石川虚舟
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法道仙人
 

法道仙人立像/重要文化財
法華山一乗寺蔵
 
道教三尊像
 

 古法華三尊像 
 

 石造厨子屋蓋 
 

 石の宝殿 
 

 
 
播磨の法華山一乗寺から、丹波篠山の五台山東窟寺に至る地域に、 その開基が法道仙人と伝えられる寺院が多数存在する。 修験道本山派の伽耶院(旧名・大谿寺)も、645年の伝・法道仙人開基である。
仏教は645年の大化改新で、大和政権によって正式に受容されることになるが、 それまでは播磨や丹波で、仏教はさほど定着していなかったはずである。
 
「法道仙人」は、中国の道教にまつわる牛頭天王(武塔天神)と共に渡来したとされる。 「仙人」と呼ばれることからも、本来は仏教僧ではなく、山岳で修行する道教の道士と考えられる。 その旧跡に仏教寺院が次々に創建されるが、その多さからすると道士は複数で、後に彼らを総称して「法道仙人」と呼んだのであろう。
 
西漢氏と結びつけば、「法道仙人」の渡来時期は6世紀に遡る可能性がある。
伝説では、法道仙人は天竺から紫雲に乗って飛来したという。 『伊呂波字類抄』によれば、牛頭天王は天竺の北方に位置する九相の国王であり、 その父を東王父、母を西王母とする道教の神である。
 
修験道は、無極(混沌)から万物が生成されるとする道教の宇宙観に依拠する。 修験道にいう「命風」は道教の「元気」であり、 真言密教に共通する「理智不二」は、陰陽交合による人体の生成に基づいている。
役行者(小角)は賀茂氏の流れを汲むとされるが、彼を開祖とする修験道は、 天と地への融合の信念を、「法道仙人」と総称される、渡来人の道士から継承しているのであろう。
 
624年、唐の高祖が高句麗の栄留王のもとに道士を送り、
貴族たちに道教を説かせた。(『三国史記』)
         田村圓澄『仏教伝来と古代日本』講談社学術文庫、p.194  
645年、大化改新。大和政権によって、仏教が正式に受入れられる。
この年、法道仙人は耶馬溪・羅漢寺の地を訪れ、さらに播磨・伽耶院の前身である勅願寺を創建したとされる。
646年、役行者(小角、c634-c701)が葛城山で修行を始める。
649年、法道仙人が播磨・法華山一乗寺を創建したとされる。
 
 

石造・元始天尊像/山西省出土
『大唐王朝・女性の美』 図録、中日新聞、2004
 
元始天尊は無極を表象する道教の最高神。
法華山一乗寺の旧地である「古法華」に、
上の三尊形式に似た白鳳期石像が・・・