20世紀も残り1年半となった6月半ば英国の旅に出た。18日間の旅程は中央イングランドを北上し、北イングランドからスコットランドへ。 
  
 ロビンフッズ・ベイやバンバラ城からのぞむ北海は海岸まぎわの色は透明度の高い水色だったが、100メートルもいかないうちに紺色に変化する。 
  
 海からの風は身を切るような冷たさで、初夏ではなく冬を思わせた。北海沿岸をさらに北へ進み、イングランドとスコットランドの境界をぬけエディンバラ空港でレンタカーを返却し町へ向う。エディンバラ3泊は市内観光なので車は不要。 
  
 予約していたホテルは「ジョージ・ホテル」(現在のインターコンチネンタル・エディンバラ)。プリンス・ストリート・ガーデンへ500メートル、国立美術館へ400メートル、ウェバリー駅は650メートル、エディンバラ城へは800メートル。 
  
 ホリールード宮殿までは2キロだが、それでも徒歩圏内。ホテル建造は19世紀後半、エディンバラでは新しいほう。2日目、市内を散策していると無性にピザが食べたくなって、ハイストリートとノースブリッジの交差点付近にピザハットを見つけた。 
  
 ノースブリッジはウェバリー駅をまたぐ高架橋。ガイドブックにはほとんど紹介されておらず、しかし高架橋を歩くと線路も駅も見えて、旅人、通勤客が行き交い、旅行気分が盛り上がる。 
  
 午後おそい時間なので客は一組だけ、正面の女性従業員と目が合い、視線をそらさず颯爽と歩みよる。ピザハットの制服がよく似合い、ポスターから飛び出してきたように見えた。 
身長約160センチ、バランスのとれた体躯、形のよい脚、凜とした面立ち。髪の色と同じ黒褐色のやさしそうな瞳。年齢は20代前半。 
  
 「カウンターの生野菜はフリー(無料)です。カリフラワーも生。噛めばすこし反発力があるけれど、甘みがあります」。話し終わったら頭を傾(かし)げる。自然で明るく、魅力的な容姿と話し方、親しみを感じさせる雰囲気。 
  
 翌日の午後もピザハットへ行った。客はいたと思うが目にはいらなかった。女性従業員は小生に気づき、きょうもピザでいいのですかと言いたげな、しかし親近感を隠そうとせず近寄る。そんな顔をされたら、ピザが1万円でも2万円でもここへ来て食べたくなる。 
  
 「エディンバラは旅行ですか?」と問いかける笑顔と目元に惹きつけられた。「ヨーク、ダーラムと回って来ました」。そこから北イングランドの話題に集中。業務にさしさわるのではと言う前に先回りして、だいじょうぶ、客はほとんどいないからと言った。 
  
 彼女の反応が見事なので思わず「May I have your name?」と問うと、「Of course」と言い、「Charlotte」(シャーロット)。「And  your name?」。そこから闊達な会話がはじまった。 
ジェーン・エア(Jane Eyre)」の作者はシャーロット・ブロンテ。「姉の名はエミリーです」。「ブロンテ姉妹は妹がエミリーでは?」。「母がブロンテ姉妹の作品が好きで、姉妹の名を逆にして私たちに名づけたの」。 
  
 「嵐が丘の舞台ハワースってステキな町ですね。散歩でブロンテ橋も通りました」。「母はハワース出身です」。とんとん拍子に話は進み、使ったことのない単語がすらすら出て、自分の英語力が初級から上級になったような気がした。男が相手なら会話はあれほど弾まない。 
  
 「わたしはブロンテ姉妹の小説よりジェーン・オースティンが好き」。小生も「高慢と偏見」、「エマ」は小説ではなく映画でみた。「分別と多感」は「いつか晴れた日に」として映画化されみている。18世紀から19世紀は英国の女性作家の時代。 
ブロンテ姉妹の作品は劇的で陰影に富むが暗い。ジェーン・オースティンの作品は明るさ、華やかさもあり、風刺、皮肉がぴりっと効いている。風刺・皮肉という英単語がすんなり言えたのは高校時代の学習の賜物かもしれない。 
  
 彼女はときおり腰に手をあてたり、唇を噛んだ。そういう仕種がドラマティックでさまになる。ありきたりの女性がやるとわざとらしく気品に欠けるからやらないほうがよい。 
ジェーン・オースティンで意気投合し、ピザハットは私たちの語らいの場と化した。作中人物はもはや架空の人たちではなかった。実在し、目の前で話したり歩いているかのように語る。 
  
 帰り際、「明日もエディンバラに滞在しますか?」と問われ、移動日だったが滞在すると言ってしまった。「明日はデイオフです。差し支えなければバルモラル・ホテルのティールームで会いませんか」とシャーロットは言った。こういう果報は一生に一度あるかないか。 
  
 ジョージホテルにもどってすぐ空き部屋の有無も確認せず延泊を告げ、翌日の一泊目をキャンセル、当時エディンバラにあった有名デパート「ジェナーズ」で上等の綿パンを2本(ミッドナイトブルー、濃いベージュ)買い、デパート裏にあるリフォーム店で裾上げの即日仕上げ。 
明日11時ごろ取りにきてくれと言われ、押っ取り刀で11時に行って早速はきかえた。真新しい綿パンで年齢をごまかそうとしても、25歳以上の差を縮めるなんてできっこないのにさ。 
  
 翌日はいていった綿パンの色はおぼえていない。待ちあわせ10分前に行くと女性は先に来て待っていた。「Punctual to the minute」。きのうきょう会った者でも些細なことで信頼関係は築かれる。何気ない表情にも豊かで細やかな感性を感じた。 
  
 会話はジェーン・オースティンからはじまった。彼女も映画化されたものはすべてみており、特に印象深かったのは映画「プライドと偏見」で主演女優キーラ・ナイトレイがたたずむバンフォード・エッジ(ピーク・ディストリクト)だったという。 
小生の眼前にシャーロットが切り立った崖の先端に立ちつくす風景が広がり、崖ぎわで繁茂するヘザーが風に巻き込まれ、うめき声をあげた。「ここはお前の来る場所ではない、帰れ」。お前とは誰のことだ。彼女か自分か。 
  
 キーラ・ナイトレイより彼女の容姿のほうがすぐれていると思えたのは、スタイルと容貌だけでなく、彼女が端正でやさしい目をしていたからだろう。英会話初級の初老男は期間限定の会話伝達力「Ability of communicate」を授けられた。 
1杯のコーヒーで3時間くらい彼女と話し合ったと思う。ジェーン・エア、「嵐が丘」のキャサリン、「高慢と偏見」(映画では「プライドと偏見」)のエリザベスが重なり、一人の映像となった。すべてシャーロットなのだ。 
  
 シャーロットがエディンバラ大学で英国近代史を学ぶ学生であること、6月のミッド・サマー・ホリディを利用してピザハットで働いていたこと、きょうが彼女の母親の一周忌であることを知った。 
母親が亡くなってもうすぐ1年になるとぼんやり考えていたら小生が来て、翌日ブロンテ姉妹やジェーン・オースティンの話になったのだ。 
  
 シャーロットは膝元から一冊の本を取り出した。「母が持っていた嵐が丘です。あなたに差し上げようと持ってきました」。20世紀初頭の出版と思える立派な装丁。そんな大切な本、受け取れませんと断れば、差し上げたいと言い返す。 
  
 「あなたの心をもらいました。それに、わたしには嵐が丘を読破する英語力もありません」。言いたかったのはそれだけではなかった。前日、言おうとして言えなかったことを言おう。 
「バンフォード・エッジにたたずむならキーラ・ナイトレイよりあなたのほうが絵になります」。そう告げたとき、一瞬はにかんだ顔になり、まぶたに薄紅色がさした。えもいわれぬ風情だった。 
  
 あれから四半世紀、本をもらえばよかったという気持ち、もらわなくてよかったという気持ちが交錯する。至高の体験だった。 
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