阪大の微生物学研究所の所長だった藤野恒三郎(つねさぶろう)さんには梅田の中華レストラ
ンでご馳走になって、お話を伺いました。藤野恒三郎博士は腸炎ビブリオ菌の発見者として、医
学界では世界的に有名な人でしたが、このときは魯迅の作品の「藤野先生」の藤野厳九郎(げ
んくろう)の甥にあたられることで、取材に伺いました。
「藤野先生」は魯迅の作品中、最も感動的と言われています。魯迅が強い喘息発作に苦しみ
ながら、夫婦で隠れ家を転転として、新中国の樹立のために命がけの行動をしているときの作
品です。運動が行きづまり、官憲の追究が迫り、呼吸にも苦しみながら、そんな時に日本留学
時代(東北大学の前身の仙台医学校)の藤野厳九郎教授が朱を入れたノートと写真を見て、想
うという作品です。
後年、仙台の医学校が国立移管されるのに際し、藤野厳九郎は退職し故郷の福井に帰って
田園の開業医として過ごします。戦争のため食料の配給が乏しくなっていく中でも、農家からの
食糧のお礼を断わり、衰弱して往診の途中の農道で亡くなったと。篤実な、まことに医者らしい
一生だったと伝えられています。
また、魯迅が終生だいじに持ち歩いた、藤野厳九郎が魯迅のためにたくさんの朱をノートは、
長く所在がわからなくなっていましたが、最近発見され、現代中国の国の宝として扱われている
そうです。
私たちが取材に伺った「藤野先生」は当時、神戸の薬科大学の学長をしておられたとおもいま
す。有名な中華レストランに連れて行っていただき、料理は最高で、老酒(ラオチュウ)もたくさん
飲みました。(あとで友人と新聞部をやっていてよかったなあと)
|