2014-12-01
夢の続き
 
 もうMさんの夢をみることはないだろうと思っていた。そのことは「書き句け庫」2006年5月17日の「魂の形見」に記した。あれから8年半、ことあるごとに、いや、ことなきときにもMさんの夢をみた。突然あらわれ、なにかしらうれしい刻印を残し、目がさめると充足感に満たされた。夢にみないときもMさんはあらわれた。あるときは「エディンバラのピザハット」(書き句け庫2014年3月24日)の従業員、またあるときは英国映画やフランス映画の女優として。
 
 容姿は、顔がMさんに似ているというわけではなく、しかし、颯爽として姿勢もよく、足のかたちがいいのと、目の大きいところが似ていた。そのときどきに思った、容姿は同じではないけれど、Mさんほど魅力的ではないけれど、その人をかたちづくる魂に惹かれるのではないか、そこにMさんの姿をみるのではないかと。
 
 現実は空疎というほかないとしても、夢のなかは情実にあふれている。
数日前(2014年11月下旬)、Mさんが夢にあらわれた。その日、私は体調を崩して家でくすぶっていた。医者にいくほどではないが、いいようのない脱力感におそわれて自室のカウチに横たわっていた。そこへ突然Mさんがはいってきた。「どうしたの。顔色よくないよ」。いつもの調子でまっすぐ私の目を見てMさんは続ける。「あたしが来なかったから具合がよくないなんて言わないでよ。来なかったのじゃなく来れなかったんだから」
 
 そう言うなり近寄ってきて、両手を私の頬にあてて軽くほおずりした。Mさんの、しっとりしているのにすべすべした頬の感触が血管のすみずみをめぐり、脳髄のしびれるような感覚がよみがえって陶然とした。ふだんは毅然としているのに、Mさんはとろけるような魅力もそなえていた。
 
 何分間かそういう状態にいたら妹が帰ってきた。会ったこともないMさんに妹は懐かしい人に再会したかのごとく話しかけた。じゃまするなと言いたかった。そうこうしているうちに母まで帰ってきた。玄関先で母の声がしたとたんMさんは「帰るね」と言った。母とMさんは銀座やほかの場所で三度会っているので声をおぼえていたのだ。
母は1998年、妹は2012年に他界した。母や妹が夢に登場したのは数回、めったに出てこない人がこういう状況で出てこられるのは迷惑。好事魔多しというのはほんとうである。結局Mさんは母に会わず帰っていった。
 
 それから数日後、Mさんは細かい花柄のジャケット姿であらわれた。白を基調にした、小さい緑の幾何学模様、オレンジ色の小さな花をあしらった長袖のやわらかいジャケットだった。Mさんはめずらしく髪をうしろでたばね、ゴムバンドでとめていた。そしてこう言った。「生きているからぜんぶゆるしてあげる」
それは起死回生の言葉である。かつてMさんは私のすべてだった。だが、未練を断つため土壇場で未練がましい行動に走ってMさんと別れたバカは永年その愚行がトラウマになっていた。インドへ旅だったMさんの帰国間際の8月上旬インドに逃避し、それでもあきたらず同年10月モロッコへ逃亡した私はどうしようもない男だった。
 
 あれから41年、途方もない時間が過ぎていった。しかし一瞬だったのかもしれない。京都か奈良の旅館、あるいは下宿でMさんと語らう夢を何度もみた。Mさんはまったく怒っていなかった。いつも穏やかにほほえんでいた。結婚したはずのMさんはひとりで暮らしていた。30年くらい前、1980年代半ばのある日Mさんの家を訪ねる夢をみた。なぜか奈良に住んでいて、そのときもひとりだった。夢のなかでは独り身でいてくれたのだろう。
 
 2005年初夏、古美術研究会のネット掲示板でMさんの夫がすでに他界していることを知った。その後しばらくMさんは夢に出てこなくなったけれど、一年ほど経過してふたたび夢のなかにあらわれた。
 
 42、3年前、ドライブ中にMさんと共に聴いた歌。ちあきなおみの「雨に濡れた慕情」、ブレンダ・リーの「酒とバラの日々」&「この世の果てまで」。後年、TVーCMのBGMに流れていたちあきなおみの「黄昏のビギン」は、メロディといい歌詞といいMさんを追懐させるに十分だった。
夢の続きにも果てはある。この一文は「書き句け庫」にではなく、読む人のすくないここに書き記した。時間がたつと夢の記憶は薄れ、いつのまにか忘れる。そうならないよう記しておけば夢の続きをみられるかもしれない。
 
 ことし5月、京都で開催された庭園班OB会の席上でHKがこんなことを言った。「komori旅の部屋はなぜkomoriなの?」と。私は「森が好きだから」とこたえた。小学生のある時期、ひと夏を奈良県吉野村の森で過ごしたことがあるし、鳥取県日野町黒坂の森に2週間滞在したこともある。成人後のある時期、季節の別なく延べ10数年をアトランダムに過ごした道東・紋別の居宅の背後は森だった。森は心のふるさとなのだ。
 
 旅の部屋をkomoriにしたのは、Mさんの「Big Village」に対する「Small Forest」という意味合いもある。1968ー69年ごろ早稲田文庫茶房に置かれていた庭園班交換ノートに一度だけMさんは、ペンネーム「Big Village」の名で投稿したことがあった。
 
 内容はおぼえていない。凜然たるMさんの心の裡を簡潔的確にあらわした名文であったと思う。
再会すれば忘れられるかもしれないのに、再会しないから忘れられない女がいる。夢のなかでは往時のように若いままである。再会して現実をみれば忘れられるだろうけれど、再会の時はこの先も訪れることはない。
 
                                   (未完)

PAST INDEX FUTURE