![]() ▲ TOP PAGE 三教総合 岡倉天心と道教 ![]() Kakuzo Okakura The Ideals of the East, 1903, London ▼ 宋学 下士聞道 養生術 九鬼周造 |
・・・天心が道教に心酔していたことは、 天心研究者にさえも十分には理解されていないように思える。 注意深い読者ならば、『東洋の理想』『茶の本』には 道教的語彙や人物の名をいくらでも見出すことができるであろう。 坂出祥伸 『道教とは何か』 中公叢書, 2005, p.258 儒・道・仏の総合 儒教的中国がインドの理想主義を受け容れることは、 もし老荘思想と道教とが、周の末以来、これらアジア思想の 相互に対立する両極の共同の展開のための 心理的基礎を準備してきていなかったならば、 けっして行われることのできなかったことであろう。 KAKUZO OKAKURA, The Ideals of the East, 1903 『東洋の理想』(講談社学術文庫), 1986, p.50 中国の 新儒教 なるものは、 後に宋朝(960-1280)の下に成熟を見たもので、 道教、仏教および儒教の思想を融合したものではあるが、 しかし、これらすべての思想体系に同時に従いながら 宇宙をあらわす単一の図表を作った 唐末の道教哲学者 陳摶(ちんたん) に見るごとく、 主として道教的精神によって活動したものであった。 『東洋の理想』(講談社学術文庫)、1986、p.148 ⇒ 玉山祠/ハノイ |
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神・儒・佛三教の融合 九鬼周造「日本的性格」 先ず外面的には、自然、意気、諦念の三つは 神・儒・佛の三教にほぼ該当してゐる といふやうに見ることができる。 発生的見地からは、神道の自然主義が質料となつて 儒教的な理想主義と仏教的な非現実主義とに 形相化されたといふやうにも考えられる。 そしてそこに神、儒、佛三教の融合を基礎として 国民精神が涵養され日本文化の特色を発揮した と見られるのである。 『思想』 昭和12年2月(『全集第三巻』、 p.281) 九鬼周造「日本的性格について」(講演) 神ながらとは神の道に随って おのづから神の道あるを謂ふのである。 言挙げせぬとはいささかも さかしらを加えないことである。 道とは「ただ物にゆく道」である。 すべてがおのづからで自然である。 … 斯やうな自然主義は 老荘の哲学の自然主義と近似の点がある のは云ふ迄もなく、 その点は殊に真淵が認めてゐる。 (この箇所は講演当日、口述されなかった。) 第三高等学校講演(昭和12年5月)原稿、 (『九鬼周造全集・第三巻』、 p.381) |
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