過去ログ―2007年1月29日〜1月31日

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詩人尹東柱とともに集う  投稿者:北風  投稿日:2007年 1月31日(水)20時04分2秒   返信・引用
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いのち尽きる日まで天を仰ぎ 一点の恥じることもなきを
木の葉をふるわす風にも わたしは苦しんだ。
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詩人尹東柱とともに集う

    2月24日(土) 午後2時〜4時半

   会場:立教大学(池袋キャンパス)チャペル(礼拝堂)
     〔正門を入って右〕


1.追悼礼拝 柳時京司祭(立教大学チャプレン)

2.朗読とスピーチ 石川逸子(詩人)/山田昭次(立教大名誉教授)ほか数名

3.尹東柱ゆかりの唄を歌う 尹東柱詩「十字架」 (作曲:李建)ほか

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尹東柱という青年をご存知ですか?

  けっして大声で叫ばないが、平明な詩語で、清潔な使命感と心やさしい抒情とが溶けあった、すぐれた詩を表わし、今では韓国で「国民詩人」として広く愛されている、コリアの詩人。(このお知らせ冒頭の2行は、彼の「序詩」の一節です)

  1917年に旧満州(現・中国東北部)で生まれ、ソウルの延禧専門学校(現・延世大学)を卒業した彼は、1942年春、渡日し、東京の立教大学に留学しました。

  その年の秋には京都の同志社大学に移りましたが、43年夏、治安維持法違反(独立運動)の容疑で逮捕され、福岡刑務所に収監中、正体不明の注射を打たれたあげく、45年2月16日に獄死しました。京都の警察署の刑事は、ハングルで彼が書きためた詩稿やノート類を机の上に積み上げさせ、日本語に翻訳させていた、という目撃証言があります。尹東柱は母国語で詩を書いていた、そのために、27歳の若い命を奪われたのです。

               ☆

  このすぐれた心優しきコリアの詩人に思いを寄せ、その非命の生涯を肝に銘じ、今の私たちの行くべき道を考える、そんな集いを開きます。場所は、クリスチャンであった尹東柱が留学中にきっと通ったと思われる、立教大学のチャペルです。

  心ある人びと、ここにこぞりて、この詩人の失われた未来をあらためて受け継ぎ、よみがえらせたい。詩人の生誕90年目にあたる今年の2月に、そんな祈りを込めて。

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会場:立教大学・池袋キャンパス

●「池袋駅」下車、西口より徒歩7分。
JR山手線・埼京線・東北本線、東武東上線、西武池袋線、地下鉄丸の内線・有楽町線

主催:詩人尹東柱とともに集う・東京の会(準備会)
   尹東柱の故郷をたずねる会

連絡先:横浜市戸塚区舞岡町3392-1-3-106
Email:maiokaak@yahoo.co.jp
 


これはリベルさんの言葉とは思えないね。  投稿者:北風  投稿日:2007年 1月31日(水)19時17分47秒   返信・引用  編集済
  〉一本の映画を作るのと、一冊の本を出版するのとでは、その資金・労力、両方の面で、比較の対象にするのは適当とは思えないのです。

おいらには映画のほうが(ある種の)手軽に思える。
今回のように、シナリオのための事前の調査は必要ない(作品を縛るから? 間接ながら監督がこういっていたと聞いた。)、一月にクランクインして編集も含め3月に完成する(!)。

まあしかし、リベルさんのような認識が「常識」なんでしょうね。だから1億5000万という制作費がシナリオもキャスティングも決まってない段階で「映画は金がかかるんです」の一言で、善男善女が納得する。
 
    (リベル) 書いた後で、歩きながら思っていました。「文学全集」の「短歌」で悪戦苦闘したり、「全史」で6000頁を見直したりと、汗を流している方もいらっしゃると。これは、本当です。今考えたのではありません。

しかし、そういうことを、そもそも取り上げた話題ではなかったのです。端を発したのはこの言葉です。
「「ハンセン病」をテーマとして出版されたものはたくさんありますが、出版社がその資金協力を求めたという例は聞いたことがない。そのことに誰も気付いていない」
に対して私が
「いや、あずきさん、出版と比べては、可哀想でしょう、中山監督に」
と答えたのが、あの問答を生んだのです。

言葉は、一人歩きし始めると、恐ろしい生き物になる、と実感しました。

これが弁解ですが、いずれにしても、これは、出版人としては、聞き捨てならない「言葉」でした。お詫びします・・・m(_ _)m
 

夕焼けさんへ。Re: 私が危惧し・・・、怖さを感じる由縁!  投稿者:リベル  投稿日:2007年 1月31日(水)17時38分8秒   返信・引用  編集済
  >  この北風さんの行為が、私を重く悩ませ、クランクインという事実に対し、あきらめからの傍観の域?、そして、見守ることに努める決意!なのか、と、リベルさんとの密約を感じていました。

>  そんな中、ここ数日映画制作に関する書き込みを目にし、リベルさんの求めているもの(真意)が、全く分からず、敢えて書き込みをさせていただいてる次第です。(中山監督は好きだが、映画化には多少の疑問もある!という、お立場)

この二点、「密約」云々と、私の「真意」については、キチントご説明します。今は一杯機嫌なので、レスは深夜になりますが、ご容赦ください。


一つ、お願いがあります、夕焼けさん。私が、これまで書いてきたことを、良く、お読み頂いていたのかなと危惧しています。出来れば、出来ればですが、もう一度良くお読み頂くことをお願いします。分かり易く言えば、二つとも大きな誤解でして、だから、私が今夜書くことも、これまで書いてきたことの繰り返しになってしまうからなのです。

私は、伝えたいメッセージを、簡単な、一行で伝えることがあります。だから読み過ごされるのかも知れません。申し訳ありませんでした。今後は、肝要なメッセージは赤い太文字で書くように、致します・・・。


誤解の無いように付け加えておきますが、夕焼けさんの投稿の主旨には、賛成なのです。映画の評価の部分ではなく、ハンセン病問題は「人権」を中心にして、論じるべき問題であるという、根幹の部分に関しては、それは、全く大いに同感です。それを忘れた議論が、一人歩きを始めることが往々にしてありますから・・・。
 

ちょっぴり反論。。  投稿者:あずき  投稿日:2007年 1月31日(水)13時03分53秒   返信・引用
  >いや、あずきさん、出版と比べては、可哀想でしょう、中山監督に。

わたしの大人になってからの人生の大半は「出版」の世界を脇から「ハラハラ」と見る日々ばかりでしたから、一億五千万円の資金を募るという映画界が解せないのです。出版界にも『可哀想だ。』と言って頂きたいものです。
 
    (リベル) そう言う意味では、あちらも、こちらも、「可哀想」だと思います。私が思うのは、資金量と労力のことです。本を一冊出版するのに、何百万円、何千萬円の資金は必要では無いと思います。太宰治の原稿を入手して、了解を貰えば、出版は出来るのでしょう。一本の映画を作るのと、一冊の本を出版するのとでは、その資金・労力、両方の面で、比較の対象にするのは適当とは思えないのです。そう言う意味で「可哀想だ」と申し上げたのですが・・・。(1.31 17:21)  

Re: 私が危惧し・・・、怖さを感じる由縁!  投稿者:北風  投稿日:2007年 1月31日(水)09時26分38秒   返信・引用  編集済
  >  この北風さんの行為が、私を重く悩ませ、クランクインという事実に対し、あきらめからの傍観の域?、そして、見守ることに努める決意!なのか、と、リベルさんとの密約を感じていました。

小生は、削除も自己削除も反対を原則としていましたが、今回は誤解を招く行為で、夕焼けさんを「悩ませ」てすみません。

小生は、理に走りすぎる「性」があって、悩むところです。性急に自分の言いたいことをしゃべって決め付けずもっと他人の話を聞くべきだと思って、いったん削除したのですが、考えを変えたから「削除」したわけではありません。

いずれにしても、いったんアップしながらの自己削除は「潔くない」態度でした。お詫びします。
 

私が危惧し・・・、怖さを感じる由縁!  投稿者:夕焼け  投稿日:2007年 1月31日(水)08時08分28秒   返信・引用
   砂の城 ならぬ、見切り発車の様相が見え隠れした・・・私の2006年の戌(犬)年!

 2007年亥(猪)年! 「砂の城になりかねないのでは?」と、私から見れば心ある方々の声を後ろ(馬耳東風?)に、新年早々撮影開始(クランクイン)。しかも、総制作費(一億五千万)には遠く及ばない中での撮影開始・・・。

 こういう状況下で、「なぜ?今やらなければならないのか!!」・・・が、やはり、理解できないでいる。

 本年早々、私から見れば勇気を持っての書き込みだったのでは?と、思える「猪武者」さんの書き込み・・・、多くを考えさせられた・・・。

 その思いに対してのにわとりさんの、これまた私から見れば勇気ある書き込みに対し、北風さんがレス・・・、なのに数時間で削除!
 この北風さんの行為が、私を重く悩ませ、クランクインという事実に対し、あきらめからの傍観の域?、そして、見守ることに努める決意!なのか、と、リベルさんとの密約を感じていました。
 私の多くの疑念を残しつつ・・・、独自・独学の検証・考察に本年は努めようと、考えていました。

 そんな中、ここ数日映画制作に関する書き込みを目にし、リベルさんの求めているもの(真意)が、全く分からず、敢えて書き込みをさせていただいてる次第です。(中山監督は好きだが、映画化には多少の疑問もある!という、お立場)

 私の今の状況は、「怖い」「恐さ」が覆うのです。

 この映画制作の仕掛け人は一体誰なのか!?
 このことに巻き込まれたとしか思えない、私の多くの友人!師!
 この方々に及ぼす、これからのバッシングがあるのでは?・・・私の思い過ごしだろうか!?

 このことが、心配で、恐くもあるのです・・・。

 冤罪への言及なしに、映画に関する制作には、時間と共に民意は遠のいて行くと思われます。我々は支援者の域を越えています!!
 そのことが理解されていると思えるのに・・・?
 その「映画化」には、多くの心ある方々が、退き、去っていってしまう現象を・・・、私は目にしています。
 ハンセン病への理解・・・その被差別化する手法に「stigma」がどのように人民(市民)へとコントロールされていったのかという権力構造・・・、そこから生じた多くの 二律背反 にも目を背けずと、研究に精進されていた方々の 落胆 が、そして、嘆きがあることも・・・、一市民ではあるけれど知る努力が求められているようです。

 人権を尊ぶを主眼の、ハンセン病問題といえているのか?
 民主主義を根幹とした、ハンセン病問題といえているのか?

 とても大事なことで、話し合わなければならない こと だと、信じて疑いません。
 

Re: 同じ構造  投稿者:リベル  投稿日:2007年 1月30日(火)23時15分11秒   返信・引用
  > どこぞのアベ氏の、
> 「(参拝に)行くか行かないかについては、外交・政治問題化している状況にかんがみ、個人として考えるところに従い、あえて鮮明にしないのであり、決してあいまいにしているのではない」

どこぞのナカヤマ氏の、
「藤本事件(という言葉は決してお使いになりませんが)・映画化制作費については、諸般の状況にかんがみ、個人として考えるところに従い、あえて鮮明にしないのであり、決してあいまいにしているのではない」

と並べると、面白いのですが・・・。ここから分かってくることは、ナカヤマ氏はこういう言葉さえ発しないということです。


> 周りは、本人の語らない理由をアレコレ想像しますが、ジツはなーんにも考えてなかったりして。

そうかも知れない。これが意外にも「真相」だったりすると・・・全くアホラシイ(肩を落とす)
 

スティグマ  投稿者:リベル  投稿日:2007年 1月30日(火)22時56分44秒   返信・引用  編集済
  ハンセン病に関連して「スティグマ」という言葉が時々出てきます。普通の辞書の説明を、ご参考までに書いておきます。

大辞林:〔ギリシャ語で、奴隷や犯罪者の身体に刻印された徴 (しるし) の意〕 個人に非常な不名誉や屈辱を引き起こすもの。
    アメリカの社会学者ゴフマンが用いた。(注:これは、Ichiroさんも、書いて居られます)

コンサイス カタカナ語辞典:[1] 汚点.汚名.恥辱.★ギリシア語で,奴隷や犯罪者の身体に押した焼き印の意. [2][3]は略します。


なお、大谷氏の著作は数多くあります。(
紀伊国屋の場合アマゾンの場合

「現代のスティグマ」も有名ですが「らい予防法廃止の歴史」というのも、良く読まれているようです。ご参考までに。どちらもお高いので、図書館の利用がお勧めです。あ、余計なお世話もいいとこでした・・・。
 

同じ構造  投稿者:どん兵衛  投稿日:2007年 1月30日(火)22時38分17秒   返信・引用
  >「説明責任以上の責」っていったい何ですか?
  >>  (リベル) 私は映画制作に関する、諸々の責任だと解釈しましたが・・・?

これを見ていて、どこぞのアベ氏の、
「(参拝に)行くか行かないかについては、外交・政治問題化している
状況にかんがみ、個人として考えるところに従い、あえて鮮明にしないのであり、
決してあいまいにしているのではない」
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070130/shs070130002.htm
を思い出しました。

周りは、本人の語らない理由をアレコレ想像しますが、ジツはなーんにも考えてなかったりして。

ところで、Ichiroさんの投稿は、
これもあれですか、ジツは何か深い訳があるとか??(苦笑

Stigma (2)  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 1月30日(火)19時59分49秒   返信・引用  編集済
  Stigma (2)

皆さん、できましたら大谷先生の本読んでくださいね。(前述)

 ●語感が悪いせいかどうか よく判らないが、事実上stigmaを語っているのだが、「ステイグマ」の言葉の使用は少ない。ハンセン病関係で堂々と 本の名前になっているのは先に述べた大谷先生の本だけである。(外にあったら教えてください)

 ●stigmaとは、新しい概念かと思ったが、1960年代に療養所の雑誌に既に紹介されていた。よく勉強された職員がおられると感服したことがある。

 ●「ステイグマの社会学」 せりか書房 アーヴィング・ゴッフマン著 石黒 毅訳という本がある。(1970)
 サブタイトルは 「烙印を押されたアイデンテイ」とある。英語での名前は Stigma ; Notes on the Management of Spoiled Identity という。著者は Erving Goffmanである。

 この翻訳者によるとグッフマンは、アメリカの社会科学の本来の題にはまったく触れず、統計に馴染まないので統計を無視し、お喋りである(饒舌)と述べている。しかし異端というわけではなさそう。この本は1970年の訳書であるのでちょっと古い本であろう。stigmatizeされた人々が2つの社会を生きている(!!!)など(一つは常人の社会)、その関係を研究されているいい本である。もちろんハンセン病のことは出てこない。

 Erving Goffman:1945年トロント大学卒。シカゴ大学、エジンバラ大学に学び、1953年comunication conduct in an island communityで PhDを得た。 合衆国国立精神衛生研究所、聖エリザベス病院でも研究。1958年カリフォルニア大学バークレイ校に転じ、1962年に教授(社会学)、68年にはペンシルベニア大学(人類学社会学科)に転じた。この本は70年に書かれたのでその後の履歴は書かれていない。

 ●ハンセン病関係は大谷先生以外に leprosy stigma といういい論文がある。
 Jopling W:Lepr Rev(1991),62,1-12,
 題:leprosy stigma 節を書いてみる
The history of leprosy stigma
Leprosy and stigma in other European countries
Leprosy misconceptions and stigma in coutries outside Europe
Factors contributing to leprosy stigma
Conclusion

 こちらは別の機会に紹介したい。
私はこの論文を大谷先生の本より先に読んだ。こちらの方の発表が前であるが、大谷先生はこの論文を引用されていなかった。こう書いたが、実は大谷先生の本は私にとって衝撃的ないい本であったと感じた。

●Medline(Pubmed) で検索すると leprosy stigmaは115も論文が出てくる。その中に検索語Japanを入れたら僅か4編。うち1編が私が書いた。しかし、これには疑問がある。題やキーワードにstigmaがハイっていないと検索にかからない恐れはある。即ち、stigmaはもっと普遍的な問題ではないか。
 


Stigma (1)  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 1月30日(火)19時56分49秒   返信・引用  編集済
  Stigma (1)

  皆さんが知っている;または感じているが、余り使われない単語である。例えば、アイスター事件も、stigmaがあるから発生する事件であるが、この言葉は使用されなかった。ハンセン病以外にも使える重要なまた、便利な言葉である。第1回ハンセン病市民学会の席でもあったが、外のスチグマタイズされた人々との連携もあるので、この言葉は理解されて欲しいと思う。ここではその言葉について述べる。

 検証会議でも使用されてない(全部を読んだわけではないが)理由を考えてみると、leprosy stigma (leprostigmaという単語もある)が特異的で、他と同一視されたくないという意識があったからと思う。stigma自体、把握が難しい単語ではある。

 大谷藤郎先生の本に「現代のスチイグマ」というのがある。(イは小文字である。)ハンセン病・精神病・エイズ・難病の艱難というサブタイトルがある。(けい草書房 1993年)この言葉を日本語に翻訳すれば”烙印”という言葉は一番当たるのではないだろうか。

 しかし、私は、横文字ではstigmaと書くのが、一番間違いのなさそうであると感じている。大谷先生の本の最初の文言:古代社会では、奴隷や犯罪人は焼き鏝で印し、つまりstigmaを身体に焼き付けられた。stigmaを負わされた人間は、地域共同体では許されることのない異分子であり、何かの時にはスケープゴートとしていけにえに供された。

 stigmaの定義 大谷先生の本によると:

P.スピッカーはstigmaは尊厳の喪失、不適切な処遇、抑制、落屑、市民権の否定、恥、きまりわるさ、不利益、失敗、不適応にたいする避難、給付申請のためのためらい、レッテル貼り、そして劣等感と同一視されるが、集団にせよ、個人にせよ、実際に他の人々と関わる時において初めて意味をもつ、と述べているが、後段において、実態そのものの概念ではなく相対的な人間関係においてあらわれる、という指摘を行っている。

  G・クレセテイ他によると(大谷先生の本)

 医学においてstigmaは確認や診断の助けとなる特質・特性を意味するものとして使われるが、社会科学においてはそれがいつも暗に否定的意味を含むものとして使われている。ゴッフマンはstigmaのことを「非常に評判を悪くする特質をもつもの」として定義している。

 ゴッフマンによると、stigmaを貼られ易い人の3類型を次のように示している。(大谷先生の本)

 1)身体上の欠陥
 2)性格のうえでの欠陥 意思薄弱、不正直、暴力的
 3)人種、民族、宗教に関わる集団的なもの
 例えばわが国において、精神病やかってのらい病(ハンセン病)は残念のことだが不当に不名誉なレッテルを貼られstigma化されてきた(stigmatized)典型といえる。(大谷先生の本より)

 ここではその言葉について述べた。(続く)
 


おまけ。  投稿者:あずき  投稿日:2007年 1月30日(火)16時54分38秒   返信・引用  編集済
  数学者アラン・チューリングの師、ケンブリッジ大学のハーディー教授の一九四〇年のこの言葉は、皮肉にも数学の歴史の転換期を予言してしまったようだった。

『真の数学者による真の数学は役に立たない。科学は戦争など悪にも役立つが、純粋数学は安全である。戦争に役たたせる道は見出されていないし、今後も長い年月、見出されるとは思えない。』

しかし、チューリングをはじめとするイギリスの数学者たちは、一九三九年戦争勃発とともに、ドイツ軍の「エニグマ」という暗号文解読のために集められることになった。これをさらに発展させられたものが、コンピューター理論の元となった「コロッサス」となる。
 
    (リベル) これは、誠に興味深く読ませて頂きました。「チューリング」から始まって、いくつ検索したことやら! Wikipediaに引きずり込まれて「ポアンカレ予想」まで行って、ネットサーフを終わりにしました・・・。(1.30 23:20)  


(無題)  投稿者:あずき  投稿日:2007年 1月30日(火)16時42分58秒   返信・引用  編集済
  映画「新・あつい壁」の制作過程、資金問題などを、ずっと読んできて思ったことなので
すが、これを「出版」に置き換えて考えてみるとどうでしょうか?「ハンセン病」をテー
マとして出版されたものはたくさんありますが、出版社がその資金協力を求めたという例
は聞いたことがない。そのことに誰も気付いていない。何故、映画の世界はそれを可能に
するのか?それに協力している方々にたずねてみたいものです。

観客動員できない映画は当然ながら赤字を抱え込む。いかに観客動員できるか(いかに大
衆を呼び込めるか?)は映画の質そのものにかかっているのであって、社会的意義やら周
囲の協力ではないのです。過去の映画の歴史のなかで、そうして残っていった名画もある
のですから。

それから。。。

>炭疽菌は、らい菌より古く発見された菌(1840)ということと、731部隊も研究していたと
いうことでここに追加する。731部隊が研究していたことが、現代にも関係あるのですね。

これは科学の研究においてはあたりまえの歴史ではないでしょうか?科学には、文学のよ
うに「復古」はあり得ません。良き歴史であれ、悪しき歴史であれ、科学は前に進むしか
ないのです。この科学の恐ろしさを科学者自身に自覚していただくしかない。「原爆」に
おいても同じことです。
 
    (リベル) いや、あずきさん、出版と比べては、可哀想でしょう、中山監督に。たとえば「もののけ姫」のエンディングロールを見てみると、ずらり、大スポンサーが名を連ねているでしょう。映画作りに詳しいわけではありませんが、興行収入の見込めるものは、あのようにスポンサーがどさっと大金を投じるのだと、そう思われます。だからそこは、理解して行かなければいけないと、私は思います。(1.30 23:30)  


Re: ありがとうございました  投稿者:匿名  投稿日:2007年 1月30日(火)02時12分15秒   返信・引用
  >
> ただ、監督ご自身は、説明責任以上の責を感じながら、
> この作品に取り組まれていることと思いますので、
> 思わず擁護の投稿をしてしまいました。ご容赦下さい。


「説明責任以上の責」っていったい何ですか?
 
    (リベル) 私は映画制作に関する、諸々の責任だと解釈しましたが・・・?  


Re: ありがとうございました  投稿者:リベル  投稿日:2007年 1月29日(月)23時21分13秒   返信・引用
  > ただ、監督ご自身は、説明責任以上の責を感じながら、
> この作品に取り組まれていることと思いますので、

その通りなのでしょうね。大変な重責を肩に背負っていらっしゃる、そのご苦労は察するに余りあるものだろうと、思います。頑張って下さい、と声援を送ります。


> 思わず擁護の投稿をしてしまいました。ご容赦下さい。

「擁護」であろうと、「反論」であろうと、好きなこと(悪意、中傷、アダルト以外は)をお書き頂く場所なので、「ご容赦云々」なんてとんでもありません。どしどし思うことをお書きください・・・(*^_^*)
 


リベル様  投稿者:Ichiro  投稿日:2007年 1月29日(月)12時31分49秒   返信・引用
  リベル様

●療養の手引き
 昭和14年の患者さんを療養所に勧誘するパンフレットは別の所に置いてきました。また検討します。 Ichiro

●島と半島の話   (気楽に読んでください)

 カミングアウトした人の出身地を一人で訪れたことがあります。観光のためですが。
 人口800人の島。観光シーズンでないので予約もせずに訪れました。民宿のおにぃちゃん(ニーニー)は 島の人、全員知っているといいました。選挙の時はタイヘンなんだそうです。カミングアウトした人は、古くから島を出ておられたのですが、歴史館の館長さんは知っておられました。
 その民宿のオニイチャンは一つ笑い話を聞かせてくれました。女性が少ないその島に、観光かなにかで女学生が来たそうです。独身の彼が島を案内して、1,2日後したら、島のあるオバーは”おめでとう”と言ったそうです。仲良くなったと勘違いしたらしい。

 その辺に山羊が出てきました。とって食べていいとの話でした、そうもいきません。
 若い女の人は島から出て行きます。ということで、その島の男性はフィリッピンに出かけて、結婚相手を探していました。集団見合いで、相手は、5,6人、気に入った人を選び、結婚します。嫁さんは初めは日本語がまったくできないのですが、だんだん上手になります。という話を伺いました。
 夏に行ったその民宿では夜に布団がでませんでした。文句いったら出たでしょうが。


 別の離島では、古来の行事(虫払いの行事)を見にいきました。たしかフィリピーノの嫁さんも5,6名でてこられ、古来の行事にも参加されていました。国際化といっていいのでしょう。国際化はほかにも普通のことなのです。


 別の話です。私は某県に検診にいった話を某誌に書きましたが,私に対する批判がある、と教えた人がいました。
 どうも某半島(大きいのであるが)の名前を出したのがよくなかったらしい。県の名前もいけません、と言われましたが、しかし言われたのは2回シリーズで書き終えた後でした。
 配慮が足りませんでした。

●炭疽菌による 事故
 (以前の「悪魔の飽食」の話題に関連して)

 その記事は2001年にでた。
 井上尚英著 あの日スヴェルドロフスクで何が起こったか。
 日本医事新報 4043,55−58,2001

 (私のもっている地図ではエカテリンブルグと書いてあるが、スヴェルドロフスクが正しいようだ。)そこの生物兵器研究所の換気口が開いてしまい、1979年3月31日に数キロの菌が夜の静寂の中を忍び出てしまった。少なくとも1000名の市民、軍関係者が死亡した。

 炭疽菌は、らい菌より古く発見された菌(1840)ということと、731部隊も研究していたということでここに追加する。731部隊が研究していたことが、現代にも関係あるのですね。
 


ありがとうございました  投稿者:ぴよ  投稿日:2007年 1月29日(月)12時09分23秒   返信・引用
  >「あつい壁」は、立派な映画だと思います。そのことに異論はありません。
しかし、それがゆえに全て正しいとはいえません。同じ作家でも秀作もあれば駄作もあり、時間や状況は人も変えます。

おっしゃる通りです。
実は、私も基本的認識は北風さんと同じです。

ただ、監督ご自身は、説明責任以上の責を感じながら、
この作品に取り組まれていることと思いますので、
思わず擁護の投稿をしてしまいました。ご容赦下さい。

北風さん、リベルさん、レスをありがとうございました。
 


水掛け論をするのは本意ではありませんが。Re: 一人で作っているのではない。  投稿者:北風  投稿日:2007年 1月29日(月)11時06分40秒   返信・引用
  > >しかし、この映画は「作品の評価」の前の段階でそれを行っている、だからこそ、それに「共鳴」した人への誠実な説明責任があるのではないか。
>
> もし北風さんが抗議文を寄せられれば、クランクイン前でしたら、監督直々に説得に飛んで来られたでしょう。

誠実にシナリオ批判をして(去年の春以来)居る人がいて、支援団体(全療協・市民学会など)を含め批判文を送っているのに黙殺している事実があります。

> ですが、そうした個別の対応で、説明責任を果たしたことになるとは、私には思えません。

ブログやBBS、いくらでも手段はあります(ブログには「全療協」の「要請文」を載せています)。

> この点について、お考えに同意します。
>
> ただ、それでも私が述べたいのは、これまでの作品も掛け金に入れてはどうか、ということです。

「あつい壁」は、立派な映画だと思います。そのことに異論はありません。
しかし、それがゆえに全て正しいとはいえません。同じ作家でも秀作もあれば駄作もあり、時間や状況は人も変えます。
 


Re: 一人で作っているのではない。  投稿者:ぴよ  投稿日:2007年 1月29日(月)10時47分11秒   返信・引用
  >しかし、この映画は「作品の評価」の前の段階でそれを行っている、だからこそ、それに「共鳴」した人への誠実な説明責任があるのではないか。

もし北風さんが抗議文を寄せられれば、クランクイン前でしたら、監督直々に説得に飛んで来られたでしょう。
ですが、そうした個別の対応で、説明責任を果たしたことになるとは、私には思えません。

この点について、お考えに同意します。

ただ、それでも私が述べたいのは、これまでの作品も掛け金に入れてはどうか、ということです。
 


つまり Re: Re: (無題)  投稿者:北風  投稿日:2007年 1月29日(月)10時27分51秒   返信・引用
  >
> 私は直接聞きましたよ。「いい映画を撮りたい」、それだけです。

それだけでは、困る。

> 4年余り前でしたが、当時から懸命に動いておられました。

それだけでは、困る。

> いかなる芸術家も、リアリストの仮面をつけているものです。

それでは、困る。

そこからがスタートだべや。
 


一人で作っているのではない。  投稿者:北風  投稿日:2007年 1月29日(月)09時44分20秒   返信・引用  編集済
  >
> 映像作家は、まず作品で評価されるべきだと思います。

問題なのは、作品の評価が「ない前」に、制作費を集め上映を組織しています。
それならば、せめてきちんと批判に答え、説明責任を全うすべきだと思います。

自前で作って「さあ、評価してください」というならば何も言うことはない。
「楽しみを奪うから」説明はできないが「すばらしい作品」になりつつありますではあまりに不誠実だ。

「いい映画を作りたい」ということは、まあ、むしろ言わない人を探すほうが大変でしょう。

>いかなる芸術家も、リアリストの仮面をつけているものです。

であるならば、「作品が評価」されて始めて、制作費が回収され観客が動員できるというものです。
しかし、この映画は「作品の評価」の前の段階でそれを行っている、だからこそ、それに「共鳴」した人への誠実な説明責任があるのではないか。
 


Re: Re: (無題)  投稿者:ぴよ  投稿日:2007年 1月29日(月)06時39分27秒   返信・引用
  リベルさん、レスをありがとうございました。

>そういう、痛みが伝わってくるような、そういう切実な叫びが、声が、聞こえてこない、と言っているのですが・・・。

リベルさんのおっしゃる通り、諸処の要請文やコメント、
今作のシナリオ等からそれを読み取ることは難しいでしょうが、
これまでの作品からは、私は十分に聞き取ることが出来ました。

映像作家は、まず作品で評価されるべきだと思います。
 
    (リベル) 私は「あつい壁」を見ていません、実は。だから、中山監督が「叫び」のない人だと言うのではありません。

今回の作品に関して、昨年夏のスタート以来、何の「叫び」も未だ聞こえてこないことを、言っているのです。これから、胸に響いてくるような言葉を発することも可能なのです。それを期待したいのですが・・・。(1.29 11:46)
 


Re: Re: (無題)  投稿者:リベル  投稿日:2007年 1月29日(月)04時54分51秒   返信・引用  編集済
  > 私は直接聞きましたよ。「いい映画を撮りたい」、それだけです。

それは、私の言っている(というか千住さんの言っている)「叫び」とは違うものなのです。それは欲望・希望・願いの類ではないでしょうか。私の言っているのは、怒り・悲しみのような類の、腹の中からこみ上げてくる、衝動なのです。

そういう、痛みが伝わってくるような、そういう切実な叫びが、声が、聞こえてこない、と言っているのですが・・・。


>いかなる芸術家も、リアリストの仮面をつけているものです。

このお説には、賛成できません。十把一絡げにしては、芸術家にお気の毒でしょう・・・。
 


Re:Re: (無題)  投稿者:ぴよ  投稿日:2007年 1月29日(月)03時51分9秒   返信・引用
  >中山監督から、「叫び」が聞こえてこないのです。未だ。それが「イタダケナイ」主な理由だと気付きました。銭、ゼニ、ご協力、要請、そんな言葉より、先ず、兎に角「叫び」を聞かせてくれよ! と言いたくなるのです・・・。

私は直接聞きましたよ。「いい映画を撮りたい」、それだけです。
4年余り前でしたが、当時から懸命に動いておられました。

いかなる芸術家も、リアリストの仮面をつけているものです。
 


「速報!朗報!」  投稿者:リベル  投稿日:2007年 1月29日(月)00時16分55秒   返信・引用  編集済
  昨日、「「新・あつい壁」のニュースを「速報」から持参しました」を書くとき、思いました。正確には標記の通り「速報!朗報!」なのです。

2001年に「ハンセン病のリンク集」を作った直後から、そう命名していたのですが、今日から「ニュース速報!」に改めました。そうです、理由は、最近「朗報」が殆ど無いからです。

「朗報」が有った日くらい、「速報!朗報!」を復活させようかな?そんな日が有るかな?