2025-11-25
花絵巻(5)
 
 「Ra-ku-yaki」。シャーロットはそう言った。発音が聴き取りにくかった。「ラ、ク、ヤーキ」とくり返したが通じていないと思ったのだろう、「ポッテリー」と言い直す。スコットランド国立博物館の日本コレクションのなかに収蔵されており、初めて楽焼を見たらしい。
楽焼を調べると、ちょうどスコティッシュ・ギャラリーで特別開催されている陶器を知る。特に目を引いたのが長次郎と光悦の赤楽焼。一目惚れして、エディンバラの骨董品屋を探し歩き、茶碗や皿にこれといった色合いのものがなく、赤楽焼の色づけに近い日本製の小さな花瓶を買ったという。一輪ざしのことだろうか。
 
 エディンバラで、しかもピザハットの女性から楽焼、長次郎、光悦の名が出るとは思いもよらなかった。陶器に興味を持つようになったのは1968年、学生時代の19歳ごろだった。都内の特別展で光悦の楽焼をみて惹かれた。
 
 小学時代から中学時代にかけて下地はあった。両親の交際範囲は広く、会社経営者、個人事業主、趣味人などと交流があり、食うに困った趣味人などから仲介を依頼される。
書画骨董の買い手を紹介してもらえないかという依頼だった。彼らは値打ちモノを置いていった。置いていけば買い手を紹介せざるをえないと思ったのだろう。両親は極秘にしていたのだが、襖のとなりで盗み聞きしていた長男に知られた。
 
 当時、泥棒が近隣に出没し、現金や金目のものが被害にあう事件が続出し、わが家の家宝は父の学生時代、鳥取県書道大会で優勝、池田侯から授与された硯箱と硯だけ。にわかの書画、陶器には高価な品もあり、掛け軸はまったくおぼえていないが、河井寛次郎の陶器はかすかに記憶がある。
 
 大学入学してまもなく頻繁に会っていた堀岡も陶磁器に関心があって、都内の美術館で陶磁器特別展があるとわかれば連れ立って飛んでいった。山種、ブリジストンなどの常設美術館へも足繁く通った。小生は京阪神在住なので、大阪府池田市の逸翁美術館へ行った記憶もある。
 
 岩波書店、新潮社の陶磁器に関するカラー写真が豊富な出版物も購入した。光悦寺の存在を知ったのもそのころ。
そういう経験をしてきた記憶が30年後エディンバラでつなぎあわされた。物知り顔を装った小生にシャーロットは目を輝かせた。しかし英語力不足で十分な説明はできない。「楽焼の話をするだけで幸せ」と彼女は言い、そういう顔をしていたけれど。こういうとき語学力のなさは嘆かわしい。
 
 日本全国に焼物があり、窯によって独特の絵付けがあることを彼女は知っており、「素朴な備前焼や萩焼が好きです」と言う。「萩焼の徳利とぐい呑みを持っています」と返したら、「萩焼を探したのですが見つからず、近いうちロンドンへ行くつもり。トックリは花瓶に、サケ・カップはシェリー酒に使えます」と笑った。
 
 思わず徳利でよければ送りますと言いそうになった。役に立つのなら役に立ちたいと思わせる人もいるし、そんな気にさせない人もいる。両者を分け隔てるのは清々しさだ。
物欲しげ、哀れっぽさ、みじめさ、貧乏くささなどは見てきたが、加齢にともない自分がみじめになってきた。みじめにつき合うことは避けたい。残された時間は日々すくなくなっている、陰気な人に対して協力はしたくないが、明るく清々しい人への協力はしたい。相手の年齢、性別は関係ない。
 
 萩焼の徳利送付を申し出ても、「ノー・プロブレム、サンクス」と言う彼女しか見えてこない。「一途であるがゆえに結ばれることを拒む魂がひそんでいるかもしれません」と話し、ダンス天国を鼻歌まじりに歌うシャーロット。
 
 「気品は教養によって培われ、教養は気品によって輝く」と言ったのはだれだったか。英国の女性はラブリーということばをクチにする。面立ちがよくても、気取っている女、品のない女や卑しそうな女に対してラブリーは使わない。
 
 可愛いだけでなく庶民的で花もあり、感性豊かな女性に魅了される。小説に出てくるヒロインからでは体得できないナマの実感。旅先で知り合った異邦人。数年前までかなりの人たちを記憶していたが、近年思い出すのは数名、会話の内容をある程度おぼえているのはシャーロットだけになった。
 
 その後エディンバラには行った。だがピザハットへは行かなかった。行っても会えないという思い、会えたら何を言おうという思いが交錯した。20代前半のシャーロットはいつまでたっても変わらず、溌剌としている。
 


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