松本に帰省したら父が、「どうしたんだ。急に帰ってきて」と言い、「用ができて」と返事した。とるものもとりあえず駅近の百貨店へ行き、りんごを探す。果物売り場はすぐ見つかった。
松本唯一の百貨店は彼と同じ名前。地方デパートで他府県の人は名さえ知らないが、地元では贈答品は井上の包装紙じゃなきゃと言われている老舗。東京なら三越、松本なら井上百貨店。
りんご10個を竹かごに入れてもらい彼に届けた。そして翌日、吉祥寺にもどった。りんごの種類は忘れた。中くらいの大きさで丸かじりに適している。紅の色艶があざやか、形も整っている。
大学受験は各校の学部試験が別々の日だったので、東京で2泊し、帰宅して3日か4日滞在し、受験のため再度上京したような記憶がある。高校の担任に早慶はきついと思うが、教育学部か商学部なら何とかなるかもしれないと言われた。
文学部英文科のほかに考えられなかったので担任の意見は無視。結局早慶はダメだったが、明治大学と成蹊大学に合格。受験で行った成蹊大学のキャンパス、周囲の環境がステキという理由で成蹊に決めた。同窓に作家の小池真理子、学部は異なるが後輩に安倍晋三、中井貴一、鶴見辰吾。著名な方々のみ挙げました。
松本から帰って4日か5日後、電話をもらった。「信州のりんご、すごくおいしかった。ありがとう。毎日食べてます。」。感謝は礼儀正しさの発露でもある。同時に感謝は双方に充足感をもたらす。当たり前のことが清々しさを運んでくるのだ。当たり前のことができない人間は陰気、鈍感。
贈答で人間関係が深まるとか強固になるとは思わない、でも潤いを生むことはあるだろう。何を贈れば喜んでもらえるかわかれば迷わずにすむ。タイミングがどうたらこうたら言っているとタイミングを逸し、時は過ぎる。些細なことに御託を並べる人間にモノを贈る気持ちがあるのかないのか不明、単なる怠慢ではないのか。
りんごのお礼にと原宿で中華料理をご馳走してもらった。昔のことなので店名は思い出せないが、原宿駅からすぐだったと思う。表参道に面していて、窓際の席から表参道が見え、夜は人通りが絶えた。駅が近すぎると夜に文句を言いたかった。古き良き時代の原宿だった。
料理はそれまでの中華料理に較べて洗練されており、脂を感じさせず、調子に乗って食べすぎた。ふつうなら満腹感でお腹が重くなるはずなのに、重くならない魔法のレストラン。会話の内容は忘れた。毎週食べれば、1ヶ月で3キロは太るね。
どこで交された会話かおぼえていない記憶の断片。「料理は愛情と言う人もいるけどね、愛情で皆が満足する料理をつくれるなら、3000万人以上は料理名人です。料理は誇りと意地だと思う。相手への優しさじゃなく、自分への厳しさ、誇りが料理を育てるような気がする」。
デートしたわけではない、ケーキや食事がデートならそうかもしれないが、デート感覚はなかった。疑似恋愛のような、そうでないような。仕事を受け、打ち合わせで毎回ケーキを食べ、報酬をもらう。翻訳作業は時間と労力を費やし簡単ではなかったにせよ、やりがいがあり充実していた。
翻訳原稿を彼に渡すとき、自己満足ではなく手応えを感じた。翻訳を誉められるより、労作と認められて誇らしかったのである。翻訳家の気持ちがほんの少しわかったような気がした。
「途中で丸投げして迷惑じゃなかったかな」。「そんなことありません」。受験勉強でもあんなに集中しなかった。もっと勉強して翻訳の道に進むとしても、翻訳で生活するのは容易ではないだろう。
硬いクルミの殻を割るリス、木の幹に穴をあけるクマゲラさながらの特技をマスターするにはかなりの時間をかけねばならない。考えるだけで気後れする。
昭和50年3月、卒業後、長野市の信越放送で職を得た。筆記試験の常識問題はかなり難易度が高かったが、英文和訳、英作文はお茶の子さいさい。面接は何を聞かれ、どう応えたのか思い出せない。不合格と思っていたのに合格してしまった。配属は制作局、ディレクターの卵。
松本から長野へは急行列車「信州」で約1時間、特急「しなの」なら約50分。長野でアパート暮しするほうが朝寝坊には楽。父の援助に頼るのはどうかと思い、長野の仲介業者を何軒かあたる。家賃は吉祥寺の半額以下、自分で払える。
職場に慣れ、余裕もできた10月半ば、秋の風に誘われて手紙を書いた。11月になっても返事はなく、対応抜群の彼らしくなかった。松本の女なんか忘れたのかもしれない。11月も終わりに近づいた日、手紙が届く。北アフリカから帰って手紙を読んだらしい。
お手紙ありがとうございました。あなた、わたしのことを食べさせ屋と思っていたでしょう。おいしいものを食べていると人は解放されます。どこで何を食べたか忘れても、おいしかったことはおぼえている。満ち足りれば心に花が咲く。
花衣を身にまとった女性は絵になる。画家の描いた絵より生き生きした動く絵。花の衣が風になびいて揺れ、手足が伸びる光景は美しい。絵や映像で表現しがたい立体的な美。記憶にとどめてください。
7ヶ月しかブランクは空いていないのに懐かしさが押しよせ、手紙の返事を書いたが返事はなく、電話をかけても着信ベルが鳴りつづけるだけだった。消息を知りたくなって翻訳のアルバイトを紹介してくれた彼女に電話した。
「おにいちゃん、実家にもどったよ」。彼は昭和50年12月に東京を離れ、実家の宝怩ノ帰っていたのだ。おにいちゃんという言葉を聞いたのは初めて。彼女は卒業後、松本の実家が経営する菓子店「翁堂」で働いていた。お見合いした相手と来春結婚するという。
彼とはその後、音信が途絶えた。最後に送った手紙の返事も来なかった。信越放送の仕事は年々忙しくなり、勤務後3年しか経たないのに後進の育成を任され、考えるヒマもなく時は流れた。
場所も日時も不明だが、裸になって男と足をからませている。卑猥な状況に酔い、心はうつろ、抱き合いながら右へ左へ転がる。男の顔は見えず、見ようとしても見えない。誰に抱かれているのかわからず、成行きでそうなっているのか。冗談じゃないと口走ったら目がさめた。
昭和51年春、おにいちゃんと言った女性は結婚し、その数年後、子どもがまだ幼いころ重篤な病で亡くなった。親切で可愛い人だった。自宅を訪ね、お線香をあげた途端、涙がこみあげた。
父は行き遅れになる娘を気にかけ、年に数度、長野に来た。父の来訪を楽しみにしている30前の娘。彼が知ったら、「気持ちわるい」と言うかもしれない。
若いころは明るく華やかな花が好きだった。しかし40代、50代になって好みも変化し、60代になると初秋に咲く萩に惹かれるようになった。似合いはしないと思うが、萩の花衣を着る自分を想像し、花衣を着た女性は絵になると彼が手紙に書いた女性は、あのころの自分だと思って残された時間を過ごしている。
京都 梨木神社の萩 2016年9月21日

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