2025-09-01
花図鑑(16)
 
 ショートカットもポニーテイルも挑戦しなかった。鏡を見ながら描いてみたが、どう考えても似合いそうにない。長かった髪を切るとしてもショートッカットにはしないでおこう。結局ウルフカットにした。
銀行や郵便局の窓口で髪をふり乱している高齢女性がいる。はた目にはそう見えるのだが、高齢になると髪に水々しさがなくなり、バサバサになってまとまりがつかなくなる。それでふり乱しているように見えるのだ。
 
 身体も髪も水々しさを保っていれば、ヘアスタイルが少々乱れていてもなんとかなる。70歳を過ぎて身だしなみに手を抜くと小汚く、みっともない。気持ちが老けると外見は年齢以上に老けて見える。
皮膚が薄くなり、皮下脂肪も消え、暑さ、寒さがいっそうこたえる。髪は細くなって、分量も減って、抜け毛の細さにびっくり。命が削られていくのを実感する。
 
 近ごろ思い出すのはいつも子どものころか20代前半だ。未来に希望が持てなくなっても、あのころに帰るだけで十分。追懐がすべてであると思うようになってしまった。しかし記憶の断片しか残っていない。
あれだけ日比谷の映画街へ行ったのに、頭から離れないのは日比谷でもなく、映画を終えてババロアを食べた帝国ホテルのカフェでもなく、有楽町駅近くのガード下だ。山手線、もしくは京浜東北線の電車の通過音もきこえてくる。
 
 「風と共に去りぬ」や「栄光のルマン」、「屋根の上のバイオリン弾き」はおぼえている。「時計じかけのオレンジ」はひどかった。あれを絶賛した映画評論家はいかれている。そのほかにもいっぱいみたはずだが思い出せない。
 
 都内や首都圏の住民にとって銀座は敷居が高い。表通りを歩くと知りあいと会うかもしれず、それがいやで、みゆき通り、並木通りを歩いた。夕食はだいたいイタリー亭。気取った感じがなく、庶民的な雰囲気、味もよかった。
イタリー亭のロウソクに照らされたテーブルであたしが「何か気づいてない?」と問う。「何が?」と彼がたずねる。しかたない、言うか。「口紅、変えたよ」。「ほんとだ。濃いめのピンクだったかな?」。「そう、今度はオレンジ系に変えた」。
 
 相対的に彼は現在を見ていなかった。就職試験に失敗したのに足もとを見ず、ふらふらしていた。近未来といえば海外旅行しか考えていなかった。遠くを見る目をみればわかる。
 
 あたしたちは即断即決という点で一致していた。ぐだらぐだら、ああじゃこうじゃと無駄口をたたかず、先延ばしせず、決めたら実行する。
お互いに社交的で人見知りしない。それは長所であるけれど、どこへ行っても彼は新しい知り合いをつくって交流する。アフガニスタンから帰ってっきたときは、年上(ツアーで彼が最も若かった)の人たちとの交流が始まった。ガンダーラ美術の専門家やオスマン・トルコ史の学才。交流を優先させ、就職活動はほったらかし。
 
 我慢を重ねたつもりだったけれど、とうとう爆発。一発や二発パンチを食らわしても、あたしの辛さに較べれば軽い。早く就職先を見つけろ、でないと家庭を持てないではないか。目をさませ。
同じ地点に立って地平線をのぞみ、そこまで一緒に歩き、地平線の向こうにある景色を見たい、そういう思いで4年以上過ごしてきた。あの男、迷子の猫よりわるい、猫は迷っても自分を見失っていないぞ。
 
 彼が関心をよせていたヨーロッパに関心がなかったわけではない、ある種のあこがれはあった。だが地響きのような欲求は感じず、ヨーロッパへは行かなかった。いまごろになって、一度は行っておくべきだったと思っている。
 
 鳥は季節の変化に敏感だ。気温だけでなく、空気の漂いかた、風の吹きかたを瞬時に感じとる。鳥と同じというわけにはいかなくても、服装の色、デザインで季節を演出することはできる。露出度が高くならないよう注意せねば。昔々、女はそう思っていた。
鳥は空を飛べるが着がえることはできない。と考えれば、女であることは満更でもない。高齢となって着がえる楽しみを失えば一気に老け込むだろう。
 
 浦和の女子高に通っていたころ、漫画みたいな声で「人間の歴史はウソをつくことから始まった」と言う女がいた。狩猟で大型の哺乳類を捕獲するために罠を仕掛けたことをさすのだろうが、小学生みたいなこと言うなよ。
 
 21世紀になってドラマも実生活も質が下がっているような気がしてならない。脚本も演出も役者も。75年も生きれば物事のよしあしは容易に判断がつく。現代劇はつまらない。上っ面だけで演じる者が増え、ハラが薄く、花のある役者は激減した。勝負の世界に生き、質を追求するのはスポーツ選手だけかい。
 
 脚本家、制作スタッフ、役者の稚拙さがドラマに反映されているというほかなく、プロ意識は低下し、みながアマチュア。甘ったれた同類が同類を起用する。批評するのも同類。そういう時代に突入したのだ。
 
 残された時間をどう過ごすのか。一日の終わりに思うのはおおむね同じ。明日も同じことを思って時間が過ぎていく。あがきながら先の予定を立てていたのがウソのようだ。いまにして思えばヒマつぶしに過ぎなかった。追い立てられる日々が終わり、静寂と追想の日々。花よ枯れるな。

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