記憶の総量がちがった。話し手は85%あたしで、話すことによって考えをまとめ、新しい発想を構築していた。聞いてくれるだけでよかったのにぜんぶおぼえていた。そういうふうだから、弱冠21歳の経験の浅い男は、経験したことを丸ごと記憶しているのではないかと思えた。
お互いに質問はしなかった。質問好き小学生の秀才君みたいな人間には閉口する。勉強のできる秀才にバカは多い。秀才タイプでない彼とは話が通じた。あたしも彼も陽気で話し好き。
会話の楽しみを知らないのか、仏頂面している女、その顔なんとかしろ。会話はそんな顔してするものではない。陰気な顔していると幸運が寄りつかなくなるぞ。
ひとり暮しが長い。困るのは背中がかゆいのに手が届かないとき。背中をかいてくれる人がいない。孫の手では物足りない。背中のかゆいときにかいてくれる人がいればそれでいい。
描いていたように生きてこれなかった人生で、残された時間をどう過ごしてゆくのか。くり返し思い出すのは生活の断片ではなく、配偶者や子どものことでもなく、どこかで交わされた会話のかけらや、いつ見たのか判然としない風景だ。
列車、バスから見た景色、もしくは通学途上の光景かと思うのだが、どこなのか思い出せない。会話はほとんど忘れ、何百何千という会話のなかでおぼえているのはほんのわずかである。
あたしたちにはあたしたちのやり方があった。日常のなかに非日常を求め、男はその欲求を満たしてくれた。自らの内面をみつめる人間は昔のことをよくおぼえている。何度も逢っているうちに非日常は日常になった。
愚痴も泣き言も言わなかった。言ったとしてもおぼえてない。愚痴を言わなかったのはプライドの問題ではない。言っても互いの距離が縮まるとは思えなかったし、関係が濃密になるとも思えなかった。愚痴をこぼして解消するようなストレスは小さい。なれ合って愚痴を言う関係になるのは避けた。
男の気持ちを信じられたのは、妹や弟を語る目を見て家族愛を感じたからだ。最初の愛は家族に対して芽ばえる。家族を愛せなくて他者を愛せるだろうか。ひたむきで健気な人間は心を打つ。しかし好きになるかどうかは別問題。好きになった相手がひたむきで健気だと心地よい。まともな女ならそう思う。
加齢とともに失語症となってゆく。数年前なら出てきたことばが出てこない。特に人名は。表現力も乏しくなる。修飾語の多くを忘れているだけではない、組み立て方も忘れている。あの男がいれば刺激になって、次から次にことばを組み立て、インドでつけられたあだ名「鉄人28号」のごとく話せるかもしれない。
数年前から耳鳴りがする。半年くらい前から毎日。以前はいつ耳鳴りがするか不明だったが、最近は不意にすることもあるし、寝床についてからが増えた。通常は15分か20分でおさまるのだが、それ以上つづくこともあって寝つけず、1時間半ほどたってようやく眠りに落ちる。
入浴中、バスタブの真上の換気口から救急車の音が聞こえてくる。ここに住んでまだ8年、その前は住宅街にいたので救急車のサイレン音など年に数回程度だった。
ここは商業地区にも近く、幹線道路が近くを走っているし、マンションがたてこんでいるから仕方ないのかもしれない。しかし換気口からの救急車の音は空耳なのである。特殊な耳鳴りか。
今夏の長びく暑さは耐えがたい。悪魔の使い炎暑が束になって列島に覆いかぶさっている。週に3日、食料品調達のため徒歩7分のスーパーへ買い出しにいく。往きはまだしも復りは後頭部と首に雨が降り、背中に滝が流れる。おびただしい汗なのだが、70歳半ばになると汗をかいても喉が渇かなくなる。
食料品の買物を終えて自宅への途上、前から歩いてくる人が昔の知り合いに雰囲気が似ていると、その人の声や言ったことを思い出す。ほんとうに言ったのかどうか、自分で都合のいいように記憶しているだけなのかもしれない、が、懐かしい。
先日、すれちがいざまに振りかえったら、その人も振りかえった。あたしと同じ、ひとり暮しなのかな。近ごろ思うのは、眠っているあいだにお釈迦さまがひょいとつまみ、大きな蓮の葉の上へ置いてくれないものだろうか。あおむけになって寝ころび空を見上げる。そしていつのまにか深い眠りに落ちる。終焉はそうありたい。
2015年7月3日 京都市 法金剛院のハスの葉

|