過去ログ―2007年6月22日~7月1日

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黒い野郎です。  投稿者:北風  投稿日:2007年 7月 1日(日)20時32分25秒   返信・引用
  オレ。  
    (リベル) 残念ながら、悪ぶる人に、悪い人は居ないのです。ねえ、みなさん。(7.2 01:05)  

北風様  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 7月 1日(日)16時42分1秒   返信・引用
  貴重な文献をありがとうございました。

 菊池恵楓園に関しては、熊本国体があった際に、皇后陛下が県庁(?)に菊池恵楓園園長を招いて、菊池恵楓園のことについて、ご講演かご説明させたと伺っています。
 
    (リベル) >皇后陛下が県庁(?)に菊池恵楓園園長を招いて・・・

たとえばこれは「皇后陛下が県庁(?)に菊池恵楓園園長をお招きになって・・・」というように、敬語をお使い頂きたい。と、人間も古くなると小うるさくなって、いけませんね。(7.3 03:51)
 

ヤロウです  投稿者:イチロ  投稿日:2007年 7月 1日(日)14時04分26秒   返信・引用
  赤いヤロウです。

「野郎」じゃありません(笑)
 
    (リベル) 花も、名も知らなかったので、大辞林を引きました。こう書いてあります。勉強になりました。

ところ【野老】

ヤマノイモ科のつる性多年草。原野に自生。柄のある心臓形の葉を互生。雌雄異株。夏、腋生の花穂に黄緑色の小花をつける。根茎は太くひげ根を多数出し、これを老人のひげに見たて「野老」の字をあてる。根茎は正月の飾り物とされ、また苦味を抜けば食用となり、煎じて消炎・利尿薬とし、腰やひざの痛みに用いる。オニドコロ。古名トコロズラ。

有り難うございました。また、色々なのを、教えてください・・・m(_ _)m(6.2 01:12)
 

改行、行間空けは北風  投稿者:北風  投稿日:2007年 7月 1日(日)14時03分11秒   返信・引用  編集済
  http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/hills-letter.html

                        2007年2月1日
ベン・ヒルズ氏へ

貴著「雅子妃ー菊の玉座の囚人」について、この書簡を送ります。 長年皇室報道を専門としてきた或る老練な新聞記者が、この本を読んで、「各ページに間違いがあるのではないかというくらい」不正確な箇所が目につくと書いています。また、より実質内容に関わる観点から、政府は、この本の描いている皇室像が如何に歪んだものであるかに驚き、対応ぶりを検討しています。

その間、ここでは、天皇皇后両陛下の側近にお仕えしている立場から、両陛下に直接関わり、しかも明らかに事実と異なる一つの箇所に絞って、問題を提起します。 この本の第七章で、貴方は、「天皇には、年間に千件以上・・の公務があるといわれるが、いずれも、・・当たり障りのない行事への、負担のない形式的な出席ばかりである」と述べた上で、「日本の皇室が、ダイアナ妃による・・レプロシー・ミッション・・への支援のような論議を呼ぶ事柄に関わりをもつことはありえない」と断定しています。

ここで貴方は、両陛下が、四十年にわたってレプロシー、すなわちハンセン病の問題に大きく関与してこられたことを全く無視しています。日本には、全国各地に十三箇所の国立ハンセン病療養所があります。両陛下は、1968年、皇太子皇太子妃の時代に、鹿児島県の奄美大島にある療養所をお訪ねになって以来、2005年までの間に、これらの国立ハンセン病療養所のうち青森、群馬、東京、岡山(二箇所)、鹿児島(二箇所)および沖縄(二箇所)の各都県にある九箇所を訪ねてこられました。

これらの療養所のご訪問に当たっては、入所者と膝をつき合わせ、手を握って、病いと差別、偏見に苦しんできたその人々の苦しみを分かち合い、慰められるとともに、園長、医師、看護師など入所者の世話をしている人々の労をねぎらってこられました。

1975年に沖縄県の療養所の一つをお訪ねになった時には、入所者が、御訪問を終えられてお帰りになる両陛下を、沖縄の伝統的な別れの歌を歌ってお送りし、また、後に、感謝の意をこめた詩をお送りしました。これに対し、天皇陛下は、沖縄特有の定型詩を詠んで、この人々の気持ちにお応えになっています(陛下は、さきの大戦で唯一地上戦が行われ、その後1972年まで米国の施政権のもとに置かれることとなった沖縄の人々の苦難を理解する一助として、沖縄の古典文学を学ばれました)。

2004年、両陛下は香川県の高松市をお訪ねになりましたが、その折、市の沖合にある小さな島の療養所から入所者が来て、両陛下にお目にかかっています。また、翌2005年の岡山県ご訪問の際は、ほぼ一日をかけて、島にある隣接した二つの療養所をそれぞれお訪ねになりました。

 これまで入所者にお会いになることができなかった三箇所の療養所については、皇后陛下が、それぞれの園長をお招きになって、現状をお聞きになっています。また、皇后陛下は、政府の委託によって過去の日本政府のハンセン病患者隔離政策を批判的に検証した2005年の報告書が出版された際には、関係者をお招きになって、説明を聴取しておられます。

 両陛下のこれらの活動は、常に静かに行われてきましたが、両陛下とハンセン病問題に関わる以上の事実は、全て報道され、記録されており、初歩的な調査によって、容易に知りうることであります。

 また、天皇の公務は、「当たり障りのない行事への、負担のない形式的な出席ばかりである」というのが貴方の見解でありますが、例えば、1975年に皇太子同妃として沖縄を訪問された時には、ご訪問に反対した過激派が至近距離から火炎瓶を投げつけたにもかかわらず、全く予定を変更することなく訪問を続けられました。1995年、戦後最悪の自然災害となった阪神・淡路大震災が発生した際には、被災地に飛ばれ、本土と淡路島の双方にわたって、被災者の避難した小学校の体育館などを回ってその人々と一日を過ごされました。1994年、終戦五十年に先立ち、両陛下は、硫黄島に赴かれ、日米双方の戦死者のために祈られました。2005年には、終戦六十年に当たり、さきの大戦で激しい戦闘の行われたサイパン島を訪問され、炎天下、島内の日米韓各国民と現地島民の戦没者のための慰霊碑や大勢の婦女子が戦争の末期に身を投げた崖などで心をこめた祈りを捧げられました。

 両陛下は、社会福祉の分野全般にわたって、この四十七年、困難を抱えた人々をたゆみなく励まし、慰めてこられました。これまでに、全都道府県の四百箇所を超える福祉施設(知的障害者、身体障害者、高齢者、幼児などのための施設)を訪ねられ、外国においても、英国のストークマンデヴィル身体障害者スポーツ・センター(1976)、いくつもの福祉施設が集まり、人々がナチス時代にも障害者たちを護り通したドイツの町ベーテル(1993)、米国のナショナル障害者サーヴィス・センター(1994)など様々な福祉施設をたずねてこられています。貴方の母国オーストラリアでは、皇后陛下が、パース・リハビリティション病院(1973)を訪ねておられます。

  貴方は、両陛下のなさっていることが、無意味で形式的なことばかりであると示唆しているように見えますが、仮に、そうであるとするならば、何故、世論調査で、現在の形の皇室に対して、常に七十五パーセントを超える支持があるのでしょうか。また、何故、両陛下が地方に旅行される度に、何万という人々が両陛下を歓迎するために喜んで沿道に出てくるのでしょうか。

 以上の諸点について、著者はどのように考えるのか、少なくも、事実関係のはっきりしている皇室のハンセン病への関与に関して、回答を求めたいと思います。                                                   侍従長 渡辺 允
 
    (リベル) 一読、呆れ果てました。ここに渡辺允氏が書いて居られることは、改めて読まずとも、我々国民が、常識的に承知していることです。それを、丁寧に、渡辺氏が書かれたのは、実は強烈な「皮肉」に他ならないと、思いました。

この、「便」だか「蛭」だかというのは、今まで知りませんでしたが、オーストラリアの馬の骨のようです。金森マユとかいうのも、一躍有名になって喜んでいることでしょう。宮内庁も、こんな連中は、無視・唾棄しておくべきだった、と私は思います。まともに文書で抗議するような相手ではないではないですか。馬鹿馬鹿しい・・・(;`つ´)怒!

この件について、全く何も知らなかった自分は、恥ずかしい限りなのですが、お知らせ下さった、北風さんには、感謝、感謝です・・・m(_ _)m(6.2 01:39)
 

奇妙な符合  投稿者:北風  投稿日:2007年 7月 1日(日)08時48分30秒   返信・引用  編集済
  草津の市民学会の総会は、

昨年度の活動報告と今年度の活動方針>事務局長
昨年度の決算報告と今年度予算>事務局次長
事務局員以下の役員改選(代表は郵便による信任投票)

の順に議事が進められた。
(事務局が「共同代表」を推薦し郵便によって信任を問い、その共同代表が事務局以下を指名するというメビウスの輪みたいな構造は指摘するだけにしますが)

さて誰もおかしいといわなかったが、「形式的」は、その時点で事務局が活動報告をするのはいいとして、「今年度の活動方針案」を諮ることは、任期切れの事務局が選挙で選出される前に次期執行部として振舞ったわけでおかしいといわざるを得ない。つまり、選挙は全くの茶番で、単なる儀式に過ぎないということ。
その儀式さえないがしろだということだ。

また「決算報告」を決算を取りまとめた事務局がするのもおかしい。ここは、「会計監査」が報告する場面でしょう。
これも同じ。

こういうこと自体、全く民主的手続きをないがしろにすることであって、市民学会の理念・使命を考えるときおろそかにしてはならない大事なことだと思う。

先の代表選出のからくりといい、これでは役員が自ら辞任しない限り交代はありえず、そういう組織が陥るマイナスから市民学会だけがのがれえるという保証はありえない。

そういえば、第一回熊本のとき選出された事務局長は「皆さんが辞めろといわない限り、つとめさせていただく」と永久政権の宣言をしたのでのけぞったことがあったが。

つまり、映画の問題を突き詰めていけば、市民学会の構造的な問題に突き当たり、そこから眺めれば、さらに上映運動のいかがわしさにつきあたるという夕焼けさんの問題意識は極めて正しいと思う。

くわえて、

「高松宮ハンセン病資料館」から皇族の名前を取れという要求にこたえる形で「国立・ハンセン病資料館」と「改名」した資料館が、旧館部分を「高松宮記念館」というという茶番に「意見表明」していない。

2007年7月1日(日) 朝5時45分から6時までの15分番組
日本テレビ系列 「皇室日記」のなかでハンセン病がとりあげられたようだ(未見)。

また、今年、宮内庁の抗議で発行が中止になった『雅子妃-菊の玉座の囚人』の問題(著者への抗議にハンセン病を引き合いに出している)にしても、市民学会は関心がないらしい。

市民学会は天皇制の問題はタブーとなりつつあるようだ。
(ハンセン病と天皇制の問題は滝尾英二さんが粘り強く問題提起をされている)
 
    (リベル) 「市民学会」や「新・あつい壁」についての、私のスタンスは、五日前の「三つの反省」(6月27日(水)00時25分49秒)に、ハッキリ述べていますから、繰り返しはいたしません。(6.2 02:09)  

園で生まれた人々  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 7月 1日(日)06時41分30秒   返信・引用  編集済
  「新・あつい壁」では、主人公(ジャーナリスト)の恋人のお母さんが、患者さんの子供という告白があって、熊本の龍田寮事件のことと思われる。

 別の園であるが、園で生まれた人々の記事があった。

 奄美の使徒ゼローム神父記念誌(2006)の中である。らい予防法が廃止された年にゼローム神父を園で生まれたお父さんたちが囲んだ。彼らが、「全国のハンセン病療養所の中で唯一ここだけが、子供を授かり、孫までいる。神父さんありがとう」と言ってくれて、そのことを神父様は口にされ、タイヘン嬉しそうにしていた。(188ページ)

 また 園で生まれた子供たち18名と職員、神父の記念写真があった。(西仲勝の名瀬天使園にて) ハンセン病未感染収容所(西仲勝)の完全な建物の写真がある。83ページ。
 この本には昭和37年の島尾敏男氏と神父たちとの記念写真もあり、これは珍しい。

  追記:以上重要な情報と思われるも、ほかの資料で確認できるのか、皆様ご教授ください。
 

余談:桜の花びら  投稿者:リベル  投稿日:2007年 7月 1日(日)02時37分20秒   返信・引用  編集済
  29日、「チャイコフスキー国際コンクール」バイオリン部門で、日本の神尾真由子さんが優勝しました。1990年の諏訪内晶子以来二人目だそうです。

「国際コンクール」で、小川洋子さんの「梯 剛之(かけはし・たけし)さんのこと」というエッセイを思い出しました。梯さんは生後10ヶ月の時小児ガンで失明したにも拘わらず、大変な努力で1998年の「ロン・ティボー国際音楽コンクール」で二位に入賞されました。

そのエッセイの最後はこんな言葉で終わっています。

 「のような髪をした女の人とは、もう出会えただろうか」

私は、えっと思って前を読み直しました。

 「久し振りに帰国した剛之さんが、満開の桜の下をお兄さんと一緒に散歩をしながら、に触れて言った言葉。『こういう感触の髪を持った女の人を、僕は好きになりそうだ』」

やはりそうなのです。小川さんは、「花びら」とも「花弁」とも言っていません。実体は「花びら」なのに。「桜」と言い、「花」と言って居られる。


ここは、こうでないといけないのだと、私は思います。理由は、書けません。いけないのです。何気ない文章なのですが、「深き心の底より」(PHP文庫)というその随筆集(そうなのです、今はまっているのです)の裏表紙にも書いてあります。「言葉の石を一個一個積み上げたような・・・」。うーむ・・・〆(。。 )メモメモ
 

昨年の5月!富山で・・・  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月30日(土)20時06分21秒   返信・引用
   「映画制作その主体の変遷が問われている!」

 変遷の考察を、リベルさんのBBSの「言質」を昨年の夏より 主 に、考察してみました。

 なぜ?ハンセン病市民学会は、映画制作の協力・・・、後押しができたのでしょう?

 今回の中山作品は何を映画より伝えたかったのでしょう?

 試写会後に、
>中山監督は壇上で「ハンセン病の理解は進んだが、差別はどうか。むしろ根深くなっている。映画を通して、差別とは、命とは何かを考えてほしい」とあいさつした。

 市民学会の主だった役員の皆さんも、この中山節を理解し、今ある映画を更に啓発のスキルのひとつと、上映運動に突き進むのでしょうか!?

 大分(おおいた)の地では、今年の12月に「連合」を母体とした、自治労、日教組を軸に当局(権能側)との共闘を主眼化してしまったと思える労働運動の力を借り、動員を含めた大々的なイベントへと画策(邁進)していくそうです!
 ある組合組織の幹部は、「ごめんなさい、藤本事件?は、よく知らないのですが・・・」

 ここに労働運動が形骸化していく現実を見るようです・・・・・・

 国と共闘していくしか生き残れないと、労働運動の本質を置き去りにした幹部の為の組合組織に対し・・・、なす術を見失った、「心ある組合員」のためにも、ハンセン病市民学会の闘いぶりの実態を伝える行為が、その現実からの考察・検証からの情報提供が、心ある組合員の「芽吹き」にもなるように思えてなりません!!
 組合離れの実態は、権能側に擦り寄った組合幹部のその質に大きな問題があったように思えてなりません!
 そのひとつの事例として・・・、辛い汗は掻かなければならないと、徐々に意は決していますが・・・。

 実のある労働運動者の支持からの共闘・・・、「上映運動である」と言い切れる『ハンセン病市民学会』の役員さん方の頑なご意見があるのであれば・・・、「新・あつい壁」の批判は一切しないことを、私は「誓う」所存でありますが・・・・・・。
 

寿司太郎  投稿者:イチロ  投稿日:2007年 6月29日(金)22時27分42秒   返信・引用
  モデムが壊れて、ネットができませんでした(^^;)

「寿司太郎のインスタントちらし寿司」(キュウリとスクランブルドエッグ=炒り卵だけ自家製)

トホホホ・・・。
 
    (リベル) あ、有り難うございました。美味しそうです。頂きます・・・ヽ(´ー`)ノ  

余談:スカラベ=フンコロガシの画像  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月29日(金)17時15分9秒   返信・引用
昔懐かしいイラストを探したのですが、見つからなくて。
 

映画制作その主体の変遷が問われている!  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月29日(金)07時05分22秒   返信・引用
   人の財布が気になるのではなくて、やはり我々の財布を気にかけるべきだと思っています。


 今回の映画制作で、シナリオはもちろんのこと、制作費をあまりにも他人(制作実行委員外)に求め過ぎているところに無理・あやまち、があったように思えます。
「超高齢化した多くの施設実態を考え、今やるしかない!他に誰が作れるというのですか!?」この 誘導 にも疲弊感と共に消沈を持ちえました。
 「映画の目的」が「映画が目的化」していく変容はどこにあったのか?
 年齢という一義的な見方で言わしていただければ、80歳を超えても現役の映画監督として大活躍された先哲もいる中、「中山監督は69歳に成りました。最後の監督作品としてこの映画制作に望んでいる姿を応援していきましょう!」この言にも違和感というより、資金調達が第一義としか捉えることの出来なかった自分を思い出します。最後とされる作品が、まるで期限でもあるかのような慌しさの中での完成劇に違和を越えた疑念を持ってしまうのは、私の浅ましさからなのでしょうか?


 制作資金調達の大いなる誤算が、今ある現実を突き付けられているといっても過言ではないでしょう!

 映画制作案を創めて耳にした折より、制作者側の「功名」という二文字が私から離れず、映画制作の目的がはっきり見えないままでいました。しかし、今思えば只単に「功名心」だけでは済まされない・・・、何か 大きな壁 を、今は感じています!

 そのことは、映画制作の主体の変遷を、考察・検証していくことで、見えてくるものがあるようにも思います。

 「藤本事件」が二度と立ち上がることの出来ない・・・、 仕組み が、その代償共に画策されていた・・・、次世代の有志に期待するより他は無いのでしょうか?

 市民学会という組織体が、映画制作を協力という運動方針を導き出したということで、その組織体の意義への不審が、私をどうしょうも無く「人間不信」へと糾っているかのようです!?
 

サムシング・グレイト  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月29日(金)00時11分48秒   返信・引用  編集済
1)(スカラベ―あの有名なフンコロガシ―のエピソードを紹介した後で)自分が立っているのと同じ地続きのこの地面の向こうで、自分とは全く異なる姿かたちをした生き物が、自分とは全く違う方法で生きている。遠すぎて見えない場所にもちゃんと世界があって、そこも神様の見事な計らいによって守られている。私は『ファーブル昆虫記』を読んで、何とも果てしない気持ちになりました。自分が何か偉大で巨大な全体の一部であり、その部分をスカラベと共同に分け合っている、という気持ちとも言えるでしょうか。自分というささやかな存在に振り回されるのではなく、そこから一歩離れて、世界を形作っている大きな流れ(著者はこれを他の部分で「サムシング・グレイト」と書いています。自身の世界観にしておられるようです。)に身を任せることの安心感を、『ファーブル昆虫記』によって私は味わったのです。(「物語の役割」小川洋子著から)

2)「早くまたいで次に行ってください」と聞いて、「私が何かしなければ」と焦っていました(それほどでもない)。でもサムシング・グレイトに身を任せていて、過ぎていきました。あずきさん、夕焼けさん、有り難うございました。

3)たとえば数学は、サムシング・グレイトの世界だと小川さんは言います。揺るぎない真理が先ずあって(三平方の定理とか)、それはピタゴラスが見付けなくても、後日他の誰かが必ず見付けていたのです。絵画や音楽の世界と大きく違うのはそこで、たとえば、モーツァルトやピカソが居なかったら、こちらは作品が残らなかった。成る程そうだなと思います。

4)今私がやろうとしている「ハンセン病の歴史」のまとめも数学と同じです。歴史や考古学も数学と同じで、既にあるものを、探して掘り出して検証するだけです。私も自分に振り回されず、サムシング・グレイトに導かれるのを待つ(座して待つのではなく)ことにしよう、そう思ったら気持ちがグント楽になりました。

5)小川洋子さんの本は不思議な本です。まるで小学生に戻ったみたいに、素直に色々なことが学べて、そして不思議なのは、「もっと教えて」とおねだりしたくなることです。そしてそれが、何か「快感」を与えてくれることです。「単に幼児還りしただけさ!」、「誰ですか、ばらしてしまうのは?せっかく良い気持ちになっているのに・・・」
 

ゆっくりじっくり、またいではいけないような・・・  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月28日(木)22時35分49秒   返信・引用
  ほんとに不思議ですね!
 北風さんの発信が、「意地悪」感を僅かでも感じ取れそうなところにコミュニケーションの難しさがあるように思います。

 しゅうさんの活動をほんの僅かでも知っているせいか私には、ためらいというかストレートに物言いが出来ないでいます。
 私!思ったんです。北風さんのような愛情は私には無い!というより、今は持ち合わせていない!!しゅうさんに敬意があっての発信のように思えてなりません。そんな北風さんの思いを知ってか?それとも気にしているところ付かれたのか?やや、私情が入りすぎている(人にいえた義理か!言われる前に・・・)様に感じました。

 にわとりさんの思い、きょうこさんの思い、ひなさん・・・、そして、しゅうさんの思いなど、それぞれ違ったものの見方を認め合ってからの・・・、私たちの方向性!我々の進路!我らの労する道!というものを導き出したかった!?
 ある意味、まかせっきり体質(傍観者的支援のあり方)が、思わぬ執行部・本部の役員方を変容させて来た事例に出くわす時、嘆くに嘆けない人間関係を作ってしまった、その一人としては、北風さんの「理の追求」という深みが足りなかった多くの反省を持ちえています。

 私は本日のお二方のぶつかり合う様に見える、その行為こそ、「重要視」されなければ成らないものと考えます。
 本音論がなさ過ぎの世は、けっして民衆・大衆のよりよい社会を築く上では、マイナスなのではないか?と、常に感じていました!

 私の好きな言葉に「知行合一」という言葉があります。その先には何があるのか?・・・揺らがない理論!理路整然とした理解の中に何か惹きつけれるものを感じます。北風さんの理論は机上などではつくり上げることはできないものと考えます。苦くも、喜び合いも経験の上からの発信と思えてしょうがありません!

ハンセン病市民学会図書資料部会 会則
第2章 会員及び役員
(会員の種別)
第5条 本部会の会員は、正会員及び賛助会員とする。
(1) 正会員は、本部会の目的に賛同して入会した個人とする。
(2) 賛助会員は、本部会の目的に賛同して入会し、本部会を援助する個人または団体とする。
(3) 賛助会員は、ハンセン病市民学会員であることを要しない。

先月の終わりに読ませていただきましたが、希有な会則(ハンセン病市民学会員であることを要しない)と思いつつ、その心情が些かなりと感じ取れたように思っています・・・。


 私の大事な言葉 「3かく」・・・、中々実践は出来てはいませんが・・・

 「恥をかく」 「文を書く」 「汗を掻く」 この覚えやすい「3かく」は、常に支えとして実行!実行と、わがシリを叩いています。
 
    (リベル) 「3かく」というのを知りませんでした。検索して調べました。「恥をかく」というのが、目を引きます。積極的に、勇気を持って発言しよう、恥をかくことを恐れず、糧にして成長しようと言うことなのでしょうか。一つ賢くなりました。有り難うございました。(6.29 01:21)  

では。。。  投稿者:あずき  投稿日:2007年 6月28日(木)22時29分34秒   返信・引用
  かわいい写真をプレゼントいたします。
 
    (リベル) かわいいですね。あっち向いたのもいれば、こっち向いたのもいる。みんな雀ですね。(6.29 01:14)  

あんまり不毛なので。  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月28日(木)21時11分34秒   返信・引用  編集済
  といってもおいらの頭じゃありませんが、なんか意地悪いってる様な気分になるし、消したくなってきましたが、一度書いたものは恥でも曝しておけば何かの肥やしになるかもしれんとおもってそのままにします。

早くまたいで次に行ってください。
 

おわりにおねがい  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月28日(木)09時39分1秒   返信・引用
  〉その多くのひとが故人になっているけれど、彼らの遺志を継ぐ人たちが関わっていることを、この映画を考えるとき、配慮しないわけにはゆきません。

「論理が苦手」な人にこれ以上言いませんが、この発言と「映画と藤本事件は切り離して 」というのはどう繋がるのでしょうか?
苦手なのはいいとして、せめて一貫してください。
 

のらりくらりの後出しじゃんけん  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月28日(木)09時33分20秒   返信・引用
  かつて、森幹郎でも、杉村春三でも歯に衣を着せずに入園者とやりあった。
それは、森も杉村も、入園者に敬意を持って真剣だったからです。

言論にさじ加減しながら付き合うのは、すでに「差別意識」の表れです。
真剣に考えその上で言わざるを得ないことをいったら、不利益を蒙るかのようにいうのは、「そんなことをする人たちだ」というに等しく、相手を愚弄した発言だと思いませんか?

また、藤本と同時代の人たちとの思いをしゅうさんが担い、その思いが映画を支持しているかの言い方は思い上がりもはだはだしい。おいらの見解では、全く逆ですね。同時代の人たちの思いを踏みにじっている。「たくさん読」んでも読みが浅いと駄目な例になりませんように。

小生が友の会の代表を「不真面目」かのようにいうなら罷免してもいいよ。

また

〉すり替えていません。初めに書いた時から、この危惧があったから書いたのです。

これは、失笑以外の何者でもありません。

〉その多くのひとが故人になっているけれど、彼らの遺志を継ぐ人たちが関わっていることを、この映画を考えるとき、配慮しないわけにはゆきません。

これは誰のことでしょうか?
こういうのを、「あざとい」といいます。
 

Re: あまりのいい加減さに怒りが Re: 映画と藤本事件は切り離して  投稿者:しゅう  投稿日:2007年 6月28日(木)09時16分58秒   返信・引用
  > No.2442[元記事へ]

北風さんへのお返事です。

> > 「理論」が優先しています。それが、北風さんの心配なところです。会社は、あなたの理論でやって行かれても、友の会は、もう少し柔軟に、そして、周到にやっていって欲しいと思います。
> >
> > なにしろ、私たち友の会に残された時間は、あと半年です。
>
> だんだん問題を摩り替えてきますね。

すり替えていません。初めに書いた時から、この危惧があったから書いたのです。

>
> 伺いますが、あなたの映画支持は「運動」のための方便ですか。


私は、藤本事件を捉えるとき、関原弁護士の関わりを高く評価すると同じぐらい、この藤本さんを救いたいと立ち上がった多くの入園者の怒り、恐れ、失望、彼らの気持ちを、重く受け取ります。
その多くのひとが故人になっているけれど、彼らの遺志を継ぐ人たちが関わっていることを、この映画を考えるとき、配慮しないわけにはゆきません。(シナリオを読んでいるときには、そのことに、気が付きませんでした)

私は、「論理」は苦手ですので、これ位にさせていただきます。

友の会の代表も、真面目にやって下さい。おわり。
 

あまりのいい加減さに怒りが Re: 映画と藤本事件は切り離して  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月28日(木)08時46分24秒   返信・引用
  > No.2440[元記事へ]

> 「理論」が優先しています。それが、北風さんの心配なところです。会社は、あなたの理論でやって行かれても、友の会は、もう少し柔軟に、そして、周到にやっていって欲しいと思います。
>
> なにしろ、私たち友の会に残された時間は、あと半年です。

だんだん問題を摩り替えてきますね。

伺いますが、あなたの映画支持は「運動」のための方便ですか。

また、理論もなしに何の活動ですか?
理論武装もなしに世間にへつらって何が「偏見差別」をなくすですか。

もっと、真面目にやってください。
 

だんだん明らかになって来ると思います・・・  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月28日(木)07時28分39秒   返信・引用
  「怒り」の根源は何なんだろう?と、考える時があります。

 怒りというものが、強く深くなることで自身も驚くような行動をとった!という経験はないでしょうか?

 しゅうさんからの指摘、しゅうさんの思い、

>私から見ますと、夕焼けさんの、この姿勢の方が危険のように思います。
島田等さんの作品を少し読んだくらいで、松下さんの文章を読んだくらいで、それに藤本松夫のご家族まで、自分と同じところに引きつけられる、そうした態度はあまり良いことではないように思います。北風さんが夕焼けさんと同じ意見であると言うことは言えますが、それ以外の方を並べられるのは、良いことではないと思います。

 ある意味感謝しています!

 なぜなら、自己主張が強く!思い込みが激しい人!ほど「傲慢」「自惚れ」という、そうはなりたくない私への願いも含まれているからです。

 私が、このBBSでヅカヅカと書き込みをさせていただいていることは、「傲慢」「自惚れ」とは 紙一重 になっている 気 が私にもしていました・・・。
 ですから、しゅうさんの単刀直入なご意見は「心当たりも考えられる!?」と、感謝の念も持ち合わせたわけです・・・。

 このBBSには、私の書き込みをしゅうさんと同じ思いで見てくださっていることも 意識 はし、留意しておきたいとは思っています・・・・・・


弁解になるのかもしれません!
「情報如何で人は怒りの持ちようも様々」・・・いい訳論になるのかもしれませんが、凄くこのことを感じます。

 今、私が取り組んでいる活動に、新たにこの 礎 を加えようとしています!
「ESD-持続可能な開発のための教育」http://www.esd-j.org/whatsesd/

 差別化は人の世である以上「あたりまえ」で「歴史は繰り返される」と平気で唱える方に遭遇します。自分は差別されるような要素を持ちえてないと高をくくった論であるのでしょうが、差別される側の根幹に少しでも近づける・・・、努力からの思考というものがなければ、「藤本事件」を題材・モチーフにした映画などという分けのわからない「ご・ま・か・しの映画制作」はありえなかった!と、今でも強く 怒り と、共に持ちえています。

 「市民学会」という場で、充分な議論が成されていれば・・・!今の私の恨み辛みは、この会の存在意義にあります・・・・・・・・・・
 

Re: 映画と藤本事件は切り離して  投稿者:しゅう  投稿日:2007年 6月28日(木)05時05分20秒   返信・引用  編集済
  > No.2437[元記事へ]

北風さんへのお返事です。

> >
> > 制作サイドからなどと言わないで、是非、北風さんからよく説明して下さい。
> > 私が、ここにあえて書き込んだのは、図書館友の会の活動や図書館の存続に影響が出なければ良いけれどと、それを危惧してのことです。
>
> 帰りかけたのですが。
>
> 『社会評論』に小文を書いたことで、ある人から「仕事に触りませんか?」といわれました。偏見をなくすために運動している人が「言論」に不快だからといって何等かの圧力をかけるようなことをするはずはない。それは自己矛盾です。
> 「平気だよ」とこたえました。
>
> 小生が思うことをいうことで活動に何らかの影響が出るとしたら、偏見差別を失くすための運動をしている資格が問われるでしょう。


「理論」が優先しています。それが、北風さんの心配なところです。会社は、あなたの理論でやって行かれても、友の会は、もう少し柔軟に、そして、周到にやっていって欲しいと思います。

なにしろ、私たち友の会に残された時間は、あと半年です。
 

余談:従軍慰安婦決議  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月28日(木)02時36分49秒   返信・引用  編集済
  自分たちが投げ落とした原爆は、一瞬にして数十万人の命を奪いました。そのことについての謝罪は聞いたことがありません。
 

Re: 映画と藤本事件は切り離して  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月27日(水)23時28分7秒   返信・引用
  > No.2435[元記事へ]

>
> 傲慢でしょうか?
> 私としては、あまりにご自分に引きつけて読んでおられるので・・・、唱和30年代は各園の心ある入園者はみんな藤本松夫の裁判に自分のこととして支援しています。

はい。非常に傲慢です。自分だけがよく読んでいる、自分のほうが知っているという思い上がりににた感覚がうかがえます。

僕は、「夕焼け」さんが誰なのか、幾つなのか男なのか女なのか、何も知りません。
しかし、この掲示板で付き合ってきて、そのぶれない考え、真摯な態度に感銘を受けています。現在も「藤本松夫の裁判に自分のこととして」考えています。
その彼に対して、その言い草はないだろうと、率直に言って思います。

> 私としては、あまりにご自分に引きつけて読んでおられるので・

このくだりですが、いっぺんしゅうさんも「自分にひきつけて」書いていないか、自省されることをお勧めします。

では、帰らなくては。待たせた馬車が南瓜になってしまう。
 

Re: 映画と藤本事件は切り離して  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月27日(水)23時21分5秒   返信・引用  編集済
  > No.2435[元記事へ]

>
> 制作サイドからなどと言わないで、是非、北風さんからよく説明して下さい。
> 私が、ここにあえて書き込んだのは、図書館友の会の活動や図書館の存続に影響が出なければ良いけれどと、それを危惧してのことです。

帰りかけたのですが。

『社会評論』に小文を書いたことで、ある人から「仕事に触りませんか?」といわれました。偏見をなくすために運動している人が「言論」に不快だからといって何等かの圧力をかけるようなことをするはずはない。それは自己矛盾です。
「平気だよ」とこたえました。

小生が思うことをいうことで活動に何らかの影響が出るとしたら、偏見差別を失くすための運動をしている資格が問われるでしょう。

> 制作サイドからなどと言わないで、是非、北風さんからよく説明して下さい。

↑これですが、小生が言うことと、制作サイドが情報を共有して問題をクリアしようとするのは全く意味が違います。分ってないなあ。
 

Re: 未だ、理解できないでいる・・・こと!そのひとつとして。  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月27日(水)23時12分46秒   返信・引用
  > No.2430[元記事へ]

夕焼けさんへのお返事です。


>  市民学会の活動方針に盛り込まれたとありますが、本当に共同代表・運営委員を含め論議された結果だったのでしょうか?
>  今、このことが不安を含め大きな疑念へと膨らみ始めています。
>
>  市民学会という組織体が、一部の方々にまかせっきりという実態があるとするなら、そこに集う学会員はそのことをどう受け止めるのでしょう!
>
>  「民衆主義」が、都合のよい民主主義論と化しているとすれば・・・、黙認している我々の責任が問われていることを、再確認しておきたい!そんな朝を迎えました!!


この指摘は非常に重要なことだと思います。

映画の問題、基本法の問題(昨日付けで、志村さんが非常に重要な指摘をされていますね。こういう基本的なことすら議論された気配がない)さまざまな問題に通底する問題だということがだんだん明らかになって来ると思います。

さて小生はおうちに帰ります。
アルコール抜きに寝ると、朝非常に調子がいい。分っているのです。分っては。
 
    (リベル) 志村さんの発言はこちら「志村康さんとキャッチボール」で読めます。(6.28 00:19)  

Re: 映画と藤本事件は切り離して  投稿者:しゅう  投稿日:2007年 6月27日(水)23時07分55秒   返信・引用
  > No.2431[元記事へ]

北風さんへのお返事です。

> しゅうさんへのお返事です。
>
> > 夕焼けさんが上げられる名前はほんの一部です。
>
> こういう言い方は、昨日の「島田等を少し読んだくらいで」と同じ傲慢な言い方です。

傲慢でしょうか?
私としては、あまりにご自分に引きつけて読んでおられるので・・・、唱和30年代は各園の心ある入園者はみんな藤本松夫の裁判に自分のこととして支援しています。

>
> > この映画は、その方々が関わって出来た映画です。
>
> その方々の代表が関原さんでしょう。

わたしが「その方々」と言った、「その」は、「人ごとでなく支援した」という意味で関原さんは含んでいません。ハンセン病の偏見を受けている人たちを想定しました。


「その方々」が関わって、この程度の映画が出来たというならそのこと自体「批判」されるべきです。
>
> > Oさんは、この映画の批判を噂に聞いて(どんな噂を聞かれたか知りませんが)、大声で怒ったという話を、私は聞きました。
>
> 怒ったこと自体、批判の中身が正確に伝わっていないのではないかと思う。
> 「噂に聞く」のではなく制作サイドは、正確に伝えるべきだろうね。


制作サイドからなどと言わないで、是非、北風さんからよく説明して下さい。
私が、ここにあえて書き込んだのは、図書館友の会の活動や図書館の存続に影響が出なければ良いけれどと、それを危惧してのことです。
 

ちょっと辞書が安直ですが。  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月27日(水)23時03分47秒   返信・引用
  いうまでもないことなのですが、「批判」と「非難」は似て非なるものです。
むやみに非難しても何も生まれませんが、全うな批判を非難と勘違いしてハリネズミのようになってもこれまた不毛です。

聞く耳があれば真摯な批判は己の肥やしになります。


ひなん 1 【非難/批難】
(名)スル
相手の欠点や過失を取り上げて責めること。
「不手際を―する」

ひはん 0 【批判】
(名)スル
(1)物事の可否に検討を加え、評価・判定すること。
「学説―」「―を仰ぐ」

(2)誤っている点やよくない点を指摘し、あげつらうこと。
「政府の外交方針を―する」

(3)〔哲〕〔(ドイツ) Kritik〕人間の知識や思想・行為などについて、その意味内容の成立する基礎を把握することにより、その起源・妥当性・限界などを明らかにすること。
 

切り離せない問題 Re: 映画と藤本事件は切り離して  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月27日(水)19時49分54秒   返信・引用
  > No.2431[元記事へ]

2005年8月27日付けの「製作の趣旨」

今回の映画のテーマである『藤本事件』は〝検証会議″でも指摘されましたとおり、戦後の〝ハンセン病″差別の象徴ともいえる事件です。そこには、〝パンセン病″者として『ポロ雑巾』のようにあつかわれた一人の人間の〝人間回復〃への叫びがあります。そこに関わった司法関係者のみならず、私たち一人ひとりが自らの問題として、もう一度問い直すべき大変重要なテーマであると考えます。
 
    (リベル) これは、この「制作企画書」に書いてある言葉です。(6.28 00:10)  

チョット追記をしました。  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月27日(水)17時21分43秒   返信・引用
  「6月27日(水)00時25分49秒」に書いたことを、散歩しながら思い返していて(これはプリントしないのです)、あ、そうだな、と気が付いたので、書き加えておきました。下から数行目です。  

Re: 映画と藤本事件は切り離して  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月27日(水)16時05分55秒   返信・引用  編集済
  > No.2428[元記事へ]

しゅうさんへのお返事です。

> 夕焼けさんが上げられる名前はほんの一部です。

こういう言い方は、昨日の「島田等を少し読んだくらいで」と同じ傲慢な言い方です。

> この映画は、その方々が関わって出来た映画です。

その方々の代表が関原さんでしょう。「その方々」が関わって、この程度の映画が出来たというならそのこと自体「批判」されるべきです。

> Oさんは、この映画の批判を噂に聞いて(どんな噂を聞かれたか知りませんが)、大声で怒ったという話を、私は聞きました。

怒ったこと自体、批判の中身が正確に伝わっていないのではないかと思う。
「噂に聞く」のではなく制作サイドは、正確に伝えるべきだろうね。
初期の遺族との問題、遺族側にたった関原さんとキチント話し合いがなされたのだろうか?
そこを隠して映画を強行しようとすれば「関原さんサイド」を悪者にしなくてはならなくなる。Oさんは「関原さんが理由もなく映画製作の邪魔をしている」と受取っていたようだからね。

> 藤本事件を深めてゆかれることは、たいへん意義深いと思います。
> 映画とは切り離してやってゆかれては如何でしょうか。

わかっていないね。まさにそのことをわれわれは批判しているんだよ。まともに藤本事件を取り上げることができないなら、「藤本事件」を利用するなってね。
 

未だ、理解できないでいる・・・こと!そのひとつとして。  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月27日(水)07時15分27秒   返信・引用
  中山さんちの映画blog 内より抜粋!

>ハンセン病市民学会の本年度活動方針に、「映画製作・上映への協力」が盛りこまれました。 http://blog.livedoor.jp/nakayama_movie2005/

見方によれば、「悪意に発するもの」として、削除の対象になるのかもしれませんが・・・、ですが「敢えて」書き込みをさせていただきます!

 市民学会の活動方針に盛り込まれたとありますが、本当に共同代表・運営委員を含め論議された結果だったのでしょうか?
 今、このことが不安を含め大きな疑念へと膨らみ始めています。

 なぜなら、共同代表に名をつなれているルポライターの 鎌田 慧 さんが、すんなり承認・容認することが信じられないからです。鎌田さんのライフワークと言ってよい、石川一雄【狭山事件】(http://www.jttk.zaq.ne.jp/muzaiya/shoukaisayamajiken2.htm)との闘いぶりを知っているものには・・・、市民学会内で論議の末「映画製作・上映への協力」が盛りこまれたのか?その点の事実関係を知るべきと思っています。

 映画制作完成を祝うことの出来る方々・・・、出来ないでいる方々・・・、このことを曖昧に済ませること事態が、大きな問題であると思えてしょうがありません!

 市民学会という組織体が、一部の方々にまかせっきりという実態があるとするなら、そこに集う学会員はそのことをどう受け止めるのでしょう!

 今回の映画制作については、14ヶ月前に市民(学会員)の中より制作者・学会に対して公然と問題提起文が送られている事実を知る一人として、そのことが共同代表・運営委員に事実として投げ掛けられていたのか?今となっては、そのことを知ることで新たな課題が提起されていくのかもしれません!

 「民衆主義」が、都合のよい民主主義論と化しているとすれば・・・、黙認している我々の責任が問われていることを、再確認しておきたい!そんな朝を迎えました!!
 

Re: 映画と藤本事件は切り離して  投稿者:あのさ  投稿日:2007年 6月27日(水)06時59分58秒   返信・引用
  > No.2428[元記事へ]

どうにも通じてないね。

> この映画は、その方々が関わって出来た映画です。

「その」って何を指すのですか。かつて藤本さんのために立ち上がった「仲間」を指しているのですか。混同もいい加減にしてください。

> 映画とは切り離してやってゆかれては如何でしょうか。

こちらこそ言いたい。映画を藤本事件と一緒にするな、と。
 

映画と藤本事件は切り離して  投稿者:しゅう  投稿日:2007年 6月27日(水)06時42分10秒   返信・引用
  リベルさんのスタンスは分かりました。それを支持したいとわたし思いました。
この映画に、かつて藤本事件に人ごとでなく関わっていた人たち、多磨誌には、その当時、藤本事件のことが載らない月はないほどおおぜいの人が藤本さんに支援をし、支えました。夕焼けさんが上げられる名前はほんの一部です。ほんとうに多くの人が藤本さんに支援しました。
この映画は、その方々が関わって出来た映画です。
Oさんは、この映画の批判を噂に聞いて(どんな噂を聞かれたか知りませんが)、大声で怒ったという話を、私は聞きました。
藤本事件を深めてゆかれることは、たいへん意義深いと思います。
映画とは切り離してやってゆかれては如何でしょうか。
 

消えていましたか!?  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月27日(水)05時56分9秒   返信・引用
   リベルさん・・・、見逃しています!「老いの一徹」については運よく読めましたが・・・。

 通りすがりさんが、素敵な提起をしてくださっていますね。

 >これがハンセン病の歴史を伝えるものとして、学校現場に普及していくと思えばやりきれない思いです。


 「藤本事件」がハンセン病の歴史の中で、どれほどの訴え(叫び)を施しているのか?このことを考える時、映像という媒体が持つ 責 は、とてつもなく大きな存在だったと思います。詳しくは、リベルさんが昨夜書き込んでくださったマイケル・ムーア監督との「見つめるもの」の違いでよく理解できそうです。

 北風さんも、この一年!何度もこのBBSで示唆を超えた警告に近い提案をしてくださっていたように思います・・・。ハンセン病の歴史を伝えていく者の一人・ひとりとして、次世代、後輩たちに、より近い真実というものを伝えきれるのか?が、我々の課題であったはずです!
 ある意味、使命感を伴った庶民・大衆からの行動というものを、多くの冤罪事件に携わった先覚者の願いでもあるように感じています。

 関原弁護士が黙しているのは、「F事件資料集」に触れた方々の未来に託している・・・、そんな思いもしています。「市民の皆さんの手で冤罪を暴く」この運動が束ねられ、語り継がれることにより新しい社会の閃光となることを黙して希望・・・託してしているかのようです・・・、あくまでも想像ですが。
 

(無題)  投稿者:よこはいり  投稿日:2007年 6月27日(水)02時41分12秒   返信・引用
  当時、新聞やラジオで事件を知った人々は誰もが、松夫さんの「逆恨み」だと信じたのではなかったか。
逃走したうえ、「密告した衛生係りを恨んで殺した」という、受け入れ易いストーリーをメディアは作りあげていたのではなかったか。
 

(無題)  投稿者:よこはいり@掲示板よごし  投稿日:2007年 6月27日(水)00時57分29秒   返信・引用
  一昨日の?北風さんの「いちゃもん」という書き込みが消えてしまったのが残念です。  
    (リベル) どんな内容だったのでしょう?良く覚えていませんが。過去ログは23日までしか取っていなかったし。ヒントを下さい。夕焼けさんが、こまめに保存していらっしゃるので、或いは?(6.27 02:26)  

三つの反省  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月27日(水)00時25分49秒   返信・引用  編集済
  マイケル・ムーア

マイケル・ムーアというアメリカの映画監督は「ボーリング・フォー・コロンバイン」、「華氏911」を撮り、今度はアメリカの医療問題をテーマにした「シッコ」を作りました。「死刑台のメロディー」を私はよく引き合いに出しますが、この監督の在り方も忘れてはいけなかったと、今頃後悔しています。

「コロンバイン」ではチャールトン・ヘストンの自宅へ押しかけて、突然面罵するというシーンが強烈でした。日本の商業映画の監督に、そういうことを期待するのは、初めから無理だったのです。少しでも、そう期待させるような感じの発言は、するべきでなかったのでしょう、中山監督も。


みのもんた

「珍プレー・好プレー」のナレーションには腹を抱えて笑わされましたが、NTVの「おもいっきりテレビ」に加えてTBSの「朝ズバッ!」を始めたときには、首を傾げました。「やれるだろうか?ではいけないと思う。どこまでやれるか、やってみようじゃないか、と言う気持ちです」という趣旨の談話を聞いて、よし応援してやろうと決心しました。よく頑張っていると、思います。

しかし、二つとも見るのは止めました。あくが強い、怒鳴りすぎるなど、要するに、「気に入らねえ!」からなのです。

基本的には、人物や作品は「受け容れる」ようにしたい、そういうスタンスで生きていきたいと、思っていますし、なるべくそうしています。しかし時には「気に入らねえ!」とも言います。人間が出来ていないからなのでしょう。


光市母子殺害事件

「人物」や「作品」を受け容れると言っても、受け容れがたい人もいます。例えば、この事件の犯人です。それと安田好弘弁護士です。犯人は当然として、この弁護士は一体何なのでしょう。少なくとも、平和や、誰かの幸福を思って生きているとは思えません。罪のない藤本松夫氏を死刑に処した官権もまた、受け容れがたい人たちです。

こういう「人物」や「作品」と中山監督や「新・あつい壁」を、ウッカリすると、同じレベルの感覚で批判対象にしてしまっていることが有るかも知れません。それは、気を付けなければいけないと思っています。憎むべき人と、そうではない人と。
 

期待はずれ?  投稿者:通りすがり  投稿日:2007年 6月26日(火)18時13分56秒   返信・引用
  しゅうさんなどよくご存知と思いますが、入所者の人たちってあまり自己主張をされませんよね。外の反応をじっと見るという感じです。だからしゅうさんが映画を観た「喜び」を伝えられたらそのように受け取るでしょう。自分の感想とは別にね。もちろんOさんは映画に関わったのだから褒められたら嬉しいでしょう。だけど私が接している方たちの反応は違います。単純に言えば「期待がはずれた」というところですね。これがハンセン病の歴史を伝えるものとして、学校現場に普及していくと思えばやりきれない思いです。  

おいらなどは、  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月26日(火)18時02分59秒   返信・引用
  恥ずかしいときも口惜しいときも、己を顧ときも下を見ますが。  

期待はずれでしたね。  投稿者:しゅう  投稿日:2007年 6月26日(火)17時41分42秒   返信・引用
  シャイなOさんは、喜びを噛みしめるとき、グッと、彼は下を向くんですよ。

実際に対話している人でないと感じ取れないものだと思います。
でも、北風さんには、下を向いたと書いたらばっちし、Oさんをよくご存じですから、分かって貰えると思いましたが外れでしたね。そう誤解されるかな?と思いましたが、分かる人に分かって貰えればいいと思って書きましたが、残念でした。
 

Re: 「想像」ですが。  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月26日(火)17時09分46秒   返信・引用  編集済
  > No.2419[元記事へ]

あ、有り難うございました。良く分かりました。


> そういう意味で、「「観た?そう・・」と、下を向いておられたのが印象的でした」という反応が、必ずしも「うれしそうにはにかんで」いたとは限らないと僕は思っています。

しゅうさんの「2007年 6月25日(月)15時39分58秒」の書き込みに対する、この点の最初の疑問が呈された時、「あ、その疑問は正しいのではないか」と直感しました。しゅうさんの感覚を信じないわけなので、申し訳ないのですが、正直な実感だったので、こう書きます。


だから、私はこの点に関して、北風さんに同感です。『「想像」ですが』も含めて。
 

「想像」ですが。  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月26日(火)16時55分46秒   返信・引用  編集済
  (リベル) Oさん、ってどなたかが分かりません。だからお話しも分かりません。知ってはいけないことなのでしょうか?(6.26 15:37)

しゅうさんがOさんとかかれたのでOさんと応じましたが、多磨全生園の大竹章さんのことです。(名著『無菌地帯』の著者)
大竹さんは今回の映画の入園者側の「助言者」として参加していると思います。(導入のホームレスは大竹さんの発案とか)「藤本事件の冤罪を糺す」映画の助言者ならもっともふさわしい人の一人だと思います。

逆に小学生にも分る「差別の実態をあきらかにする映画」の助言者なら大竹さんを持ってくることもなく、入所者さんより退所者さんのほうが現実に触れているだけふさわしいかもしれない。

しかし、ごく初期の頃の印象を下に書きましたが、初期の遺族の反応、関原さんの反応など正確に伝わらないまま、リベルさんの言う所の列車が走り出してしまったのではないか。また、批判があったからといって、そのことを理由に投げ出してしまうような人ではない。

映画の製作サイドが、遺族や関原さんの意向を正確に大竹さんや志村さんに伝え、真剣に話し合い共通の問題として取り組もうとしたのだろうかという疑問がぬきがたい。

そういう意味で、「「観た?そう・・」と、下を向いておられたのが印象的でした」という反応が、必ずしも「うれしそうにはにかんで」いたとは限らないと僕は思っています。
 

Re: 良く分からないけど・・・(^^;)  投稿者:イチロ  投稿日:2007年 6月26日(火)13時06分34秒   返信・引用
  > No.2415[元記事へ]

リベルさんへのお返事です。

奥様が正解です(^^)

キュウリの花はこれです(^^)
 
    (リベル) なるほどそうでした。昔、川へ泳ぎに行って、帰りにそのあたりの畑から、キュウリを頂戴して貪り食ったものです。歴然たる窃盗罪。もう無効成立ですね。(6.26 15:33)  

脚下照顧  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月26日(火)10時35分24秒   返信・引用  編集済
  〉島田等さんの作品を少し読んだくらいで
〉ご自分の見方で見てしまう姿勢が強すぎるのではないでしょうか。

こういう言い方は、己はいかがかという自省なしで言うとと天に向かって唾を吐くようなもので、全て己に帰る。

Oさんは映画の製作側の人だからなあ。
ごく初期の頃、「関原弁護士が映画に反対していますが」といったら、「どうして反対なのか分らない。関原さんも年だからなあ」とあたかも関原さんが呆けたかのようなことを言って、Oさんに関原さんの真意が正確に伝わっていない感じがした。制作側でこの件を十分に話し合った気配はなかった。
 
    (リベル) Oさん、ってどなたかが分かりません。だからお話しも分かりません。知ってはいけないことなのでしょうか?(6.26 15:37)  

Re: 再録:祝「新・あつい壁」完成!  投稿者:よこはいり  投稿日:2007年 6月26日(火)09時08分22秒   返信・引用
  > No.2414[元記事へ]

リベルさんへのお返事です。

つまらない横入りでもうしわけない。

「牧師服」ではななくて、中山監督のトレードマークのようなスタンドカラーのスーツです。
近くで見ると体に合った仕立ての良さと素材の良さが際立っています。

「子供」は、しゅうさんの書き込みにあったと思いますが、子役さんで、舞台あいさつでは普通でしょう。
リベルさんが「子供」が出てくることでおっしゃりりたかったのは、文科省「特選」は伝えずに、こういうあたりのしらじらしさ、なのかなと思いました。本質的な批判ではないとですが。


「新・あつい壁」のメールニュース□■ No.17(2007年6月22日)、編集者のつぶやき
━…‥・
からです。

◇ この度の映画「新・あつい壁」は、ハンセン病問題における差別の問題を、その中

心のテーマとしています。そしてその内容は、中学生以上、もしかすると小学高学年
以上であれば理解できる物語を通じて、ハンセン病差別が決して過去の問題ではなく、

私たち一人一人に身近な現代の問題であることを、深い感動と共に描いています。
 
    (リベル) やはり、そんなことでしたか。子供さんは「子役」だとどこかに書いてあったと思いました。何も子役じゃなくても、でも東京から呼ぶのも大変だからだったのでしょうか?(6.26 12:40)

くまにち・コムにありました。「舞台あいさつの後、「新・あつい壁」に子役で出演した原佳音ちゃん(中央)を紹介する中山節夫監督(左)」と。

もっと本当のことを、あ、とうとう言わされてしまいましたか。『要するに、「気に入らねえ!」ってことなんです』(12:44)

違和感の理由が分かりました。子役が出ても、普通の映画と変わりがない。熊本にも菊池恵楓園に、藤本松夫ゆかりの方がいらっしゃいます。その方に、一言でもお話し頂くのが本来なのでしょう。断られた、ということは無いでしょう・・・。(15:28)
 

良く分からないけど・・・(^^;)  投稿者:イチロ  投稿日:2007年 6月26日(火)09時04分6秒   返信・引用
  野菜のお花です(^^)

さて何の花でしょう??? (簡単)
 
    (リベル) さあ、キュウリか、いや連れ合いは横で、トマトだと言っていますが。(6.26 12:32)  

再録:祝「新・あつい壁」完成!  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月26日(火)08時12分23秒   返信・引用  編集済
  議論が蛇行を始めそうなので、短い文章でもう一度、私の言い分を書こうとしたのですが、上手くいかないので、申し訳ありませんが、再録します。こういうことを言いたかったのです。基本的なスタンスはしゅうさんと同じなのです。ただ、最後に、怒っているのです。「牧師服」と「子供」という、観客をなめた、程度の低い演出に。


6月22日に「文部省の特選」に選ばれました。23日には「劇場公開」に漕ぎ着けました。

私は「文部省の特選」に選ばれたときは「そっと、金を出したのではないか」と悪態を吐きました。
しかし、いま、悪態を吐いたことを恥じています。

何回もお話ししましたように、出来上がった「新・あつい壁」の制作過程での、路線変更や制作費の調達方法に正直強い不快を感じました。何故冤罪に正面から向かい合わなかったのか?制作費などについての、疑問の声を、一切無視しなければならない、何かがあったのか?などと。

そういう疑問には一切答えて頂けなかった。今回の「特選」も「公開上映」も「新・あつい壁」のホームページでは一切取り上げていません。そういう市民サイドとの、コミュニケーションの断絶も不快感を増幅しました。

いろいろ、ミスはありました。しかし出来上がって、なにか危ない障害(「上映の障害になりそうな出来事」が有ったようですが)も乗り越えて、全国上映に船出した、と言えるのでしょう。

ならば、「おめでとう」を申し上げます。予想していた内容ではなかった、関原弁護士の無言の抵抗も、山下さんの「シナリオ批判」も、私達のか細い声も、一切無視して、説明も無しに作り上げてしまった。

しかし、努力の結果、兎に角「ハンセン病」をモチーフとした映画が一本出来上がった。「ご苦労様でした」、「お疲れ様でした」そして「劇場公開、おめでとうございました」と素直にお慶び申し上げるのが、人として普通のこと、当然のことだと、私は思います。そう有るべきだと、私は思うのです。だから、あの映画に対するご批判の多いこのBBSに、あえてこれを書かせて頂きました。


実は、以上は昨日書いて、投稿せず、もう一日経って、読み返してからにしようと、保存していたものなのです。
昨日「くまにち・コム」を見ました。今日は朝日新聞熊本版を見ました。お気付きのように「読みました」ではなく「見ました」と書いています。

なぜ、舞台挨拶に、この6歳の子供さんなんだ?これまで、このBBSをお読み頂いている方は、この映画に対する私の分かり難い対応(私は「煮え切らない態度」は取っていません。ハッキリ支持を表明してきています)に不快感を抱かれたかも知れません。このことは、ここまでにしておきます。

私は、心中、正直なところ不満を抱き、抱き、しながら、反面「これはこれで良いのでしょ。何も反対する、そして映画化を阻止する必要はないでしょ、と考え、そのように発言してきました。「理性と感情の葛藤」みたいな言い方も、当たっているかも知れません。


私は何を、ゴチャゴチャ言っているのでしょう。自分に腹が立つから、結論を言います。

「何で、あそこに、6歳の子供なんだ!!」

「素直」って何なんだ! 「普通」って何なんだ!


要するに、「気に入らねえ!」ってことなんです・・・(;`つ´)怒!
 

「少し読んだくらいで」この言葉は以外でした・・・・・・  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月26日(火)07時30分40秒   返信・引用
   しゅうさん!中山映画制作の変遷を新聞報道や「中山監督の映画製作ノート」「中山さんちの映画blog」より、想像しおかしさを追及することは、控えるべきなのでしょうか?

 皆さんのご協力の下で第一歩を歩まれたことは周知の事実です。そのことを重く受け止められているなら、皆さんへの説明責任は問われるべきものだと思っています。
 特にお金を徴収するという行為が、カンパ・協力金・協賛金であっても、常に情報提供できる 資質 が信頼を築く・・・、ある意味今後は 原点 となるように思います。
 個人の信用貸し借りとは違った、公(大衆)を対象に資金提供を求めていくには、人権に深く関わる運動行為であればあるほど、資金の流れを常に公表できる体質がより以上に求められている・・・、「淋しい」のですが、この現実は我々が全てをあまりにも鵜呑みにし過ぎて起きた現われのような気がしています。
 望む方の資質もかなり矛盾を醸し出している様にも思います。「出してあたりまえ」という高飛車な態度で、外観は優しくとも横柄に思える協力を頼む方に度々遭遇します。
 人権に携わる公的機関も受け入れがたくなっている様にも思えます。それで無くとも財政難を口実に、文化的・人権的な事業に支出が削られる行政の体質がある以上、益々映画制作協力金のお話しは厳しかったものと思えます・・・。
(このことも想像です!)


 想像があるからこそ、できるからこそ、論じ合ってより良いものを求めていけるのではと考えていました。
 想像・空想が、しゅうさんをそれほど(異・違)なことと、感じられていたとは知りませんでした。

 先ほど、高飛車という言葉を使いましたが、それは反面教師の様相だったのかも知れませんね・・・?
 しゅうさんの書き込みより考えなければならない多くもあるように思います。

 今回の摩訶不思議な映画制作が、私の多くの友人を失うことにも成りかねないものですから・・・、しゅうさん!ある意味必死なんです・・・・・・・・・

 それから私は、一冊の本が与える自身への影響力がより深く、その人物を探ることに繫がると信じていますから、「たかが一冊!されど一冊」の 活字 という 言霊 があることを信じて疑いません!


 風見さんの『あじさいの花「花」』の文責が、私に何かを教えてくれた!そんな気がしていますが・・・。
 

補足  投稿者:しゅう  投稿日:2007年 6月26日(火)07時11分57秒   返信・引用  編集済
  あまりに邪気のあるご意見で退散したいところですが・・・

これは、夕焼けさんへコメントではないです。べつにするべきでした。
退散したいのだけれど、夕焼けさんには、レスをしておきたいと思って書きました。

匿名に隠れての発言には失礼をさせていただきます。
 

Re: 「観た?そう・・」     みんなと一緒には見ていられなかったと・・・・・  投稿者:よこはいり  投稿日:2007年 6月26日(火)06時43分1秒   返信・引用
  夕焼けさんが誰のもとで藤本事件に出会い今日まで来たのかを知っていれば、夕焼けさんの軸足がそこから揺るがずに、あるいは離れられずにあることがわかります。


Oさんにとってはどうなのでしょう。完成を祝福してくれる人ならきっと多くあることと思いますが。
 

Re: 「観た?そう・・」     みんなと一緒には見ていられなかったと・・・・・  投稿者:よこはいり  投稿日:2007年 6月26日(火)06時12分23秒   返信・引用
  > No.2409[元記事へ]

しゅうさんへのお返事です。

横からごめんなさい。
わたしは夕焼けさんの意見に邪気は感じません。
これまで夕焼けさんが書き込みんできたものを読んできてそう思います。
 

Re: 「観た?そう・・」     みんなと一緒には見ていられなかったと・・・・・  投稿者:しゅう  投稿日:2007年 6月26日(火)05時30分36秒   返信・引用
  > No.2406[元記事へ]

夕焼けさんへのお返事です。

あまりに邪気のあるご意見で退散したいところですが・・・

>  「観た?そう・・」という情景や、「みんなと一緒には見ていられなかったと」という言葉からでは、その思いは窺い知ることはできませんが・・・、本当に映画完成を喜んでのことだったのだろうか?と、考えてしまいました。

喜ばれているから書いているわけですけれど、夕焼けさんは、いつも感じていることですが、ご自分の見方で見てしまう姿勢が強すぎるのではないでしょうか。
Oさんの性格からでているものを、邪気さんのように読んでは、ひどいなあと思いますけれど。


>  しゅうさん、「悲しんでいる方々」と「熱い思いを掛けている人たち」を、同等、若しくは対峙的に見ることは、やや危険なように思うのですが、いかがでしょう。
>
>  私はしゅうさんが、悲しんでいる方々の事実を知らないという、その状況が辛いです。
>
>  私は島田等さんの「花について」の言霊を知ることにより、今一度、この映画制作に潜む「副次的矛盾」を追及するべき!と、腹をすえました。しゅうさんのHPを訪ねていたお陰と 感謝 しているところです!?
>
>  しゅうさん!私は、鬼籍の島田等さん、松下竜一さん、そして北風さんがいう「冤を雪ごうとしてきた多くの方々」は、どんな思いでこの一連の映画制作を、見詰めているのだろうか?と、よく考えます。


私から見ますと、夕焼けさんの、この姿勢の方が危険のように思います。
島田等さんの作品を少し読んだくらいで、松下さんの文章を読んだくらいで、それに藤本松夫のご家族まで、自分と同じところに引きつけられる、そうした態度はあまり良いことではないように思います。北風さんが夕焼けさんと同じ意見であると言うことは言えますが、それ以外の方を並べられるのは、良いことではないと思います。


>
>  「新・あつい壁」上映運動が、学校教育現場や自治労・連合などの組合組織を介しての運動となっている現実に目を向けるべきです!
>  当初の製作資金からのズレが、多くの支援者やハンセン病を患ったことのある方々に多大な迷惑をかけているのではないかと想像しています。


想像で言うことは危険です。慎むべきと思います。


挙げ句の果て、6月の文科省特選に申請書を自ら提出し、選ばれた現実。http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/movie/main9_a1.htm
>
>  中山さんの資産でこの映画制作完成からの上映であれば、「藤本事件をなぜ?」という疑念を残しつつも、今の私の怒りは、多少は和らいでいるものと思っていますし、もっと、じっくりゆっくり映画制作批評をしていったでしょう。
>  どう考えても、「解放の主体たち」には目を向けているとは思えない、藤本事件の映像化には最協力者である家族・遺族との「連帯」抜きにはありえないと思えるし、今回の映画完成で悲しく泣いておられるとすれば・・・、しゅうさん!私はご家族だと思っています。
>
>  その他にも悲しんでいる方の多くを私は知っています。
>
>  2005年3月19日の西南学院大学でのシンポを計画主催してくださったH・S女史・・・彼女は悲しみを通り越し嘆いているのかもしれません!

ご自分に引きつけすぎではありませんか?


>  借金の補填に、入園者・支援者を担ぎ出す動きを、今以上に察知すれば、「製作・上映協力券」の実態の一部・・・なのでしょうが、書き込みさせていただきます。


「借金の補填」は事実ですか?夕焼けさんの想像ですか?

どうしてひとの財布がそこまで気になりますかね?
 

中世の拍子木と「印」  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月26日(火)02時31分49秒   返信・引用  編集済
  割り込んでご免なさい。忘れない内にと。

tamaさんのおかげで、こんなものが入手できました。中世のハンセン病患者が義務づけられていたものです。(荒井英子著「ハンセン病とキリスト教」p.159に記述があります)


左が拍子木(clapper)、右が衣に縫いつける印でしょうか、 「1611年・Gauda」オランダのゴーダチーズのゴーダ?
                             真ん中の絵はclapperみたいです。
 

邪気さん  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月26日(火)00時08分51秒   返信・引用
   私も、しゅうさんの書き込みを読み。同じことを連想してしまいました。

 Oさんの真意を知りたい・・・、邪気さん。
 

「観た?そう・・」     みんなと一緒には見ていられなかったと・・・・・  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月26日(火)00時03分27秒   返信・引用
   「観た?そう・・」という情景や、「みんなと一緒には見ていられなかったと」という言葉からでは、その思いは窺い知ることはできませんが・・・、本当に映画完成を喜んでのことだったのだろうか?と、考えてしまいました。

 しゅうさんがひき合いに出されほどの「Oさん」であるなら、人物であると思われます・・・。
 かなり失礼な言い方になるのかもしれませんが、しゅうさんの書き込みから、そのOさんの真意が読み取れません!しゅうさんが試されている!そんな背景が目に浮かんだのですが・・・、私の思い過ごしでなければ良いのですが・・・。

 しゅうさん、「悲しんでいる方々」と「熱い思いを掛けている人たち」を、同等、若しくは対峙的に見ることは、やや危険なように思うのですが、いかがでしょう。

 私はしゅうさんが、悲しんでいる方々の事実を知らないという、その状況が辛いです。

 私は島田等さんの「花について」の言霊を知ることにより、今一度、この映画制作に潜む「副次的矛盾」を追及するべき!と、腹をすえました。しゅうさんのHPを訪ねていたお陰と 感謝 しているところです!?

 しゅうさん!私は、鬼籍の島田等さん、松下竜一さん、そして北風さんがいう「冤を雪ごうとしてきた多くの方々」は、どんな思いでこの一連の映画制作を、見詰めているのだろうか?と、よく考えます。

 「新・あつい壁」上映運動が、学校教育現場や自治労・連合などの組合組織を介しての運動となっている現実に目を向けるべきです!
 当初の製作資金からのズレが、多くの支援者やハンセン病を患ったことのある方々に多大な迷惑をかけているのではないかと想像しています。挙げ句の果て、6月の文科省特選に申請書を自ら提出し、選ばれた現実。http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/movie/main9_a1.htm

 中山さんの資産でこの映画制作完成からの上映であれば、「藤本事件をなぜ?」という疑念を残しつつも、今の私の怒りは、多少は和らいでいるものと思っていますし、もっと、じっくりゆっくり映画制作批評をしていったでしょう。
 どう考えても、「解放の主体たち」には目を向けているとは思えない、藤本事件の映像化には最協力者である家族・遺族との「連帯」抜きにはありえないと思えるし、今回の映画完成で悲しく泣いておられるとすれば・・・、しゅうさん!私はご家族だと思っています。

 その他にも悲しんでいる方の多くを私は知っています。

 2005年3月19日の西南学院大学でのシンポを計画主催してくださったH・S女史・・・彼女は悲しみを通り越し嘆いているのかもしれません!


 借金の補填に、入園者・支援者を担ぎ出す動きを、今以上に察知すれば、「製作・上映協力券」の実態の一部・・・なのでしょうが、書き込みさせていただきます。
 

Re: 新・あつい壁の問題提起  投稿者:邪気  投稿日:2007年 6月25日(月)21時58分22秒   返信・引用
  > No.2404[元記事へ]

>  幸い主人公と恋人は、うまくいく暗示があって終了している。

じゃなくて、終了「させてる」んじゃないの。ここの方々って純粋な人が多いんだね(一部のぞく)。

あとしゅうさん。
>これは藤本事件がテーマの映画ではありません。
と書いておいて、
>この子は、藤本松夫の子ども役の子ですね。
はないんじゃないかな。
無邪気にもほどがある。

>試写会のあと、Oさんのお宅によって、「映画観てきました、いい映画でしたね」 とご挨拶をして帰りましたが、「観た?そう・・」と、うれしそうにはにかんで下を向いておられたのが印象的でした。

これはまさしく外界との断絶では。外界の無邪気な反応と内の無言の抵抗と。かくも離れてしまったのですね。
 

新・あつい壁の問題提起  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 6月25日(月)17時51分11秒   返信・引用
  「新・あつい壁」の最後は、主人公の恋人の母親の親がハンセン病であったという告白があった。

 熊本であれば、これは「龍田寮事件」の一人であろう。

 龍田寮事件の顛末

 黒髪校事件ともいうが、正しくは龍田寮事件という。ここに壁をこえて、に準じて記載してみよう。

 {いわゆる未感染児童(患者さんの子供さん)を収容した}龍田寮は22年の歴史を閉じたが(その前は恵楓園という保育施設)この間162人に未感染児童(ママ)が寮に収容された。1955年秋頃より県下10カ所の養護施設(慈愛園、台童園など)分散され収容された 熊本商科大学 蒲池正紀教授

 いろいろな資料によると(黒髪校百年史など)各地でミニ黒髪校事件がおこりかけた、とある。(親戚にも引き取られたと聞いたことがあるが確認していない)引き受けた学校は小学校だけでなく、中学校もあるし、高等学校もある。もちろん何もおこらなかった、と思う。

 幸い主人公と恋人は、うまくいく暗示があって終了している。
 

Re: 誤読 Re: 祝「新・あつい壁」完成!  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月25日(月)16時31分33秒   返信・引用  編集済
  > No.2402[元記事へ]

>
> 「誤読」だったら、「失礼しました」ということで、退場します。

そういう情緒的な反応はどうもね。


ところで、『小島の春』もいい映画だった。見たひとは感動し多くの人に見て欲しいと思っただろう。

中山監督は差別は情緒だ。情緒に訴えるのが映画だから、映画は偏見差別の啓発には最もいいメディアだといっていたと思う(記憶違いだったらお詫びします)。

『小島の春』と『新あつい壁』はどこが違うのだろうか。
(映画の完成度は別にして)
偏見差別はいけないというメッセージは『小島の春』の底流にも流れていた。

当然『新あつい壁』は、『小島の春』の限界や問題を克復していなければならないと思うのだが、果たして克服しているのだろうか。

『小島の春』の限界や問題点を克服するには、「情緒」ではなくまさに「理性」でなくてはならないし、「一億層懺悔」ではなく、政治や司法の犯した過ちを丁寧に徹底的に抉り出さなくては、問題の克服にはならない。

「酷い目にあったんだね、可愛そうに」「その原因は私たち一人ひとりの中にあるのね」では、見る人を一寸涙ぐませることは出来ても、偏見差別に対する怒りや克服しようとする強い決意は生まれない。
 

Re: 誤読 Re: 祝「新・あつい壁」完成!  投稿者:しゅう  投稿日:2007年 6月25日(月)15時39分58秒   返信・引用
  > No.2399[元記事へ]

北風さんへのお返事です。

> しゅうさんへのお返事です。
>
> > リベルさんへのお返事です。
> >
> > リベルさんに共感します。
>
> 共感するなら映画の「あざとさ」に怒らなくては。

「誤読」だったら、「失礼しました」ということで、退場します。

夕焼けさん

この映画に「悲しんでいる方々がいる」という事実があるというのは、私は実際にその声を聞いていないので、ごめんなさい。この映画のシナリオ批判を書いてきたYさんのことは、存じていますが、Yさんの批判は、この映画がしっかりとした冤罪の映画でないことに批判をされていると思います。
しかし、この映画は、Yさんの期待する映画でも、夕焼けさんの仰るような難しい映画ではないけれど、みんなで見るのには、意味のある映画だろうと私は思います。

この映画に悲しいで居る方々のことは知りませんが、この映画に、たいへん熱い思いを掛けている人たちを私は知っています。

試写会のあと、Oさんのお宅によって、「映画観てきました、いい映画でしたね」 とご挨拶をして帰りましたが、「観た?そう・・」と、うれしそうにはにかんで下を向いておられたのが印象的でした。公会堂で、とても、みんなと一緒には見ていられなかったと、シャイなOさんはお話しされていました。
この映画、おおぜいの人に観ていただいて、Oさんに喜んでいただきたいなと私は思います。
 

あちこち貼ってます(笑)  投稿者:イチロ  投稿日:2007年 6月25日(月)15時14分24秒   返信・引用  編集済
  ハコネウツギです(^^)

赤白で、おめでたいでしょ(^^)
 
    (リベル) 有り難うございます。既に何度かお邪魔しています。どうして見付けたか?

「イチロ」、「九龍公」で検索しました・・・(ニコニコ)(6.25 23:02)

Re: 衆愚政治、愚民化政策の様相が見え隠れするとは、云い過ぎでしょうか!?  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月25日(月)11時42分37秒   返信・引用  編集済
  > No.2397[元記事へ]

>
>  司法界の疑念や無らい県運動が全国に拡大した、国策や行政の誤りを追究してくださっていますか?
>
>  その追究があってこそ、私たちが愚民であればあるほど同じ「被差別化施策」は繰り返し繰り返し、蔓延ってしまうという現実に辿り着くものと私はは信じて疑いません。
>
>  国家の思惑に少しでも言及された映画とするなら・・・、私は思いあがっていた自分を認め、謝罪いたします!?

そうした意志も或いは自覚もないと思います。
前にも書きましたが、行政と司法が犯した二つの過ち、「絶対隔離」と「冤罪」、これを本気で追求するなら「文部省」から「選定」を受けようとするだろうか。「被害者」が「加害者」から太鼓判を押されて喜ぶのだろうか。
あるいは、文部省が「特選」にするだろうか?

去年の「ハンセン病市民学会」を思い出します。
中山さんは「ずっと以前から藤本事件を映画化したかった。冤罪を追及する映画に協力してほしい。映画は金がかかるんです」といった。
徳田さんは、「藤本事件の再審に弁護士としての後半生をかける。再審の機運を盛り上げるために映画の成功は不可欠です」といった。

たった一年で、藤本事件は映画の単なるモチーフであって、主題は「今も続く偏見差別を啓発」する映画になり、弁護士の関心は「ハンセン病基本法」に移ってしまった。

当時、本気で藤本さんの冤を雪ごうとしていたのなら、多少の困難があったり行き違いがあったとしても、こんなに簡単に「方針転換」が図れるものだろうか?
 

誤読 Re: 祝「新・あつい壁」完成!  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月25日(月)11時16分15秒   返信・引用
  > No.2396[元記事へ]

しゅうさんへのお返事です。

> リベルさんへのお返事です。
>
> リベルさんに共感します。

共感するなら映画の「あざとさ」に怒らなくては。
 

しゅうさん  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月25日(月)07時37分49秒   返信・引用
   追記です!

 しゅうさん、今回の完成された映画を観て「悲しんでいる方々がいる」という事実があるとすれば・・・、問題だとは思いませんか?
 

衆愚政治、愚民化政策の様相が見え隠れするとは、云い過ぎでしょうか!?  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 6月25日(月)07時31分12秒   返信・引用
   しゅうさん!

>しかし、これは藤本事件がテーマの映画ではありません。藤本事件を通して、他にもいろいろ素材が多すぎるという批判もありますが、ハンセン病に対してどれだけひどい誤りをこの社会がしてきたか、それを明らかにして、みんなに知らされている映画です。

北風さんの言われるように、この映画は、藤本事件をただ利用したのでしょうか? それはいけないことでしょうか?
藤本事件の冤罪は、冤罪をテーマにしてしっかりした映画でも、運動でもしてゆかれれば良いのだと思います。

紆余曲折が生じた「論点」の整理が、今また求められているように思います。いつの間にか曖昧化されているように思います。

 「紆余曲折がなぜ支援者〔?〕の中で生じたのか!?」このことを重く私は受け止めています。

 ただ、しゅうさんの発信で、「藤本事件をただ利用したのでしょうか? それはいけないことでしょうか?」
 今の私にはとても大事と思える発言です!

 私は、「藤本事件」のお陰で、マスコミ(話題性)や多くの支援者(?)の心を動かし(資金の目処・資金調達という計画案が持てたと思っています、実際は・・・?)今ある完成劇へと辿り着いたものと思っています。

 藤本松夫さんの「死」の疑惑の追究があってこそ、多くの心ある方々の心を揺らがしたことは間違いないものと思っています。

 今朝は、愚だ愚だと論ずることは止めましょう・・・。


ただ一点!
 しゅうさんにお聞きします!

>ハンセン病に対してどれだけひどい誤りをこの社会がしてきたか、それを明らかにして、みんなに知らされている映画です。

「明らか」 この言霊は私にとっても大きな問題です。

 今回のこの映画が、その点をしっかり見据えていると思われますか?

 司法界の疑念や無らい県運動が全国に拡大した、国策や行政の誤りを追究してくださっていますか?

 その追究があってこそ、私たちが愚民であればあるほど同じ「被差別化施策」は繰り返し繰り返し、蔓延ってしまうという現実に辿り着くものと私はは信じて疑いません。

 国家の思惑に少しでも言及された映画とするなら・・・、私は思いあがっていた自分を認め、謝罪いたします!?
 

Re: 祝「新・あつい壁」完成!  投稿者:しゅう  投稿日:2007年 6月25日(月)05時46分20秒   返信・引用
  > No.2395[元記事へ]

リベルさんへのお返事です。

リベルさんに共感します。
わたくしも、この映画には、脚本を2度にわたって読みましたし、(変更が幾回もありましたので)いろいろ不満を言ってきました。不満は、だいたい藤本事件からの乖離にありました。
しかし、これは藤本事件がテーマの映画ではありません。藤本事件を通して、他にもいろいろ素材が多すぎるという批判もありますが、ハンセン病に対してどれだけひどい誤りをこの社会がしてきたか、それを明らかにして、みんなに知らされている映画です。

北風さんの言われるように、この映画は、藤本事件をただ利用したのでしょうか? それはいけないことでしょうか?
藤本事件の冤罪は、冤罪をテーマにしてしっかりした映画でも、運動でもしてゆかれれば良いのだと思います。

リベルさんの、

> 「何で、あそこに、6歳の子供なんだ!!」

この子は、藤本松夫の子ども役の子ですね。出演者が揃ってステージに並んでいるのではないかしら?ちょうど監督の前に立っていたのでしょう。

>
> 「素直」って何なんだ! 「普通」って何なんだ!

「素直」「普通」はどこからの引用なのかよく分かりませんでした。

この映画はたぶん、ハンセン病だったみなさんが、社会のみんなにいっしょになって見てもらいたいと思う映画だろうと思います。

わたしはこの映画の広がりを期待します。
 
    (リベル) 「素直」、「普通」は、アンダーラインを引いた自分の言葉「素直にお慶び申し上げるのが、人として普通のこと」の中の言葉です。

>出演者が揃ってステージに並んでいるのではないかしら?ちょうど監督の前に立っていたのでしょう。

馬鹿馬鹿しいことに、腹を立ててしまいました。てっきりあの子一人で、右の人は付き添いだと思ったものですから・・・。(6.25 07:07)
 

祝「新・あつい壁」完成!  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月25日(月)00時47分32秒   返信・引用  編集済
  6月22日に「文部省の特選」に選ばれました。23日には「劇場公開」に漕ぎ着けました。

私は「文部省の特選」に選ばれたときは「そっと、金を出したのではないか」と悪態を吐きました。
しかし、いま、悪態を吐いたことを恥じています。

何回もお話ししましたように、出来上がった「新・あつい壁」の制作過程での、路線変更や制作費の調達方法に正直強い不快を感じました。何故冤罪に正面から向かい合わなかったのか?制作費などについての、疑問の声を、一切無視しなければならない、何かがあったのか?などと。

そういう疑問には一切答えて頂けなかった。今回の「特選」も「公開上映」も「新・あつい壁」のホームページでは一切取り上げていません。そういう市民サイドとの、コミュニケーションの断絶も不快感を増幅しました。

いろいろ、ミスはありました。しかし出来上がって、なにか危ない障害(「上映の障害になりそうな出来事」が有ったようですが)も乗り越えて、全国上映に船出した、と言えるのでしょう。


ならば、「おめでとう」を申し上げます。予想していた内容ではなかった、関原弁護士の無言の抵抗も、山下さんの「シナリオ批判」も、私達のか細い声も、一切無視して、説明も無しに作り上げてしまった。


しかし、努力の結果、兎に角「ハンセン病」をモチーフとした映画が一本出来上がった。「ご苦労様でした」、「お疲れ様でした」そして「劇場公開、おめでとうございました」と素直にお慶び申し上げるのが、人として普通のこと、当然のことだと、私は思います。そう有るべきだと、私は思うのです。だから、あの映画に対するご批判の多いこのBBSに、あえてこれを書かせて頂きました。


実は、以上は昨日書いて、投稿せず、もう一日経って、読み返してからにしようと、保存していたものなのです。
昨日「くまにち・コム」を見ました。今日は朝日新聞熊本版を見ました。お気付きのように「読みました」ではなく「見ました」と書いています。

なぜ、舞台挨拶に、この6歳の子供さんなんだ?これまで、このBBSをお読み頂いている方は、この映画に対する私の分かり難い対応(私は「煮え切らない態度」は取っていません。ハッキリ支持を表明してきています)に不快感を抱かれたかも知れません。このことは、ここまでにしておきます。

私は、心中、正直なところ不満を抱き、抱き、しながら、反面「これはこれで良いのでしょ。何も反対する、そして映画化を阻止する必要はないでしょ、と考え、そのように発言してきました。「理性と感情の葛藤」みたいな言い方も、当たっているかも知れません。


私は何を、ゴチャゴチャ言っているのでしょう。自分に腹が立つから、結論を言います。

「何で、あそこに、6歳の子供なんだ!!」

「素直」って何なんだ! 「普通」って何なんだ!


要するに、「気に入らねえ!」ってことなんです・・・(;`つ´)怒!
 

出力試験  投稿者:tama  投稿日:2007年 6月24日(日)09時37分37秒   返信・引用
  Møller-Christensen デンマーク人なので、ウムラウトは使わないと思います。
oに右上から左下に斜線(←入力通りに出力されていれば蛇足の注)
 
    (リベル) いや、仰有る通りでした。どこかで見ました、確かに。さあ、今から、探してきます。修正は直ぐなのですが。有り難うございました。ゲーテは良いですね、間違いなくドイツ人ですね。

Møller-Christensen でした。(6.24 12:03)

調べてみましたが、手持ちの印刷物には、有りません。「Miller」か「Moeller」なのです。ネット上で、有りました。ILAの検索ページ。さすがに専門サイトでした。これを探すのに一苦労でした、実は。「Møller-Christensen leprosy」で検索して、唯一色が「クリック後」に変色していたので、発見!フーッ!!(6.24 12:51)
 

 投稿者:あずき  投稿日:2007年 6月23日(土)17時16分59秒   返信・引用
  Ö  
    (リベル) おっ!やりましたね!!

私も、「歴史」の「注」のページの「Möller-Christensen」でトライしました。成功しました。と言っても、「ブラウザ」や何かによって、微妙に異なってくるらしいので、皆さんに見て頂けるかどうかは、不明です。ここいらが素人の「強み」と言いますか「図々しさ」と言いますか(笑)(6.24 00:28)
 

「世界のハンセン病」  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月23日(土)01時44分36秒   返信・引用  編集済
  2007年 6月15日(金)17時36分22秒にドン・キショットさんがお書きになった、笹川記念保健協力財団発行の、この冊子を取り寄せました。お陰様で、色々勉強になることが多く、重宝しています。

ところが、一つ問題が発生したのです。8頁と16頁に「ファジェイ」と出てくるのです。同じ財団の理事、山口カズコ氏は「ファジェット(またはファジェ)」と書いて居られます。


私の結論:「ファジェット」で行く。どうせ国際会議で名前が出ても、「ガイ・ファジェット」と言っているか、「ギ・ファジェ」と言っているか、恐らく聞き分けるのが難しいだろう。「Faget」であれば良いのだから、もうツベコベ言うまい。但し、厚労省の「ファヂニー」だけは許さない。(・_・;)
 

もっと光を・・・  投稿者:イチロ  投稿日:2007年 6月23日(土)01時13分7秒   返信・引用  編集済
  > No.2388[元記事へ]

リベルさん、Ichiroさんへのお返事です。

「もっと光を・・・」と言ったのは「ゲーテ」でしたか???(^^;)

でもそれは、死に際で視力が弱くなってしまったので言った言葉だとかいう説もあるようですね(^^;)

高校時代「ゲーテ」は「ギョーテと発音すべし!」と教えられました(蛇足です)

※明るい花(松葉ボタンかな?)
 
    (リベル) なんと!綺麗ですね!有り難うございます。「もっと花を・・・」。(6.23 01:13:08 嘘!)  

余談:ウムラウトO(Ö)  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月23日(土)01時01分53秒   返信・引用  編集済
  Ö

おおっやりました!!タイトルの後ろに書いた記号と数字をコピペすると、出せます。このBBSは「CGI」に対応しているから、出来るとか、そういうことが有るらしいのですが、良く分かりません。とにかくこのページ(クリックしてから、1分ほど待ってください、お暇なら)を保存しています。なにか、使えそうで。

"Johann Wolfgang von Göthe" お懐かしゅうございます・・・〆(。。 )メモメモ


今、調べている歴史に「Möller Christensen」という人が出て来ます。犀川氏は「モオェラー・クリステンセン」、ブラウン氏(というより石館氏)は「メーラー・クリステンセン」と訳しておられます。ゴオェテとゲーテですね。


【追記】やはりホームページビルダーで使えます。タグにこの記号を入れればOKでした。原理とかは、勿論全く分かっていません。万事この調子でやってきています・・・(;´ρ`)ダメジャ コリャア

【追追記】のちに、tamaさんのご指摘により、正しくは「Møller-Christensen」であると分かりました。修正しておきます。(6.24 23:54)
 

リベル様へ  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 6月22日(金)22時33分32秒   返信・引用
  又失礼しました。

 Ichiro

  ゲーテみたいに沢山ありますか。
 
    (リベル) 「ギョエテとはゴエテのことかとゴーチェ言い」なんて。

ゴエテ   ギューテ  ギェーテ  ギョート  ギョーツ
ゲーテ   ギュエテ  ゲォエテ  ゴアタ   グウィーテ
ゲエテー  ゲーテー  ゲェテー  ギョウテ  ギヨーテ
ギョーテ  ギョーテー ギヨテー  ゴエテ   ギヨテ
ギヨヲテ  ギヨオテ  ゲョーテ  ゲヨーテ  ゴエテー
ゲエテ   ギヨエテ  ゲイテ   ギョエテ

なんてのが、ここに出ています。

WORDでウムラウトを出す方法は有ります。[Ctrl]+[:]+母音で、出ます。ここにCGIで出せないか、研究中!!!(6.23 00:55)
 

Re: ファジーの元凶はカービルの奇蹟を翻訳した人  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月22日(金)16時53分49秒   返信・引用  編集済
  > No.2386[元記事へ]

> 菊池恵楓園の図書館には「カーヴィルの奇蹟」の翻訳の本がありましたが、「壁をこえて」にカラーででていました。ファジー博士の元凶は その翻訳された人だと思っていますよ。それで翻訳者を調べたりしましたが、その原因はよくわかりませんでした。

ちょ、ちょっと、待ってください!!!

良く読んでください!!!

「ファジー」ではなく、「ファジニー」でもなく「ファヂニー」なのです。


大変、失礼なのですが、Ichiroさんは「学者」でいらっしゃるのですから、「言葉」についても、「翻訳者」についても、もう少し厳密であって頂きたいと、これは何度も繰り返していますが、お願いします。

「言葉」や「出典」については、「ファジー(fuzzy)」であってはいけないのではないでしょうか(笑)
 

ファジーの元凶はカービルの奇蹟を翻訳した人  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 6月22日(金)16時43分15秒   返信・引用  編集済
  菊池恵楓園の図書館には「カーヴィルの奇蹟」の翻訳の本がありましたが、「壁をこえて」にカラーででていました。ファジー博士の元凶は その翻訳された人だと思っていますよ。それで翻訳者を調べたりしましたが、その原因はよくわかりませんでした。

 それと、この本はリーダーズダイジェストに要約(digest)されている筈です。その時の翻訳はどうなっているのかなあと考えていますが、ちょっと 手立てがない。
 

これから自宅に帰ります。  投稿者:ルリカケス  投稿日:2007年 6月22日(金)15時11分4秒   返信・引用
  現在鹿児島空港です。3日振りに帰ります。
仕儀との疲れ&気分転換で、温泉に行ってきました。

映画あつい壁他議員立法等を帰りましたら、観て見ます。
 
    (リベル) おっ、温泉でしたか。羨ましいですね。またお帰りになってから、ゆっくりお出で下さい。(6.22 15:18)  

教育映像等審査制度  投稿者:リベル  投稿日:2007年 6月22日(金)13時47分32秒   返信・引用
  「文部科学大臣は、映画その他の映像作品及び紙芝居(以下「映像作品等」という。)について、教育上価値が高く、学校教育又は社会教育に広く利用されることが適当と認められるものを選定し、あわせて教育に利用される映像作品等の質的向上に寄与するために、教育映像等審査規程(PDF:20KB)に基づいて映像作品等の審査を行っています。」

北風さん、良く見つけられましたね。出版の場合と逆で、金を出しているのかも知れません(そっと)
 

喜んでいいのか?  投稿者:北風  投稿日:2007年 6月22日(金)09時15分42秒   返信・引用  編集済
  この国の司法と行政のおかした二つのあやまち、隔離政策と冤罪をテーマにして、「文部省の特選」ですか?

国がこの映画からいかほどの痛痒も感じない証左ですね。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/movie/main9_a1.htm

それにしても「申請」に基づき、毎月「審査」しているんだね。
出版における「図書館協会選定図書」くらいのものか?
出版の場合は「申請」なんかしない。勝手に「選定」して金をとる。
 

HPの検討  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 6月22日(金)08時56分56秒   返信・引用  編集済
  HP管見

 某省のHPは、たしか内容に文句を言ったのだが、私の所には連絡なし、知らん顔して、訂正し(口をぬぐって、平成15年からこれを出していると書いてある。それは訂正前だろう)のは腑に落ちないが、常套手段なんだろう。

 某社の製品は、安全性が問題あり、私が文句を言って、改良型をだしたのだが、安全性の文句などおくびにも出していない。もっとも、前の型と後の型を詳細に検討すると ハハーンということはすぐわかるが。
 
    (リベル) 私の場合は、厚労省に「Faget」の読みの問題で(一時大騒ぎをしていましたが)何度も投稿をし、二度目の電話で「アメリカ大使館」の名前を出した途端にキッチリ対応した、と言う経験があります。

それでも「ファジェット」に直さず、単に名前を消してしまいましたこちらには未だしぶとく「ファヂニー」と書いてあります。

「ファヂニー」というのは一体どこから出て来たのか?実は菊池恵楓園のHPに、その原因があることを、発見しました。ここに「ファヂェー博士」と書いてあります。厚労省はこれを写したのです。そして「ェ」の縦の棒を、見落としたのです。で、「ファヂニー」が誕生したのです。

如何でしょう?この推理、当たっているとお思いになりませんか(・_・;)(6.22 15:06)