懊悩
第2章
やけに重々しく感じる扉に体重を預けてその勢いで開けると、ケルアを迎えたのは一瞬にして体温を奪い去るほど冷たい風。その風に全身をなでられて、前に進めようとした足を止めた。真っ直ぐ見詰めたまま、風に揺られ肩からずれ落ちた、自分の髪と同じ色の浅黄色のマフラーを片手で戻す。
「…………まだ寒いし」
空に視線を移し、それからゆっくりと地面移動して、昨日よりもひどくなっているこの光景を瞳に映した後に溜息混じりでそう呟いた。
均等に並べられている木の下には、色鮮やかな落ち葉が地面を埋め尽くさんばかりに散らばっている。しかも昨日、小降りではあったが今の季節にぴったりの冷たい雨が降ったせいで地面にへばりついていて、それは手に入るまで頑なにそこを動こうとしない小さな子供の我儘のようにも思える。ただ得たいという強い気持ち。悪意がないからこそ、厄介である。
もちろん、その雨のせいでこれだけの葉が落ちた訳ではない。電気が切れてしまう前に最後の力を振り絞って自分の存在というものを印象付ける為に強い光を発するように、綺麗に舞い落ちていく葉を見てそろそろ冬だなと感じると同時に、その落ち葉を掃かなければいけないと、すぐに彼らは疎ましい存在となった。しかし、落ちてなお鮮やかな色を持つ葉を取り除いてしまえばそれだけでそこは乏しく寂しい道となってしまうし、第一次の日になればまた地面に倒れ込んでいる落ち葉を掃かなければいけないのは目に見えている。
だからケルアは待っていたのだが、どうやら判断するのが遅すぎたようだった。相変わらずの億劫な性格に仰々しく溜息を吐く。億劫であると同時に潔癖であり、更に完璧主義だった為にこの状況はケルアにとって見逃せるものではなかった。だからメルヴィーにやらせようと朝から捜していたのだが、まるでこの事を予想していたかのように彼の姿はなかった。メルヴィーがどこかへ出かけてしまうのは珍しい事ではないので特に気に留める事ではないのだが、あまりのタイミングの良さに苛立ちを覚える。
仕方なく自分でやる事にしたのだが、朝はあまりにも寒すぎる。なので冬でも少しは暖かいと感じる昼の時間まで待ってみたのだが、結果はこの通り、大して変わりはしなかった。
「めんっどくさー……」
あまりの静寂に思わずそう呟くが、そう言ったからといって誰かがやってきて代わりにやってくれる訳でもないし、むしろ結局は自分がやらなければいけない事を思い知らされて肩を落とす。気が重かったが、いつまでもこんな所で落胆していてもただ寒いだけで良い方へと進むはずがなかったので、早足で物置へと向かい、ぽつんと無造作に立てかけられている箒を奪うように掴み取った。
取り敢えず1番落ち葉の量がひどい木の下を集める場所と決め、その周りから少しずつ集めていく。本当は均等に並べられた木の間で分けてそこから一気に集めていけば早く終わるのだろうが、そうやって早く終わる事だけを目的にすると乱暴になり、粉々に砕かれた葉が残って余計に汚く見えるので、あくまでも外見的には丁寧に、そして見落とさないようにゆっくりと箒を動かす。
水分を吸った落ち葉は地面に張り付き、まるで自分という存在をこの世に残そうとしているかのようにコンクリートには跡がはっきりと残っていた。ケルアは落ち葉の醍醐味は、踏み潰した時のあの乾いた音と崩れた感触にあると思っている。だが、湿気と雨で全部ふやけてしまった落ち葉はケルアの楽しみを奪う。そんなどうでも良い事までも溜息の原因になっていた。
1度手を止めて辺りを見渡す。せっかく掃除をするのだから全ての落ち葉を掃きたい勢いなのだが、残念ながらそこまでやる体力は全くない。そこまでできなくても良いから取り敢えず範囲を決めようとしている時に、ふと耳がゆっくりと強く空気を叩きつける羽音を拾った。
メルヴィーの羽音にしては軽いその音を不審に思いながらその方向を見てみれば、1番初めに目に飛び込んできたのは黒の中ではやけに目立つ、塗りたくったような水色の短髪。空を飛べて水色の短髪を持つ知人は残念ながら1人しか思い当たらなく、自分でも眉間にシワを寄せて渋面をつくっているのが分かった。そっちに気を取られていた為、その人物の横を飛ぶ小さな影に気付くのが遅れる。
ケルアが望んでなった訳ではない知人――フォルも自分に好感を抱いていない事を知っていたので、ただ黙ったまま目で追う。そんな鋭い視線に気付いたのか、ケルアの瞳にも表情がはっきりと分かる距離まできたフォルは、暗闇の中を踊る炎のように真紅な瞳を細めた。そして睨み合ったまま薄い羽を動かす速度を速め、ゆっくりと地面に降り立つ。
近距離で、まるで刃先のように鋭い視線を交し合う2人の間では、風すら音を立てずに逃げるように通り過ぎる。そんな重苦しい沈黙の中唯一耳に入ってきた音は、フォルと一緒にやってきた黒い影――コウモリの羽音だけで、それがやけに大きく響き渡った。
こんな昼間っからコウモリなんて飛んでいたっけ? 当然のごとくこの場所にいるコウモリに違和感を覚えたので横目でその姿を確認するが、ごく普通の疑問を抱いただけで拘泥せずに、すぐコウモリの存在は消える。問題はコウモリが飛んでいる時間帯ではない。コイツが何故ここに来たのか、ただそれだけだ。
しばらくの間はただ睨み続けていたが、唐突にメルヴィーが帰ってくるまでいつまで経ってもこのままの状態が続く事を感じ取ってしまった。最初は放っておこうと思ったのだが、それではこの寒い中をずっと付き合わされる事になるので、乱暴に髪をかき乱して気を落ち着ける為に仰々しく溜息をつき「何、何か用?」わざと不機嫌に聞こえるようにトーンを落とす。聞かなくても理由は何となく分かっているが。
「……あぁ。だが、お前がそんな事をしているという事は留守のようだから失礼する」
苛立つ言葉を残し、出しっぱなしにしていた羽を広げながら背を向けた。言うだけ言って帰られたらこの苛立ちをどこにぶつければ良いのか分からない――まぁその時はメルヴィーに行くんだろうけど――。「ちょっ」ほとんど反射的に動いてしまったので言葉は変に途切れてしまい、背中は羽が邪魔だった為に腰の辺りを掴んでしまったので、ケルアのその行動に気付くのが一瞬遅れてしまったフォルの頭は前に大きく倒れ掛かってしまった。手から離れた箒が足元で大きく響き渡る。
急な揺れに頭を押さえながら肩越しに振り返るフォルの目付きは更に鋭く、何か用かと冷たく問い質していた。考えるより先に手が動いてしまった為もちろん言葉を考えていなかったので、「――っと、待って……」取り敢えず言葉の続きをつなげておく。つなげた後で、そっちが腹立つ事を言ったんだから引き留めるのは当たり前だという勝手な考えが思い浮かび、開き直って同じように目で伝える。
ケルアの苛立ちが伝わったのかこれ以上外にいたくない為か、それとも単にこんな奴を相手にしていても意味がないと考えたのか――、フォルは睨むのを止めて溜息をつき「お前にとっても私がいない方が良いだろう? なのに何故引き留める?」
フォルの言葉に否定はしない。しかし、こうもはっきりと言われると否定できないのが悲しい性分で、この場合だと開き直れば負けを認める事になってしまう。なので小さく唸って考えた結果、不承不承にこう答えるしかなかった。「べ、っつにー」声が微妙に裏返る。
目をあわせていたら動揺がバレてしまうのであえて逸らしていたが、フォルが訝しがっているのは見なくても突き刺さる視線で良く分かった。その冷たい視線と重苦しい沈黙が次の言葉を催促している。ケルアは別に言う言葉がなくて悩んでいる訳ではなく、ただフォルの言葉を否定したからには引き留めた理由を言えば良いだけなのだが、その言葉の内容に言いよどんでいるのであった。もうすでに認められなくてあんな事を言った事に後悔している。
いつまでも黙っていても仕方ない。覚悟を決め、弾けるようにフォルの方を向いていつもの笑顔を浮かべた。
「それよりメルヴィー待ってるんでしょ? なんならこんな所じゃなくて家に入りなよ」
唐突な行動に思考がまだ追いついていないフォルの左腕を両手で思いっ切り掴み、力任せに引っ張って何とかこちらを向かせるが、警戒をしているのか前へ1歩進むだけで踏み止まる。驚きに見開いた目も、まるで何か裏があるのではないかと疑いの目付きに変わっていく。
だが、フォルもこの寒さにはそうとうまいっていたようであった。フォルが仰々しく溜息をついているのを何となく見詰めていると、唐突に思いっ切り両手で掴んでいた左腕を振り解かれてたたらを踏んだ。確かにほんの少し油断はしていたが、見て分かるほど呆然としていた訳ではないし、手の力を抜いた訳でもない。
倒れそうな体を数歩進んで何とか起こし、反射的に冷や汗をかいた顔を肩越しにフォルの方へ向ければ、疑っている事を少しも隠していない彼の真紅の瞳とぶつかった。
「じゃあ、そうさせてもらおうか」
「……どうぞ」
怪訝な表情と満面の笑みという変な組み合わせで向かい合い、しかし冷たい目付きで睨み合う。
お互い遠慮なく冷たい視線を交わしているが、どうやらフォルは勝手に家を上がり込むほど礼儀知らずではないようで、ただじっとケルアが動くのを待っていた。取り敢えず箒をそのまま道に置いておく訳にもいかないのですぐに視線を逸らして屈み込み、箒を掴む。
ふと、唐突にコウモリの事が気になったので当たり前のようにフォルの隣にいるコウモリの方へ視線を向ければ、心なしか心配そうな雰囲気を漂わせていた。その双眸が、ケルアの視線に気が付いたのかこちらへと向く。まるで闇のように底を知らないその瞳としばらくの間見詰め合い、何となく笑みを浮かべてみてみれば思いっ切り飛び上がってわざとらしいほどの驚きを見せ、フォルの後ろに隠れてしまった。
うっわ、バケモノにでも会った時みたいな驚き方。せっかく気を使って笑いかけてやったのに怯えられてしまい、腹が立ったのですぐに笑みを消して睨むと小さな黒い姿は完全にフォルの後ろへと姿を消していく。
予想通りの行動をしてくれたコウモリに心の中で悪態を吐いて鼻先で笑い飛ばし、さっさと家の中に入ってつけっぱなしにしているコタツの中に入り込もうと、そう考えると思わず身震いをしてしまう。腕をさすりながら背を向けて足を進めるが、ふと自分の行動がこれはこれでフォルの事を心配してやっているように思えてきたので、自分を納得させる為にも前へ進める足を止めて肩越しに振り返り、いきなり止まったので何事かと訝しげな表情を浮かべているフォルに向かって、言ってやった。
「別にアンタの為って訳じゃないから。単にメルヴィーの知人ってだけで、そこんとこ勘違いしないでよ」
ケルアの身勝手な行動とか台詞を考えたり、2人の間に重苦しい空気を漂わせたりと…この話で1番楽しく書いた章だと思います。やっぱりこういう子は書いていても楽しいし見ていても和みますvv…実際にいると腹立ちますがね(おい)。
嫌いな奴の前では素直でないです。意地張ります。特にその相手が自分の好きな奴の友達となると、こっちの方が仲良いんだと見せ付けたくなります。冷静と見せようとして余計に子供っぽくなってしまいます。最後の台詞が特にそうですね。
寒くなってくると珍しく自分からコタツを引っ張り出してきて(メルヴィーに頼んでもケルアがそこから出てこないの分かり切っているので出してきてくれない為)よほどの用事がない時以外はずっとコタツで丸まっています。んで、最初はメルヴィーはコタツから出ろと口で言うのですが、何回言っても出てこないので、ケルアが寝ている時に電源切って、で後でその事について口論になったりと…冬は大変です。
クリスマスなんて行事、ケルアにはあってもなくても同じですね。どうせプレゼントなんてもらえないし。良い子とはお世辞にも言えない性格ですし(笑)。
06年1月17日