下士聞道
岡倉天心と道教
 

Kakuzo Okakura
THE BOOK OF TEA,  1906
(福井美術館蔵)
 
三教総合
 
宋学
 
養生術
 ▲ 
 
随風舎

 
 
上士聞道、勤而行之、
中士聞道、若存若亡、
下士聞道、大笑之、
不笑不足以為道、
上士は道を聞けば、勤めて而して之を行う。
中士は道を聞けば、存するが若く亡するが若し。
下士は道を聞けば、大いに笑う。
笑わざれば以て道と為すに足らず。
 
最もすぐれた士は「道」について聞いたとき、力を尽くしてこれを行なう。
中等の士は「道」について聞いても、たいして気にもとめない。
最も劣った士は「道」について聞いたとき、大声で笑う。
笑わないようなものは「道」として価値がない。
『老子』 第四十一章
    小川環樹訳注『老子』(中公文庫)、1973、p.100-101
 

古の聖人は決してその教えに系統をたてなかった。
彼らは逆説をもってこれを述べた、 というのは半面の真理を伝えんことを恐れたからである。
彼らの始め語るや愚者のごとく、終わりに聞く者を賢ならしめた。
老子みずからその奇警な言でいうに、
「下士は道を聞きて大いにこれを笑う。 笑わざればもって道となすに足らず。」と。・・・
    岡倉覚三(村岡博訳)『茶の本』(岩波文庫), 1961, p.40-41
 
( 『老子』という ) この五千字の書において、われわれは、自己の中に退いて
習俗の束縛から自我を解放することの偉大さについて聞くのである。
    岡倉天心『東洋の理想』講談社(学術文庫)、p.51