉以上の友人がそこに眠つている。その中に眠り、骨を埋めたいと願うのである。こうした人たちの感情を無視して、療養所の統廃合はできるものではない。

私は政府にお願いする。彼らの最後の一人が、療養所にとどまることを欲するなら、その如くしてやってほしい。多くの療友のいる他園に移りたいと欲するならば、その如くしてあげてほしい。

現在のらい対策の成果を見たのは、現地に働く職員の犠牲的な働きによるもので、その功績は総て職員に帰すべきものである。けれどその陰に、長期療養者の献身的な協力のあったことをも記しておかなければならない。

-職員の立場・患者の立場-
療養所の統合をしないとすれば、現在すでに医師の欠員で困っている療養所は益々困難に陥るであろう。そして年毎に医師不在の療養所は増えていくであろう。それに対する対策が建てられない限り、患者の意思如何に関わらず、統合は必至である。

そこで私は、沖縄をも含めた国立療養所と私立病院とを傘下に収めた医療センター設立を提案する。この医療センターより、三ケ月から半年くらいの期間で、医師不在の療養所に医師を派遣し、治療に当らせるのである。手術を必要とする患者と高度な治療を心要とする患者は医療センターに入院させて治療をするのである。現在、厚生省が意図し、全生園の先生方にさせていることを組織化し、目的を明確にしたものが私の云う医療センターである。

場所は全生園の敷地十一万坪の内の約半分をそれに当てる。新しい医学と技術を絶えず投入するためには、また医者を集めるためには、地理的に東京の全生園以外には無い。但し、医療センターと、全生園とは一つではない。明確に分けておかなければならない。全生園は他の療養所と同じに扱うことになるであろう。医療センターは病院であり、第一に治療、第二にも治療、第三にも治療で、患者の生活を持込んではならないからである。

私はここで現代療養所の混乱と混迷の原因について分析を試みたい。それによって医療センターと全生園を分けようとする私の考えが明らかになるからと思うからである。

現在の療養所は、一方では療養所であり、他方では反療養所である。一方では病人であるが、他方で壮健である。なぜならその大部分は菌陰性者だからである。矛盾したこの二つの面を持っているのが現在の療養所であり、そこから混乱が生じている。一例をあげよう。

全生園では、ここ数年、作業の医療管理と労務外出が問題になっている。医者の側から云えば、患者の健康管理の上から作業の医療管理は当然である。患者の労務外出を禁止することもまた当然である。医者の指示に従わず、治療も受けず、労務外出する患者を退園処分にすることも、これまた極めて当然の処置である。

これに対して患者は、医者の立場を一応認めながらも、「然し、我々には生活があるのだ」と患者の立場を主張する。彼らは隔離と病気から解放されているが、後遺症のために社会復帰が出来ず、療養所で一生を、すごさなければならない。彼らが自分の生活を持とうとするのも自然の成行である。労外や内職、あらゆる方法を用いて、社会の一般の人たちの生活に近づこうとするのである。医師は治療を主に考え、患者は生活を主に考える。治療の成果があがればあがる程、両者の間は対立が激しくなっていくのである。

私は最近、全生園で消費している酒が五~六百万円と聞いて肝をつぶす程驚いた。私は酒の値段を知らないが、かりに二リツトル五~六百円に計算しても、年間一万本飲んだことになる。医者は患者が酒を飲むことに反対しているが、この事実は何を物語るのであろうか、患者は既に療養所内に社会生活を持込んで生活していることである。医者と患者と、両者の立場は今後益々かけ離れていくであろう。

現在の療養所は医者の治療を主にした考えと、患者の生活を主にした考えの、二つによって運営されている。運営されていると云うより、両者の間にはさまつて右にも左にも行くことができず立往生しているのである。そしてその巨大なエネルギーが混乱と云う形で渦を巻いている。そしてこの渦は両者の意思とは無関係に少しずつ動き、竜巻のように横切ろうとしている。そしてその方向は破壊である。

私は、どちらの考えが正しいかを知らない。私の立場を云えば病人としての自覚に立つ時、治療を主に考える医者の側に賛成する。生活を主にした患者の考えは間違っている。

然し私は菌陰性者として、病人で無いとの自覚に立つ時、患者の生活を主にした考えに賛成する。治療を主にしなければいけないと云っても、私は何の治療を受けてよいか分からないからである。

こうした療養所の中に医療センターを持込むことは意味がない。成果をあげることが出来ないからである。私が医療センターを全生園とはつきり分けて考えるのは、療養所の医療と生活を分けようとするに外ならない。そうすることによって医者は医者としての立場に立つことが出来、患者は患者の立場に立つことができるであろう。医と生活を分離した状況の中で労務外出や、患者の作業の在り方に就て検討されなければならない。

-医療センタ-
医療センターは、綜合医療センターでなければならない。結核病院とは事情が違うのである。結核患者が結核以外の悪性な病気を持っている場合、その道の専門病院に転院が可能である。らい患者の場合は現状では不可能である。

角膜移植をすれば見えると分つていても、眼科病院に転院することは出来ない。手術をすれば癒る心臓病でも、その道の専門病院に入院することはできない。このために医療センターは綜合医療センターでなければならない。幾つかの専門病院を包含したものが医療センターである。

現在の療養所にも、一通りの治療科はあるが、治癩科に比較して立遅れてはいないだろうか。進んだ科学治療が行われでいると、断言できる治療科が果して幾つあるだろうか。或る会合で、或る医師は「療養所に十年勤務していると、開業医として社会に立つことが出来ない」と告白している。

療養所を希望する医師が少いのは、過去はらいの悲惨性の故であり、現在はらいの斜陽のためであると云われている。それは事実かも知れないが、この医師の告白の中にも、原因の一端は無いであろうか。だからと云って、その責任を医師たちに帰するつもりはない。

本年春の合同園葬の物故者は十六人であったが、その内の七人は癌で亡くなったことが園長によって明らかにされた。約半数である。平均年令五十と云う療養所の老令化を考慮しても、この数字は異常に高い。この原因は何に帰因しているかと云えば、癌の専門医が居ないことと、早期発見のための医療器械が完備していないためである。一般病院では、患者にカメラを呑ませて胃の中を検べることの出来る医療器械が普及していると聞いているが、全生園に無い。治療センターと自負している全生園に無いのであるから、地方療養所にも恐らく無いであろう。

全患協の資料によると、昭和四十一年度の患者死亡者数は、約百四十人である。全生園の癌死亡率を基準にして計算すると約六十人が癌で亡くなったことになる。六日に一人亡くなっていることになる。この人たちは、癌であることを知らされずに亡くなったのであるが、死のベッドで最後まで願い続けたもの、求め続けたものは何であったか、現在、癌と闘っている人たちが、欲求しているものは何か、それは只一つしか無かった筈である。進んだ科学治療を受けることである。医療の完備である。

これは一例に過ぎない。病棟に入っている人たち、一万人の内の十五パーセントか二十パーセントと思うが、心の奥底で、この人たちが欲求しているものは癌患者と同じであろう。聖書は人の生命は、世界よりも重く尊いことを教えている。私たちは病む人たちの声なき叫びに耳を傾けなければならない。

医療センターはこの人たちと、医師たちのものである。そこでは医師たちは、極限で死と闘っている人たちに奉仕することによって、患者との共同の闘いを進めることができよう。そしてそこに、患者と医師との間に緊張関係が生れる。この緊張関係は怠惰な医師たちを、その無気力から解放し、勝れた技術を持ち乍ら疎外されていた医師たちに技術を生かす場所と研究の機会を与えることになる。更に緊張関係が持続することによって、この世界にも技術革新と科学治療の進展をうながし、十年勤務すれば開業医として社会に立つことが出来ないと云う不名誉を挽回することができよう。また癩は斜陽だから医師の来てが無いと云う杞憂も解消するであろう。

-アジア・アフリカに救いの手を-
医療センターは、現代の療養所が負っている苦悩と、医師不在の将来に対処するためのものであるが、これには、もう一つの大きな使命が課せられている。それはアジア・アフリカの救癩センターとしての機能を持っていることである。医療センターの一つの目的は、医師不在の療養所に医師を派遣することであったが、その足をアジア・アフリカまで延ばすのである。

一挙にそこまで持ってゆくことは、予算と人員の面で困難であろう。さし当って緊急を要する処から始める。そしてそれは印度である。印度の患者は三百万と云われる。これは印度政府の発表であるが、その二~三倍は居るのではないかとも云われている。

幸いアグラには、日本の民間人に依る救癩センターがある。このアグラを前進基地にして医療班を派遣するのである。医学の進歩は、治療を容易にした。医師の指示に従って、毎日、数錠のD・D・Sを服用するだけで、働き乍らでも治療できる。昔のように隔離収容する必要はない。医療班の仕事は三百万以上と云われる患者のカルテを作るここと、治療薬を与えることである。高価な金をかけて、療養所を作る必要はない。

ただ、家も無く働くことも出米ないような患者のために、衣類と食物を与えなければならない。その方面で働く人も必要となってくるであろう。私たちの先輩の経験によると、家もなく動くこともできないような重症患者は恐らく集団生活をしているに違いない。それ以外に生きる道はない。この人たちには治療の外に食物と衣服を与える必要がある。印度では毎年食糧危機に襲われて、餓死者を出している。恐らく、世界に報道されているのはその一部であろう。誰の目にもとまらぬ、かくれた処で、多くの餓死者が出ているに違いない。そして、その犠牲者は誰なのか、私は印度の病友たちのことを思う時、心に痛みをおぼえる。世界医療センターは私の祈りなのである。

-政府に要望する-
最后に、私は政府に対して医療センター設立を要望する。この問題を取上げて頂きたいのである。第二次大戦後、独立したアジアの国々が抱えている困難な問題は、貧乏と病気である。政府はアジア各国に賠償をも含めて、有償無償の経済援助を行っているが、病気に対して積極的な援助をおくっているとは云えない。アジアは一つである。我々の先祖を探って行けば、同じ先祖であり、同じ腹から出た骨肉である。アジアの病気は、日本の病気である。アジアの貧困は日本の貧困である。政府がアジアの貧困だけではなく、病気おも日本の問題として、積極的に取組むように希望する。

ケネディ大統領がアメリカ国民に人気を博したのは、彼に哲学があったからだと云われる。――私は信仰だと思うが――アメリカでは、黒人問題を抜きにして真の意味で自由平等の民主政治を行うことはできない。ケネディが大統領立候補の際、黒人問題を重要政策の一つに掲げたのはこのためである。ケネディがリンカーンと並び称せられるのもこの点である。

アメリカの黒人問題と同じように、日本の大きな問題は、アジアの貧困と病気だと思う。日本はアジアを貧困から解放しなければならない。またアジア個有の病気と思われる、コレラ、マラリヤ、らい、結核、癌病などからもアジアを解放しなければならない。日本にはその使命が課せられている。

なぜなら日本はアジアの唯一の先進国である。唯一の工業国であり、富める国である。アジアを貧困と病気から解放することのできる能力、即ち経済的にも、医療の面でも具備しているのである。これは、天よりの賜ものである。この賜ものを用いず、その責任を果さないことは日本の悪であり、政治の悪である。私は政治の背後に、世界を支配し、歴史を支配し賜う義の神を見る。

政治の権威は神から授かったものであることをパウロはロマ書で述べている。この賜ものを、自己の利益のみに用いることは、それ故に悪なのである。アジアのために、アフリカのために否、全人類のために用いることが義なのである。私は政府に対して、特に総理大臣に対してアジアを日本の問題として政治に取上げるよう切望する。アジアが貧困と病気から解放されることは日本が貧困と病気から解放されることである。
 
    (リベル) 長い、滅茶苦茶に長い、しかし、長さを感じず、読み終わりました。良いものを読ませて頂きました。年号を変えれば、正に現代にそのまま置き換えられる話ではないですか。特に松本 馨氏に先見の明が有ったのでしょうか?

北風さんが、前のスレに書いて居られる「もっともっと早い時期に療養所の終末を見越して提起された「将来構想」をまともに運動にしえなかった反省も耳にしません」などの話に、合点が行きます。

ウーム、考えさせられました。有り難うございました・・・m(_ _)m(6.13 02:32)
 

横レスです。  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月12日(火)13時01分44秒   返信・引用  編集済
  朝潮太郎さん(しかし、懐かしい名前ですね)のいう「支援者」がリベルさんを指し、またはリベルさんを含めているかといえば、朝潮さんとしては全く思いもよらないと思います。

また、朝潮さんの言うことに同感するところがあります。同じことを小生は「80年前に生きていたら十坪住宅の募金に唯々諾々と奔走する女学生」といったことがあります。
もちろんそうならないように自戒をこめてですが。

今提起されている「将来構想」は、過去幾たびも提起された「将来構想」の歴史と断絶しています。また、過去の「将来構想」がなぜ具体化されず、しぼんでしまったのかの検討もなされていません。もっと率直に言えば、もっともっと早い時期に療養所の終末を見越して提起された「将来構想」をまともに運動にしえなかった反省も耳にしません。(これは全患協の取り組みについてではなく、念頭にあるのは松本馨さん、国本さんなどの「私案」ですが)

また、障害者や高齢者施設との併設など提案されていますが、それらの人々と共闘・連帯の動きも管見では、あまり視野に入っていないような気がします。

そうした検討もなしに、忽然と問題が提起され、〈どこからともなく〉「100万人署名」「国民運動」というかけ声がきこえてきます。そうした動きに「何の疑いもなく支持してしまう「支援者」」の姿勢を問うているわけで、そうした支援者はまた離れて行くのも早く、
同じ「結論」に到ったとしても、リベルさんを指しているのではないことは、小生から見れば自明のことだと思います。

*また。今提起されている「ハンセン病基本法」は、リベルさんのおっしゃる「人権法規」と別物と理解しています。
 

私は支援者ではない  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月12日(火)02時01分23秒   返信・引用  編集済
  私は「支援者」か?「支援者」とは何か?を考える切っ掛けになったのは、既に書いたのですがルリカケスさんのBBSに「朝潮太郎」さんがお書きになった「例えば「最後のひとりにはなりたくない」と在園者の誰かが発言しているビデオを見せられれば、やれ併設だ、ほれ「基本法」だと何の疑いもなく支持してしまう「支援者」の無責任がこれから先とても怖いと思うのです。」を読んでからです。

答えは出ているのですが、今日は書きません。今日は思い切って先ず朝潮太郎さんにお尋ねをしてきました。ここで仰有っている「支援者」は私のことですか?という。

もしお返事が亡くても、「出ている答え」は必ず書きます。引っ張っているわけでは有りません。どうでも良いことですが、これは・・・(笑)


イチロさんから頂戴しました。
散歩道の家の庭先に、気付きました。
近くでよく見ると、美しい花です。
 

Kushita?  投稿者:ドン・キショット  投稿日:2007年 6月11日(月)23時34分20秒   返信・引用
  http://www.saudebrasilnet.com.br/premios/saude/premio4/trabalhos/002.pdf  
    (リベル) ドン・キショットさん、有り難うございます。「i」と「t」がミスプリかも知れませんね。もっと調べてみます。

これはブラジルのサイトで、スペイン語でしょうね。翻訳ツールを色々試しましたが、スペイン語はどうも苦手とされているようで・・・。

でもRegveda Samhita(B.C.1200頃 最古のヴェーダである「リグ・ヴェーダRig Veda」成立)というのは有名ですし、denominateは「…と呼ぶ」という意味ですから、そのことが書いてあると理解しました。スペイン語は母音「O」が多いせいか、読んでいる内に、ラテンのリズムに乗りそうで、気が付いたら、amazonで「西和辞典」の値段を調べていました。おいおい、もう止したがいいよ!!!、ですね。

本当に有り難うございました。実は当分こちらへの労力を抑えて、「歴史」の本文の作文に、精力を注ごうと、そういう魂胆で居ます。(内緒です。所謂「ここだけの話」。)(6.12 00:17)
 

余談:続「自由と繁栄の弧」  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月10日(日)23時47分29秒   返信・引用  編集済
  「自由と繁栄の弧」と「文明の生態史観」に共通するのは、

1)アメリカの切り捨て(旧世界のみを対象とする)

2)日本とヨーロッパの文明を、同種のものとしてとらえる

の二点です。そこのところを、私はおぼろげながら似ていると感じたのだと思います。しかし、最近、この「自由と繁栄の弧」とほぼ同じ地域(バルト三国は含まず)を「○○の三日月」というような表現で、誰かが言っていたような気がするのですが。どなたかご存じ有りませんか?教えてください。私も今から調べます。


お手間を省くために「文明の生態史観」を一つの図にしたものを、紹介します。

1)旧世界を第一地域と第二地域に分けます。両端の日本と西ヨーロッパが第一地域で他は第二地域です。「第一地域の特徴は、その生活様式が高度の近代文明であることであり、第二地域の特徴はそうでないことである。」と書いてあります。(同書p.107)

2)第二地域の中は、四つの大共同体(世界、文明圏)に分かれる。すなわち(Ⅰ)中国世界、(Ⅱ)インド世界、(Ⅲ)ロシア世界、(Ⅳ)地中海・イスラーム世界である。(同書p.203)


「オチ」ではありませんが、こうやって眺めてみると、「自由と繁栄の弧」の発想の原点は、やはり「ここ」だ、と思えてならないのです。念のために書いておきますが、私は麻生太郎さんの古くからのファンの一人です。少し長いですが、この3月に行われた「外交フォーラム イン 京都」をお聴き下さい。実に面白い話が満載です。

例えば、去年のドイツW杯 の決勝で対決したフランスのジダン、イタリアのトッティ両司令塔のエピソード。「何故サッカーを始めたのですか」との質問に、たまたまこの二人の答えが同じだった、「『キャプテン翼』を読んだからです」という話、などと。
 

余談:「自由と繁栄の弧」  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月10日(日)17時59分52秒   返信・引用
  これは、麻生太郎さんの近著です。未だ読んでいませんが日本から、台湾、香港、シンガポール、東南アジア、インド、アフガニスタン、からバルト三国までをつないで「自由と繁栄の弧」と称するそうです。例えば中国は含みません。共産主義国家で、人権無視の国だからでしょう。

いや私の言いたかったのは、そのことではありませんでした。これは麻生さん発想の(まあ外務官僚が協力したとは、公言していますが)新説とされているようです。

何か、昔、似たようなのが有ったなあ、と思ったら、梅棹忠夫氏の「文明の生態史観」でした。いま、引っ張り出してきて、酔眼で眺めると、うん、剽窃ではなさそうだ・・・... o_ _)o パタッ

また酔いが醒めてから、良く読んでみます。

約束した「雲を作る話」も結果を報告しなければなりませんし。はい、梅酒の瓶を逆さにして水蒸気をたっぷり入れて、一挙に冷やしたら、やはり「雲が棚引いた」か、という実験結果の報告です。お楽しみに。
 

Trautman JR  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 6月10日(日)11時27分26秒   返信・引用
  たしかStarにも書かれていましたが(A brief history of leprosy)

 きわめて評価が高い医学雑誌に1965-1985年に26編の論文を書かれていました。

 Ichiro
 
    (リベル) 有り難うございました。それです。「A brief history of Hansen's disease」をベースにすることにしました。Ichiroさんに「お墨付き」を頂いたLechat氏も引用して居られますし。

それから、これは何かスペルのミスなのでしょうか?「Kushtia」というのが、検索しても他に見つからないのです。Ichiroさん、お心当たりは有りませんか、一度、記憶を辿ってみて頂ければ心強いのですが。宜しくお願い致します。(6.10 12:23)
 

Kushtia  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月10日(日)05時04分49秒   返信・引用
  紀元前1400年に書かれたインドの「Vedas」に、ハンセン病がこう呼ばれたと書いてあるそうです。カーヴィル研究所のトラウトマン氏がそう書いて居ます。

私は実は、「歴史」をこの論文を元にしてまとめるつもりで居るので、もう一度「Kushtia」を調べるために研究社の「新英和大辞典」を引っ張り出しました。今、体重計で計ったら5.3キロあります。

下の88歳の方に鼓舞・勉励されたのでしょうか、これまでより軽々と扱えたので、驚きました。「病は気から」と言いますが、こりゃあ「老いも気から」ってことも有るぞと、とてもとても嬉しくなりました。

そういう効用も有って、喜んでいる若造が居る、と南アルプス市に、届けばいいなあ・・・。
 

リベルさんへ。  投稿者:あずき  投稿日:2007年 6月 9日(土)12時15分23秒   返信・引用
  遅配の新聞です。←(おせっかい)
 
    (リベル) あずきさん、有り難うございました。

お心配りに、本当に感謝の言葉も有りません・・・m(_ _)m


うーむ、流石は北風さんの御尊父、些かも老いを窺わせず、矍鑠たるものですね。背中をどやしつけられた思いです。頑張ろう、私も。16歳若いのだ!!(6.9 12:32)
 

写真展開催のお知らせ  投稿者:野村一郎  投稿日:2007年 6月 9日(土)11時54分45秒   返信・引用
  突然の書き込み申し訳ありません。
学生NGO【橋-QIAO-】広報担当、早稲田大学三年生の野村一郎といいます。
私たちの団体は今回、中国ハンセン病快復村をテーマに写真展を開催することになりましたのでその告知をさせてください。

****************************
    WAVOC主催ハンセン病問題支援プロジェクト
       with 学生NGO【橋-QIAO-】
  写真展 「Do Wish. ~村人からのメッセージ~」開催
****************************

 こんにちは!私たちはWAVOC主催のハンセン病問題支援プロジェクトのもと、
年2回中国ハンセン病快復村でのワークキャンプを中心に活動している、
学生NGO【橋-QIAO-(チャオ)】です。

 今回、私たち【橋(チャオ)】の活動をもっと多くの人に知ってもらおうと
いうことで、「Do Wish. ~村人からのメッセージ~」という写真展を開催す
ることになりました。早稲田大学の学生が、中国のハンセン病快復村で活動を
始めてから4年がたちました。現在キャンプ地は広東省内の4つの快復村に増え、
私たちの活動は確実に日本国内、そして中国に広がりつつあります。

 みなさんはハンセン病にどのようなイメージをお持ちでしょうか?かつて過
酷な差別・偏見にさらされ、強制隔離などの重い歴史を持つハンセン病。いま
だにその現状は、多くの誤解の中にあります。
 私たち学生に何ができるのだろう?それぞれの学生が様々な思いを抱き、模
索しつつ挑んできた、快復村での10日間のワークキャンプ。そうして私たちが
見聞きし考えてきたことを、そして、この活動で培われてきた私たち学生と快
復者の方々との交流の軌跡を、写真や映像、キャンプで実際に使った品々を通
して伝えていきたいと思います。

 今回の写真展の題名「Do Wish.」は私たち学生がハンセン病快復者の方から
いただいたメッセージです(中国人学生に訳してもらったため、英語の形をと
っています)。この言葉に表れた、今を生きる快復者の方のあたたかさを、ご
来場になった方々にも感じていただければ幸いです。

【日時】6月5日(火)~6月15日(金) 10:00~18:00
    (土日はお休み。最終日は16:00まで)
【場所】西早稲田キャンパス 小野梓記念館(27号館)1F 早稲田ギャラリー
【主催】学生NGO「橋」-QIAO-
【問い合わせ】学生NGO【橋-QIAO-(チャオ)】広報担当 野村一郎 Email:im1w52k2r5@yahoo.co.jp
 
    (リベル) 野村一郎さん、いらっしゃいませ。これは「イベント情報」にも掲載させて頂きました。  

梅毒  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 6月 9日(土)04時56分3秒   返信・引用  編集済
  梅毒といえば、昔、ハンセン病と混同された歴史があり、ダミアン神父もそのあおりを食って、女たらしと、暴言を吐かれていますね。私は、梅毒と言う言葉には、そう悪い響きがない理由が知りたくて、いろいろ検討したこともあります。逆に言えばらいの言葉は悪い(言った人の言霊が影響した?)印象が強いですね。

 Ichiroです。

 なお、ダミアン神父が、そうでないことは、ダットン神父の証言があります。(ダミアン・ダットン賞の)

 梅毒の歴史は、よく調べられていて、沖縄で大流行したことがあります。特に男性が多くかかり、色々な悲喜劇が演じられています。花柳界でも大流行、梅毒患者を意味する言葉はフルッチェ、古い人を意味する言葉で、(花柳界にいる古い人は全部罹ってしまった、というとんでもない言葉)、明治時代も相当罹っていたという文献があります。

 追加:暴言を吐いた人はHydeというキリスト教指導者ですが、Stevensonは、彼を糾弾したのです。「ジキル博士とハイド」という本を書いたそうですが、名前を利用したのかもしれません。
 

美少年  投稿者:イチロ  投稿日:2007年 6月 9日(土)00時59分21秒   返信・引用  編集済
  リベルさん

Ichiroさんとの掛け合い、楽しく拝見しております(^^) 「紅顔の美少年問題」の議論?

どっちが年上なのか?分からないですねぇ(笑)

梅とかは皮膚科のお医者さんは梅毒でなじみ深いのでしょうが、画像は「小梅(こうめ)」という小さい梅です。でも撮りたかったのはオトシブミみたいな上下の巻き巻きの葉っぱです。

どんな虫の揺りかごなんでしょうかねぇ(^^)

お邪魔しました(^^;)
 
    (リベル) 有り難うございました。「オトシブミ」辞書も調べました。知らなかったのです。web上で面白いのを見つけました。

「ナミオトシブミともいう。初夏にクリ、クヌギ、ハンノキ、シラカバなどの葉を巻いて、中に卵を産みつける。この卵の入った葉の筒を揺籃とよぶ。揺籃は切り落とすこともあれば、切り落とさないこともある。卵からかえった幼虫は中で葉を食べてさなぎになる。揺籃の形が、むかしの落とし文の形に似ているところからついた名である。」

やはり「揺りかご」なんですね・・・(6.9 17:48)
 

余談:雲を掴むような話  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月 8日(金)23時55分32秒   返信・引用  編集済
  梅酒のシーズンになると決まって思い出す体験なのです。小学6年のとき、5人、1グループで「自由実験」をすることになりました。テーマは自由。工作室(今で言う理科室)の道具類を自由に使って良し。計画立案・準備・実験に各一時間で三日がかり。のような余裕のあるスケジュールだったと記憶しています。

私達の研究課題は「雲を作る」という、終戦直後の萎縮した時代にしては、何とも気宇壮大なものでした。

暖かい空気が気圧や地形(山沿い俄雨のように)によって、上昇し上空で気温の低下に伴って水蒸気が凝固を始め、それが集まって「雲」が出来る。のでしょう?だから、水蒸気を集めて冷却すれば、雲が出来るわけです。

実験装置は極めて簡単です。アルコールランプで湯を沸かす。出てくる水蒸気を集める。一気に冷やす。雲が出来る。と言う理屈です。まあ、結構苦労をして、「装置」を作ったは良いが、どこへ蒸気を集めるか。そこで登場するのが、梅酒の瓶です。外から雲が見えなければなりませんから、当然です。

梅酒の瓶を逆さにして、水蒸気を入れ始めた途端にトラブルです。当たり前ですが瓶が熱くなる。もう雑巾を重ねて支えるしかない。そのことを予定して瓶を支える装置を作るという所まで、知恵は回っていませんでしたから。

さあ、結構溜まってきたぞ。しかし瓶が曇ってきてよく見えない。「よし、さあ、一気に冷やせ!」と用意していた水をザンブとばかりに掛けました。

ご想像通り、悲鳴だか、歓声だかが湧き起こりました。見事、「雲」が・・・(明日に続く)

      クリック
やっていますね、ここでも・・・
 

本末転倒  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月 8日(金)19時12分7秒   返信・引用  編集済
  http://feiga.blog77.fc2.com/blog-entry-61.html

>ハンセン病についての差別については理解できるのだが、惜しむらくは「藤本事件」について、被害者の元役場職員についてもう少し説明があった方がよかったのではないだろうか。冤罪ということは理解できるのだが、真犯人像をイメージするためにも、ぜひとも説明が欲しかった。


ところで昨日だったかの「朝日新聞」の投書欄においらの老父の投書が載っていました。

例の自転車の曲乗りに失敗して死にかけた人です。

87歳だとばっかり思っていたら88歳とあった。あれいつ誕生日だったんだろ?
そういや早生まれと聞いたことがあったような。親不孝だね。
 
    (リベル) 匿名であっても、年齢で分かるだろうと、新聞をめくって気が付きました。ここは大阪版。数日遡りましたが、近畿と中・四国中心で、他地域のものは一日に一つか二つ。残念ですが拝読できませんでした。

ご長命でいらっしゃるのですね。私から見れば16才も上です。今日明日にもくたばりそうなことを、言っちゃあ居られませんです。16年の半分でも、あと8年は行ける。うむ、頑張らなければ・・・〆(。。 )メモメモ (6.8 23:04)
 

Re:クルミの実  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 6月 8日(金)09時24分32秒   返信・引用  編集済
  しゃれは通じていますよ。私のブログのコメントを読んでください。

  そうか紅顔の美少年でしたか。ちょっと考えつかなかった。

 これは読んだら削除しますので お知らせください。

 指示どうり押したら、いたずら防止機構が働いたそうです。
 

なぜ?この言霊が、出せるの?  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月 8日(金)07時12分52秒   返信・引用
   中山映画を後押し(推進者)してきた T弁護士 のことばとして、「救済の客体から解放の主体へ」が出された事実に首を傾けています。

 「解放の主体」が凝縮された史実(ハンセン病運動史)のひとつとして、「藤本事件冤罪への闘争史」が揚げられると思っています。

 関原さん、H先生の有志の皆さまが私費を投じてまでも伝えたかった「F事件資料集」。この伝えたかった主眼に「解放の主体とは?」が投じられているものと思っていました。

 読み込めば読み込むほど、解放の主体の有り様が身に沁みます。
 冤罪の闘争の真っ只中、この時代に人を人としての尊厳を見抜く(入園者、入所者、罹患者を抜きに素顔を見ることができた先人)ことが出来た多くの 先哲者 の存在が、まさに「解放の主体」の模範的なあり様が、私の頭の中で映像として映し出されるのです。

 この「資料集」は、未来に生きる民主主義社会を構築していく有志にはきっと「宝」となるものと、私は確信しています。
 そして、その核になる 逸材 として「藤本松夫さんの40年間の人間史」を忘れてはならないと思っています。この40年の人間史が私に何かを投げ掛けている気がしてなりません!

 自分に予期せぬ境遇(人権蹂躙・侵害・迫害だったのかもしれない・・・のです)その試練に対しての彼の生き方・・・、家族を想い慕った彼の情からの 多くの努力 には、学ばされることを、痛感せずにはいられません。

 私の狭義的な思考からは、どうしてもT弁護士が語る、「救済の客体から解放の主体へ」の真意が読み取れません!
 裁判勝利は勝利で尊い行動であったと、私にも大きく理解できます。が、その勝利後の数年間に何か大事なものが置き去りにされているような・・・、その部位を探す糧として、


>らい予防法闘争の「立役者」だった湯川恒美さんが昨日なくなられたそうです。
湯川さんは、「保証金」の受け取りを最後まで拒否していたそうです。



「湯川恒美 」さんの人間史に触れていかなければならないようです・・・・・・

※「北風」さん!・・・ありがとう。

http://www.haruko.gr.jp/policy/jinken/hansendiet.html
 

懐かしいクルミの実  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 6月 8日(金)04時08分56秒   返信・引用  編集済
  ハンセン病療養所は広く、色々な植物がある。

 菊池恵楓園にも、イチロさんの写真は実であるが、大きなクルミの木があった。私がいた頃は、夏になるとクルミの実がタクサンなった。私は落ちた実を拾って、車のトランクにいれる。時間がたつと、シワシワができ、皆さんご存知のクルミの実ができる。その木の場所は、恵楓園の中央であり、理髪店寄り、中央の道路沿いの公園の中である。私が宮古から帰ったらその木がなくなっていた。台風で倒れたのだろうか。
 
    (リベル) Ichiroさん、どうやら「こうがんの美少年」のシャレは通じていないようですね(笑)(6.8 07:44)  

北風さんへ「解放の主体」のこと  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月 8日(金)02時34分43秒   返信・引用  編集済
  大体、BBSというのは、時系列が逆転するので、そのまま印刷せずに、古い投稿から順に拾って「メモ帳」に移し替えてから印刷しました。そして約一時間歩いて、いつものトイレにしゃがんで、読み始めて直ぐ、私の愚かさに気付いて、地面に穴を掘り始めようとしました。入りたくて。

北風さんも、呆れ果てられたことでしょうね。何度も恥をかかせまいと、ヒントを下さっていたのに、まあ、恥ずかしいことこの上なしです。

「解放の主体」の「在り方」の話だったのですね。夕焼けさんの仰有る「自主・自律からの運動」が、勝訴を「ターニングポイント」として、北風さんの言葉を借りれば「「主体」意識も少々希薄」な運動になって来ているのではないか?という指摘だった。いやこれも間違いだったら、また穴を掘らなければなりません。

ご免なさい、トンチンカンな返事を繰り返して。他人様のお書きになったものを、眼光紙背に徹するまで読まないから、こういうことになる。まあ、この程度のもんなのです。今後ともどうぞお手柔らかに、お願い申し上げます・・・m(_ _)m


それは兎も角、ルリカケスさんにご投稿頂いた通り、「全療協はハンセン病問題基本法制定を「組織としての最後の闘い」と位置づけており」ます。しっかり行方を見守らなければいけません。


イチロさんの写真です。
クルミが木に生っているところです。
私もこんな風に若々しい、紅顔の美少年(?)でした。
今では、頭が、クルミ以上に固くなっていますが・・・。
 

ハンセン基本法  投稿者:ルリカケス  投稿日:2007年 6月 7日(木)13時05分42秒   返信・引用
  <ハンセン基本法>制定に全力 療養所存続へ決定…全療協
6月7日3時3分配信 毎日新聞

 入所者減が続く全国の国立ハンセン病療養所をどう存続させるかという「将来構想」を巡り、全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)は6日、東京都内で役員会を開き、療養所を一般開放する「ハンセン病問題基本法」(仮称)の制定運動に組織を挙げて取り組むことを決めた。同法の制定はハンセン病訴訟の弁護団などが呼びかけてきたが、当事者団体の機関決定で運動が本格化しそうだ。全療協などは2年以内の制定を目指す。
 全国13カ所の療養所の入所者は2890人(5月1日現在)で、最盛期の4分の1以下に減少。平均年齢も78.9歳で、10年後には1000人程度に減る見通しだ。全療協は同法制定を「組織としての最後の闘い」と位置づけており、8月に都内で集会を開いて市民に協力を呼びかけ、100万人を目標に署名を募る。
 療養所の現在の医療内容を定めた「らい予防法廃止法」(96年施行)では、一般市民は基本的に療養所の医療を受けられないほか、敷地内に民間の福祉施設などを併設することも困難だ。訴訟の原告・弁護団などは、入所者減による医療水準の低下を防ぎ、市民との共生で差別の解消も図ろうと、一般市民にも施設の利用を可能にする同基本法の制定を提案していた。【江刺正嘉】

リベル様一応貼り付けておきます。朝潮さんからです。(支部長会議決定事項)
 
    (リベル) 有り難うございました。早速「ニュース速報」に掲載しておきました。(6.7 17:40)  

もちろんです。  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月 7日(木)12時06分36秒   返信・引用
  〉私は「解放された」主体、ではなく「解放に向けて闘う」主体、と解釈しているのです。

全く同じ解釈です。
1957,8年の「らい予防法闘争」は、まさに「解放に向けて闘う主体」であったと思うし裁判闘争もそう思います。

らい予防法闘争の「立役者」だった湯川恒美さんが昨日なくなられたそうです。
湯川さんは、「保証金」の受け取りを最後まで拒否していたそうです。
 
    (リベル) T弁護士の言葉をこう置き換えてみます。「人権侵害を訴える訴訟における被害者は、このように位置づけられるべきである。「救済の客体から解放の主体へ」と。

言い換えれば、客体と主体の二面性を有っている。と言うことではないでしょうか。私が使った「転換期」も北風さんの「ターニングポイント」も、それを機に変身したという意味ではなく、その二面性が顕在化した、という意味に受け取れば正しいのではないか、と考えました。今印刷が出来ましたので、歩きながら考えてきます・・・(・_・;)

最後になりましたが、湯川恒美氏のご冥福をお祈り申し上げます。(6.7 12:51)
 

再びターニングポイント  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月 7日(木)08時16分32秒   返信・引用  編集済
  〉〉(北風)いや。私見では「勝訴」の日、あるいは「控訴断念」の日です。

〉(リベル) これは、本質に関わりないことですから、私はこだわりません。

ここに「本質」があると思っているので、これに関しては、たぶんリベルさんと大きな認識の違いがあるような。
 
    (リベル) 恐らくですが、それは「解放」の受け取り方によるものだろうと思います。私は「解放された」主体、ではなく「解放に向けて闘う」主体、と解釈しているのです。

つまり、T弁護士の「救済の客体から解放の主体へ」を「救済されるべき客体から解放に向けて闘う主体」と、読んだわけです。さあ、間違っていたら、恥ずかしいです。早く指摘してくださいね・・・m(_ _)m(6.7 11:52)
 

Re: ターニングポイント  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月 7日(木)07時28分55秒   返信・引用
  > No.2312[元記事へ]

>
> そこを読んでいても感じるのですが、「ターニングポイント」は厳密には、2001年5月11日「勝訴」の日ではなく、1998年13人の原告による、「第一次提訴」の日ではないか。
>

いや。私見では「勝訴」の日、あるいは「控訴断念」の日です。
 
    (リベル) これは、本質に関わりないことですから、私はこだわりません。私は、主体が「主体性」を持って行動を開始したときが転換期ではないかと、思ったのでそう申し上げただけです。こだわらず、話をお進めめ下さい。(6.7 07:57)  

軌跡を辿り、「民主主義」を考える。  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月 7日(木)06時35分7秒   返信・引用
   【http://6610.teacup.com/libell/bbs?OF=1560&BD=10&CH=5

 新しい書き込みと共に、スレッドは流動的になっているようですので、なぜ昨年のBBSを貼り付けているのか?

 その真意を探って頂きたく思います!

 今国会の、強行採決を見ていて、感じたことがあります。それは、

 今回の啓発映画制作とされる現実が同じ構造を持ち合わせてはいないか?という心配です。

 「ハンセン病被差別化問題」を考える行為が、現社会の羅針盤となっていくものと感じています。そのことから未来を見据えていこうとする多くの友人・仲間・・・、「ハンセン病市民学会員」の同志の皆さまは、今回の啓発映画制作からその完成までの流れには、「それぞれに責任がある」という意識が必要ではないか?と思っています。

 論じ合い摩擦しながらも、導き出された、映画には多くの共感と、満足は出来ないにしろ、未来にわずかな灯りを見つけ出すことが出来たのでは?と思ったりしています。


 過去のスレッド貼り付けは、「論じ合ってその方向性を総意の下で導き出そうとした」と思える行為がそこにあったからです。

 論じ合う行為があるからこそ、多様な価値観の中で生かされている我々市民・人民は、分岐点からの行く道が見えてくるものと確信しています。

 今国会で、その横柄・傲慢と思える与党の行為が国会という立法機関でなされている現状はまさに、北風さんが示唆して下さった、


チャット見たいですね。  投稿者:北風  投稿日:2006年 8月 1日(火)22時00分58秒    返信・引用  編集済
   僕等も先週「ハンセン病問題セミナー」を行いました。
http://www.tenro.net/lib_hansen/bbs_friend/light.cgi

それは、何かに乗っかって「支援する」というような「実践」ではなく、それぞれの現場で主体的な実践を積み上げることではないでしょうか。
そのことによって「立派な理論家」になり「どんな論争にもたじろがずに意見を闘わせること」のできる人間を作っていけるのではないですか?
教育の大切なことは、無批判な同調者を作ることではなく、主体的、客観的な冷静な批判的精神を持つ、そういう人間を育てることではないですか?

 この部分に触れているのではないか?と思っています。

 国会での現状は、私たちの付託者である「先生」方が、作り出している結果だ!という意識と、あの強行採決に憤りを感じ世論のチカラを醸し出せない現状は、平穏と思える中で活かされて来た、批判を軽んじる思想・・・、日本的生活観の中にある様に思えます。

 なぜ?論じ合って、啓発映画とされる完成を目指すことが出来なかったのか?の問いは、怖れることなくその真意は、知らされなければ・・・、いけないと思っています。

 曖昧にしていく行為こそが、民主主義を空洞化し、現・政権から表面化しだした、「統治しやすい国家」への様相が・・・、うかがえるのかもしれません!
 ことは深刻を要している意識を持てば、論じ合いからの社会生活基盤を、確保する 汗 の掻きようが試されているようにも思っています。


 学生の「焼きなす」さんに「民主主義」を教えられた感が、しています・・・
 

余談:花はオニノゲシ  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月 7日(木)03時34分50秒   返信・引用
  昆虫は、どうやら蜜蜂らしいです。
 

Re: ターニングポイント  投稿者:イチロ  投稿日:2007年 6月 7日(木)02時47分23秒   返信・引用
  > No.2312[元記事へ]

リベルさん初めまして

黄色い花は、オニノゲシ Sonchus asper (L.) Hill.で、明治時代にヨーロッパから帰化した草です。ハチみたいなアブの名前は、わかりません(^^)
 
    (リベル) あれ、こんな時間に・・・有り難うございました・・・m(_ _)m(6.7 03:28)  

Re: ターニングポイント  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月 7日(木)01時03分59秒   返信・引用  編集済
  > No.2310[元記事へ]

> そのターニングポイントが、やっぱり裁判「勝利」だったのかなと。
>
> 僕は、「解放の主体」である皆さんが、「年をとった」などと弱気を言わず、まさに解放の主体として運動を担ってほしいと思っています。

いま、たまたま、古賀弁護士の「西日本弁護団ダイアリー」を読んでいます(「私は支援者ではない」ことをその内書く、と言ってしまいましたので、そのための材料集めに読んでいます)。

そこを読んでいても感じるのですが、「ターニングポイント」は厳密には、2001年5月11日「勝訴」の日ではなく、1998年13人の原告による、「第一次提訴」の日ではないか。

もっとマニアック(オタク的ともいう)に言えば、1990年6月、故島比呂志氏が、エイズ裁判原告故赤瀬範保氏から「癩患者はなぜ怒らないのか?」という手紙を受け取った日ではないか、とさえ思います。

その時から「解放の主体」と化した。いやそういう観点から言えば、権力に刃向かって「主体化」したのは、1933年の外島事件・・・となるので、これは止めますが。


今後の「解放」運動は「将来構想」、「ハンセン病問題基本法」に絞られていくのでしょうか。昨日東京で支部長会議が有ったのではないかと思います。何か分かったら教えてください。


IchiroさんのBBSによく美しい写真を投稿される
イチロさんがいらっしゃいます。それを頂いてきました。
花はオニノゲシです。と蜜蜂。でしょうか?
 

軌跡を辿り、「救済の客体から解放の主体へ」を、考える。  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月 6日(水)22時23分50秒   返信・引用
  http://6610.teacup.com/libell/bbs?OF=1540&BD=10&CH=5  
    (リベル) この頃は、「にわとり」さん、「ひな」さん、「きょうこ」さん、「はっしー」さんと、実に多彩なメンバーが顔をお出しになっていることに気付きました。わずか10ヶ月の間にピタリと姿が見えなくなりました。

「何故なのかなあ?」、「どうなさっているのかなあ?」、「懐かしいなあ・・・」(6.7 00:10)
 

ターニングポイント  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月 6日(水)16時29分24秒   返信・引用  編集済
  ここまで見事に「救済の客体から解放の主体へ」と言い切るのに、現実の運動や弁護団や市民学会の行動は「回復者」の皆さんを解放の「主体」として対峙しているのだろうか?
また、「主体」である「回復者」の皆さんの「主体」意識も少々希薄な気がいたします。

それが、やはり夕焼けさんの言う

「大正デモクラシー時代の運動体の唱える自主・自律からの運動論と、いわゆる「同対審」答申を受けての、「同和対策事業特別措置法」からの時限立法の変遷という「国」主導からの救済的施策からの運動」

と同じ軌跡を描いているような気がします。

そのターニングポイントが、やっぱり裁判「勝利」だったのかなと。

僕は、「解放の主体」である皆さんが、「年をとった」などと弱気を言わず、まさに解放の主体として運動を担ってほしいと思っています。
 

「救済の客体から解放の主体へ」ということ。  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月 6日(水)02時00分48秒   返信・引用  編集済
  この話の出発点である、北風さんの投稿は・・・

『ハンセン病/薬害問題 プロジェクト作為・不作為へ』(2007年5月)という本の中で弁護士のT先生は、こういっています。

そうして、ハンセン病問題に置ける「救らい者」の犯した過ちは、私に、その訴訟観の転換を強烈に促すものとなった。
「救済の客体から解放の主体へ」
人権侵害を訴える訴訟における被害者は、このように位置づけられるべきである。

全く同感です。


であり、それを受けての夕焼けさんの投稿は・・・

ただ、「救済の客体から解放の主体へ」は、闘いを挑んで行く行為にはごもっともな論であるとは思うのですが・・・、私が主軸で取り組んでいる「被差別部落化」問題で苦しまされている最大の要因が、この【救済の客体】と【解放の主体】との整合性を蔑ろにされてきた部落史が垣間見られることにあります。
 大正デモクラシー時代の運動体の唱える自主・自律からの運動論と、いわゆる「同対審」答申を受けての、「同和対策事業特別措置法」からの時限立法の変遷という「国」主導からの救済的施策からの運動という中身をしっかり学ぶ必要性を感じていたものですから、今回の「救済の客体から解放の主体へ」という言霊の真意がどれほど積み上げられて導き出された言葉なのか?不安は隠せません!


です。


私はこの遣り取りを拝読していて、感心しました。そして、何度も読み返しました。私なりの感想はあったのですが、どなたかが何かお書きになるだろうと、お待ちしていました。15時間経っても、その様子がないので、私の感じたことを、書きます。

同和問題に私が最初に直面したのは、中学一年の時、父に部落出身の親友との間を引き裂かれた時だということは、すでに紹介しました。その時の「部落出身者」は、正に「救済の客体」でした。

それから24年後、大阪支社へ転勤になって関西へ帰って来て、驚きました。いわゆる「同和問題」を起こした企業や自治体やマスコミの幹部を舞台上に並べて、質問攻めにして反省を強要することが、日常化していると聞いたからです。「解放の主体」がそれを行っていました。私の感じたのは「恐怖心」だけでした。

ハンセン病に関しては「宿泊拒否事件」の時に、一見この例に似た事例は有りましたが、それはご存じのように、上のケースとは似て非なるものです。

「救済の客体から解放の主体へ」という”構図”は、「同和問題」と「ハンセン病」に共通します。しかしあくまで”構図”が共通しているだけで、”内容”は異なるものだと私は思います。

人権侵害を訴える訴訟における被害者は、「救済の客体から解放の主体へ」と位置づけられるべきである、とT弁護士が書いて居られる、その文脈を、北風さんがご紹介になった以上に知らないので、自信が小さいのですが、私はこれもあくまで”構図”のお話だろうと、推測しています。北風さんが言いたいことは、この延長線上に、実は、有るのではないか?と思っているのですが。

ですから、私は北風さんの「うーむ。まさに、これが言いたかったことです。」に首を傾げております。

以上が私の感想です。ネット上でいわゆる「釣り」ではないかと、お疑いにならないで下さい。決してそうではありません。私の理解度が、黴臭い脳味噌が、この程度のものだという恥を曝しても、これが正体だから、仕方がないと思って、書きました。人間、死期が近づくと、正直になるものなのですね。
 

Re: 言葉と言霊・・・ふたたび「花に付いて」を感じています。  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月 5日(火)09時03分10秒   返信・引用
  > No.2307[元記事へ]

>
>  ただ、「救済の客体から解放の主体へ」は、闘いを挑んで行く行為にはごもっともな論であるとは思うのですが・・・、私が主軸で取り組んでいる「被差別部落化」問題で苦しまされている最大の要因が、この【救済の客体】と【解放の主体】との整合性を蔑ろにされてきた部落史が垣間見られることにあります。
>  大正デモクラシー時代の運動体の唱える自主・自律からの運動論と、いわゆる「同対審」答申を受けての、「同和対策事業特別措置法」からの時限立法の変遷という「国」主導からの救済的施策からの運動という中身をしっかり学ぶ必要性を感じていたものですから、今回の「救済の客体から解放の主体へ」という言霊の真意がどれほど積み上げられて導き出された言葉なのか?不安は隠せません!
>

うーむ。まさに、これが言いたかったことです。
 

言葉と言霊・・・ふたたび「花に付いて」を感じています。  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月 5日(火)06時15分32秒   返信・引用
  花について
                                                    島田等

数万年前の中東の洞窟では、死者の埋葬に多くの花が使われていた。
同じように一万年前の縄文人たちも埋葬に花を使った。
使われた花の名もあきらかにされている。

考古学の新技法の採用によって発見されたこれらの事実は、
人間の花にたいする選択的な関係のはるかな始源性をしめすものである。

おそらく、文字をもたなかったであろうかれらが、
花にこめようとしたものを考えるとき、
それはのちの人間にとっての宗教であり、哲学・思想であった。

花は人間にとって始源の宗教であり、始源の哲学であった。
人間は言葉を失うとき、その始源性へ引き戻される。



 北風さん発信の、
「意が尽くせないので 」という短い文章を読ませていただき、この島田等さんの作品がなぜか?蘇ってきました。

 この短い文章の中に“気になる点”がいくつかありますが・・・、私の思い込みからの発信となる恐れがありますので、書き換えからの発信後に感じてみたいと思っています。

 ただ、「救済の客体から解放の主体へ」は、闘いを挑んで行く行為にはごもっともな論であるとは思うのですが・・・、私が主軸で取り組んでいる「被差別部落化」問題で苦しまされている最大の要因が、この【救済の客体】と【解放の主体】との整合性を蔑ろにされてきた部落史が垣間見られることにあります。
 大正デモクラシー時代の運動体の唱える自主・自律からの運動論と、いわゆる「同対審」答申を受けての、「同和対策事業特別措置法」からの時限立法の変遷という「国」主導からの救済的施策からの運動という中身をしっかり学ぶ必要性を感じていたものですから、今回の「救済の客体から解放の主体へ」という言霊の真意がどれほど積み上げられて導き出された言葉なのか?不安は隠せません!

 「訴訟観」については、私自身も「どうあるべきか?」を、考えていきたいと思っています。

 一昨日、高校の恩師のお宅にお邪魔しました。その床の間に飾られていた掛け軸に、

   [話尽山雲海月情]  を、目にしました。





地上に花は溢れ、栽培花は妍を競っている。
人々は花に囲まれて豊かさをさらに実感する。
しかし花にこめられる想いが豊かさに偏っていくのは本来ではない。

一度も言葉を失う危機(とき)を持たなかった人は、
花は自分を美しいと思ったことはない、
ということを知らずに過ごしてしまうのではないか。
 

第5回ロードマップ委員会  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月 5日(火)02時49分36秒   返信・引用
  どうやら、まともな方向に舵が切れたようです。全療協ニュースからです。

まだまだ、楽観は許されないでしょうけど。
 

意が尽くせないので  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月 4日(月)15時53分30秒   返信・引用  編集済
  『ハンセン病/薬害問題 プロジェクト作為・不作為へ』(2007年5月)という本の中で弁護士のT先生は、こういっています。

そうして、ハンセン病問題に置ける「救らい者」の犯した過ちは、私に、その訴訟観の転換を強烈に促すものとなった。
「救済の客体から解放の主体へ」
人権侵害を訴える訴訟における被害者は、このように位置づけられるべきである。

全く同感です。


◎のちほど書き換えます。
アップした責任上このままにします。
(タイトルかえました)
 
    (リベル) 私の貧弱な脳味噌でも、このお話は理解できました。

でも、勿論、続きをお待ちしております(慌てて付け足す)。(6.5 00:15)
 

一箇所に集中する  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 6月 4日(月)13時10分53秒   返信・引用
  一箇所集中について:

 国が一箇所集中的な施設を作っているが、分室を作った例はあります。

 国立らい研究所九州分室(熊本分室?)として昭和30年7月から、32年7月31日まで菊池楓恵園に置いたのですが、置いた記録はあるのですが、内容がよくわからないで困っています。

 誰か助けてください。

 Ichiro
 
    (リベル) お助けしたいのですが、何をして差し上げれば良いのか、分かりません。

大体何が「一カ所集中」なのか?理解力の退化した、私の脳味噌では、もう無理・・・... o_ _)o パタッ(6.4 23:48)
 

Re: 今、時間がないので  投稿者:ルリカケス  投稿日:2007年 6月 4日(月)12時29分23秒   返信・引用  編集済
  > No.2297[元記事へ]

リベルさんへのお返事です。

> ルリカケスさんのBBSに「将来構想」と「新・あつい壁」について、朝潮太郎さん(この方、ガラクタ箱さんなのですか?ご存じの方がいらしたら、お教え下さい)が書いて居られます。
>
> 取り敢えず、お知らせを・・・

リベル様

 こんにちは、ルリカケスです。
例の朝潮太郎さんは、たまに掲示板に訪れますが?私のHPを良く読んでいますね。
私のHPのブログには、奄美市の現在の動き等が良く解るように書いている積りです。それで、過日弁護士2名(国宗&小林)先生が、一泊二日の日程で来園し、昼は入所者と夜は市内にて(退所者&支援会)ですか?話し合いが行われたようですが?記者は新聞に載せる問題では、ないと判断したみたいです。
私も詳しい事を聞いていませんので、書いていません。

リベルさん、各園の将来構想は異なると思います。今後基本法の動きを見守っていきましょう。
 
    (リベル) 将来構想については、志村康さんも「志村さんとキャッチボール」の中で書いて居られます。朝潮太郎さんの文章を読んで、お二人の発言のギャップが大きいのが気になります。

>例えば「最後のひとりにはなりたくない」と在園者の誰かが発言しているビデオを見せられれば、やれ併設だ、ほれ「基本法」だと何の疑いもなく支持してしまう「支援者」の無責任がこれから先とても怖いと思うのです。

という発言がありました。後日書くかも知れませんが、私は自分を「支援者」だとは思っていません。(後日書くとか、又別の機会に、とか言うことが増えてきました。いけませんね)

私は、「今、時間がないので」と書いて、あとで詳しく取り上げようと思っていたのですが、朝潮太郎さんの相撲にお付き合いするのを止めましたので、もう書きません。ご免なさい・・・m(_ _)m(6.5 00:02)
 

リベルさんへ  投稿者:あずき  投稿日:2007年 6月 4日(月)12時02分16秒   返信・引用
  お返事に苦慮されるような書き込みをして、リベルさんの貴重なお時間を頂いてしまいました。ごめんなさい。お詫びに。。。
 
    (リベル) 「苦慮する」などと、とんでもありません。色々新しい言葉や考え方に出会って、黴が生えそうな脳味噌に良い刺激を頂戴するのは、誠に有り難いことです。「いじめ」にしろ「無菌地帯」にしろ「別の側面の力」にしろ・・・。(6.4 12:19)  

あずきさんへ Re: あえて疑問  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月 4日(月)01時34分23秒   返信・引用  編集済
  > No.2298[元記事へ]

  「仕方ないでしょう。経験はみんな異なるものだから。ゆっくりかんがえればいいわ。」

  「仕方ないで済ませるものではない。歴史の暗部を知った以上、今すぐに考えなさい。」



良いご家庭だと思いました。良い取り合わせのご夫婦だとも。言い換えれば「名コンビ」だとも。

私ならどう言うのでしょう。「make haste slowly」と「オキシモロン」でこれまた、逃げ出すのかも知れません。

> しかし、「学ぶ」ということは急いで、未消化にすることではありませんし、量の問題でもありません。みずからの感性を少しづつ豊かに強く育ててゆくことでしか乗り越えられません。

そうですね。生真面目にお答えすれば、「直ぐ取り組みなさい。でもじっくりとよく考えるのですよ」ということなのでしょうね。

> それから、ある一部の方々がハンセン病文学を特殊視するのはいかがなものでしょうか?
> ハンセン病の方々のたくさんの文学作品に触れる機会はありました。しかし総ての作品が優れているわけではないのです。それは切実な声なき声であるという、別の側面の力をもっているということなのではないでしょうか?


私は、唐突ですが、ハンセン病の方と会ってお話ししたことがありません。理由があって、それは、恐いからなのです。「厳窟王」を連想するのです(後半の復讐の部分は勿論除外して)。無実の罪で幽閉され、言語を絶する辛酸、苦難を経た人間に向き合うのが恐いのです。自分が小さ過ぎて、その発するオーラの様な迫力に耐え切れないだろうと思うからです。それとは別に、いきなり泣き出してしまいそうな気もして。

ハンセン病の方々の「別の側面の力」を、私はそのように捕えています。

「ハンセン病文学を特殊視する」ということをしている人というのが、本当に居るのか?

こう取り出して、考えてみると、さあ、どうなのでしょう。「戦争文学」、「宮廷文学」・・・あ、もうこんな時間・・・とか言って、ボロが出そうになると直ぐ逃げ出す・・・スタコラサッサ・・・
 

北風さんへ Re: あえて疑問  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月 4日(月)01時00分22秒   返信・引用
  > No.2295[元記事へ]

> 差別や偏見は「作られるもの」ですから、たとえ有る時期「無菌地帯」にいても、「耐性」を作っておかないと、いつ差別者の立場になるか分りません。
> また、差別は個別なものですから一般的な「非差別者」という存在はありえない。(これを主張したY新聞の人を思い出しますが)ある差別は克服しても、別な場合は差別者になりうる。
> また被差別者が差別者ではないかというと、偏見差別の被害を訴える入所者の中の差別意識は、有る意味「社会」より酷い。
>
> と思います。

あずきさんもご自分の例を挙げてお話下さっていますが、「差別」というテーマは、しかく幅広く、しかもその人の経験や、現在に大きく影響される概念なのかも知れません。私の能力では、夕焼けさん、北風さん、あずきさん、遡ってはしゅうさんのお話を総括して対応するのは無理です(正直な気持ち)ので、ここに去年の10月に書いたものをリンクして、逃げ出す(?)とします。スタコラサッサ・・・

一部を転載しておきます。辞書の語釈です。

大辞林

偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また、その扱い。「人種―」 「―待遇」

広辞苑

差をつけて取りあつかうこと。わけへだて。正当な理由なく劣ったものとして不当に扱うこと。「―意識」

新明解国語辞典

優越感を味わおうとしての偏見に基づいて、自分より弱い立場にある人や何らかの不利な条件を負っている人に不当に低い待遇を強いる(侮蔑(ブベツ)的な扱いをする)こと。
「障害者を―することは許されないことだ/人種による―/男女―・学歴―・―語 」
 

夕焼けさんへ Re: 身近にあるいじめ・不登校という事象は・・・  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月 4日(月)00時48分27秒   返信・引用
  > No.2293[元記事へ]

> 身近にあるいじめ・不登校という事象は「差別がある」、「差別が起こる社会」に活かされていると思っています。だからこそ、認知し“対峙”できるのか!が、常に問われていると思っています。

不登校はともかく、「いじめ」は、夕焼けさんの仰有るとおり、厳然たる差別行為ですね。

この場合は、私の固執しているように、「知って」から「差別」が発生するのかどうか、疑問が生じます。それで、しばらく夕焼けさんの文章と睨めっこをして、考え込みました。

小中学校生の頃の記憶をたどると、驚いたことに、自分には、ということは同級生も含めて、「いじめ」の経験が無いのです。本当なのです。第二次世界戦争の末期から、終戦の混乱期でした。些細な「いじめ」を一件だけ記憶していますが、今風の「シカト」とか、ジクジクと陰険に続く「いじめ」は、確かに思い出せません。恐らく、戦争の荒波の中で、自分一人、生きて行くだけで、精一杯だったのでしょう。

脱線しましたが、誰か言出しっぺが居て、「そうだそうだ」と付和雷同して「いじめ行為」に至るのだと思います。「差別したがる心」が人間に予め有って、出口を求めているという、そういうものではない、と私は思っているのです。

こうなると、北風さんのお話にも関連して来るので、ここまでにさせて下さい。
 

Re: あえて疑問  投稿者:あずき  投稿日:2007年 6月 3日(日)12時54分27秒   返信・引用  編集済
  > No.2295[元記事へ]

北風さんへのお返事です。

> >極端に言えば、一生「差別」という”感情”を知らないで過ごす人もいるかも知れないのです。そういうことも、有り得るのです。

> これはリベルさんに議論を仕掛けているわけじゃないので「両論併記」ということで。

同じく「両論併記」で。。。

わたしの子供時代には、近辺に「部落民」の方々の居ない土地でしたが、貧しい朝鮮人の家族は居ました。小学校のお昼休みに、その子供はお弁当すらありませんでした。「ハンセン病」に関しては全く知らないままに子供時代を通過しました。
しかし、夫の郷里の山村では、もっと貧しい朝鮮人の家族がいて、夫の両親は村で一軒だけの薬局を経営していましたので、そういう貧しい方には、お金ではなく、あけびの実、荒縄、薪、卵などと薬を交換したそうです。もっと貧しい人には無料で薬を差し上げたそうです。夫はハンセン病についてもすでに知っていたのです。
この体験の違いは、わたくしたちの子供が大きくなって、学校で「部落民」について勉強した時に、あらわれました。子供は「今まで全く知らなかったことを、どう考えていいのかわからない。」というのでした。わたしは「仕方ないでしょう。経験はみんな異なるものだから。ゆっくりかんがえればいいわ。」と答えました。
しかし、そのわたしと子供の会話を聞いた夫は、烈火の如く怒りました。「仕方ないで済ませるものではない。歴史の暗部を知った以上、今すぐに考えなさい。」というのでした。母親のわたくしはちょっとのんびりしていたことに、遅ればせながらきづきました。
しかし、「学ぶ」ということは急いで、未消化にすることではありませんし、量の問題でもありません。みずからの感性を少しづつ豊かに強く育ててゆくことでしか乗り越えられません。

それから、ある一部の方々がハンセン病文学を特殊視するのはいかがなものでしょうか?文学というものは、作品として質の高いものが歴史のなかに残される。それはどんな世界でも同じことです。隔離の外にいた人間でも、無名のまま無念の生涯を閉じた人々の方がはるかに多いのですから。「読んでもらえない。」というのは、社会の無理解ばかりが原因ではないのです。北條民雄、明石海人などが高い評価を受けたということは、それが優れた作品だったからであって、ハンセン病だったからではありません。

ハンセン病の方々のたくさんの文学作品に触れる機会はありました。しかし総ての作品が優れているわけではないのです。それは切実な声なき声であるという、別の側面の力をもっているということなのではないでしょうか?
 

今、時間がないので  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月 3日(日)11時40分14秒   返信・引用  編集済
  ルリカケスさんのBBSに「将来構想」と「新・あつい壁」について、朝潮太郎さん(この方、ガラクタ箱さんなのですか?ご存じの方がいらしたら、お教え下さい)が書いて居られます。

取り敢えず、お知らせを・・・
 

あえて疑問  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月 3日(日)11時27分16秒   返信・引用  編集済
  >極端に言えば、一生「差別」という”感情”を知らないで過ごす人もいるかも知れないのです。そういうことも、有り得るのです。

差別や偏見は「作られるもの」ですから、たとえ有る時期「無菌地帯」にいても、「耐性」を作っておかないと、いつ差別者の立場になるか分りません。
また、差別は個別なものですから一般的な「非差別者」という存在はありえない。(これを主張したY新聞の人を思い出しますが)ある差別は克服しても、別な場合は差別者になりうる。
また被差別者が差別者ではないかというと、偏見差別の被害を訴える入所者の中の差別意識は、有る意味「社会」より酷い。

と思います。

これはリベルさんに議論を仕掛けているわけじゃないので「両論併記」ということで。
 

Re: 今回の再燃(?)の切っ掛けは!  投稿者:匿名希望  投稿日:2007年 6月 3日(日)08時45分50秒   返信・引用
  > No.2290[元記事へ]

夕焼けさんへのお返事です。

夕焼けさん、ありがとうございました。草津では上映はされたのですね。失礼しました。
なぜ、なにが「間に合わない」という話になっていたのかな・・・
 

身近にあるいじめ・不登校という事象は・・・  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月 3日(日)08時01分55秒   返信・引用
   「差別がある」、「差別が起こる社会」に活かされていると思っています。だからこそ、認知し“対峙”できるのか!が、常に問われていると思っています。

 今ある多くの学校教育という現場(社会)で起きている差別事象の検証で、傍観者たるその資質に問題があると、多くの学者が導き出していますが、その傍観者の中身・・・、傍観者たる所以を、深め探り、そこに「知行合一」が無ければ、評論家の域は出ないのでしょう!


今年始めの猪武者さんの提起!

>誤解を恐れずに言えば、Fさんの死は一度は権力に利用され、今度は「啓発」に使われたというのは言いすぎだろうか。Fの死は冤罪を明らかにする以外にはあがなうことはできないのではないかと思えて仕方がないのです。

もし、猪武者がいう「啓発」に使われた!つまり、話題性が主眼であったとするなら、私・たちも、その話題性を作っていく必要があると思っています。思いを語ることから始めなければ・・・、
傍観者の域を出ることはできないのでしょう。
 傍観の域を出ない大人たちが、果たしていじめ・不登校の問題を深め、探ることが出来るのでしょうか?  ・・・子ども達が可哀想過ぎます・・・・・・
 

Re: 知らなければ差別はないか?  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月 3日(日)00時12分6秒   返信・引用  編集済
  > No.2280[元記事へ]

> 「差別」は、伏流水のように見えなくなってもまた何かのきっかけで地表に現れる。
> 差別を「知って」それを克服しなければ、差別の根をたてない。
> 「ハンセン病」がなくなれば、ハンセン病への差別は消えるかもしれない。しかし、必ず別な対象を見つけ出す。


[2007年 6月 2日(土)00時39分51秒」]にしゅうさんがこう書いて居られます。

「うちにも、この青年(「新・あつい壁」の主人公)くらいな息子も娘も居りますが、「ハンセン病」についてはテレビで報道される程度のことしか知りません。二人とも療養所へ一緒に訪ねましたが、ハンセン病の差別偏見に実感なんてないように見えます。」

それに対するレスに私がこう書きました。

「なるほど、ちょっとギクリとしました。私には、しゅうさんのような経験、つまりお子さんのそのような感じ方を知ること、が無かったので、このお話は、誠に新鮮でした。本当に「差別する心が無い」、ということは、「差別の事実を知らない」ことによってしか、得られないことなのかも知れません。そんなことを考えさせられました。」

上の引用は、それを受けての北風さんの、レスです。この話は、「差別」というものの本質に関係する、とても大事な話だと思うので、少し長くなりそうですが、お許し下さい。


しゅうさんのお子さん方は「ハンセン病」のことも、それに関する「差別」のことも詳しくはご存じないから、「差別偏見の実感」が生じようがないのだと思います。これは「ハンセン病差別」のいわば渦中で呼吸をしている私には、誠に新鮮な驚きでした。少しオーバーになりますが、もう一つの座標軸を見つけたような。それは何か新しい示唆を含んでいるようにさえ、私には思われます。このことについては、又別の機会に書くことになるかも知れません。

> 差別を「知って」それを克服しなければ、差別の根をたてない。

それは、「正しい」のです。渦中に居る私達にとっては。私達は、既に「知って」いるからです。極端に言えば、一生「差別」という”感情”を知らないで過ごす人もいるかも知れないのです。そういうことも、有り得るのです。

私が「差別」を知ったのは、中学一年の時、部落出身の親友との仲を、頭の固い父に、生木を裂くように引き裂かれた時です。それ以後長ずるにつれ、人種差別を知り、またハンセン病の「差別」を知るようになりました。そして未だに、差別する”感情”は無くなっても、差別する心の根が、断てないでいます。口惜しいことですが。


蛇足ですが、大脳生理学的に言っても、「おそれ」、「不安」等の”情動”や、「喜び」、「悲しみ」等の”感情”、などは生まれつき持っている心の動きです(「脳の話」時実利彦P.152)。しかし「差別」という”感情”は、知識を得て、或いは事実を知って、初めて芽生える”心の動き”です。

あ、「歴史」のページを作っていると、何にでも出典を明記する癖が付いてしまいます。「歴史」と言えば、又一つ、ネット上の英語の論文を発見してしまいました。レシャット(Lechat F. Michel・・・ほらまた)という人のもので、Ichiroさんのお墨付きを頂いたのは良いのですが、トイレの中へ研究社のあの薄い英和辞典を持ち込んでの悪戦苦闘中です。

約束申し上げた、夏休みの終わりまでに、「大改訂」が仕上がるかどうか、不安になってきました。勝手に騒いでりゃ良いさ。んなこと知っちゃいないよ?・・・まことにごもっともです(笑)
 

今回の再燃(?)の切っ掛けは!  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月 2日(土)22時19分10秒   返信・引用
   情報をありがとうございます、匿名さま。

 私が今回 映画 について、多くの書き込みをする切っ掛けは、この記事の事実無根が原因でした。

ハンセン病市民学会:前夜祭で映画上映 差別描いた「新・あつい壁」 /群馬
 「ハンセン病市民学会第3回総会・交流集会」の前夜祭が11日、草津町の草津音楽の森国際コンサートホールであり、ハンセン病患者の差別を描いた封切り前の映画「新・あつい壁」(中山節夫監督)を無料上映した。800席の大半を埋めた来場者は真剣な表情で見入っていた。

 映画は、殺人事件で死刑判決を受けたハンセン病患者が冤罪(えんざい)だった「藤本事件」が題材。主人公のルポライターが事件の取材を進め、今も残る元患者への差別に気付くという内容だ。中山監督は約40年前にも元患者の差別をテーマにした「あつい壁」を撮っている。

 映画冒頭には同町のハンセン病療養所、栗生楽泉園入園者自治会の谺雄二副会長(75)が書き下ろした詩「命」が読み上げられた。根強い差別や偏見への激しい憎悪をつづった内容で最後は「死んでも死に切れない怒り」と締めくくっている。

 谺副会長は「こんなことは二度とあってはならないという気持ちで書いた。映画の内容とぴったりだと思う」と話した。

 上映後、中山監督は壇上で「ハンセン病の理解は進んだが、差別はどうか。むしろ根深くなっている。映画を通して、差別とは、命とは何かを考えてほしい」とあいさつした。【伊澤拓也】

毎日新聞 2007年5月12日

>映画は、殺人事件で死刑判決を受けたハンセン病患者が冤罪(えんざい)だった「藤本事件」が題材。

 この文章に私は憤りを感じたからでした!

 「いつから、冤罪だった事件とされたのか?」 私は、国家によって作られた冤罪と捉え、そこに多くの、そして、尊い汗が注ぎ込まれていた事実を資料などから知り得ました。その汗が未だ報われていなかった現・状況下に対して、映画制作がこの事件を取り上げ、その製作過程中の不自然さが、私を苦しめて来たように思っています。

 出来上がった映画に潜む不自然さの多くは、ハンセン病の解決に関わっていない方でも持ち合わせています。返って携わっていない方ほど、冷静な客観視ができるのかもしれません!

 資金調達の不自然さは知れば知るほど、「何をやっているのか!?」と闇夜に浮かぶ月夜に叫びたくなります。
 

Re: どうも納得がいかない・・・  投稿者:匿名希望  投稿日:2007年 6月 2日(土)20時35分23秒   返信・引用
  > No.2282[元記事へ]

夕焼けさんへのお返事です。

草津の「市民学会」前夜祭では映画は上映されなかったようですよ。何かが間に合わないからと、5月の初めに聞いてましたが・・・
 

現在は過去なくしては成り立たず、現在はまた未来への礎となりますから、・・・。  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月 2日(土)20時29分47秒   返信・引用
  滝尾英二さんの市民学会批判を読みながら、関原さんの昨年の言葉を思い出してしまいました。

>今年6月末に、シナリオ第4稿が提示されたのですが、第1~3稿でも指摘した事実誤認、当時の状況への無理解がいっこうに改善されていませんでした。
 そこで、客観的な資料集の必要性を痛感し、全患協ニュース、菊池恵楓園自治会機関誌『菊池野』ほかに掲載、活字化された資料を編纂して、関係する方々のご高欄を得たいと、私家版(内部資料)として刊行しました。
 現在は過去なくしては成り立たず、現在はまた未来への礎となりますから、これを無視した、映像および文芸作品は成り立たないと確信するものです。

 北風さんが昨年八月に、我々に示唆くださった提起、と、今回の滝尾英二さんが触れて下さった、「ハンセン病図書館が問うもの」・・・『社会評論』 2007 春 (ハンセン病図書館友の会)

 あの北風さんの提起が現在とするなら、未来の礎となるには時間を要するのでしょう・・・。昨年の北風さんの温かい提起から『社会評論』の文責の示唆が同じ内容の多くを語っていることに「だんまり」が織り成す「市民学会」中核への不信は拭えません!


リベルさんのBBS内より、再掲です。

理路整然たる文責に、なんど目を通しても、心に揺さぶられる思いがします・・・。

>後の祭りにならないために、小生も整理しておきます。 投稿者:北風 投稿日: 8月 6日(日)08時55分27秒   引用  編集済
もともと、小生には国賠裁判以前から何らかの形でハンセン病に関わってきた方と、弁護団はじめ裁判からこの問題に関わってきた方の間に感情的な溝、考え方の相違があると感じてきました。
このことは論じれば長くなりますが、それを放置することは決してよいことではないし、本来一緒に闘っていくべき仲間を、相手の側に押しやる結果にもなる〔それは末利光『ハンセン病報道は真実を伝え得たか』でも、稀少難病の会のESさんが末に「共感」を示すなど如実に現れています)そういう問題意識があります。

裁判から五年、予防法廃止から十年、そろそろこうした溝は埋めていかなければならないし、それには「ハンセン病市民学会」が両者の相互理解の橋渡し、接着剤の役割を果たすことを心から期待してきました。

今回の映画化で小生が違和感というより、これでは駄目だと思ったのは、実行委員会に藤本事件の最高裁の弁護人で再審請求にも尽力し遺族の世話まで献身的に見た関原勇弁護士の名前がないことでした。何があったのだろうかと感じていたところへ、山下さんの「書簡」があって自分の違和感は決して根拠のないものではないことがわかったわけです。

「藤本事件」に関するもう一つの違和感も関原さんに繋がります。
ハンセン病市民学会で、徳田弁護士は藤本事件に触れ、藤本さんの再審に弁護士の後半生をかけると熱弁された。
しかし、再審は遺族以外は請求できないし、遺族の信頼厚い関原さんは現役の弁護士である以上、関原さんを抜きに語れないものだろう。
徳田さんは、遺族と関原さん抜きにどうして再審請求するつもりなのだろうということです。あるいはどうして関原さんを無視した発言をするのだろうか。

市民学会で語られた「映画化」「再審請求」、どちらも遺族とかつて献身的に関わった弁護士、支援者が眼中にないように感じられた。
これでは市民学会そのものも、接着剤どころか両者の溝を拡大深化させるものになりかねない。

こうしたことが背景というか底流にある。

どうしても「藤本事件」を映画化したいのならスケジュールと募金目標のみが提示されるのではなく、まずどういう映画を作るのかの明確な説明がほしい。
また、とにかく「募金」と「スケジュール」が先行しすぎている、遺族や関原さんと十分な時間をかけて誠実な話し合いがもたれたのかという懸念もある。(遺族は映画化差し止めの仮処分を申請し三月に和解が成立したとの事)

権兵衛さんが言っていたように「藤本事件の映画化には誰も反対はしない」。それはほとんどの人が、アプリオリに「藤本事件の映画」といえば、藤本さんの冤を雪ぐ映画だと思っているからです。その人たちの「善意の誤解」がこの上映運動の基になっているというのは穿ちすぎでしょうか。

自主映画は「運動」です。運動が終わるまで(映画が完成するまで)、参加者は何に参加していたのかわからないのでは、うまくない。後の祭りという言葉もあります。だからこそ、事前の説明や、あるいは批判的な発言がおおらかに語られることが必要なのだとおもいます。

この時期、山下さんが懸念を表明し、関原弁護士が私費を投じて『藤本事件資料集』を作られたのは、そうした懸念を強く持ったがためだと思います。

結論。この映画が商業映画として作られるなら、内容をあれこれ言う立場にない〔遺族の意向は別として)、しかし募金や上映運動を基盤に作られる以上、この段階から意見表明はしておく必要があるし、制作側は全ての協力者(批判者も含めて)に対して内容に責任を負わなくてはならない。
 

Re: もう、こんな季節になりました  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月 2日(土)18時20分45秒   返信・引用  編集済
  リベルさんへのお返事です。

> 実は、先日、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、デジカメを買いました、なら良いのですが嘘でした。Wikipediaから頂戴しました。
>
> これも、半年後には、稲穂をたわわに実らせて、こうべを垂れるのでしょう。

いつごろからか田植えが早くなりました。
昔は、梅雨の頃の風物詩だったけれど、いまは春の間に機械で小さな苗を植える。

小田急とJRの相互乗り入れで新宿から沼津に直行できるようになった。
おいらの持病ですが、時々「責任放棄衝動」がおきると発作的にこの電車に乗って沼津に行って、船着場から高速船で西伊豆に行ったものです。戸田(へた)とか安良里とか不思議な地名が面白く、夕方最終船で沼津に戻って、漁港裏のすし屋街ですしをつまんで東京に帰ると、どうにか発作はおさまって、翌日なんとか出社できる。
沼津に行く途中に駿河療養所があるわけですが、田植えに気がついたのは、発作のときではなく、澤田さんの本の編集で駿河療養所に通っていた頃。田植えがいやに早い。

御殿場から療養所のある岩波駅の辺りは、お茶も作っています。
その昔は、「夏も近づく八十八夜」で茶摘をして、その後、田植えと順番が非常に具合がよかったそうですが、機械で田植えするようになって、田植えと茶摘が一緒になってしまった。
それで、比較的融通が利く田植えをしてから茶摘と順序が逆転。その結果、比較的高地なのに、標高の低い沼津や三島の辺りより田植えが早いということでした。

そういや、おいらの故郷の「桃源郷」も、花の季節には村中桃の花だらけになります。
まあ、桜が少女のような可憐な風景なら、色の濃い桃の花は女ざかりの魅力ですか。

しかし、その女ざかりも、昔は枝一杯に花を咲かせて、大きな実をならせるために一枝にいくつか残して摘果したものですが、今は蕾のうちから咲かせる花を決めて摘蕾ということをします。そのため桃源郷も心持、花がまだらのような気がします。

いずれにしても、人間は効率を求めて自然を弄繰り回すものですね。
 
    (リベル) 北風さんは、風物詩を書かせても、筆が冴えていて、心地よいです。有り難うございました。(6.3 02:25)  

もう、こんな季節になりました  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月 2日(土)18時07分15秒   返信・引用  編集済
  実は、先日、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、デジカメを買いました、なら良いのですが嘘でした。Wikipediaから頂戴しました。

これも、半年後には、稲穂をたわわに実らせて、こうべを垂れるのでしょう。

先輩や、同級生が、どんどん旅立っていきます。「おうい、待ってくれい!」は古いですか。いや、こういう船には、乗り遅れた方が良い、ですね。


水田が、コンクリートに囲まれています。私の住んでいるところでも、同じです。
何か、「息苦しい」という感じがしてなりません・・・。
 

Re: どうも納得がいかない・・・  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月 2日(土)17時53分17秒   返信・引用  編集済
  > No.2282[元記事へ]

>
>  市民学会」が名ばかりになっているとしたらその最大の「責」はどなたにあるのでしょうか?


滝尾英二さんの市民学会批判。残念ながら「映画」問題は、とり上げていないが。
http://takio-kokoro-2.hp.infoseek.co.jp/pg08/pg08.html

【追記】こっそり直しました。両方いけます。
 
    (リベル) 何故か、このURLは出ません。こちらをお試し下さい。(6.2 17:59)

なあに、「htm」と「html」の違いでした。

北風さん「知らなければ差別はないか?  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月 2日(土)10時08分6秒 」へのレスは、夜中に、起きてから、書きますので、お待ち下さい、ご免なさい・・・m(_ _)m(6.2 18:04)
 

療養所のこれからは・・・  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月 2日(土)17時31分29秒   返信・引用  編集済
  以下はルリカケスさんのBBSから、無断で頂戴したものです。奄美の地元紙の記事です。


検討委堅持も厚労省否定的

併設案に入所者戸惑い

法律抵触の見解も


奄美市名瀬の国立療養所・奄美和光園=写真=の将来構想問題で、旧名瀬市(現奄美市)が厚生労動省に要望した国立長寿検証センター(仮称)併設案が揺れている。同省は非公式に同案に否定的な見解を示しているが、市当局は国立施設存続へ同案の実現を訴え続ける方針。
入所者自治会からは「将来構想の具体化には市案との歩調一致が不可欠だが、国内で愛知県にしか類例がない施設を離島に持って来れるのか」戸惑いの声も聞かれる。

 併設案は2004年7月に要望。厚労省からから正式に回答はないが、市当局の照会に対し「長寿研究は国立長寿医療センター(愛知県大府市)に一極集中しており、補完施設の設置は難しい」との見解を示している。
 市当局は昨年度中に和光園の将来構想検討委員会(築愛三委員長)を開き奄美市案を再掲示する計画だったが、先送りに。併設案の進展が見られない中、和光園施設当局と入所者に検討委の経緯を説明する報告会が22日同園で持たれた。
 「併設案への正式な返答もなく、市も入所者の皆さんと同様の不安を抱えている。全郡的な運動の機運を盛り上げていきたい」と市当局

 併設案については、国立ハンセン病療養所を「入所者に必要な療養を行う」施設と明記している「らい予防法廃に関する法律」第2条に抵触するとの見解もある。
市当局は「早期に検討委員会を開き、法の問題を検討したい。大きな危機感を持って併設案を要求したい」とした。
 2月再開した入所者自治会「和光会」の役員は「市と入所者の案が一致しなければ国は認めない。来年3月までに市案に沿って自治会案を検討したい」としたが、併設案については「市が出している以上、検討するしかないが、離島に持って来れるような施設なのか」疑問符を付ける。
 前川嘉洋園長は「(検討委に参加していた旧自治会長以外は)入所者の誰も併設案のことをよく知らない」と指摘。「園内にも検討委員会を立ち上げ、市とどう協力できるかが重要」と語る。
 奄美和光園の入所者は5月28日現在59人(平均年齢80・9歳)と全国13療養所で最も少なく、将来構想が喫緊の課題になっている。市当局は6月に和光会役員を委員に加え、検討委を再始動させる考えだ。(地元新聞・大島新聞・5月29日)



丁度一年前、奄美和光園の入所者64人でした。
 

どうも納得がいかない・・・  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月 2日(土)13時26分45秒   返信・引用
   映画を語るとき、「藤本事件」からどうしても私は離れられません!

 映画を観たものと、そうでないものとの違いだとは思いますが・・・、主情・感傷主義的からのシナリオ批判に同意していたものには、怖れていたことがおきているような気さえしています。
 北風さんの提起「小さな疑問」は、私のこれからの人生にとって、けっして小さくなどない重い提起が内包していると感じています。ですが、この映画が、私を悩ましている最大の軸は「啓発映画としての位置付けは認めるわけにはいかない!」
に置いていますので、北風さんがしゅうさんの思いに、たとえ啓発映画だとしても「納得いかない、出来ない」部分の示唆は、今後もじっくりと論じ合えていけたらと願っております。

 啓発映画や「突破口として」の思いを語るのは自由なのでしょう。しかし、一年前より真摯に制作者側に正々堂々とこの映画制作における問題点・提起を、し続けた方々については説明責任・・・、ご返事もなく無言を貫く状態であったことを忘れてはならないと思います。なぜ語り論じ合わなかったのか?が、残念というより疑念提起者側へ対する疎外感が募り、私のような一義的?な思考となってしまっているのかもしれません。

 せめて、前夜祭として映画上映をしたのであれば、「市民学会」と名付けた名に相応しい総会であって欲しかったと思っていますが、現時点でも映画制作資金の調達に労している者にとっては余裕がないというより、なぜ?こんな状況をつくり出してしまったのか?が、理解されません!
 何かを失っての動きというものを、この映画制作に感じるのは私だけではないと信じています。

 市民学会としての「責」を考えるなら、総会時に自主からな映画への取り組み支援説明もあって然り!!だと・・・、「市民学会」が名ばかりになっているとしたらその最大の「責」はどなたにあるのでしょうか?
 

小さな疑問と大きな矛盾  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月 2日(土)10時27分56秒   返信・引用  編集済
  >この青年は、恋人に何も話さないだろうなと思ったし

なぜ「話さない」のだろう。話さないことが、相手への「労わり」ならば、やっぱり「特殊」な病気として意識していることになると思う。

>「らい予防法」は廃止され裁判で違憲とまでなった現代、「差別意識の克服」というようなことに、差別を受けた時代を知らない青年がそんな意識になるものでしょうか?

ではなぜ、「今に残る偏見差別」啓発の映画が必要なのでしょうか?
 

知らなければ差別はないか?  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月 2日(土)10時08分6秒   返信・引用  編集済
  「差別」は、伏流水のように見えなくなってもまた何かのきっかけで地表に現れる。
差別を「知って」それを克服しなければ、差別の根をたてない。
「ハンセン病」がなくなれば、ハンセン病への差別は消えるかもしれない。しかし、必ず別な対象を見つけ出しす。

朝鮮人を「鮮人」といって差別した時代もその用語も知らない若者(ネット右翼も使っているのをあんまり見ない)が、「ピン人」のように、どこで同覚えたのか同じ構造の差別用語を使うのはなぜか。

【註】「部落」と同じく「朝鮮人」は差別用語ではない。為念。
 

どうか再掲させてください!私には「この方」の提起が心に染んでいるのです。  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月 2日(土)08時48分21秒   返信・引用
  Re: お読みになりましたか?  投稿者:猪武者  投稿日:2007年 1月 4日(木)04時55分29秒    返信・引用  編集済
   > 「志村さんとキャッチボール」、ここに採録しようかとしましたが・・・。
>
> オリジナルをお読みください・・・。No.22です。

拝読しました。
にもかかわらず、事件が「冤罪」だったのかどうかということを避け、偏見による見込み操作、差別に満ちた訴訟指揮、見せしめ的な処刑を描けば足りるかという疑問が残ります。

刑事事件における、病気による司法の下での不平等は見聞するだけで枚挙に暇がありません。しかも皮肉なことに、その不平等は多くの場合「被疑者」に有利に働いています。
もしFさんが「冤罪」で「患者でなかったら」ということまで踏み込んで考えなくては、本当の意味の隔離政策、偏見差別、法の下の平等を問うことにならないのではないか。
そうでなければ、単にFさんの事件を「啓発映画」の一エピソードに使ったのに過ぎないのではないかという疑問に答えが出ない。

誤解を恐れずに言えば、Fさんの死は一度は権力に利用され、今度は「啓発」に使われたというのは言いすぎだろうか。Fの死は冤罪を明らかにする以外にはあがなうことはできないのではないかと思えて仕方がないのです。
「核になる主体」としては、もっと市民を信じて「連帯」を視野に入れてほしいと思いました。現在の日本の状況から考えても、F事件の真実を明らかにして司法の誤りを正していくことは、入園者の皆さんだけの問題ではなく、元患者運動と支援という関係をこえて、われわれ自身の問題でもあるからです。
 

Re: 藤本事件を離れても  投稿者:しゅう  投稿日:2007年 6月 2日(土)00時39分51秒   返信・引用
  > No.2277[元記事へ]

北風さんへのお返事です。

> >「ハンセン病」に関しては、みんな誤りを犯してきたのです。
>
> 自らが、誤りを犯してきたことを否定するものではないのです。
> しかし、上記がこの映画のメッセージであるとして、どうも素直に受け入れがたいのは、監督が自らの問題として考えるのではなく、自らはその埒外において観衆にそれを押し付ける、あるいは説教する映画の姿勢ですね。(というよりも、きこえてくる監督の発言)
>
> それはラストの左時枝の「告白」を聞いても動揺もしないルポライターの姿勢に現れています。恋人が患者家族だということは、突然に「今に残る偏見差別」の渦中に放り込まれたのです。まさに自分の問題になったのに自分の問題として考える姿勢がない。たった一回の取材で彼は、内にある差別意識を克服したのだろうか。だとすれば、偏見の克服は案外容易だ。


私には、北風さんの仰ることがよく分かりません。
うちにも、この青年くらいな息子も娘も居りますが、「ハンセン病」についてはテレビで報道される程度のことしか知りません。二人とも療養所へ一緒に訪ねましたが、ハンセン病の差別偏見に実感なんてないように見えます。
「らい予防法」は廃止され裁判で違憲とまでなった現代、「差別意識の克服」というようなことに、差別を受けた時代を知らない青年がそんな意識になるものでしょうか?
私は、街の雑踏の中へ、恋人二人が消えて行くラストシーンがもっとも熱くなりました。
この青年は、恋人に何も話さないだろうなと思ったし、きっととてもだいじに愛して行くだろうなと思ったし、青年は、これを機に一回りも二回りも大きな人間になるだろうなと思いました。
ハンセン病のことをほんの少し知ったばかりの私と、青年が重なって、とても、ラストシーンが印象的だったです。
 
    (リベル) >

>うちにも、この青年くらいな息子も娘も居りますが、「ハンセン病」についてはテレビで報道される程度のことしか知りません。二人とも療養所へ一緒に訪ねましたが、ハンセン病の差別偏見に実感なんてないように見えます。「らい予防法」は廃止され裁判で違憲とまでなった現代、「差別意識の克服」というようなことに、差別を受けた時代を知らない青年がそんな意識になるものでしょうか?

なるほど、ちょっとギクリとしました。私には、しゅうさんのような経験、つまりお子さんのそのような感じ方を知ること、が無かったので、このお話は、誠に新鮮でした。本当に「差別する心が無い」、ということは、「差別の事実を知らない」ことによってしか、得られないことなのかも知れません。そんなことを考えさせられました。

いずれにしても、皆さんのお話を拝聴している内に、とても、この映画が観たくなってしまいました・・・... o_ _)o パタッ
 

藤本事件を離れても  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月 1日(金)19時55分43秒   返信・引用  編集済
  >「ハンセン病」に関しては、みんな誤りを犯してきたのです。

自らが、誤りを犯してきたことを否定するものではないのです。
しかし、上記がこの映画のメッセージであるとして、どうも素直に受け入れがたいのは、監督が自らの問題として考えるのではなく、自らはその埒外において観衆にそれを押し付ける、あるいは説教する映画の姿勢ですね。(というよりも、きこえてくる監督の発言)

それはラストの左時枝の「告白」を聞いても動揺もしないルポライターの姿勢に現れています。恋人が患者家族だということは、突然に「今に残る偏見差別」の渦中に放り込まれたのです。まさに自分の問題になったのに自分の問題として考える姿勢がない。たった一回の取材で彼は、内にある差別意識を克服したのだろうか。だとすれば、偏見の克服は案外容易だ。

前にちょっと書きましたが、この青年の内面の葛藤、差別意識の克服をテーマに、恋人と母親をめぐるドラマにしたらいい映画が作れたのにと真面目に思います。
 
    (リベル) なるほど、チョット、観たくなります・・・(笑)(6.2 01:00)  

以上は、新着順1601番目から1700番目までの記事です。 11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  |  《前のページ |  次のページ》 
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